心臓から一番遠いこの愛に
『……………』
いつまで経ってもこない衝撃に既に私は死んでるのかもとまで思った。死んだことすら感じさせないくらい瞬殺してくれたなんて意外と優しいところあるんだな、なんて五条先生をほんの少し、ミジンコくらい尊敬した時、その本人の声がした。
「……………そこを退きなよ、恵」
『……………、』
ゆっくりと瞼を開くと、真っ黒な背中が私を守る様に地面に膝をついて背中を向けていた。その姿が初めて会った日と同じだな、なんて頭の片隅で呑気に思った。
『……………』
「恵、そこを退いて」
「…………………退きません、」
『…………………』
ポタポタと地面に真っ赤な染みを作る彼はそれでも広げた両腕を下げることは無かった。どうして。そんなに人が死ぬところは見たくない?なら気を失ったままでいれば良かったのに。
「………ハァッ…、……ハァッ…、」
またボタボタと彼の頭や口から零れ落ちる血は重力に従って地面へと落ちた。既に流れた血の量は限界を超えてる。これ以上無理をすれば本当に命が危ない。自分を犠牲にして何になるの。善人ならまだしも私はそんな人間じゃない。守ってもらえるような人間じゃないのに。馬鹿じゃないの。まだ偶像を追ってるの。
『…………………本当に死んじゃうよ』
「………………」
『私、動ける気力無いんだ。だから、伏黒くんが退いてくれないと、殺してもらえない』
「……………退かねぇ、」
『……………そこの最強呪術師さん、彼を退かしてよ。無傷なんだからできるでしょ』
「………僕、生徒に嫌われるのはごめんなんだよね。きっと僕が今、恵を退かしたら、」
「………俺は、五条先生を、呪います、」
「ね?」
ね?じゃない。そんなの最強なんだからどうにでもしてよ。あの人に会えるまでもう少しなのに。どうしてこうも上手くいかないの。さっきまで全部が筋書き通りだったのに。…………まぁ、同じように殺してもらえないのは予想外だったけど。
『……………伏黒くん、お願いだから退いて』
「退かねぇ。…絶対に」
『……………お願い、』
「嫌だ、」
私はさっきより重たくなった右腕を必死に伸ばして伏黒くんの制服の裾を掴む。
『一生の、お願い…、』
「断る、」
『……伏黒くん、お願いだから、…………私を助けてよ、』
震える声で伝えると伏黒くんは、ゆっくりと言葉を紡いだ。お願いだから、私の望んでいる言葉を言って。助けてよ、こんな世界から私を助けて。生きていたくない、こんな世界で、私の神様がいない世界なんかで、助けて、伏黒くん、
「………俺は、オマエを、…、助けない、」
『な、…んでよ、…なんで、助けてくれないのっ、なんでっ、…助けてよっ、』
もう痛いの、身体も、顔も、心臓も。全部が痛い。生きているのが辛い。誰も私を愛してくれない、見てくれない。そんな世界、辛いよ。辛すぎるの。だから助けてよ。どうして助けてくれないの。すぐそこまできてるの、私の望んでる世界が、
「……俺が、どんな思いでいたか、オマエに分かるか、」
『………なんの、話…?』
伏黒くんは、ゆっくりと腕を下ろすと、傷のせいか荒くなった呼吸を静めるように深呼吸をすると、振り返りもせず言葉を続けた。
「…オマエが、虎杖に好きだって、言った時、俺は頭が真っ白になった、」
『………は、』
「オマエが虎杖にキスした時、俺は虎杖を殺してやりたくなった、」
『ふ、伏黒くん、どうし、』
「狗巻先輩に、抱きついたとき、頭に血が上って、何も考えられなくなった、」
『急に、どうしたの、』
「オマエが、呪霊を、名前で呼ぶ度に、俺の中にはどす黒い感情が、渦巻いてた、」
『怪我で、気が動転してるんじゃ、』
