「苗字名前ちゃんだね?」
『……………………誰ですか』
「呪術高専の教師をやってる五条悟、よろしくね」
『…………………』
私がお母さんが眠っているベットに置かれている丸椅子に座っていると突然知らない男に名前を呼ばれた。振り返ると真っ黒な服に包帯を目に巻いていた。不審者だ。通報しないと。
「君には高専に来てもらうことになった。6月から僕が先生だよ」
『…………意味が分かりません』
「君は呪霊を操ることができる。だから高専にくる。理由はこれだけ」
『呪霊…?』
「君を守ってたムカデだよ。あれは君の憎しみから生まれた呪霊」
『………そうですか』
「あれ?意外と驚かないんだね」
『……あれが、ただの虫には見えませんでしたから』
私の体を覆うほどの大きな体に、まるで意志を持ったように動いていた。それに何よりムカデなのに笑っていたから。
『……高専に行くと、私はどうなりますか?』
「そうだねぇ。まずは呪術師について学んでもらう。それで正しい力の使い方を覚える」
『……正しい力の使い方…?』
正しい力の使い方って何だ。少なくともあの時はあれが一番正しい力の使い方だった。アイツらを痛めつけることが正しい使い方だったんだ。
「それから呪霊を祓ってもらう」
『祓う?』
「そう。人々を救うんだよ」
『……………対価は?……まさか力の使い方が覚えられるだけなんて言いませんよね?』
「勿論、対価は弾む。命をかけるわけだからね。お金だって結構出るよ」
私は視線をお母さんに落とす。同世代の人達より痩せこけた体に、人より多い白髪。どれだけのストレスがこの人にかかっていたのか分からない。あの男たちは死んでない。いつ仕返しに来るか分からない。私たちはそれに脅えて生きていかないといけない。
『………人々を救うって、何ですか?』
「呪霊のせいで困ってる人たちを救うんだ。文字通り命をね」
『そうすれば、対価が貰えるんですよね?』
「うん、勿論」
金さえあれば、お金さえあればこの人は自由になれる。遠くに、日本じゃなくたっていい。怯える必要のない場所で自由に暮らせる。今度こそ幸せ≠ノ。
『………救う人は、私が決めていいんですか』
「…………それは、どんな人か聞いていい?」
『悪人は救いません。クソ野郎もクズ野郎も』
「その基準は?」
基準?そんなの決まってる。何を言ってるんだこの男は。私は丸椅子から立ち上がって痩せこけたお母さんの頬を優しく撫でる。絶対にこの人だけは幸せにしてみせる。そしてこれから私の先生≠ノなる人を見上げる。私が救う基準は簡単。
『私が救う人の基準は、私≠ナす。私が悪人だと思った人は救いません。それでも、私を高専に入れてくれますか』
「…………いいね。面白い」
そう言ってニヤリと笑った先生≠ヘ私に右手を差し出した。
「ようこそ。呪術高専へ」
『…………』
「ってちょっと?ここは握手するところだよ?」
私は先生の隣を通り過ぎると、少し慌てたような声が聞こえた。握手なんてするわけないでしょ。
『私、男の人大嫌いなんで』
「………あらま」
たとえ私がそばに居れなくても、絶対に幸せにしてみせる。
「そんなわけで!新しい仲間だよー!みんなよろしくねー!」
『…苗字名前です』
「はい拍手ー!!」
するとパチパチと小さな音が聞こえて顔を向けると、あの日私たちの前に現れた髪の短い眠たそうな瞳をした男の子がいた。この子もここの学生だったのか。
「棘は名前を知ってるもんね。じゃあ名前は棘の隣ね」
『…はい』
私が席に着くと男の子が私に向かって右手を伸ばした。
『……………よろしく』
「こんぶ!」
私は手を取ること無く視線を前に戻して小さく呟くと男の子は大きく頷いてそう言った。よくわかんないけど手を取らなかった事は大して気にしてないみたい。
