神話に触るみたいに




五条先生と別れ、俺が1人で高専内を歩いているとベンチに見慣れた姿があり、歩みを進めようとしたが、その隣に懐かしい姿があって足を止めた。





「苗字さん準一級なんでしょ?凄いね」

『凄くないです!乙骨先輩なんて特級じゃないですか!神様ですか!?』

「神様…?」





乙骨先輩は苗字の言葉の意味がわからず愛想笑いを浮かべて首を傾げていた。すると苗字は彼の薬指に付いている指輪を指さした。





『……綺麗ですね』

「ありがとう、これは大切なものなんだ」

『……へぇ〜』




すると乙骨先輩は1年生の時の話をし始めた。苗字は静かに真っ直ぐに乙骨先輩を見つめながら真面目に聞いている様だった。





『…………素敵ですね』

「……素敵かな?…他の人はだいたい引いたような顔をするんだけど」

『少なくとも私はとても素敵なお話だと思います。だって、』





苗字はいつもの様な笑みではなく、どこか影を感じさせる様な、けれども心底羨ましそうな、そんな笑みだった。




『だって、ありのままの自分を呪ってしまう程愛してくれるって幸せ以外の何物でもないじゃないですか』




苗字はそう言うと、乙骨先輩にどこか尊敬以外を含んだような瞳を向けた。





『私は里香さんが羨ましいです』






その言葉を聞いた瞬間、俺の足は2人の元へと勝手に向かっていた。俺が突然現れると2人は驚いた様に顔を上げて俺を見上げた。






『伏黒くん?』

「……」

「久しぶりだね。って言ってもすぐにまた行かないといけないんだけど…」






乙骨先輩はいつものように優しい笑みを浮かべたが、その笑みを見たくなくて視線を逸らして苗字を見ると遠くから五条先生の声が聞こえた。





「憂太〜!そろそろ行くよ〜!」

「……それじゃあ僕はもう行くね」

『はい!お気をつけて!』

「ありがとう、苗字さんも何かあったら相談してね」

『……ありがとうございます』





2人は何か通じあっているかのようにそう言葉を交わすと乙骨先輩は五条先生の元へと向かって行ってしまった。苗字がいつまでもその背中を視線で追ってたからわざとそれを邪魔する様に目の前に立って何となく後ろを振り向くと五条先生が俺を見て笑っているのが見えた。





『伏黒くん、私になにか用事だった?』

「……いや、」

『……もしかして乙骨先輩に用事だった!?ごめんね!私邪魔しちゃったよね…!?』





苗字は慌てたようにバタバタと両手を動かすと乙骨先輩が去って行った方向を指さして『今から走って呼んでこようか!?……でも伏黒くんが走った方が早いか…!』と言って首をキョロキョロと動かした。




「………苗字、」

『な、なに?やっぱり呼んでくる!?今ならまだ間に合うかも…!』

「………お前、五条先生と何話した」

『…………え?』

「初任務の日、五条先生と何を話した」

『……………任務の話だよ?』

「それ以外にも話したんじゃないのか」

『………伏黒くん?どうしたの?』






苗字の瞳には動揺が見られて少しだけ左右に揺れ動いていた。それを見て、やっぱり話したんだな、と確信を持った。




「………俺には言えない事か」

『だから何も話してないよ?本当にどうしたの?伏黒くん…』





今引き返せばいつも通りに戻れる。苗字がおかしな事を言って、俺は呆れながらも話を聞く。そんないつも通りに。




「……苗字、」

『な、なに?』




やめろ。言うな。五条先生の口車に乗るつもりか。





「……オマエ」






聞かない方がいい。いつもの様に飯に誘えばそれで終わる。






「…………オマエは、」





今のままで十分だろ。これ以上何を望むんだ。俺なんかが。





「…オマエは善人なんかじゃなくて、本当は善人ぶってるだけの性格悪くて気持ち悪い人形だよな」

『……………』





苗字は俺の言葉に目を見開くと、グッと一度唇を噛んで、ヘラリと笑った。予想と違う反応に俺は目を見開いた。




『………五条先生になにか言われたんだね』

「……」

『………伏黒くんが、そう思ってるなら、そうなのかも、』

「………………」





苗字はスーッと息を吐き出すと、トントンと自分の隣を叩いて俺を座るように促した。俺は素直に従って腰を下ろすと苗字は小さく語り始めた。




『………この間、私の家に行く途中に男の人に会ったでしょ?』

「………あぁ、」

『私のお母さんはあの辺では有名だったんだ。勿論いい意味じゃなくてね?男遊びの激しい人だったから私は小さい頃から色んなものを見せられた。家に男の人が居るのは当たり前。夜なんてうるさくて眠れなかった。聞きたくもない母親が出す女の声なんて聞きたくないじゃない?だから私はよく夜中に1人で外に居た』

「………」

『母親の名前は夢茉。あの人にピッタリの名前だよね。漢字は違うけど夢魔って夢の中に現れて性交を行うとされる下級の悪魔なんだって。皮肉だよね』

「………」





苗字はまるで昨日見たニュース番組の話をしているかのようにどうでも良さそうに、他人事の様に話を進めた。




『その人は私が幼い頃に姿を消した。いつも男の人を取っかえ引っ変えしていたあの人がたった1人の男の人を愛したんだってさ。多分、その人と姿を消したんだと思う。大家さんが言ってた母親と同じ≠チて言うのは私も男の人と出て行くって思われたから』

「………」

『あの人は私を産むなりある程度の歳になると放ったらかし、死ななければいいや位の扱いだった。あの人は愛されたかったんだろうね。それがわかってるから、嫌いにはなれなかった』

「……………五条先生は、あぁ言ってたけど俺はオマエが善人じゃないとは、思えない」

『…………』





俺がそう言うと苗字は少し安心したように笑ったから、俺の答えは間違っていなかったんだな、と少し俺自身も安心した。





『………伏黒くん、』

「……なんだ、」

『…ご飯食べに行こう!』

「………は?」

『ご飯、食べに行こう』






静かにそう言った苗字に俺は立ち上がって食堂を目指した。これでいつも通りに戻れたとそう思った。






2週間後、苗字は長期の任務で海外に行ったと聞いた。それを聞いて初めて俺は、拒絶された事に気付いた。



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