地獄も住み処





『…………』

「目が覚めた?」

『………五条、……』

「……先生とは呼ばないんだね」

『……だって、私はもう高専の生徒じゃないから』





目が覚めると辺りには御札のようなものが貼られていて、私の腕は後ろに回されて縛られていた。






『………みんなは、無事ですか』

「勿論死人は出た。……けど、1年は全員無事だよ」

『……そうですか』

「棘と真希に反転術式をかけたのは名前だね」

『…………はい、』





彼は部屋の隅にあった椅子を寄せると背もたれを前にするように跨いで座った。そしてゆっくりと、まるで子供に言い聞かせる様に言葉を紡いだ。





「どうしてふたりを助けたの?」

『………』

「道徳心?優しさ?人としての善意?」

『…………全部、…違います』

「なら、どうして?」

『……倒れていたのが、私の大っ嫌いな人間だったら私は、…きっと見殺しにしてました、』

「……でもそうはしなかった」

『…………』

「最後くらい素直になってもいいんじゃない?だって君は死刑だ」

『………そうですね』





何故か楽しくもないのに笑みが零れた。きっと肩の力が抜けたからだ。考える事をやめていいから。


もう、疲れてしまったから。






『……真希もパンダも乙骨くんも狗巻くんも、初めてできた友達だったから。本当は知ってたんです。私が離反者になっても4人が私を探してくれていたの』






高専の監視も私の仕事だったから。あの4人が任務と学校の合間に私を探してくれていたことはすぐに気付いた。そして私が離反者ではないと上層部に掛け合っていたことも。






『最初からあの人達が優しい人だって、知ってた。…私には勿体無いくらいに。……だから、巻き込みたくなかった。一般人と問題を起こせば、罰は軽くないでしょ』

「…助けを求めることと、巻き込むのは全く違うよ」

『……その事に気付くのが遅すぎました』






苦笑を浮かべると目の前が少し歪んだ。それで、ああ泣いてるんだなって分かった。段々と背中が丸まって上体が前に倒れる。





『…本当は、私もあそこに居たかった、…みんなと一緒に笑っていたかった。何も考えずに、ただ楽しく、』





でも私には守るべきものがあるから。守りたいものがあるから。みんなを裏切った事は後悔してる。でもそうしないと私の大切な人が守れなかったから。





「戻りたいとは、思わないの?」

『…勿論、思います。…でも戻れないから。…戻っちゃいけないから』

「…名前」

『なんですか、』






彼は私を呼ぶと低く問うように、けれど優しく言葉を投げかけた。





「どうして名前はあのふたりを助けた?」

『…………私が、…そうしたかったから、』

「そして名前はこれからどうしたい=v

『………』






涙を流しているせいで息がしずらい。声が震えて、ちゃんと声が出ない。…願うだけなら、許されるだろうか。私なんかが願ってもいいだろうか。






『みんなとっ、もういちどっ、一緒にっ、』






ただの友達として、ただ、笑い合えたら、





「そんな可愛い生徒の願いをこの偉大なるナイスルッキングガイ五条が叶えてあげよう!!」

『………は、』

「言ったでしょ。僕は君の先生だよ。先生は生徒を叱るのも仕事だけど、それ以上に生徒を守る存在だ」

『……でも、』

「それに、若人から青春を取り上げるなんて 許されていないんだよ 何人たりともね」




そう言って五条先生は御札のついた重たそうな扉を開くと、外からは強い光が漏れていて眩しくて目を細めた。




『…………………狗巻くん…?』

「高菜…!」







扉を開くと狗巻くんが現れて私を見るなり弾かれたように駆け出して私のそばにしゃがみ込んだ。






「おかか!おかかっ!」

「はいはい。分かってるよ。拘束はすぐに取るって」

『なんで、』

「………すじこ、明太子」





狗巻くんは優しく目を細めると拘束が取れた私の手首を労わるように撫でた。その手があまりにも優しいからまた涙が溢れた。





「いくら」

『…なに、』






彼はスマホを取り出すと数回タップして私に見せた。きっと私には彼の伝えたい言葉が分からないから。





『………お母さんは海外?……助けてくれたの…?』

「高菜、すじこ、」

『だって、お金は、』

「ツナツナ!」






狗巻くんはいつか見たように自分の胸をポンっと叩いた。そして小さく笑った。





「棘は準一級になったからね。お金もそれなりに持ってるよ」

『だからって…!』

「しゃけ!明太子!」






だからって、どうして。訳がわからずに首を傾げると狗巻くんはまたスマホをいじっては私に見せた。





『……助けたいって、…だから、どうして、』

「明太子、…ツナマヨ、…すじこ」

『………好きだからって、…私は何度も狗巻くんを、』

「おかか!」





私が否定するような事を口にすると、彼は少し拗ねたように首を振った。頬を少し膨らませたままスマホをタップした。





『……確かに家にお金は置いておいたけど、』

「いくら!」





百鬼夜行の前にお母さんが眠っている時、お金を入れた封筒は置いておいた。だとしても、彼が負担してくれた額は少なくない。私か残したお金で少しでも遠くに逃げて欲しかった。奥の手と呼ぶにはあまりにもお粗末だった。






