やわらかい手つきで奪ってくれ
『あっ!狗巻先輩!お花咲いてます!』
「いくら!」
『先輩が見せてくれた画像通りですね!可愛いー!』
狗巻先輩と花壇の前にしゃがみ込んでお花を覗き込むと白いお花が顔を出していた。狗巻先輩はスマホを取り出していじると私に画面を見せた。
『えっと…、ストック…?』
「しゃけ」
『花言葉は……、ひそやかな愛…?』
「……しゃけ」
狗巻先輩は小さく頷くと制服に顔を少しだけ埋めてしまった。私は目をパチクリさせてゆっくりと意味を噛み砕く。
『…ひそやかな、愛』
「…高菜っ、」
私が繰り返すと狗巻先輩は両手で顔を覆ってしまった。私が何も言わずにいると、先輩は指の隙間からチラッと私を覗いた姿に吹き出すと彼は顔を真っ赤してバシバシと弱い力で私の背中を叩いた。でも顔が真っ赤だから怖いどころか可愛い。
『ふふっ…、先輩、可愛いですねっ、』
「おかかっ!おかか!」
狗巻先輩は頬を膨らませて人差し指で土をいじり始めてしまった。私は笑いを堪えながら彼の腕を啄くと、先輩はジト目で私を睨んでいたけど視線を逸らしてしまった。
『そろそろ手先の感覚無くなってきましたし、戻りましょうか』
「…しゃけ」
『そんなに怒らないでくださいよ』
「…いくら」
『怒ってるフリですか?棘くんは寂しんぼでちゅね〜』
「すじこ〜」
ふざけながら歩いていると、門の所に人影が見えて目を細めると伏黒くんと彼女だった。口元がピクリと揺れたのが分かった。隣で狗巻先輩がオロオロしているのも分かったけど、私はフーっと息を吐き出した。
『……狗巻先輩、私の事嫌いになってください』
「…おかか」
狗巻先輩はフルフルと髪を揺らしながら首を振ると、目元を優しく下げた。対照的に私は眉を寄せて唇を噛んだ。
『…先に謝っておきます。ごめんなさい』
「……すじこ、しゃけ」
『自分から利用されたいなんて言う人そうそういないですよ』
私が肩を落としながら言うと先輩は私の小指に自分の小指を絡めた。突然のことに私が目を見開くと狗巻先輩は小さくコクリと頷いた。私は本当に周りに恵まれ過ぎている。
『…ありがとうございます』
「しゃけ」
私が先輩から視線を逸らして伏黒くん達の方へと顔を向けると、伏黒くんが少しだけ微笑んでいた。その瞬間、お腹の辺りがジクジクと痛んだ。心臓が苦しい。そんな顔見たくない。
『……愛してるよ』
「……」
私がそう言った瞬間、伏黒くんが振り返る気がして私は狗巻先輩の頬に両手を滑らせて包み込む。高専の人たちは任務のせいで夜寝たりするの遅かったりするのに肌がスベスベで羨ましい。
『……狗巻先輩肌スベスベで羨ましいです』
「いくら、明太子」
『あとでおすすめのスキンケア教えてください』
私がそう言うと狗巻先輩は私の手を包み込むように手を重ねて小さく頷いた。それに私が笑うと近くでジャリと砂を踏む音が聞こえた。
「………おい」
「高菜」
『…どうかしたの、伏黒くん』
「………」
私の白々しい言葉に彼はこれでもかってくらい眉を寄せて私を睨んだ。そして私の肩を掴み狗巻先輩と距離を取るように後ろに引くと狗巻先輩に視線を移して睨んだ。視線で人を殺せるってこういうことかな。
「狗巻先輩」
「いくら?」
「苗字に手出さないでもらえますか」
「おかか」
「……」
伏黒くんは首を振る狗巻先輩に舌打ちをすると私の手首を掴んで引っ張るように歩き出した。私は彼の後ろ姿を見て気付かれないように自虐的に笑った。
「…どういうことだよ」
『なにが?』
「さっきの狗巻先輩とのやつだよ」
校舎裏に辿り着くと伏黒くんは立ち止まって振り返ることも無く低く唸るように言った。私は強く掴まれたせいで感覚が無くなりつつある手首に視線を下ろした。指の色が変わってきちゃってる。
『お花に水あげてただけだよ?』
「あんなに近づく必要あんのか」
『狗巻先輩の鼻が赤くなってたから』
「なら部屋に戻れば良かっただろ」
『…伏黒くん何怒ってるの?』
「……あ?」
伏黒くんは低く唸ると後ろを振り返り私の肩を壁に押し付けて私の頬を片手で掴むと視線を無理矢理合わせる。表情には影が差して視線は射抜かんばかりに強く、その瞳には怒りがメラメラと燃えていた。
