「おっと、誰かが帳≠ノ穴を開けたな。侵入地点からここまで5分ってとこか。無視するべきか片づけておくべきか。迷うね」
どこか私に投げ掛けるようにそう言った夏油さんに眉を寄せるとすぐ近くの壁が壊されてパンダが現れた。
「やるね」
「名前…!?」
「よそ見」
パンダの驚いた声に瞬時に反応して夏油さんはパンダに蹴りを入れた。
「棘!!!」
「っ!」
「油断したな」
「ーー堕ちろ」
狗巻くんが言葉を発したのと同時に夏油さんから離れる。自分がいた場所を見ると大きく深い穴が出来ていて、狗巻くんはボタボタと口から血を吐き出していた。
「棘!!大丈夫か!?」
「い゛…ぐら゛」
「あぁ、まずは真希、」
パンダが真希に駆け寄ろうとした時、深い穴の中から夏油さんが現れた。
「…名前」
『……はい』
「するべき事は分かってるね?」
『…………はい』
夏油さんはふたりを吹き飛ばすとそう言って背を向けた。きっと乙骨憂太を見つけに行くのだろう。
「素晴らしい!素晴らしいよ!私は今!猛烈に感動している!乙骨を助けに馳せ参じたのだろう!?呪術師が呪術師を自己を犠牲にしてまで慈しみ!敬う!!私の望む世界が今目の前にある!」
「真希さん?」
「本当はね君にも生きていてほしいんだ。乙骨。でも全ては呪術界の未来のためだ」
「パンダ君…」
「ゆ゛ぅだ…」
「狗巻君!」
「逃…げろ」
狗巻くんの言葉に乙骨憂太は珍しく怒りを露わにして大きく声を荒らげた。
「来い!!!里香!!!」
「君を殺す」
「ブッ殺してやる」
そう言ってふたりは呪力を解放するとぶつかるように姿を消した。私は立ち尽くしてふたりを眺めていた。
「……ずじご、」
『……………私がすべき事は、君達にとどめを刺す事だよ』
「………だがな、」
『…………』
「いぐら、…、ヅナマヨ、」
狗巻くんは私に向かって右手を伸ばすけど、距離が開きすぎている。届くはずなんてない。なのに、彼は何度もふらつく腕を伸ばす。
『……結局、私は最後まで君の言葉を理解することは出来なかったね』
「…だ、がな、……すじご、」
『………呪言、使わないの?私くらい殺せるんじゃない?』
「…おがが、……ヅナ、」
きっと彼が呪言を使えば私は死ぬまではいかなくても傷を負う。そうすれば死なずに済むかもしれないのに。
『………いいの?私は今から君を殺すんだよ』
「……じゃげ、……だがな、」
『……やっぱり、何言ってるか、分かんないや』
自虐的な笑みが浮かんで、やっぱりな、なんて納得する。最初から無理だったんだ。私には。
瓦礫に乗ってしまっている彼の体を地面に下ろすと、ゆっくりと私の手を握った。
「……ずじご、…じゃげ、…ヅナマヨ゛」
『………』
「いくら…、たがな…、めんだいご、」
『……………言ってよ、…お願いだから、』
「お、がが…、いぐら、……すじご、」
自分でも驚くくらい震えた声が出た。彼は私が泣いていると思ったのか、涙を拭おうと右手を上げるけど傷ついた腕は持ち上がらないのかダラリと地面に落ちた。
『…消えろって、…死ねって、……』
「…おがか、…だかな、」
『私なんか、生きてちゃいけないんだから、』
「おかが、」
『…殺してよ、…私を、……裏切った私を、』
「…おか、か」
『………どこで、間違えたんだろう、』
私はただお母さんを守りたかった。大切な人を守りたかった。ただ普通に、…普通の幸せを手に入れたかっただけなのに。
『…人を殺めたかったわけじゃない。…誰かを傷つけたかったわけじゃない。……友達を、裏切りたかったわけじゃない…、』
「……めんだいこ、」
『………ごめんなさい、』
「だかな、」
『…ごめんなさい、…ごめんなさい、』
私なんか生まれて来なければよかった。そうすればお母さんだって傷つかなかったかもしれない。幸せな家族になれていたかもしれない。
『ごめんなさいっ、…私なんかが生まれてっ、』
「……ずじご、」
『傷つけてっ、…裏切って、ごめんなさいっ、』
「だがな、」
彼は私の手を取ると小さく笑った。その事に目を見開くと、柔らかく言葉を続けた。
「…たかな、…ごんぶ、」
『……なんで、優しくするの、』
「……ヅナ、……すじこ、」
『…私には、何を言ってるのか、分からないよ』
「じゃけ、…たかな、めんたいこ、」
短い髪をサラリと少し揺らして上体を起こす彼に慌てて両手を伸ばす。
『だっ、だめだって、傷が…!』
「…っ、…すじこ、」
彼はお腹を抑えながら体を起こすと私の両手を包み込んで優しく微笑んだ。
「……ヅナマヨ゛、…ずじご、」
『……なに?』
包み込んでいた私の両手を開かせると、人差し指で私の手のひらに文字を綴った。怪我のせいか彼の手は酷く震えていた。
『…………』
「……めんたいこ、」
『…………すきって、』
「……じゃげ、」
手のひらに綴られた2文字に視線を上げると、彼の眠たげな瞳と視線が交わった。そしてフッと柔らかく目尻が下げられてパクパクと2度唇が動いていた。
『………見る目ないね、』
「おかか、」
『私が男なら、私みたいな女絶対に嫌だけど』
「おか、か、」
『………変なの、』
「……ヅナ」
私が小さく呆れたように笑うと彼は体から力を抜いて、私の肩に凭れ掛かって意識を手放した様だった。
『……私がすべき事、……私が、したいこと、』
彼を地面に寝かせて真希の体を持ち上げて隣に寝かせる。最後くらい、自分がしたい事をする。
『……こんな私を好きなんて言ってくれてありがとう、…狗巻くん』
ふたりの肩に触れて瞼を閉じる。随分と久しぶりに笑うと自分でもわかるくらいに不格好だった。でもそれが嬉しかった。