『………』
息を吸って肺まで送り込んでゆっくりと吐き出すと、煙が体に染み込むような感覚に目を細めた。
唇の隙間から煙がモクモクと上がり、冷たい空気に吸い込まれる。
「…名前さん」
『やぁ、受験生。勉強はいいのかい?』
「俺が行くの高専なんで」
『…そっか』
私は座っていたブランコを足で前後にユラユラと揺らすと、隣に恵が腰を下ろして鎖の音が耳を揺らした。
「煙草吸うんですね」
『意外だった?』
「意外でした。でもたまにアンタから煙草の匂いはしてましたから」
『…まじ?ファブリーズ足りなかったかぁ』
「彼氏でも吸ってるのかと思いました」
『彼氏…、彼氏ねぇ…、』
どこかトゲのある言い方をした恵に私がまた煙を吐き出すと彼はその煙を眺めていた。私は煙越しに雲で覆われた空を見上げた。今にも雨が降り出しそうな程、濁った空だった。
『……好きな人が、この銘柄吸ってた。でも私には重たくて慣れるまで大変だったけど、慣れちゃえばこれくらいじゃないと満足出来なくなっちゃった』
「……」
『人間って欲深い生き物だよね。最初は隣に居て笑っていられるだけで良かったのに。もっと言えば生きていてくれるだけで良かった。こんないつ死ぬか分からない世界に居るんだから』
なのにいつの日からか、隣だけじゃあ我慢できなくなって、自分だけを見て欲しくなって、私だけに笑いかけて欲しくなって。
どんどん欲しくなる。欲深くなって次へ、次へと求めてしまう。目標にしていた事が達成されたら人は更に上を目指すようになる。それと一緒。その時は満足してもすぐに足りなくなる。
『……でも、それでも、生きてくれれば、なんだって良かったのに。隣に居られなくても、敵対することになっても、』
ふと煙草を見ると少しだけ震えてた。それで私の唇が震えてることに気づいた。慌てて煙草を手に持って隣に居る恵に笑みを浮かべて声をかける。
『お腹減ったね!ご飯行く?勿論私の奢りで』
「何かあったんですか」
『……』
恵は私の方を見ずに、空を真っ直ぐ前を見たままそう言った。短くなった煙草に視線を落として煙が目に染みた。このまま消すのは勿体ないなと思って口に咥える。
『………タメが死んだ。この歳になって初めてタメが死ぬ事がまず凄いよね。大体は高専の時とか、高専卒業してすぐっていうのが多いんだけどさ。自分で言うのもなんだけど、私たちって強かったんだよ』
個々が強かったからこそ、私たちは仲が良かった。何処かでコイツなら死なないって確信があったから。馬鹿騒ぎして、先生にイタズラとかして、凄く楽しかった。普通の高校生みたいに。
でも時にはこだわりが強すぎで喧嘩とかにもなったし、そのせいで大怪我もした。未だにその傷も残ってる。
私はどちらかと言うと悟側だったから、傑とはよく喧嘩した。呪術は非術師のためにあるとか、意味わからなくない?私は悪人は助けない。それが呪術師であろうと非術師であろうと。あの時の私はそれが正しいと思っていたから。
『……初めて、悪人を救いたくなった。だって、そのその悪人には曲げられない信念があったから。一歩間違えたら私だってそうなってた』
非術師を救わんとしていた人が、非術師を何十人も手にかけて姿を消して、非術師の居ない世界を作ろうとしていた。
彼の強い意思を変えてしまうほどの事が彼を襲ったんだ。それでも彼は私たちと笑っていた。そしてある日突然、姿を消した。
『……けど、一番辛かったのは、私じゃない、』
一番辛かったのは、きっと悟だ。親友を手にかけて、最強な自分を憎んだのかもしれない。最強なのに、どうしてと。けれどアイツはそれを表には出さない。
私は呪詛師になった傑と一度だけ出会ったことがある。街の中で、彼はまるでいつものように右手を上げて私の前に現れた。
突然の事に咥えていた煙草を落としたのをよく覚えてる。
『私は、善人しか救わない。その線引きだって世間には従わない。私にとって善人か悪人かで決める』
だから、私が悟の立場だったら、傑を見逃していたかもしれない。彼のことが好きだからとかそんな私情じゃない。…嘘、ちょっと私情は入ってる。けど、あれだけ人を愛していた彼が人を憎んでしまう程の事が起きている世界が悪いんだ。
『……私は、無条件に私にとっての善人を救うよ』
「……名前さんは、まだその人のことが好きなんですか」
『うん。好きだよ。こう見えて私一途だから。そんな簡単に次の恋なんていかないの』
「それはそれで燃えるんでいいですけど」
『ん?』
「こっちの話です」
恵はブランコから立ち上がると私の咥えている短くなった煙草を抜き取ると火を消して私を見下ろした。
「飯行きましょう」
まさかこの子に気を使われるとは思わなくて目を見開いて、目を細めて頬の中に溜めていた煙を彼の顔に向かって吹きかけると、彼は顔を歪めてしまった。
『…いいね、行こっかご飯』
私が笑って立ち上がると恵はポケットに手を入れてブランコの周りにある柵を軽く足で跨いだ。その後ろ姿に彼の姿が重なって見えて何となく私も柵を超えて彼を追いかけた。
『私ラーメンがいいな』
「この間もラーメンだったじゃないですか」
『じゃあお寿司?私回転寿司がいい!』
「回転寿司はここから遠いです」
『えー!じゃあ恵は何がいいのー?』
私が眉を寄せてそう言うと恵は無表情のまま答えた。
「オムライス」
『……作るのは?』
「名前さん」
『ですよねー!』
スーパーに向かう恵にパプリカ入れてやろうと悪巧みを考えながら堪えきれない笑みを零すと彼も少しだけ口元を緩めていた。
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