「今回の事も、1年はみんな頑張ってくれたけど棘は特に尽力してくれたよ」

「おかか!」

「もう少しで上に噛み付いちゃう所だったんだから。僕が止めてなかったら今頃名前と一緒に拘束されてたよ」

『……どうして、そこまで、』





喉が熱くなって奥歯を噛み締める。私はそんな事をしてもらえるような人間じゃない。生きてちゃいけないから。生まれて来なければよかった人間だから。私のせいで色んな人が苦しんでる。





『…私がいるから、』

「おかかっ!!」






小さく零れた私の言葉に狗巻くんは耳が痛くなるほど大きな声でそう言った。突然の大声に目を見開くと両手で頬が包まれて視線が合わされた。やっぱり彼の眠たげな瞳はキラキラと輝いて宝石のようだった。





「おかか、すじこ、明太子!!」

『…な、なに、』

「ツナマヨ!高菜!」

『い、狗巻くん…?』

「おかか!!…ツナマヨ!ツナ!いくら!」

「……これまた熱いねぇ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいの熱烈な愛の告白だ」

『…え、…え?』

「高菜!明太子!…すじこ…、」





彼の顔は真っ赤に染っていて、言葉は分からないのに私の顔まで熱くなってしまった。恥ずかしそうに語尾を小さくする狗巻くんにグッと息を飲む。





「……ツナ、マヨ…、しゃけ、」

『だって、私は狗巻くんが言いたいことを分かってあげられないのに、』

「高菜、…すじこ」






狗巻くんは顔を赤くしたままスマホを恥ずかしそうにタップして視線を逸らしたまま私を見た。





『………態度で頑張るって、』

「しゃけ、明太子、高菜、」

『…それに、私は離反者で、』

「ツナマヨ!」





狗巻くんは自信ありげな表情を浮かべてフンっと鼻を鳴らすと胸を張った。





「そこは僕達に任せてよ」

『任せてよって…、』

「それとも名前は人を殺めたり、傷つけたりした?」

『……自分で手は下さなくても、私は救える命を見捨てましたよ』

「それを償う為に死ぬの?…そんなの逃げだと思わない?」

『それしか、私には…』

「おかか」





狗巻くんは強い眼差しで否定するとスマホを私に見せた。





『…これから沢山の人を救って、償う…?』

「しゃけ!」

『そんなの綺麗事だよ。死んだ人達は私に死を求めてる』

「だからこそその現実を名前は受け止めないといけないよ」

『……受け止める、』

「しゃけ、高菜、…明太子!」






狗巻くんはフンフンと気合が入ったように鼻息を少し荒くするとスマホを見せてポンポンと自分の胸を叩いた。





『……なんで、狗巻くんまで一緒に背負おうとするの、…悪いのは私だけで、』

「ツナマヨ!高菜!いくら!」

『…狗巻くんはもう十分私を助けてくれたよ、』

「おかか!明太子!」

「好きな女の子の前ではカッコつけたい男心を汲み取ってあげなよ。棘だって半端な覚悟で言ってるわけじゃない」

『……でも、』

「ツナツナ!…高菜!」

『私は、そんな人間じゃ、』

「……おかか、…すじこ、」





狗巻くんは悲しげに眉を落として私の手を握ると俯いた。どうして彼が落ち込んでいるのか分からない。だって、狗巻くんは関係ないのに。





「…高菜、…明太子、おかか」

『……狗巻くんは、優しいんだね』

「ツナマヨ、…すじこ、」






狗巻くんは首を振りながらスマホで言葉を紡いだ。






『…好きだから、優しいの?』

「…しゃけ」

『……違うよ。…狗巻くんは最初から優しかったよ』

「高菜、明太子」

『だって、初めて会った時から助けようとしてくれたでしょ、私の事』

「いくら、すじこ……おかか」







狗巻くんは両手でスマホを握ってトントンと文字を打っていく。

本当に好き、また一緒に授業を受けたい、好きになってもらえなくてもいいから、居なくならないで、好きだから優しくしたい、笑っていて欲しい、頼って欲しい、信じて欲しい、



ーー生きてほしい、





『……わ、たしは、』

「………ツナマヨ、」




彼はきっと今、もう一度言った。生きてほしい≠ニ。彼が逸る気持ちで打った文字は所々誤字があった。それでも、言葉は伝わった。ちゃんと、私に。






『…私はっ、生きててっ、いいの、』

「しゃけ!」

『またっ、みんなとっ、一緒に居てもっ、いいのっ、』

「しゃけっ!」

『……私は、生まれてきて、よかったの…、』






私がボロボロと涙を流す中、狗巻くんは私の手を握って眠たげな、けれども真っ直ぐ強い瞳に涙を溜めて酷く優しく微笑んで頷いた。





「……しゃけ」






そして彼はゆっくりと唇を動かして言葉を紡いだ。





「ーーーーー、」






生まれて初めて私は、生まれてきてくれてありがとう、と言われた。



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