君の知らない声


『振られだぁ〜〜〜……』

「……高菜」



私はそう言ってベタリと机に頬を付いて脱力する。すると私の目の前で可愛らしく甘めのお酒をチビチビ飲んでいる狗巻棘は呆れたようにおにぎりの具を零した。



『私だって頑張ったじゃん!!可愛くなろうと必死に努力したじゃん!!何がダメだったわけ!?嫌いなスカート着て!大っ嫌いなヒールまで履いて!ハーフアップまでして!柄じゃないって分かってるけどさぁ!』

「……明太子」

『棘まで似合ってないって言うの!?』

「おかか」

『でしょ!?似合ってるでしょ!?頑張ったんだよ!?ここまで頑張ったのに何がダメなの!?顔!?やっぱりこの世は顔なの!?』

「……おかか」




棘は綺麗な髪をフルフルと左右に振って私の言葉を否定した。けれど不貞腐れ、どん底にいる私は机に付けていた頬を持ち上げて顎を机に付ける。そして棘をジトリと睨みつける。



『……しかもどうせいつもと同じでみーんな私の事忘れたように知らんぷりすんだ…、告白してきた女をフルシカトってどうなの?目すら合わないし…、』

「いくら」

『可愛くないからって最低すぎでしょ。…………どーせ棘だって顔が可愛い子が好きなんでしょ』

「………おかか」

『あ〜!間が怪しい!!』

「すじこ!高菜!」

『……中身からの外見〜?嘘だぁ〜!中身で選ばれるなら私はとっくにモテモテだもん!』

「………いくら」



棘は呆れたように自分で言うことじゃない≠ニ言ったけれど、私を振った彼は性悪で有名な女と付き合っていると噂で聞いた。



『小悪魔なんて言ってるけど!あんなのただの性格悪いビッチじゃん!ばか!あほ!巨乳!』

「……おかか」

『褒めてないし!私の方が感度いいし!?』

「高菜!」

『…何顔真っ赤にしてんの?………うわ〜、棘ってばやらし〜…』

「おかかっ、おかか!」




棘は顔を真っ赤にしてちぎれんばかりに首を左右に振った。そんな棘を見て一瞬で気が抜ける。大きく口を開いて大笑いすると棘は不貞腐れたように眉を寄せた。チビチビ飲んでいるおかげで下ろされているチャックの向こうにはいつもは見えない口元が見えていた。



『…あ〜…、笑った笑った…』

「……」

『怒らないでよ〜』





私は自分で頼んだビールを流し込んだ。彼の前では可愛く居たくてカシオレなんて頼んでお酒飲めませんアピールをして、大好きなビールを我慢していた。久々のビールにペースは上がり半分以上あったビールは一瞬で無くなってしまった。



『…………あ〜あ、』





ビールジョッキを机に置くと、その反動なのか瞳からポロリと涙が零れた。すると棘はギョッとした様子で目を見開いていた。





『……本気で好きだったのに…、』

「……」

『………諦めたくない、』

「………すじこ」

『…だって、本当に好きだったんだもん、簡単に諦められない…、』




私がポロポロと涙を流すと不意に頭に温もりを感じて視線を上げると棘が手を伸ばして私の頭を撫でていた。その手が心地良くて瞳がトロンと落ち始める。




『……ねぇ、棘』

「…?」

『……今日も泊めて、』

「……おかか」

『良いじゃん…、』

「お、か、か」

『……そう言って棘はいつも泊めてくれるよね』




私が振られる度にこうして私の愚痴に付き合ってくれて、泣き疲れて眠る私を自宅に泊めてくれる優しい棘




『……棘を、好きになれたら良かったのになぁ』

「………高菜」

『…変な事言うなって…、酷過ぎない?』




私がクスリと笑うと棘もつられたのか小さく笑った気がした。私は最後の気力を振り絞って口を開く。




『……帰りに、メイク落とし、買って…、』




意識が落ちる前に棘の呆れたような溜息が聞こえたけど、きっと勘違いだろう。





********





「……すじこ、………ツナマヨ」




棘は机に突っ伏した名前の肩を軽く揺すると、立ち上がって名前の隣に腰を下ろし鞄をいじる。そして名前のスマホを取り出してある番号に電話をかける。



「………はい、名前?どうかした?」

「……おかか」

「……は?誰?え?」




相手は棘の知らない男ーー名前が想いを寄せている相手だった。名前だと思って出た向こうは棘の声に驚いている様だった。すると棘は少し笑って言った。




「ーー忘れろ」



棘はそう言うと通話を終了させ、相手の連絡先を消した。穏やかな寝息を立てている名前を見て棘は慣れたように唇を名前の耳元に寄せる。そして愛を囁くように甘く、優しく愛おしそうに言葉を紡ぐ。




「ーー堕ちろ」





棘がそう言うと名前は少し苦しそうに眉を寄せた。けれどそれは一瞬ですぐに気持ちよさそうな寝顔に戻った。




ほんの少しの呪いを乗せた棘の言葉は本当に少しずつ、けれど確実に名前の中に積もっている。名前自身ですら気付けない程の毒が確実に名前の体内を巡っていた。

そもそも、棘と名前は2人で呑みに行くような仲では無かった。数ヶ月前に棘、名前、パンダで出かける予定があり、パンダが急遽来れなくなってそこで初めて2人で呑みに行ったのが始まりだった。そして例の如く潰れた名前に棘は呪力を込めてこう言った。



「ーー求めろ」





それから名前は無意識に棘を求める様になった。振られたら必ず棘の元へ。それじゃなくても困ったことがあるとすぐ棘に頼った。部屋の電気が切れた。虫が出た。ホラー映画を見てしまって怖くて眠れないから電話してくれ。そんなくだらない事を棘は呆れながらも受け入れた。当たり前だ。自分がそう仕向けたのだから。



そして棘はいつも最後に囁く



「ーー離れるな」




愛されなくてもいい。ただそばに居てくれれば。



聞こえが良い言葉だ。しかし何よりも狂っている言葉だった。



名前に愛されたいなら事はもっと簡単だった。たった一言命じればいい。


ーー自分を愛せ、と。


けれど棘はそうしない。棘は愛なんて信じていないからだ。ーー否、信じていないわけではなかった。現に自分は名前を愛しているし、何を差し出してもいいと思っていた。



棘は名前を呪ってでも自分の手元に置いておきたかった。愛している、好きだ、付き合ってくれて、そんな感情には終わりがある。けれど離れるな≠ニ言う言葉には終わりがない。棘にとって愛しているなんていう言葉より余っ程愛の言葉だった。




そして棘は突っ伏す名前の髪を避けて項に触れると追い打ちをかけるように、ドロドロと蜂蜜が溢れんばかりの甘さを含んだ声で狂った言葉を吐き出す。





「ーー離れるな」




棘はまるで名前に首輪をかけるようにスルリと首筋をなぞった。



その笑みは誰よりも愛に満ち溢れ、誰よりも狂気に満ち溢れていた。





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