毒を以て毒を制す











生まれた時から兄には何一つ勝てなかった。



「名前ちゃんのお兄ちゃん足速〜い!」

「それに頭も良いんでしょ!?」

「え〜?本当に名前ちゃんのお兄ちゃんなの?こんなに違うのに」



同級生に言われ続けた言葉





「苗字さん家の上の子凄いわねぇ〜」

「模試で1番だったらしいわよ〜」

「でも下の子は駄目みたいよ?」




大人達の嘲笑うような表情





「名前ちゃんも、ほら、頑張れば大丈夫よっ!それに名前ちゃんは、……人に優しいから!」




先生からの同情の視線




兄は失敗を知らない人だった。運動をすればいつも上位で、テストでも1番だった。幼い頃から凄い、凄いとはやし立てられていた。そして私と比べられる事を酷く喜んだ。自分は特別なのだ、自分は普通とは違う、




ーーだからあんな怪物に育ってしまった





ちゃんとした失敗を知らない子供は成長する事が出来ない。自尊心だけが育って人を思いやる事も相手の事を敬う気持ちも皆無になってしまうのだ。



これは私の持論だが、ーー怪物は怪物からしか生まれない。




「……名前、」

『…なに?』




母の手当をしていると、不意に名前を呼ばれて手は止めないまま耳を傾ける。すると母はカサカサの手で私の手を掴んだ。





「…あなただけでもこの家を出てもいいのよ?」

『………ううん、出ないよ』

「…私の事なら気にしなくていいから、」

『……私が高校を卒業して頑張って働くから、そしたら、一緒に出よう』

「っ、」




私が呟く様にそう言うと、母は目尻と眉を下げて唇を少し噛んでいた。そしてまたポロリと涙を流すから私は小さく笑った。



『また泣いたらガーゼ貼り直さないといけないじゃん』

「ご、ごめんねっ、」





そう言った母の表情は少しだけ楽しそうだった。





次の日高校から家に帰るとそんな母に向かって父が包丁を向けていた。




『…………なに、やってるの、』




その男は母に馬乗りになって包丁を掲げていた。私はリビングの扉の前でカバンを落として掲げられた包丁と男の背中を見つめる事しか出来なかった。



「あ?まだ何もしてねぇよ」

「名前っ、逃げてっ、はやくっ!」

「うるせぇなぁ…、」

『……やめて、………やめてよ、』





私の息は勝手に早くなって心臓がバクバクと大きな音を立てる。荒くなった息と心臓の音がうるさい。心臓は左胸にある筈なのに何故か耳の奥からドクンドクンと大きな脈の音が鳴り響く。




『やめて、……やめてっ、』




私はゆっくりと腕を伸ばして、覚束無い足取りで近づくと男は楽しそうに笑った。久しぶりに見た父の笑顔は酷く歪んでいた。




「昨日テレビで見たんだけどよぉ。人って意外と死なねぇらしいぞ」

『…な、に言って、』

「勿論、殺さねぇよ。けど興味はあるだろ?」

『……いや、だ、』






視界が段々と霞んでいって何も考えられなくなった。唇が震えてカチカチと歯が音をたてていた。すると後ろから玄関の扉が開かれる音がしてよく知ってる痛みが背中に走った。



『いっ…、』

「だから、邪魔だっつってんだろ」




膝と手をついて顔を上げると、もう1人の怪物が私を見下ろしていた。小さな怪物は馬乗りになっている男と母を見ると首を傾げた。



「なにやってんの」

「実験だよ。お前も昨日テレビ見てたろ」

「……あぁ、あれか」

『………………は、』




次の瞬間、私は目を見開いた。







「やるなら静かにやってよ。俺今から彼女と電話するから」

『…………』





開いた口が塞がらなかった。この男は何を言ってるんだ。実の母が殺されるかもしれないのに、この男はスマホを取り出して興味無さそうに背を向けた。


自分の呼吸がうるさい。目の奥が熱くて痛い。頭が真っ白で何も分からない。




「じゃあ俺だけでやるか」




大きな怪物はそう言うとゆっくりと包丁を握っている手に力を込めて少し腕を上にあげた。私は座り込んだまま大声で叫んだ。




『やめて!!!』

「い゛ぃっ!!」

『ーっ、』





男は母の腕を切り付けると、何かを思い出した様に顔を上げた。私の大声に苛立ったのか小さな怪物は私の顔を容赦無く右手で殴りつける。




「俺、電話するって言ったよな?」

『…ぅ、…、』

「……おい、今俺が話してんだろ」

『がっ、』




胸倉を掴まれても母から視線を逸らさない私に痺れを切らしたのかまたガツッと骨がぶつかる音を立てながら私の頬を殴りつけた。




「そういやこのまま切ったら血で汚れるな…、タオルか…、ビニール袋でも敷いておくか…」

「……はっ…………ぅ、」

『…お、母さ、』

「面倒だし、このままでいいか。……次は何処にするかなぁ…」




男は血が付いた包丁をまた掲げると心底楽しそうに口を歪めてまた包丁を振り下ろした。それがスローモーションの様にゆっくりに見えた。そして私は小さく呟いた。





『ーーーー死ねばいいのに、』




その瞬間耳元でニイィ、と人間とは思えない笑い声が聞こえた。









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