下瞼にかかる等星
私が頭を抱えている間伏黒くんも何かを考えているのか顎に手を当てていた。とりあえず彼は元気で既に家入さんの治療済みという事らしい。つまり五条先生が聞いた時は危なかった…?いや、でも彼はかすり傷だって言ってた。あれ?それってさ、
『……五条先生の嘘だったってこと?でも伏黒くん冷たかったし…』
「そういえばさっき虎杖に保冷剤当てられた」
『……伏黒くんずっと意識あったの?』
「普通に寝てた」
私はゆらりと立ち上がって、今すぐあの白髪目隠し野郎を殴りに行かないと気が済まないと右手を握る。すると右手首が温もりに包まれて顔を下げると伏黒くんが私を見上げていた。
『どうかした?私は今から目隠し野郎を殴りに行かないといけないんだけど…』
「好きだ」
『……五条先生が?』
「苗字が」
『……急にどうしたの?』
私がそう問うと、彼は不思議そうに首を傾げてしまった。そして一度視線を下げてからゆっくりと私の瞳を見た。
「突然では無い。俺はずっと苗字の事が好きだ」
『私は、』
素直になろうって思ったのに、彼を見てしまうとやっぱり彼女の姿が浮かんでしまう。認めたくない、認めたくないけど、彼の隣には彼女がしっくりきてしまったから。
『…伏黒くん、私は、』
「任務に行った時に思った」
『え、あ、な、なにを?』
私の言葉を切り裂くように言葉を紡いだ伏黒くんに驚きながら聞き返すと伏黒くんは導くように手を引いて、私を丸椅子に座らせた。伏黒くんは掴んだままの私の手首に視線を落としながら言葉を続けた。
「やっぱり俺は苗字の隣に居たい。同期とか、友達とかそんなんじゃあもう足りない」
『……伏黒くん、』
「俺は呪術師で、苗字も呪術師だ。いつ死ぬかも分からない。なら俺は死ぬ時にはオマエに隣にいて欲しい。苗字が死ぬ時は俺が隣にいたい」
『…でも、呪術師辞めて欲しいんじゃないの?』
「辞めて欲しい」
『……』
「けどそれは俺の勝手な意見だ。それを無理矢理押し通すつもりは無い。それに俺が守ればいい話だろ」
『………私は、呪術師を辞めたくない、』
「ああ」
『だって、呪術師を辞めたら、私は、』
伏黒くんの隣に居れなくなってしまう。そんなの嫌だ。恋人じゃなくてもいい、ただの同期でいいから、彼のそばにいたい。
「俺は死ぬなら苗字に殺されたい。苗字の呪いを抱えたまま死にたい。それで俺は呪霊になっても苗字を縛り続ける」
『駄目だよ、そんなの、……だって、そんなの、普通じゃない、』
伏黒くんは普通の恋愛が出来るんだよ。私なんかを忘れちゃえば。幸せな、普通の恋愛が。
「普通じゃなくていい。俺たちは呪術師なんだ。今更普通なんて求める方が間違ってる」
『…伏黒くんは、私と居ても幸せになれない、』
「苗字と居れないことが俺にとっての不幸だ」
伏黒くんはそう言うと真っ直ぐ私を見た。その視線から逃れるように逸らすと彼は掴んでいた手首を離して私の手のひらを包み込んだ。駄目だ、この温もりを手離したくない。
「俺に幸せになって欲しいなら俺のそばに居てくれ」
『伏黒くん…、』
「俺は苗字が居てくれればそれだけで幸せだ。他の奴の隣にいるオマエを見たくない」
『…でも、私は伏黒くんの運命の人じゃないよ』
「この間からずっと言ってるけどそれ、そんなに大事なことか?」
『…え?』
「……オマエ、そんな理由で別れたとか言うんじゃないだろうな」
ジト目で私を責めるように見つめる伏黒くんに私は慌てて視線を下にさげた。すると彼は大きな溜息を吐き出した。
「……まじかよ、そんな、……くだらねぇことで、」
『くっ、くだらなくないよ…!運命の人なんだよ…!?』
「じゃあその意味の分からない見ず知らずの奴となら俺は幸せになれるのか」
『…見ず知らずの人、じゃないよ、』
言いたくない。言ってしまったら全てが終わる気がして。既に私たちは別れてるわけで、終わってるんだけど私はきっと心のどこかで彼ならこんな私を愛してくれてる、なんて自己満足に浸っていた。
けど、言ってしまったら、あの人が運命の人だと言ってしまったら、もう、
「苗字、」
『…、』
「俺は何があっても、どんな事があってもオマエを愛してるよ」
『………伏黒くんの、運命の人は、』
「……」
『伏黒くんと虎杖くんが、助けたっていう、女の子、だよ、』
喉がカラカラで所々詰まりながら必死に紡いだ言葉は酷く震えていた。彼の顔を見るのが怖くて瞼をギュッと閉じて顔を下げる。でもここで逃げたら駄目なんだ。受け止めないといけない、そう思って覚悟を振り絞って顔を上げた。
「へぇー」
『………えっ、そっ、それだけっ…!?』
伏黒くんは如何にもどうでも良さそうにそう答えると、首を傾げた。
「それだけって、他になんかあんのか」
『いやっ、だって、あの子が運命の人なんだよ!?』
「だからそれは聞いた。問題は一つだ」
『なに…?』
「苗字が俺を好きかどうか」
『な、なんで私…?』
「俺は運命の相手が誰だろうが苗字が居ないと不幸になるんだから、運命の人なんて関係無いだろ」
『……』
私がずっと気にしていた運命の人を伏黒くんはあっさりとどうでも良さそうに切り捨ててしまった。伏黒くんは私の髪を耳にかけると真面目な顔をした。
「俺を幸せにしてくれ」
