闇のこわれるときに




「苗字さーん!帰りましょー!」

『あ、うん!』




十糸沢の家に居候になってから2日経って、月曜日の勤務を終えてふたりで制服から着替える。すると、ふたりの先輩が首を傾げていた。





「家の方向逆じゃなかった?」

『えっと…、色々ワケあって…』

「一緒に住んでます!」

「へぇ〜…。仲良いわねぇ」

「えへへ」




名前は苦笑を浮かべている中、十糸沢は嬉しそうに頬を緩めていた。こういう所が十糸沢の好かれるところなのだと名前は改めて思った。




「お疲れ様です!」

『お疲れ様です』

「お疲れ様」




更衣室を出て、帰る為に歩みを進めていると営業部のふたりとバッタリと顔を合わせる。




「お疲れ様」

『お疲れ様です』





毎朝顔は合わせるがこうして面と向かう機会が無く、4人の間に静寂が走ったが、何となくの流れでそのまま4人で歩く。





「苗字さん、だよね?」

『はい。…えっと、』

御手洗みたらいだよ」

『…すみません』

「ははっ、仕方ないよ。この会社人数多いしね」






営業部らしいといえばらしい爽やかな笑顔に名前の肩から力が抜ける。その口元には可愛らしい八重歯がチラリと見えた。





『…って、…あれ?十糸沢さんは、』

「あれ?…待ってね、今、営業の奴に連絡取ってみるから」





少し前を歩いていたはずのふたりの姿が見えず名前は首を傾げた。すると自分のスマホが小さく音をたてて確認すると相手は十糸沢だった。





『………なんか、飲みに行ってるみたいです』

「え。月曜日なのに凄いね」

『本当ですね…。若いって凄い…』

「苗字さんだって若いでしょ」

『いやいや、私なんて…』

「そんな事言ったら俺はおじさんだよ」

『違います…!』





楽しそうに笑う御手洗に名前は口元を緩めた。そしてふと、いつも気を張っていた事に気が付いた。侑と付き合ってから楽しい反面、歳上だからと気を張っていた。自分がしっかりしなくては。侑に見合う人間にならなければ。少しでも侑の隣にいても許されるような。





「苗字さんは家どっち?送って行くよ。…いっ、嫌なら言ってね…!?」

『……ふふっ、嫌じゃないですよ。ありがとうございます』





慌てた様にそう言った御手洗に名前は吹き出して笑う。平凡な自分には、普通の、一般的な幸せが合っている。





「それで部長がケーキくれたんだけど、俺生クリーム苦手で…」

『食べたんですか?』

「食べたよ…。部長は優しさで買ってくれたわけだし…」





世間話をしながら十糸沢の家を目指していると、名前の頭にはこれが普通の幸せだな、と感じながら別の事が頭を支配した。


侑より少し目線が近いな、とか、髪色は落ち着いていて、私を交えて会話を進めてくれるな、とか、



この人は、侑じゃないんだ、と





『……え、』





突然腕が引かれて目の前が真っ暗になった。そして知っている香りが鼻腔をくすぐった。この香りを名前はよく知っていた。汗の匂いが混じった、優しい香り。




『………あ、つむ』

「………」

「えっと…、苗字さんの、…弟さん、かな?」

「彼氏」

「…え?」

「俺は名前の彼氏や」






真っ直ぐと答える侑に名前は目を見開いて、侑の胸元に手を置いて離れようとしても背中と頭に回っている腕のせいで身動きが取れなかった。





『侑…!』

「黙っとれ」

「俺は、帰った方がいいかな?」

「帰れ」

『ちょっと!』

「苗字さん、俺帰って平気?この子ストーカーとかじゃないよね?」

「…あ゛?」

『……』






名前の脳内で御手洗は影山と同じ天然煽リストの分類にファイリングされた。名前はフーっと息を吐いて、侑の腰の辺りを優しく叩く。すると腕の力が弱まり、解放されたが手首はしっかりと掴まれていた。仕方なくそのまま御手洗に向き直り、ゆっくりと口を開く。





『大丈夫です。知り合いなので』

「…うん。なら良かった」

『送ってくれてありがとうございました』

「ううん。気をつけてね。また明日」

『はい。お疲れ様です』





去っていく御手洗を見送っていると、クイッと手首が少しだけ引かれ、顔を向ける。




「…………」

『…少し、話そっか』






手首を掴んでいるのは侑だというのに、名前が数歩先を行き、侑を引っ張る。ベンチとひとつの遊具しかない程の小さな公園に侑が腰を下ろす。ベンチの隣には自動販売機が置かれており、飲み物を買って侑に渡すと、間を空けて名前も腰を下ろした。