急に伏黒くんが可笑しくなった。でも勘弁して欲しい。今の私は身体が動かないんだから。私を津美紀さんと重ねすぎだ。いち早く病院に向かうべき。こんな時に最強は何してるの。役立たず。私はもう死ぬんだから、なんで他の人を心配しないといけないの。
『………って、は?……心配?』
「オマエが他の奴と、笑ってるだけで、俺は呪いそうになる…、」
『………ちょっと、待って、伏黒くん、』
「オマエが神様の話をする度に、何度もそいつを殺してやろうと、思った、」
『…殺すも、なにも、その人はもう、死んで、』
「…………苗字、」
『な、なに…、』
伏黒くんはゆっくりと振り返ると右手で私の腫れた頬に優しく触れた。その手があまりにも優しくてパンパンに腫れている頬に痛みを感じることは無かった。いや、身体が痛すぎるからかもしれないけど。
「…………オマエが俺を殺してくれ」
『……………………は?』
「オマエが死ぬなら、俺も死ぬ、だからオマエの手で俺を殺してくれ」
『い、みわかんない、』
「俺はオマエを絶対にその神様の所になんて逝かせない。俺の隣でずっと縛り付ける」
『…………なんで、私の邪魔、するの、』
「神様に会わせるくらいなら、嫌われても、疎まれても、俺はオマエを縛り付ける」
『……伏黒くんは、私を助けてくれないし、お願いすら、叶えてくれないんだね、』
「あぁ。助けないし、叶えない」
五条悟以上のクソ野郎だ。死ぬ間際の、裏切ったとはいえ、同期の命をかけた夢を阻止するなんて。最低だ。
『……きらい、……伏黒くんなんて、大嫌いっ、』
「なら、俺を殺してくれ」
『会わせてよっ、あいたいっ、あの人にっ、』
「会わせねぇ。絶対に、」
『なんでっ、伏黒くんはっ、そんな私が嫌いなの…!?怪我させたことはっ、謝るからっ、だからっ、だからお願いっ、』
「言っただろ、嫌われても、疎まれてもオマエを縛り付けるって、」
嫌だ。会いたい。あの人に、私の神様に、会いたい。どうして会わせてくれないの。汚くて醜くて醜悪な私なんかを見てくれるあの人に会いたい。
「…苗字、」
『会いたいっ、あの人に会いたいっ、』
「……やめろ、」
『なんでっ、会わせてよっ、逝かせてよっ、あの人の元にっ、』
「……………やめてくれ、」
『会わせてっ、お願いだからっ、お願いっ、会わせてっ、会わせて、あの人にっ、私のだいす、』
「言うな、」
伏黒くんに口元を頬にあったはずの手のひらで覆われて声が出せなくなる。伏黒くんは俯いていて表情は見えなかった。伏黒くんはゆっくりと顔を上げるとその表情は酷く歪んでいた。
「……それ以上言われたら、俺はオマエを呪っちまう、」
『…………』
なんで、なんで伏黒くんが私を呪うの。私が伏黒くんに何をしたの。そんなに私が嫌いならそこを退いてくれるだけでいいの。それで全部が終わるのに。
「……恵、」
久しぶりに口を開いた五条悟は静かにゆっくりと、そして重く言葉を紡いだ。
「愛ほど歪んだ呪いはないよ」
「……………もう、手遅れです」
『…………あい…?』
その言い方じゃあ、まるで伏黒くんが私を愛してるみたいじゃん。そんなわけない。伏黒くんに失礼だよ。私みたいなのを愛してくれる人がいるわけない。
「………苗字、」
『…な、に、』
「……………………俺は今から、オマエを呪うかもしれない」
『…へ、』
「嫌なら、拒んでくれ。オマエくらいの呪力があれば俺の呪いは弾ける」
『ふ、伏黒くん、』
「……愛ほど歪んだ呪いはない」
『ま、まって、伏黒くん、だめだよ、』
「……苗字、」
『言っちゃだめ、ちがうよ、私は津美紀さんじゃ、』
私が動かない右腕を必死に動かして伏黒くんの口元まで持っていこうとするけど、腕は伏黒くんの胸元で止まって、制服を掴む。違うよ。私はあなたの大切な人じゃない。私は津美紀さんじゃないよ。だめだよ、伏黒くんじゃあ、私の重さに耐えられないよ、
