亡者のリビドー


『津美紀が呪われた?』




悟の言葉に私は眉を寄せた。けれど彼が嘘を言ってる感じは無くて、私は天井を仰いでゆっくりと息を吐き出す。





『……この世は本当に理不尽だね。どうしてあんないい子が呪われないといけないんだ』

「それが世界の摂理ってやつなんだろうね」

『善人が不幸になって、悪人が幸せになるのが?』

「僕達は呪術師だ。神様じゃない」

『……分かってるよ』





すっかり教師らしい言葉を吐き出す悟にべーっと舌を出すと、頭にゲンコツが落とされた。私は立ち上がって壁に寄って立っていた伊地知に声をかける。





『伊地知、任務行くよ』

「…え?まだ時間がありますけど、」

『10分前行動。私は悟と違って遅刻はしないタチなんだ』

「僕のは怒る程でもない遅刻だよ」

『それがタチ悪いって言ってんの』





私は悟の逆立った髪をボンボンと叩いて職員室を出ると2人になった伊地知に声をかける。どうも彼は私たちに怯えているらしい。悟のせいだな。






『私の任務、増やして欲しいんだ』

「ですが、学校の方は…」

『悟ひとりで十分だよ。生徒の数も少ないし今年の1年はいい子そうだ』

「分かりました。ですが無理はしないようにしてください」

『出来れば埼玉の方の任務を多めに』

「さ、埼玉ですか…?分かりました」

『それに無理も何も、伊地知も知ってるだろ』





私は伊地知の方へと振り返り、肩を竦めて首を少しだけ傾げる。





『私の同期の中で一番サボるのが上手いの誰だと思ってんの』





硝子よりも悟よりも傑よりも、私が一番サボるのも手を抜くのも上手いんだよ。






『硝子ー!怪我したァー!治してぇ〜!』

「…最近多いな」

『なんて言いながら硝子に会いに来てたりして〜』

「額をパックリ割りながら何言ってんだ。止血くらい自分でやって」

『私も反転術式頑張って覚えようかなー。超痛いんだけど』

「それだけ綺麗に切れてたら痛いだろうな」




硝子は私の額に触れるとグリグリと傷を抉った。嘘でしょ。痛すぎて涙出てきた。




『いだだだだっぁ!?何してんだ!何してんだァ!?』

「最近寝てないでしょ」

『手を!手を離して!?本当に痛い!』

「任務漬けだって伊地知が言ってたよ。禪院家の子が呪われたのが関係してるのか」

『……その子は禪院家の子じゃないよ。禪院の秘蔵っ子のお姉ちゃん』

「ふーん。で?収穫は?」

『無い。全く』





私は硝子に渡されたタオルで額を抑えながら背もたれに体重をかけて天井を見上げた。喉が反りすぎてて少し痛い。





『……私は、自分が善人だと思ったことは一度も無い』

「だろうな」

『救える人を見捨てたことだってある。その人が善人だとは思えなかったから。死んでもいいと思えるくらいの悪人だったから、私は見捨てた』

「あっそ」

『……私みたいなクソ野郎は今も元気に生きてる。なのになんで、あの子みたいな善人が、呪われないといけない、』

「憎まれっ子世に憚るって言うだろ」

『……善人が、幸せになる世界を作りたいんだ』

「そんなのは理想論だよ」

『そうだとしても、理想を語るくらいいいでしょ』

「まぁ、そうだな」

『…私みたいなクソ野郎が犠牲になって善人が救われるなら、本望だ』

「名前」




硝子に名前を呼ばれて顔を戻すと保冷剤を渡される。つまり反転術式は使ってくれないと。冷やして血が止まったら縫ってやるからと。






「アンタが救いたいのは善人じゃなくて、その子≠ネんだろ」

『……うん、…津美紀を救いたいだけ』




私が素直に頷くと硝子はフッと表情を緩めた。そしてコーヒーを入れると私の前に置いた。



「あまり心配をかけてやるなよ」

『はァ?誰に?』

「秘蔵っ子に」

『……硝子』

「なんだ」

『私がコーヒー飲めないの知ってるよね』

「うん、わざと」





額が割れてる同期に酷い仕打ち過ぎないだろうか。






『…あれ?恵?なんで高専に居るの?』

「……最近、忙しそうですね」

『あー、うん、任務が忙しくてね』

「………」





家に帰る為に門を出ると恵が居て歩みを止めるとポケットに手を入れたままどこか気まずそうに眉を寄せていた。




『何か用事だった?…あ、私じゃなくて悟?呼んで来ようか?』

「いえ…、」




私は小さく溜息を吐いて、とある仮説に辿り着く。もしかして彼は津美紀が眠ったままになってしまい寂しいのだろうか。口うるさいとは言いながら、姉であり家族である彼女がある日突然眠ったままになってしまったんだ。寂しさだって感じるだろう。それに彼はまだ中学生。まだまだ子供なのだ。





『恵、お腹減ってない?』

「……減りました」

『ご飯行こうか』

「はい」





素直に頷く彼に私は笑みを浮かべて2人で寒い中、車も使わずに少し遠い道のりをたわいも無い話をしながら目指した。






『うっわ!ラーメンとか何年ぶり…!』

「もう22時ですよ。そんなに食べるんですか」

『え?なに?聞こえない』

「……いただきます」

『恵はもうちょっと食べたら?体細すぎない?大丈夫?寝てる間に折れたりしない?』

「俺の体をなんだと思ってるんですか」

『私が蹴ったら折れそう』

「折れません」




恵はちょっとムッとしたように店員さんを呼ぶと餃子を頼んでた。少し気にしてるのかな。悟も身長の割に細いんだよな。傑は意外とがっしりしてた。





「名前さんにお願いがあるんですけど」

『え!?なになに!?欲しいものでも出来た!?』

「鍛錬つけて欲しいんです」

『…………』

「その嫌そうな顔は何ですか」

『可愛くないお願いでガッカリした』





私は届いたラーメンに怒りをぶつける様に割り箸を荒く割ると恵は気にせずにラーメンを啜った。まつ毛長っ。




『鍛錬なら悟の方がいいと思うけど』

「あの人は嫌です」

『私の方が好きって事…!?』

「消去法です」

『消去法…』




私が肩を落とすと恵はラーメンから顔を上げてジッと見つめてすぐに視線を逸らした。




「……元気そうで、良かったです」

『ん?私は何時でも元気だよ』

「家入さんが最近名前さんは任務漬けだって、言ってたんで」

『……本当に君は津美紀の弟だね』

「は?」




私は腕を伸ばして恵くんの髪を撫でると、彼は唇を尖らせて手を払った。中学生だもんね。お年頃だもんね。





『津美紀は絶対に助けるよ』

「…当たり前です」




そう言った彼の表情は呪術師そのものだった。まるで非術師を守ると言っていたアイツのようで眩しくて目を細めた。






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