「………誰やねん、あの男」

『会社の人』

「名前は受付やろ。女しか居らへん言うとったやんか」

『受付だけど、会社自体には部署がいくつもあって、あの人は他の部署の人』

「……アイツの家に住んどんの?」






侑の質問に名前は空を見上げて頭を回転させる。キッパリと別れるなら、YESと答えるべきだ。嘘だとしても。口を開こうとした時、俯いていた侑が名前を見たのが分かった。手首を引かれて顔を向けると、侑の表情は今にも泣き出してしまいそうな子供の様だった。





『………あの人は今日初めてちゃんと話した。私が泊まってるのは後輩の子の家』

「…………日曜の夜、…家に帰ったら、名前の荷物が、減っとった」





侑の土日の練習シフトを知っていた名前は、彼が居ない時間を狙って荷物を取りに向かっていた。制服・下着・寝間着・化粧品、その他諸々だ。侑はまた俯いて、言葉を続けた。その声は酷く、弱々しく震えていた。





「……頭が真っ白になった。名前がどこに居るんかも分からんし、…このまま、会えへんのやないかって、」

『……侑、…私は、』

「嫌や、」




酷く震えているのに、その言葉は強い意志があった。名前は眉を下げて掴まれている手首を引こうとしても、侑の手に力が加えられて抜け出すことは出来なかった。





「…嫌や。…別れたくない。…あの女を送って行ったんは、俺の甘さや、放って置けば良かった、」

『違う、そうじゃなくて、』

「でも俺がほんまに好きなんは名前や、…名前しか、好きやない…、」






まるで浮気をした彼氏の様な弁解に名前はどんな顔をしていいのか分からなくなってしまった。あの日、侑とあの女性に何も無い事は名前も分かっているし、侑の気持ちが揺れていない事も分かっている。





『……侑、ちゃんと聞いて、』

「嫌や…!……聞いたら、別れる言うんやろ、」

『………』

「否定しろや…、」





大きな瞳に溢れそうな程涙を溜めて侑はグッと奥歯を噛んでいた。名前は空を見上げて息を吐き出す。白い息が空へと昇る途中で消えていった。





『……侑、今何歳だっけ』

「………23」

『なぜバレる嘘をく』

「歳下なのがそないにあかんの?歳下やから別れるん?」

『簡単に言うならそうだね』

「ッ、」




キッと名前を睨む侑の瞳から恐怖は感じられなかった。きっと溢れそうな程涙を溜めているせいだ。





『侑は若い子と付き合うべき』

「なんで名前に言われなあかんの!」

『これから有名になって、可愛い子達が周りに集まるよ。そしたら遊びたくなっちゃうでしょ』

「ならん!」

『なるんだよ』

「だから!なんで名前に俺の事を言われなきゃあかんの!?」

『……最近知ったけど、意外と結婚願望があったみたい、私』

「やから、俺と…!」

『結婚してからずっと私と居られる?まだ侑は若くて、綺麗で可愛い子達と出会えるのに?』

「居られるに決まっとるやろ!」





頭に血が上っているのか、侑はとにかく名前の問にYESと答える。名前は手首を掴んでいる侑の手に自分の手を重ねる。




『……侑はこれから日本代表になって、私なんかとは全然違う世界の人になる』

「そんなん関係ないやんか!」

『私には、背負えないよ』

「……な、に、言っとんの、」





名前は掴まれている自分の手首を見たまま自虐的に笑って、口を開いた。




『侑の眩しすぎる程の未来を、背負える自信が無い。いつか捨てられたらって思うと、怖い』

「す、てるわけ、」

『侑は前に選べって言ったよね』

「…は、」

『侑と付き合うか、憎まれ続けるかって』





侑が高校3年生の時に、ファミレスで交わした会話をぶり返す名前に、侑は目を見開いて呆ける。けれどそんな侑を気にせずに名前は顔を上げて、ふわりと笑った。





『私は、侑に憎まれ続ける事を選ぶよ』

「……名前、…待ってや、」





立ち上がる名前に手を伸ばすも、侑の手は届かなかった。グッと拳を握って侑も立ち上がって名前を追いかける。





「っ、…お前はいつもそうや!!」

『ッ、』





大声で叫ぶ侑に名前はビクリと肩を揺らして立ち止まり、慌てて振り返った。侑の瞳から涙は消えていた。



その瞳からは、怒りで溢れていた。

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