「女の子が禪院真希で呪具を扱うのが上手いよ。んでこっちがパンダ。こっちは乙骨憂太」
「…………」
「よろしくな」
「よろしくお願いします」
『…………よろしく』
女の子は私の態度が気に入らなかったのか眉を寄せていた。別にまぁいいかなんて思いながら私は視線を先生に戻した。
「悪いんだけど棘、校舎の中名前案内してあげて」
「しゃけ」
別に必要ないのに、と思いながら適当に話を聞いていると終わったのか先生は教室を出て行った。
「おい」
『……私?』
「オマエ以外に居ないだろ」
『なに?』
女の子は席を立って私を見下ろしながら声をかけてきた。私、病院行きたいんだけど。
「オマエ何で高専に来た」
『……なんで言わないといけないの?』
「…あ?」
女の子は如何にも不機嫌そうに眉を寄せて低い声を出すと、私たちの間にあの男の子が両手を広げて現れた。
「いくら…!」
「なんだよ棘」
「すじこ!高菜!」
「………あー、はいはい。喧嘩じゃねぇよ。ただの質問だろ」
「質問っていうか脅しだったよな」
パンダが喋ってることには誰も触れないのか。まぁ呪霊について学ぶところらしいし何が居ても不思議じゃないか。私が立ち上がると女の子は唇を尖らせ舌打ちをした。
『なんで私が高専に来たか、だよね』
「…答えんのかよ」
『え?だって、聞いてきたから』
「………」
『お金が稼げるから。ただそれだけ』
「…………はァ?」
『じゃ、また明日』
私は鞄を持ち上げて教室を出るとバタバタと後を追ってくる足音がしたけど構わず歩みを進めた。すると私の前にあの男の子が現れて、仕方なく足を止める。
「明太子?」
『…………』
「すじこ?」
『…………』
どうしよう。何言ってるか全然分からない。私が目を細めると男の子は慌てたように両手を動かした。すると人差し指で自分の頬を指さした。
「明太子?」
『…………………傷?』
「しゃけ!」
『家入さん?って人が治してくれた』
「高菜」
『じゃ』
ホッと息を吐く男の子の隣を通り過ぎようとした時、また男の子は慌てたように私の隣に並ぶ。さっきから何。
『なに?』
「すじこ?」
『…………そうそう、すじこ』
「おかかっ、」
私が適当に返してまた横を通ると両手を広げて私の前に立った。いい加減イライラしてきた。
『………なに?』
「高菜!……いくら!」
私は溜息を隠すことなく吐き出すと無視をしてそのまま隣を通り過ぎた。
『…………で、なんで付いてくるわけ』
「高菜!」
『………………』
靴箱で靴を履き替えると男の子は校舎を指さして色々な方向に動かした。そこで私はさっき先生が言っていた言葉を思い出した。
『校舎の案内のこと言ってる?』
「しゃけしゃけ!」
『いいよ。明日適当に自分で回るから』
「明太子?」
『私行くところあるから。じゃあね』
私が男の子を置いて校舎を出てから少し歩くと先生が立っていた。私を見ると先生は右手を上げた。
『何か用ですか』
「名前って本当に冷たいねぇ」
『それで何の用ですか』
「棘は?一緒に校舎回らないの?」
『回りません。用事は何ですか』
「名前は協調性が足りないね」
『そうですか』
「……棘は歩み寄ろうとしてくれてるよ?」
『そうですか』
私が淡々とそう返すと先生はポリポリと頬を掻いていた。するとフーっと息を吐き出した。私の方が溜息を吐きたい。
「……もう少しさ、歩み寄ったら?」
『先生みたいなこと言いますね』
「先生だからね」
『そうですか』
歩き出すと先生はもう何も言わなかった。私が立ち止まって振り返ると先生は顔を上げた。
『私はお金を稼ぎに来たんです。別に友達を作りに来たんじゃありません』
「……………そっか」
先生はもう何も言わなかった。私も何も言わずに、振り返らずに病院を目指した。