尻に火がつく








1人でも任務がこなせるようになった8月中旬の頃、お母さんが退院出来ると聞いて私は慌てて手伝いに行った。




「家に帰るだけなんだから私一人でも大丈夫なのよ?」

『ううん。手伝うよ、荷物多いだろうし』

「ありがとう」





まだ纏まったお金が無いから家を引越すわけにも行かず、とりあえず今まで住んでいた家に戻った。できるなら早く引越しをしたい。





『これ、使っていいから』

「…え?」






私が茶封筒を渡すとお母さんは驚いたように目を見開いた。転入したことは知ってるけど、呪術師になったことを知らないお母さんは目を丸くしていた。






「このお金、どこで?」

『……知り合いに、紹介してもらって、高校通いながら仕事させてもらってるの。犯罪とかそういうのじゃないから。ちゃんと、本当にちゃんとした仕事』






私が笑ってそう言うとお母さんは困ったように眉を下げてしまった。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。






「お願いだから、危ないことだけはしないで、」

『…うん、大丈夫だよ』




私が頷くとお母さんは安心したように笑った。そしてお母さんを家まで送って、寮に戻る為に道を歩いていると見たくなかった姿が向かいの道路に見えた。大っ嫌いなあの男だ。






『……な、んで、』






アイツはお母さんより重症だったはずなのに、なのになんでもう普通に歩いてるの。私は慌ててその男を追うと人気の無い道に入った。そして角を曲がると男は居らず、長い髪を括った変な前髪の男がいた。





『……………だれ』

「初めまして。苗字名前さん」

『……………なんで私の名前知ってるの』

「調べたからね。私は夏油傑だ。よろしく」

『よろしくしたくない場合って私は言わなくていいんですよね』

「案外冷たいんだね」

『さっきの男はどこですか』

「さっきの男?……あぁ、あれは君をおびき寄せるための罠だよ。本物はまだ病院なんじゃないかな」

『………』

「そんなに睨まないでくれ。私は君をどうこうしようという気は無い。むしろ私は君の味方だよ」

『………宗教ですか?勧誘ですか?入りませんよ。生憎私の家は無宗教なもんで』

「宗教…、確かにそれに近いかもしれない。私は非術師の居ない世界を作りたいんだ。猿どもが存在しない世界」

『…非術師がいない?』

「そう。この世を呪術師のみの世界にする。そうすれば君の憎んでいるあの人たちも消える」

『……………本当に、どこまで調べてるんですか。プライベートですよ』






私が睨むと夏油傑と名乗った男はクスクスと笑った。前髪が変だと頭まで可笑しくなるのか。





『だから人を殺せって?』

「おや、人を殺めるのは嫌かい?」

『当たり前でしょ。人を殺すのを楽しんでる奴なんてただのイカれ野郎でしょ』

「そうかな?」

『そうでしょ』




何を当たり前のことを言ってんだ。と思いながら男を見ると彼は私を見てニィっと口元を歪めた。





「君にはその兆しが見れるけどね」

『………は?』

「本当に人を殺したいと思ったことは無いの?1度も?」

『…………』

「殺したかったんじゃないの?あの男たちを」

『………うる、さい、』

「憎かったんだよね。アイツらが。自分を、自分の大切な物を傷つけるアイツらが」

『……うるさい』

「だったら私と来ればいいよ。殺せるよ?大っ嫌いなアイツらを」

『うるさいっ!!黙れっ!!』

「おぉ、怖い怖い」




私が叫ぶと男は肩をすくませて手のひらを肩のあたりに上げて空に向け、首を左右に振った。





「今日はこれくらいにしておくよ」

『……消えろ』





仕方ないと言わんばかりの溜息を吐くと背を向けた。すると1度だけ振り返りゆっくりと言葉を発した。





「私はいつでも君を歓迎するよ」





男は背中を向けて去ると、私はその場に膝をついて壁に寄りかかって膝を抱える。お尻が冷たいけど、そんなのどうでもいい。




『……違う、…わたしは、違う、』




ポツリポツリと自分に言い聞かせる様に吐き出すと、突然足元が冷たくなって顔を上げると雨が降っていた。顔を真上にあげると私が座ったところは運良く建物の屋根が少しだけ出てたみたいだ。





『……………』




私は濡れた自分の足を引き寄せて更に背中を丸めた。頭の中ではさっきの男の言葉が離れない。




本当に人を殺したいと思ったことは無いの?

だったら私と来ればいいよ。殺せるよ?大っ嫌いなアイツらを






頷いてしまいそうになった自分が許せなかった。





『……………たすけて、』







小さく呟いた言葉は雨の音にかき消され、どこにも届くことはなかった。







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