Novel
及川と新築



「毎度ありがとうございましたー。」
全ての荷物を運び終え、引越し屋のお兄さんたちは、皆快活な顔をして頭を下げた。
私もそれにならい、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました。」

私たちのやりとりを聞きつけたのか、リビングのほうから徹がひょっこり顔を出す。すると、人当たりの良さそうないつもの営業スマイルを貼り付けて、彼も引っ越し屋のスタッフに礼を言った。
玄関に私たち二人だけになった頃、私は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
さあ、リビングに戻ろう、とでも言いたげに私の背に手の平を添えた徹が、不思議そうに私の顔を覗き込む。

「なまえ?どうしたの。」
「新築の匂いがする。」

そう言うと、徹は一拍置いてから小さく笑った。
「そりゃ新築だもん。」ぽんぽん、と今度こそ徹が私の背中を叩くので、私もリビングへ入った。
リビングには、たくさんの段ボール箱がごちゃっと置かれている。この量を消化するのは骨が折れそうだ、と思うと同時に、胸の底からふつふつと幸せが生まれた。
今日から、世界で一番に愛する人とここで生活していくのだと強く実感して、なんだか泣きそうな心地までしてきた。

私の希望でリビングはたくさん光を取り入れることができる作りになっていて、徹は一番日当たりの良い窓辺に座り込んで荷解きをしている一方で、私はキッチンで調理器具を取り出していた。

「あ、これお皿入ってるよ。」
「じゃあこっち持ってきてー。」
「はーい。」
「ていうか、中に入ってるもの書いてない?箱の横らへんに。」
「え? ……あら、プリティ徹ちゃん出ちゃった。」

徹はお得意の、舌をぺろっと出して目の端から星が出ているかのようなウインクをした(一体彼はいくつなのだ)。
こんな風に、リビングにいる徹とキッチンにいる私とで笑い合えるのも、徹の希望であるカウンターキッチンのおかげだ。「奥さんがキッチンで料理してるの見たいんだよね」と言われ、恥ずかしくもとても嬉しかったことを覚えている。

「ん〜〜、夢のマイホームだ!」
徹が立ち上がり、日当たりが良いので眠くなったのか、ぐぐっと伸びをした。

『夢』という言葉は、少しだけの間、私の意識を攫った。


私の小さい頃からの夢は、気恥ずかしくて周りの友人には言ったりはしなかったが、優しい旦那さんと一軒家で幸せな家庭を築くことだった。日々、愛して、愛されている実感を持って過ごすのはどんなに幸せなことだろうと、幼いときから夢想していた。
優しい――多少の胡散臭さもあるが――人が旦那さんになってくれて、わたしは本当に幸せ者だ。こんなことを本人に言ったら、確実につけ上がって私をからかうこと間違いないので絶対に口にはしないが。

「なまえ?」
つかのまの間、段ボールから出したおたまを持ってぼうっとしていると、徹の声で私の意識は戻された。
「お皿、持ってきたよ。どこに置いておけばいい?」
「新聞紙から出して、ここに置いといて。一回洗うから。」

ほーい、と間の抜けた返事をして、そこまで広くないキッチンだというのに、徹はよりによって私の隣で作業をするつもりらしい。
「狭いよ。」
くすくす笑いながらそう言えば「んー。」となんとも思ってなさそうな声。

このシンクの高さも、私に合わせたものとなっているから、長身の徹にしてみれば腰が痛いかもしれない。
背中を丸めてお皿の新聞紙を外す徹を見て、私は小さく吹き出してしまった。

「……何笑ってるの?」
徹は心底不思議そうに私を見て、でもやっぱりその背中は丸められている。
「んー。なんか、幸せだなあって思って。」

せっかくだから、今日くらいはこんな甘えたことを言ってもいいかもしれない。あまりに恥ずかしすぎるし、私は徹のようにクサイ台詞を面と向かって言えた質ではないので、俯きながらになってしまったが。

ときどき、こんなことを言ってみると、すかさず
「あれれ?なまえちゃん甘えたですか?よーしよーしこの及川さんがかわいがってあげよう。」
と性格の悪い顔でからかってくるのに、今日は徹からの返事が一言も無い。

変に思って、隣りの彼を見上げると、意外にも顔を赤くして目を見開いている徹とばっちり目が合った。
「え、どうしたの。」
「ど、どうしたのじゃないよ!」
あー、とかうー、とか、とにかく呻きながらしゃがみ込んだ徹の耳は真っ赤だ。

「え、え? 徹、なに?」
心配になって一緒にしゃがみ込み、徹と目線の高さを同じにすると、徹は自分の腕の中に顔を埋めつつ、こちらを恨めしそうにジト目で見た。

「はああ……なぁんでなまえはそうかなあ。」
どういうこと、と聞き返したが、徹はまた俯き、顔を見ることができなくなった。
少ししてがばっと顔を上げたとき、徹の目はどこか座っていた。

「及川さん、すっごくなまえとキスしたくなっちゃった。」
「え。」
私の言葉を待たず、徹の手のひらは私の後頭部に滑りこんでいた。そのまま、ぐん、と引き寄せられ、徹と私のそれが重なる。
最初は小さいリップ音を立てて触れたり離れたりするだけだったそれが、徹はほんの一瞬の隙を見逃さず、舌を私の口内に滑り込ませた。

「んぅ……ふっぁ、」
二人だけしかいない室内では、いやらしく唾液の交わる音と、二人の息遣いしか聞こえなくて、耳に熱が集まるのを感じた。
徹の舌は私の舌を器用に絡めとり、吸い上げる。その動きは確実に夜のテンションに持って行こうとするようなもので、危機感を感じた私は慌てて徹の肩を押した。
「と、る」
「…なに。」
かなり強く押したところで、やっと彼は唇を離した。きっと自分もそうであろうが、唾液に濡れててらてらと光る唇がとてもいやらしく見える。

少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる彼にひるまず、私は口を開いた。
「こういうことは、夜にしてほしいというか……。」
「でも、なまえが可愛いこというから悪い。」
ふてくされてそっぽを向いた徹のほうが、私にはずっと可愛く見えた。

私がくすくす笑っていると、徹が「もう!」とぷんぷん怒り、いささか乱暴に私のおでこに口付けた。
「今日の夜、覚えておいてよね!」とぷりぷりしながら作業を再開する徹を見て、これからの生活が幸せでないわけがない、と思ってしまうのは、浮かれ過ぎだろうか。




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及川オカマ説



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