歪に名前をつけて
「おはようございます…」
『おはようございまーす、…えぇ!?どうしたの!?』
「…苗字さぁあん!!」
名前が出社し、制服に着替えていると歳下の同期である
十糸沢が出社をして来た。……酷く青く、くまの酷い顔で。
『どうしたの!?体調悪いの!?』
「うぅ〜…、今日呑みに付き合ってください…」
『い、いいけど…。体調は?』
「これは体調不良じゃないので…」
『なら良いけど…、無理しないでね?』
「ありがとうございます…」
名前は内心、今日が金曜日である事に感謝し、今日の十糸沢は荒れるだろうな…、と苦笑を浮かべ、ロッカーを閉めた。
∴∴
「ぶられまじだぁあぁあ〜……」
『…えぇ!?高校生の時から付き合ってたんじゃなかった!?この間5年記念日だって…』
「高1の時から付き合ってました…」
『………理由、聞いてもいいかな?』
「………アイツが…、」
十糸沢の傷を気にしながら名前が尋ねると、十糸沢はガンッとジョッキを机に強く置いた。その事に名前はビクリと肩を揺らし口を強く結ぶ。十糸沢は崩れて長い髪が顔を覆っていて、その隙間から据わった瞳が覗いていた。
「……私と結婚はしたいけど、…もっと女と遊んでみたいとか
吐かしやがって……」
『……え、』
「ありえなくないですか!?」
『…確か十糸沢の彼氏さんって、』
「歳下ですよぉ!分かりますよ!若い時って遊びたくなりますよね!!でもそれは私を捨ててまでしなくちゃいけない事かぁ!?5年間連れ添った彼女を捨ててまで女と遊びたいのかぁ!?」
『…………』
ボロボロと涙を流す十糸沢にハンカチを渡すが、名前の頭の中は酷く乱れていた。
「……分かってるんです…。本当は私達別れた方がいいんじゃないかって…」
『……どうして?』
「…だって、彼はまだまだ若くて…。女の子と遊びたくなっちゃうのも、分かるんです…」
『…でも、』
「それに、世間は、年の差なんて気にしないけど…」
『……』
世間は気にしない。確かにそう。けれど、本人達には歳の差という壁がひしひしと分かる。世間は結局、他人事。歳の差、言葉にしてしまえばなんて無い言葉。されど、本人達には少し重たい、言葉。
「……心の何処かで、…私が彼を縛り付けてていいのかな、なんて思ってたんです」
『………縛り付ける、』
「…私はあと数年もすれば結婚を考え始める歳です…。…既に考えてました…、…でも彼はまだ若くて…、重たかったのかも…、」
『……結婚、…かぁ、』
十糸沢は涙を拭きながら化粧の少し落ちた顔で名前の顔を見上げた。その瞳はまだキラキラと輝いていた。
「苗字さんは、彼氏さんと結婚考えてますか?」
『私は、……』
簡単に躱してしまえば良かった。適当に笑って誤魔化せばよかった。なのに、名前の口からは何の声も出なかった。
∴∴
「…先週はすみませんでした」
『ううん!平気だよ』
「……彼氏が、…元彼が、女と歩いてて…、」
『…え、』
月曜日の朝、先週と同じ様に名前が着替えていると、十糸沢が少し悲しそうにそう言った。
「多分、…同い年の子だと思います…。大学で仲良いって前に聞いたことがあって…」
『…そっか、』
「……やっぱり、歳上じゃ、駄目なんですかね…」
十糸沢はポツリと零すと笑みを浮かべて制服に着替え始めた。
「すみません!ずっと愚痴ばっかりで!元彼の事なんて気にしたってしょうがないですよね!先に行きますね!」
『え、ちょっ、』
バタリと閉じられた扉に名前は眉を寄せる。何も言ってあげられない自分の無力さと、まるで未来の自分を見ているような既視感に。
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