あなたの砕いたガラスの破片がこの心臓に届くとき
「はー!美味かったぁ…」
『食べてすぐ横になると太るよ』
「太りませーん!名前と
違うて俺は運動しとるから太らへんもーん!」
『殴りたい…』
旅館に戻り、夕飯を食べ終えたふたりは膨れたお腹を擦りながら歩き回り疲れた足を休める。侑は後ろに倒れ込み、名前は水を口に含んでいた。
「そういえばここの部屋に露天風呂あるんやて」
『え!?露天風呂!?凄っ!』
侑は寝ていた体を起こしてニヤリと口元を歪ませる。それを見て名前は心の中で、またくだらない事を言い出すな、と目を細める。
「一緒に入るか?」
『入りません』
「ちぇっ…」
名前は立ち上がって旅館の浴衣を取り出すと侑に渡して、食べ終わった食器を軽くまとめ始めた。
『先に入って来ていいよ』
「名前は?」
『私は侑の後でゆっくり入るから』
「…………」
カチャカチャと食器をまとめている名前の腕を掴み、後ろから抱きしめて耳元で侑が小さく呟いた。
「…夜、忘れんといてな」
『……あ、』
それだけ言うと侑は立ち上がり、襖を開けて脱衣所に姿を消した。名前はすっかり忘れていた“夜”の事を思い出して、頭を抱える。
『………私は馬鹿か』
侑に旅行に行くと言われた日に悶々と色々なことを考えていたのに、いざ箱根に来た途端、頭からその事が抜けていた。
「失礼致します」
『はっ、はい!』
「お下げ致しますね」
『お願いします!美味しかったです!』
「それは良かったです」
食事を片付けに来た中居さんにすら戸惑い声を裏返させながらたどたどしく答える名前に、中居さんは優しく微笑み口を開いた。
「お布団の方はいつ頃ご準備致しますか?」
『ふっ、布団、ですか!?』
「はい。そちらの襖に布団はあるのですが、宜しければご準備致します」
『い、いえ!自分達で!自分達で準備します!』
「かしこまりました」
変な汗をかいて答える名前を特に気にした様子もなく中居さんは部屋を後にした。誰も居なくなったことを確認して名前は深く息を吐き出す。
『…歳上なのに、情けない…』
「なに1人で喋っとんねん」
『もっ、もう出たの!?』
「やって露天風呂いうても1人じゃつまらんし」
どこか棘のある言葉に名前はウッと言葉を飲む。けれど今日初めて体を重ねようとしているというのに、初っ端から一緒にお風呂に入るのは勇気がいる。名前は浴衣を取り出して足早に脱衣場に向かうが、とある疑問が浮かび足を止める。
「どうした?さっきのなら冗談やで」
『そ、それは、分かってるん、だけど、』
「ならなに?」
侑はガシガシと自分の髪をタオルで拭きながら首を傾げると、顔を上げた名前の顔が赤くなっていて目を見開く。
「は、え?なに?」
『ふっ、布団は、そこの襖にあるって…』
「お、おう?」
『そ、それ、から…、』
浴衣を胸に抱いて震える唇で名前はあまりにも小さ過ぎる声で言葉を紡いだ。
『しっ、下着は、つけた方が、いいので、しょうか、』
「………………へ?」
突然の質問に侑の頬にも赤みが差してふたりの間に静寂が走る。少しして右手を口元に当てて視線を逸らしながら侑が小さく口を開いた。
「…新しいの、買ったんと、ちゃうの」
『…………なんで、知ってんの、』
「部屋に、袋があったから…」
その言葉に名前は下着を買った日を思い出した。名前が下着を買った店は有名な下着専門店で、その袋のまま数日部屋に放置したのを思い出し、怠惰な生活を送っていた自分を恥じた。
『す、すんません、した…』
「…ん、」
ふたりして顔を赤らめたまま名前は背を向けて脱衣所に足を踏み入れる。侑はしゃがみ込んでフーっと息を吐き出した。
『……すぐに隠しておけば良かったぁ』
熱くなった頬を冷ますために手のひらで風を送っても大した意味もなく名前は半ば諦めた様に服を脱いで露天風呂を目指す。
「…ほんま、勘弁してや」
右手で顔を抑えたまま恥ずかしそうに眉を寄せて熱くなった顔を戻す為に双子の治の寝顔を思い出している侑が居た。
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