愁眉の急





『……悪いんだけどノート見せて欲しい』

「高菜?」

『さっきの授業のやつ』

「しゃけ!」





私が狗巻くんの席に行ってそう頼むと彼はすぐに机をゴソゴソと探して私にノートを差し出した。それを受け取ると、さっきまで狗巻くんと話していた夏服を着こなす禪院さんが机に肘をついて私を見上げた。





「棘には懐いたんだな」

『……懐いたって、犬じゃないんだから』

「真希にはまだ怯えてるみたいだけどな」

「しゃけ」

「はァ?なんでだよ」

「そりゃあ入学そうそう気を失う程殴られたらなぁ」

「こんぶ」

『あれは私が弱かったからだし、別に禪院さんを怖がってなんてないよ』

「ほら、禪院さんだってさ」






まぁ、あなたはパンダって呼んでるけどね、心の中で。だって、パンダだし。




「私、苗字で呼ばれるの嫌いなんだよ」

『………あ、そっか。分かった次からは呼ばないようにする』

「……それ、真希を呼ばないって事か?話しかけないってことか?」

『誰かに伝えてもらうようにする』

「ちっげぇよ!そういう事じゃねぇ!」

「真希の態度だったらそうなるよな」

「しゃけ」

「私が悪者か!?」

『そんなことは…』





私が慌てて口を開くと禅院さん、彼女は唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。これは本格的に嫌われてしまったかも。




『えっと、…ごめん、』

「………………真希でいい」

『……え?』

「私の事は真希でいい」

『……真希、さん、』

「なんでさん付けなんだよ。タメだろ」

『………真希ちゃん?』

「ちゃんって柄でもないだろ」

『………………………真希、』

「ん、」





私が呼ぶと返事をしてくれた真希は少しだけ頬が赤く染っていた。その事に首を傾げるとパンダがツンツンと真希を啄いた。





「真希照れてんだなぁ」

「うっせぇ!触んな!獣臭が移るだろ!」

「そんな匂いしない!」




2人を眺めているとふいに袖を引かれて視線を下げる。すると狗巻くんが伸びかがっている髪を輪ゴムで縛り出した。……どうして?





「高菜、高菜!」

『えっと…?』






短い髪を無理矢理引っ張り、2つ結びをすると宇宙人の様だった。




『……ぶっ…、』

「「「………」」」

『…………』

「……今笑ったろ」

「笑ってたな」

「たかな〜?」






3人はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるとジリジリと私に詰め寄った。慌てて3人から視線は逸らさずに後ろに下がると真希はどこからか可愛いヘアゴムやピンを取り出し、狗巻くんは持っていた輪ゴムを掲げた。すると2人ともパンダに襲いかかりごちゃごちゃと何かを始めた。





『……………なにそれ、』

「これがうちの名物のパン子だ」

「いくら〜」

「うっふん、可愛い〜?」

『………パン粉?』

「パン子だ!それじゃあ食い物だろ!?」

『……ふ、…ふふっ、パン粉…、パンダの粉…、ふふっ、』

「あ、そっちで笑うんだな」



そんな姿に私が笑うと、真希はフッと肩の力を抜いて少し呆れた様に笑ってパンダは謎のセクシーポーズを決めていた。狗巻くんも狗巻くんで宇宙人みたいな触覚を2本生やした頭で同じようにポーズをとっていた。




『ふふっ…、お腹っ、お腹痛いっ、あははっ!』




先生が入って来るまでその茶番は続いて、先生はパンダと狗巻くんを見て引いたような顔をしていた。





『お母さーん?居るー?』




私が家に帰るとお母さんが出迎えてくれた。部屋の中を見ても特に異常はなくてとりあえずホッとした。





「いまお茶入れるわね」

『いや、すぐに出るからいいよ』





断ってもお母さんは台所に移動してお茶を準備し始めた。その間私は部屋を見回して床に座ると台所からガシャンと割れる音がして慌てて駆け寄った。






『大丈夫!?』

「ごめんねっ、手が滑っちゃって…!」

『手は?切ってない?平気?』

「うん、大丈夫」

『片付けはやるから。座ってて』

「…ごめんね」




お母さんはリビングに移動し、私は新聞紙と掃除機を用意して割れたコップを処理して、新しくお茶を入れてリビングに向かった。






「そういえばこの間、あそこのスーパーが安くって」

『へぇ』





お茶を飲みながら話していると、ふいに長袖から見えた母の手首が以前よりは肉が付いていて少しだけ安心した。





『それじゃあそろそろ寮に戻るね』

「気をつけてね」





私は家を出て外に出ると夕方だと言うのに温かい風に眉を寄せた。そして少ししてからお母さんにお金を渡すことを忘れていたことに気づいて家に戻る。





『ごめんお母さん、渡すの忘れて、』






扉を開けて中を覗いて、私は目を見開いた。





「………お、ようやく来たな。待ってたぞ、名前」

『………な、んで、アンタがここに、』

「なんでって俺の家だろ?ここは」





男は無くなった右手でボリボリと首を掻くとニヤリと笑って馬乗りになっているお母さんの頬を左手で殴った。





「ガァッ…、」

「ずっと待ってたんだ。オマエが帰ってくるの。なのにコイツは名前なら出て行ったしか言わねぇんだよ」

『や、めて、』






男はお母さんの右手を掴むと壁に放り投げた。お母さんは壁にぶつかって肩を押さえながら蹲った。





「俺はずっと名前に会いたかったんだよ。当たり前だよなぁ?娘だもんなぁ」

『お母さん!』

「アイツも来たがってたけどまだ傷が塞がらなくて来れねぇんだってよ。だから俺だけで来たんだ」






私がお母さんのそばに駆け寄ると、捲れた長袖からは青アザや掴まれた跡が残っていた。そこで初めてこんなに暑いのに何で長袖を着ているのか気づいた。私に傷を見せないため。傷が傷んでコップを落としたんだ。私に気付かせないため。




私の、せい



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