「本気で言ってんのか」
『怖いよ?どうしたの?』
「……オマエは俺をどうしたいんだ」
そんなこと、私に聞かれても困るよ伏黒くん。私だってどうしたいのか分からないんだから。
『……彼女は?』
「は?」
『門で話してたあの子』
「…話は終わったから帰った」
『……伏黒くん、別れようか』
「………俺が頷くと思ってんのか」
『どうだろう。私は伏黒くんの考えが読めるわけじゃないから』
「俺は絶対に別れない」
伏黒くんは視線を逸らすことなくそう言って眉を寄せた。多分私が少し笑ってるからだと思う。
「狗巻先輩の所に行くつもりか」
『……どうだろう』
「………」
私の曖昧な答えに伏黒くんは瞳から光を消すと私の頬を掴んでいた手を少し傾けると私の首筋に唇を寄せた。
『伏黒くん…?』
「………絶対に行かせない」
『え?……い゛ッ…、』
首筋に痛みが走って反射的に伏黒くんの肩を押し返すと、彼はその手を取って壁に押し付ける。多分、歯が肌にくい込んでる。血も出てる。なのに更に伏黒くんは押し込むように歯に力を込める。
『っ、…あ゛ッ、』
押さえつけなくても逃げたりしないのに。むしろ傷を残して欲しい。あなたの物だったという証が欲しい。少しでも私が伏黒くんの隣に居たって証明が。
『ふ、しぐろく、』
私が名前を呼ぶと彼はゆっくりと首筋から離れると、伏黒くんの唇には私の血が付いていた。私が手首を動かすと、逃がさないという様に力が込められる。
『伏黒くん、』
「……」
『逃げないから、手を離して』
「……嫌だ、」
『絶対に逃げないから』
伏黒くんは不満そうにゆっくりと手を離すと、唇を噛んでいた。そんな彼の髪を撫でて耳にかけると少しだけ申し訳なさそうに見えた。私は笑って伏黒くんの首に両手を回してゆっくりと唇を重ねる。すると彼は控えめに私の背中に手を回して髪をグシャリと乱す。
『ふしぐろ、く、』
「ん、」
伏黒くんは角度を変えると私の唇に吸い付きながら私の体を壁に押し付ける。どれくらい経ったのか分からなくなった頃、どちらからともなく唇を離すと、伏黒くんは額を合わせて私の瞳を見るから私は彼の胸元に頬を押し付けて、彼の視線から逃げる。
『伏黒くん、』
「……なんだ」
伏黒くんの心臓の音に瞳を閉じると少しずつ彼の心音が早くなっていくのが分かった。きっと彼も気づいてる。私が何を言い出すのか。
「苗字…、」
『伏黒くん、』
「嫌だ、」
『まだ何も言ってないよ』
「言わなくていい。嫌だからな」
『…ごめんね、』
「なんで、謝ってんだ」
私は彼の胸に手のひらを当ててもう一度瞳を閉じる。温かいな、離したくないな。一緒に居たいなぁ。
『…伏黒くん、』
「嫌だ…、苗字、」
『私なんかを、愛してくれてありがとう』
「そんなの、」
『短い間だったけど、人生で一番幸せだったって言えるよ』
「なんで終わりみたいな言い方すんだよ…」
『本当なら、私が経験できなかった幸せな時間をありがとう』
「待て、苗字っ、」
『縛り付けて、ごめんね、』
顔を上げると伏黒くんの瞳はまるで迷子の子供のようにゆらゆらと揺れていた。私が眉を下げて笑うと伏黒くんは今にも泣き出しそうな顔をしてしまった。
『…伏黒くん、愛してるよ』
「俺だって、愛してる、」
『……その言葉だけで、私はもう生きていける、』
私は彼の胸元に額を当ててゆっくりと息を吐き出す。伏黒くんの手は少し震えていた。けど、私にはもうその手を握ってあげることも、包んであげることも、出来ない。
『……伏黒くん、もう自由になって、』
「待てっ、苗字、俺は、」
私は額を離して右手を払うように動かすと伏黒くんは目を見開いた。
大好き、愛してる、誰よりも。一緒に居たい、ずっと。これからも
こんな私を愛してくれてありがとう、好きだと言ってくれてありがとう、私なんかを大切にしてくれてありがとう、
『…大好きだよ、愛してる、』
「苗字…、」
『だからもう、解呪にしよう』
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