大きくなったら何になりたい?
大人から子どもへの定番の問い掛けって、うまく答えられたことがない。大人っていくつのことをいうの?アタシから返された言葉にだいたいの大人はちょっと面食らった顔をして、それから大抵どんなお仕事につきたいの?と質問を変えてくる。ああ、なるほどね。そこでアタシはようやく質問の意図を理解してこう応える。
「大人になんてならないわ。仕事に就く前に死んじゃうもの」
物心着いた時からタイムリミットは決まっていた。2018年12月24日。19歳に上がる前にアタシは死ぬ。それは、変わらない事実なんだから。

「寂しいことをいうね」
最初にそう言ったのは父だった。アタシの7歳の誕生日のこと。抱きかかえていたプレゼントの大きなテディベアを椅子に座らせて、彼はアタシと向かい合う。
「でも事実よ」
ケーキをフォークで突いた。父がアタシの手を取ってもう一度言う。寂しいことを言わないで。
思えばその夜はなかなか嫌な時間だった。怖い夢を見るの。そういって両親の寝室から離れないアタシに繰り返し母がキスをして、父に抱きしめられて眠ることを、もうお姉さんなのだからと窘められた日だ。母はアタシの目線にまで腰を折って、それから大丈夫よと微笑む。きっといつまで経っても一人になりたがらない娘が心配だったのだろう。何も怖いことはないわと母は言った。貴方は死んだりしないわ。ママが守るもの。今になって思えば、そういって娘の成長を、不安を取り除こうとしてくれたのだと思う。だけれどアタシはそんなことよりただの夢だと言われたのが悲しくて、わかってもらえないのが悔しくて、それから先、今日に起こることをひとつひとつ母へ口にした。
パパの電車が遅れること。その原因が飛び込み自殺だってこと。そのひとがママの勤めている病院を抜け出した患者さんだってこと。今から十分後に病院の喫煙所を抜け出すから、それを捕まえられれば避けられるってこと。
おじさんよ。背が低くて、眼鏡をかけてる。大人しそうなひとだけど煙草を吸うのね。左足を引きずってるわ。
止めた方がいいと思う。そういうと母の顔色が変わった。娘が会ったこともない患者の特徴をいったのだから無理もない。もしもし、と職場に電話をする母の声を聞きながら、アタシは拗ねた気持ちでいう。これで信じてもらえた?アタシの怖い夢が、ただの夢ではないとわかった日。アタシに未来を予知する力があるとわかった日。アタシの誕生日を、母が祝えなくなってしまった日。
予定通り帰ってきた父は大きな花束を2つ抱いていた。アタシにと、それから母に向けて贈られる花は、今でも共に飾られている。


「仕方ないよ」
といったのはマークだった。13で出逢ってから付き合って、16で別れた7つ年上の男は、アタシのことをそう評した。アナンダがそう考えるのも仕方ないよ。自分がいない未来を描くのは苦痛だろう、今を幸せに生きようと、なにかにつけ饒舌に語る男は自分に酔っているようで、だけれど怖い夢は彼に抱かれれば見ないですんだし、仕方が無いと抱きしめられれば許されたようで楽だった。今を幸せにと言いながらマークはたびたびアタシに能力を使わせた。運の左右するクジはダメだったけれど、その日の調子が左右するレース等の勝負事を当てるのは容易かったし、勝負に勝った日は新しいドレスとスーツでいいディナーにいく。お姫様とエスコートされれば満更ではなかったけれど、代わりに当たらなかった日は酷かった。初めて手を挙げられたのはいつだったか。思い出せないけれど、腹にくっきり残る痣にげんなりしたのを覚えている。
「グロ……」
「…女の裸を見て、第一声がそれとはご挨拶ね」
ラティフはハイスクールで唯一のミュータントのクラスメイトだった。ミュータントであることを隠さないためか、周囲と馴染まない気性故か、なにかと組まされることが多かったように思う。顔を歪める男にTシャツを着込みながら舌を打つ。仲は悪かった。けれども彼の作る曲は好きだった。
「ねえラティフ、アンタの曲でおすすめを教えてくれない?」
「はぁ?」
「そうね、激しい曲がいいわ。雷みたいに」

ドライブに行きたいと言ったアタシを乗せて買ったばかりの車が街を滑った。爆音の車内で機嫌よく笑うマークの手には買ったばかりのショーレースの当たりくじが握られている。
「なんの曲?」
「ふふ、ラブソング」
そりゃあいい。彼の吸うタバコの煙が窓の外へ逃げていく。知ってる?アタシ、こんなダサい車、本当は全然好きじゃない。だから仕方ないの。爆音に混じってモーターに雑音が交じるのをアナタが聴き逃したのも、急に雨が降り出して、まもなく雷が鳴り始めるのも、全部全部。笑うアタシにだらしなく口元を緩めてマークが車を停める。一本の大きな木の影。遠くで空が光るのに目の前の男は気づかない。馬鹿ね、本当に。アンタも、アタシも。唇が触れる直前、ドン、と大きな音がした。


