「不細工やなあ、ホンマ」

言いながら、今吉は花宮の髪に丁寧に櫛で梳かしていく。ちぃっとも綺麗にならんと不満げに漏らす男に、ならばやめたらいいだろうと思いながら花宮は鬱陶しげに目を閉じる。

それは脈絡のない発作のように時折やってくる衝動のようで、多くて月に数度、少なくて三ヶ月に一度くらいの頻度で花宮は大して仲良くもない先輩のもとへと足を運ばなくてはならなかった。無視すればよいとも思うのだけれど、花宮は昔からどうにもこの妖怪のようなひとつ年上の男に逆らえないところがあったし一度無視してみた時にそれはもう面倒なことになった(それはもう、思い出すのもうんざりするくらい面倒なことであった。その記憶は普段は頭の奥底に深く深く沈み込ませているのだけれど時折浮上してきては花宮の機嫌を急降下させるである)ものだから、以来花宮は連絡があれば舌打ち一つで重い腰をあげることにしていた。

今吉は花宮の通う大学から、電車で5つ先の駅にある安アパートに高校の同級生らしい男と暮らしていた。花宮が今吉宅を訪れると男は大抵既にいないか入れ違いになることが多かったので直接聞いたことはないけれど、花宮はうんと記憶力がよく一度対峙した相手のことは余程のことがない限り忘れないので、同居人はおそらくバスケ部のやつではないのだろう。はじめて男を見たとき、あの妖怪に部員以外で友人がいたのかと自分を棚に上げて思ったものだ。

今吉の住むアパートは二階建てのボロアパートで、寂れた階段を前に足を踏み出したところで上から降りてきた人影に花宮は段にかけた足を退かした。ガシャンガシャンと音を立てて降りてきたのは件の同居人で廊下から階段に差し掛かったところで下にいる花宮に気づいておやという顔をした。

「翔一?」

固有名詞での問いに一瞬なんのことかわからず男を見る。二拍空いてそういえば妖怪の名はそうだったと気づいた。それからそんな覚えられ方をしているのか引き攣りそうになりながら頷くとにやにやと愉しげに笑われて今度こそ花宮は顔を顰めた。男はあいも変わらず出掛けるところだったようでにやついたまま、今出てきたのだろう自分の部屋のあたりを指さす。あいつ今なかにいるから、ゆっくりしてきなよ。それじゃあ。ぽん、と馴れ馴れしく肩を叩いて男は安物の原付を走らせていった。捕まれノーヘル。その背に呪いをかけながら花宮はガシャガシャとうるさい階段をのぼる。今吉の部屋は二階の角部屋で、インターホンを押そうとしたところで扉が開いた。慌てて飛び退く。容赦なく開いた扉は一歩遅ければ顔面に直撃していただろう。

「いやースマンスマン、よぉ来たな」

いらっしゃい、とへらり笑う顔に絶対にわざとだと確信する。この男に限って間違えて開けるなど有り得るか。大方足音で来訪を知ってこっそりと鍵を外しタイミングを見計らってノブを回し押し出したのだろう。避けきれず顔面に直撃したとしても全く同じセリフを言うだろうことが予想できて妖怪め、と家に引っ張りこまれながら花宮は早々に目の前の男に呪詛をかけた。

スリッパなんて上等なもののないこの家はなんというか、明け透けにいうと汚かった。ゴミ屋敷というものとはまた違う、雑然としていて、とにかく狭い部屋をかろうじてリビングと寝室とに分けているそのどちらも脱ぎ散らかした服だとかレポートの資料らしい本だとかが散乱している。その散らかった部屋はいつも、ストーブがついているのにどこか冷えていてフローリングの冷たさが靴下を通じても和らがずに届くような、そんな部屋だった。


花宮はふたつの部屋の中で唯一ふかふかとした座り心地のよい椅子に腰掛けていた。リビングに置かれた椅子は一人がけの茶色のソファーでこの家の中で洗濯機に次いで立派な家具だった。その背もたれに寄りかかって座る花宮の髪を今吉は丁寧に梳いていた。これが今吉の発作であった。

時折今吉は花宮を呼び出す。それは電話であったりラインであったり様々な手段を用いて多くて一ヶ月に数回、少なくて三ヶ月に一度ほどの頻度で発症する今吉の病気であった。花宮を呼び出して一番上等の椅子に座らせてそれから丁寧に髪を梳かし白すぎて色の悪い頬に触れては気持ち悪いなぁと笑って、低い鼻をつまんでは不細工だとキスをする。その間花宮は動いてはいけない。さながらお人形のようにお行儀良く腰掛けていればいい。これは別に強制されたことではなかったがなんとなく感じ取っていることだった。

丁寧に櫛で梳かして細くて量ばかり多い真っ黒な髪を触って、今吉は笑う。ちいっとも綺麗にならんな。ならやめれば、とは言わない。男に花宮はシラケた目を向ける。同居人のいない部屋でふたり、目を盗んだ気味の悪いお人形遊び。うぜえな。思いながらも花宮はソファーから動かなかった。





重病人












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