『ふ、しぐろくん、』
「他の奴の所なんて行くな」
『…でも、』
「それとも他に好きな奴が出来たか」
『そんな事…!』
そんな事、絶対にない。伏黒くんの運命の人が私じゃなくても、私の運命の人はきっと伏黒くんだ。だって私は彼が隣にいてくれないと息だって苦しい。彼の隣に居られないのが私にとっての最大の不幸
「オマエは好きでもない男が死にそうならキスをすんのか」
『そ、んなこと、』
「本当にそうなら俺は苗字が救った男を呪う」
『の、呪うの…、』
「呪う。その後に苗字の事も呪う」
『えぇ…?』
「俺のそばから離れられないように俺の呪力全てを使って呪う」
言ってることはイカれてるのに至極真面目そうな顔で言うから真っ当な事を言っているように聞こえてしまう。
『……私を、呪霊にするつもり?』
「それで苗字を俺のそばに居させることができるなら俺は喜んでオマエを呪霊にする」
『呪霊になったら、人間の姿じゃなくなるんだよ…?』
「だから?」
『え、』
「俺は苗字がどんな姿だろうと関係無い。苗字が苗字ならそれでいい。正直、乙骨先輩のことが俺は理解できなかった。呪霊を愛してるなんてイカれてるだろ。…けど、今は分かる。俺は苗字が呪霊になろうと、愛せる」
『……イ、イカれてるよ、』
「呪術師なんてみんなイカれてるだろ」
伏黒くんは私の頬を包むと目元を優しく下げて親指で私の頬を摩った。
「でも苗字が俺をここまでイカれさせたんだ。責任取れ」
『な、なに、それ、』
「代わりに俺も苗字をイカれさせた責任を取って永遠に縛って愛し続ける」
『だって、私は、伏黒くんの運命じゃ、』
「まだ言ってんのか。なら選べ」
『え、らぶ?』
「俺を不幸にするか、俺を幸せにするか」
『そんなの、』
「答えるだけでいい。俺を不幸にしたいか、幸せにしたいか」
『おっ、横暴っ…!』
「こっちは理不尽な理由でフラれてんだぞ。これくらい許されてしかるべきだろ」
伏黒くんは少し不機嫌そうに唇を尖らせてそう言うと急かすように私の頬を撫でた。だって、そんなの選ぶも何も、ひとつしかないじゃない、
「言ってくれ、苗字、」
『わ、たしは、』
「うん」
『私は、伏黒くんに、幸せに、なってほしい』
「なら俺を幸せにしてくれ、苗字が」
伏黒くんは私と額を合わせると、少し上目遣いで私を見た。ずるい、そんな顔するの。
『…いいの、かな、私が、伏黒くんと一緒に居ても』
「俺は苗字と居たい」
『私が伏黒くんを、幸せにできるかな…、』
「できる」
『……私は、伏黒くんを好きなままでいいの?』
「そうでないと困る」
『…伏黒くんを愛しても、いい…?』
「愛してくれ、俺だけを」
伏黒くんは小さく微笑むと瞼を閉じて唇を重ねた。私が顎を少し引くとゆっくりと離れた。けど額は合わせたままで少しでも動いたらまた唇が触れてしまいそうでドキドキする。
『……伏黒くん』
「ん?」
『大好き、』
「俺も」
『愛してる、』
「ん、」
伏黒くんは嬉しそうに笑うとゆっくりと唇を重ねた。私が控えめに制服を掴むとその手を取って指を絡めた。何度か啄むように角度を変えると名残惜しそうに離れる。
「名前、」
『……へ、』
「俺に呪いをかけてくれ」
『な、なんで、っていうか、名前…、』
「俺を縛ってくれ、呪いで。名前が俺を愛してるって証が欲しい。俺が死んだ後も俺を愛してくれ」
『…本当に馬鹿、』
「それでもいいから、俺を愛ってくれ」
もう知らない。どうにでもなれ。ここまで来たらとことんまで呪ってやる。私から離れられないように、私だけを愛するように。
『……愛してる』
「……ん、」
『私と幸せになって、』
「オマエがいないと幸せになれねぇよ」
『私だけと幸せになって、』
「うん、」
『私を運命の人にして』
「それそんなに大事か?」
『私にとっては大事なの』
「なら、俺の運命の相手は名前以外有り得ないな」
『愛してるよ、本当に。心の底から、呪っちゃうほど愛してる』
「……ああ」
伏黒くんの体は少しずつ前に倒れてきて私の肩に額を預けた。それでもやめてあげない。伏黒くんが言ったんだから、呪ってくれって、潰れそうになっても知らない
『好き、大好き、他の人なんて見ないで。他の人に優しく微笑みかけないで、私だけにして』
「…ん、」
『もう離れてやんないから。嫌だって言っても付きまとってやる。呪霊になっても離してあげない』
「……本望だ」
『だから、勝手に死なないで。私が殺してあげるから。勝手に逝かないで』
「ああ、わかった、」
私は肩に寄りかかる彼の髪を撫でて耳元に呪力を込めてゆっくりと吐き出す。ちゃんと彼に届くように、逃げられないように。
『……愛してる』
「…うん、」
『だから、恵くんも私だけを愛して』
「……重てぇ、」
恵くんは嬉しそうにそう言って身じろぐ様に私の肩に額を当てると確かめるように私の背中に腕を回した。そして顔を上げた彼の長い睫毛は雫が付いていてキラキラと光っていた。
「……この重さが、心地いい、」
恵くんはそう言って笑った。私もつられて笑うとポタリと2粒の雫がシーツに染みを作っていた。
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