「隣町で車がスクラップになった話って君?」
3日ぶりに出てきた学校で話しかけてきたポールは気の良い奴だった。アタシは彼に未来の話はしなかったし、彼も立ち入った話をしようとはしなかったので、アタシ達は良い友達になれたのだと思う。薄くなった痣を見て女に手を上げるなんて、と顔を歪めるところも好感が持てたし、何よりラティフが彼をこれでもかと嫌っていたのも良かった。アタシは相変わらず上手く眠れなくて、その頃には怖い夢は怖いのではなく、嫌な、不快な夢に変わっていた。誤魔化すために後腐れのない相手と寝るようになったのもこの頃のことだ。
「眠らないの?」
セックスの後で煙草をふかすアタシに友人は少し眠そうな声で言う。寝たくないの。煙と共に吐き出した言葉を拾って、けれどもそれ以上詮索してこないのが心地よかった。
気づけばアタシは18歳になっていた。自分が死んだ後のことを見る機会が増えて、アタシが死んだところで世界は何事もなく進むことを知った。家には弟が生まれた。見ないように、意識を追いやる方法を覚えた。そんな時だった。


「あなたは未来が見えるのね!あたしは今が見えるの、そっくりね!」
よく通る声だった。それが、驚くくらい癇に障った。だから意地悪を言ってやりたくなったのだ。
「そう、アタシは未来が見えるの。だからね、アンタがひとつじゃなくなるのもわかるのよ」
本当のことをいうと、その時予知なんてしていなかった。鏡合わせのような、意図して作ったのだろう合わせ目を指でなぞってやるようなつもりでいっただけ。それは彼女たちに思った以上に響いたようだった。へんなことを言わないでといった声を覚えている。結論から言うとアタシは始め、彼女達が好きじゃなかった。
「アンタ覚えてる?自分が死んだ後も未来を願える好きな人がいないならあたし達がなってあげるって言ったのよ」
「もう何度も聞いたわ!」
なんて勝手なのかしらって、もう本当に頭にきたんだから。いうとアナディタは耳を塞いで聞きたくないというような動作をした。アナも意地悪だったからおあいこよ。拗ねたように尖る唇がアナディタとしての言葉を紡ぐようになったのを、彼女はアタシのせいだと言った。アタシが欲しくて、アタシと手を繋ぐためにひとりになったと、転んで擦りむいた手を伸ばしてきたのはほんの数ヶ月前のことだ。そして、アタシがその手をとったのも。

「ポールとジェシーにお別れをしてきたわ」
ふんわりと広がる白いドレスはやっぱり落ち着かない。繋いだ手を絡めて、子どものような温かさを共有する。大きな背中を丸めて泣いてくれる友人と、少し前に怒らせてしまったその恋人。今日のこの日に1番綺麗なアタシを作ってくれた年下の友達。彼らに祝福がありますようにと閉じた瞳は、不満げな声に直ぐに開けることになる。
「だめよアナ、今からはもう私のことを考えて」
「……考えてるわよ、馬鹿ね」
頬に触れる。尖った唇に、瞼に、それから唇に。ひとつひとつを撫でるようにすると、くすぐったそうに彼女が身動ぎをした。ねえアニ、とアタシは内緒話のように声を潜める。
アタシ、やっぱり未来なんてどうでもいいの。

今日が間違い無くアタシの最後で、もう二人分の花束を見ることは無いし、将来の夢なんてものも最後まで描けなかった。アタシが死んでも世界は何事もなく進んでいくし、悲しんでくれる気持ちはいつか和らいで塞がっていくのだろう。それでもいい。そういうものだから。だけど。
繋いでいた手を離す。距離はそのまま、彼女が手を伸ばせばいつでも触れられるようにして、アタシは小さく息を吸う。
「アナディタ。アタシ、アンタが好きよ。アンタの全部が欲しい」
いつかに向けられた言葉をなぞった。何を求めているか、アンタが言ったことなんだからわかるでしょうと、今度はアタシが手を差し出す。アタシのいない未来なんてどうでもいい。だけど、アタシじゃない誰かとアンタが幸せになるなんて許せない。ねえ。
「アンタの未来を、アタシに頂戴」

もしもアンタがこの手をとったなら、その時は誓いのキスをして。指輪がなくたって、牧師がいなくたって、揃いのドレスは真っ白で、今日はクリスマスイブで、きっと、人生最良の日なのだから。








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