醒めるまでどうか濁らないで
「名前聞いてや〜!」
『……なに』
「そんな嫌そうな顔せんといて!?」
青く茂っていた木々から葉が落ちて、寒さに耐えながら家に帰り、名前が夜ご飯の準備をしているとべそをかいた侑が帰宅するなりそう言ったのだ。
「木っくんがな!?俺の笑い所横取りしてん!」
『わー、それは大変だー』
「もうちょっと真剣に聞いて!?」
隣に来てベタベタとくっつく侑を去なしながら料理の手を止めずに、うんうんと適当に頷く名前に侑はシクシクと泣き始める。
「…冷たい…、これが倦怠期…?」
『ご飯出来たから準備して』
「はーい!」
机に料理を並べふたりで手を合わせて食べ始める。すると侑が何でもない様に口を開いた。
「俺な、試合出れるようになってん」
『へぇー。……………えぇ!?』
「反応遅すぎやろ」
侑はケラケラと笑いながらおかずに箸を伸ばす。名前はその手を掴んで無理矢理、箸を離させる。
『ちょっ、ちょっ、……正座!そこになおれ!』
「えぇ…!?」
侑は小さく「なんで俺が正座…?」と零しながら、素直に床に座ると、名前は何故かひとりでご飯を食べ始めていた。
「いやなんで俺だけ!?折角いい知らせしたのに!?」
『ちょ、ちょっと、混乱してる』
「混乱してる割にめっちゃ食っとるやん!」
侑は立ち上がって、箸を持ち直し食事に手をつける。その間もブツブツと拗ねた様に言葉を吐いていた。
「俺が試合出れたのに…、なんで俺だけ正座させられたん…、」
『……侑』
「……なんやねん」
唇を尖らせた侑はジトリと名前を睨む。名前は箸を置くとゆっくりと頭を下げた。
『おめでとうごさいます』
「ありがとうございます」
お見合いのように、そう言葉を交わしてふたりは無言で食べ続けた。そしてポツリと名前は言葉を漏らす。
『……本当に凄いね、侑は』
「俺が凄いのなんて当たり前や。あほ」
『本当に日本代表とかになるんだろうなぁ』
「当然」
フフン、と鼻を鳴らしながら胸を張る侑に名前は目を細める。いつまで経っても、いい意味で侑は変わらない。どれだけバレーをしても好きな気持ちは変わらないし、努力も怠らない。きっと本当に日本代表になるのだろう。
『………と、』
「と?」
『トウモロコシもあるけど食べる?』
「食べる!!」
遠くの人みたいだ、なんて口にしそうになって慌てて視線を逸らして立ち上がった。名前の頭の中には、後輩のポツリと零した言葉が今になって、思い出されていた。
『侑〜』
「なに〜?」
『サイン頂戴』
「はァ?サイン〜?」
トウモロコシを机に出しながら名前がそう言うと侑は眉を寄せていた。
『有名になる前に貰っておこうと思って。練習にもなるでしょ?』
「えぇ〜…」
『あれ意外。侑はこういうの喜びそうだと思ったのに』
「好きやで。サインとか。けど名前には絶対にやらん」
『え、なんで』
侑はトウモロコシに手をつけるとかぶりつきながら、なんでもない様に答えた。
「名前にサインとかやると、わー、有名人じゃーん、私とは違うじゃーん、みたいなこと思うやろ。どうせ」
『……関東の人がみんな“じゃん”って言うと思わないでよ』
「ほら、否定せぇへん。茶化して誤魔化す」
侑は食べ終わったトウモロコシの芯で名前を指さして、少し不機嫌そうに言葉を続けた。
「俺は名前と対等で居りたいんや。俺が日本代表になろうと、有名になろうと、宮侑って人間なのは変わらんし、人間なのも変わらん。ただちっとバレーが上手いかどうかの違いやろ。しかもサインの話は高校の時も話したやろ。その後、わけも分からんこと言いよって…」
『…………』
「まぁ、俺がイケメンなのも変わらんけども?」
『………自称イケメンさん。トウモロコシ付いてますよ』
「……………腹減った時の為にわざと付けとんねん」
『あ、そう』
そう言いながら頬についたトウモロコシを取って口に運ぶ侑を見て名前は小さく笑った。
「婚姻届にならいつでもサインしたるけどな!」
『さてと、お風呂入ろっかな』
「無視すんなー!」
『ぎゃあ!?』
飛びかかる様に名前を後ろから抱きしめる侑に名前は慌てて足に力を入れる。そのまま髪をぐしゃぐしゃっと撫でられて、両手で掴んで子供のように力比べを始める。
『いやー!ゴリラがぁ!』
「誰がゴリラや!こんな可愛らしいゴリラ居らんわ!」
『自分で言うな!』
騒がしすぎる日々のおかげでふたりは退屈もせず、楽しく、平和に生活が出来ていた。
この時までは。
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