「俺は、」
『伏黒くんっ、だめっ、待って、』
「俺は苗字を、」
『だめっ、やめて…ッ!』
「俺は苗字名前を愛してる」
『ッー!』
それを聞いた瞬間、じわりじわりと黒いモヤの様なものが身体を支配する。身体が重くなって、あぁ呪われたんだと気づく。
『ぁ…、…ぁ、ハッ…、』
「愛してる」
『や、めて、』
「俺は苗字が好きだ、」
『やめて、』
「好きだ、…愛してる、ずっとそばに居てくれ、」
『ちがうよっ、』
必死に首を左右に振っても伏黒くんは止まってくれない。どんどん身体が支配される。頭がボーッとする。重たい。潰れそう。
『伏黒、くん、まって、』
「好きだ苗字、愛してる、他の奴なんか見るな」
『待って、伏黒くんっ、』
らしくない。らしくないよ、伏黒くん。いつもの冷静さはどうしたの。女の子に縋るように愛の言葉を吐き続けるなんてかっこ悪いよ。みっともないよ。ダサすぎる。伏黒くんはそんなことしないでしょ。いつだってかっこよく何でもスマートにこなす伏黒くんはどこにいったの。
「苗字好きだ、オマエが他の奴に触れてるだけで殺したくなる」
『ち、がうっ、まって、伏黒くん、』
「笑いかけてるだけで、呪いそうになる、呪いで縛り付けそうになる、他の奴には笑いかけないでくれ、近づかないでくれ、……俺の前だけに居てくれ」
いつだって軽やかな伏黒くんはどこにいるの。私の身体はどんどん重くなって少しずつ重心が前に倒れる。重たい、身体が重たい。鉛みたい。疲れた時なんて比じゃない。重さで吐きそう。本当に身体が潰れちゃう。
『ま、って、伏黒くん、』
「俺だけを見てくれ。俺だけを愛してくれ。神様なら俺だけでいい。俺だけを神様にしてくれ、他の奴なんて愛すんじゃねぇ。俺だけを見てくれ、頼むから」
『ぁ、…ふし、ぐろく、』
身体が前に倒れて、伏黒くんにもたれ掛かると、彼は愛おしそうに私の髪を撫でた。人を呪いで潰しておいて手つきが優しいなんて、狂ってるよ。イカれてる。
『ハッ…、ハァッ…、』
「苗字、」
『ァ、…ま、まって、伏黒くん、』
「愛してる」
あぁ、もうだめだ。戻れない。重さに耐えきれない。潰れた。私が完全に伏黒くんに上体を任せると伏黒くんは嬉しそうに笑った。何この人、怖いよ。
『……、馬鹿、だね、』
「俺がか?」
『伏黒くんも……私も、』
本当に嫌なら呪力で弾けば良かった。なのに私はそれをしなかった。理由は簡単だ。
『……伏黒くん、』
「なんだ」
私の髪を梳きながら優しく聞き返す彼に恐怖を覚える。人を呪っておいて、幸せそうにしちゃって。
『………私も、伏黒くんのこと、呪っていい?』
「……あぁ、呪ってくれ」
本当にこの人は救いようのない馬鹿だ。
『……伏黒くん、大好き、』
「あぁ、」
『他の人なんて見ないで、私を見てよ』
「分かった」
『私を独りにしないで、一緒に居てよ、』
「ずっと隣にいる」
『私を拒絶しないで、受け入れて、』
「あぁ、わかった」
多分、伏黒くんの身体にも私が感じた様な重さを感じているんだと思う。少しずつ身体が前に倒れてきてるから。
『私を愛して、』
「愛してる」
『私だけを愛して、』
「苗字だけを愛してる」
言っちゃいけない。分かってる。分かってるのに私の唇は勝手に呪いを放ってく。だめだ。止まれない。それもこれも全部呪いのせい。伏黒くんの愛のせい。
『………私の、神様になって、』
「………………あぁ、本望だ」
恋愛なんて馬鹿げてる。人が求めてるのは愛情なんだから。うん、やっぱり恋愛なんて馬鹿する事だ。
だって私達が欲しいのは重くて潰れてしまうほどの愛だけなんだから