シュガーレス | ナノ
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05

 週の真ん中、水曜日。週初めに登校してから二日、そして週末まであと二日ということで、大半が疲れた顔を見せる。
 でもひよりは元気だ。火曜は裏庭に行かねばらならないが、水曜はそれがないし、翌日の木曜もない。だから昼休みも怖くないし、明日だって怖くない。平日の中で唯一、気楽に過ごせる日だ。
 友人と楽しく昼食を終え、昨日観た歌番組に出ていた好きなアーティストの話をして楽しくしていたところに、携帯がメールを受信した。
 送信相手は光来。珍しいなと開いてみると、

『今日部活なし。そっち行くから教室で待ってろ』

という、絵文字もないそっけない文章が表示されていた。
 いまいち言葉の足りない文は、一緒に下校しろと伝えたいのだと思う。そんな誘いは高校に入ってから初めてだ。登校も下校も共にしたことがないのに珍しい――そこまで考えたところで、これは間違いなく幸郎も含んだ誘い、もとい命令だと気づく。

「ど、どうしよ」
「ひよりちゃん?」
「お願い! 今日一緒に帰って!」

 向かいに座る友人の腕を掴んで、ひよりは縋りついた。戸惑う友人に説明すると同情し、習い事があるので途中までになるけどと約束してくれた。本当は幸郎と別れるまでずっと居てほしいが、そこまで強いることはできない。



 ホームルームが終わる。皆が思い思いに放課後を過ごし始めるが、今のひよりはとうとう終わってしまった、と絶望しかなかった。
 支度を済ませた友人がひよりの席まで来る。ひよりも授業で使ったノートなど一式をリュックへしまい、そのまま肩にかけた。
 黙って帰っちゃおうかな、などと頭を過ぎるものの、あとのことを考えると恐ろしくてそんな勇気はない。
 しばらく待てばバッグを持った光来が教室へ入ってきて、三人で廊下を出たタイミングで幸郎も現れた。

「おまたせ。そっちの子は?」
「と、友達。途中まで、一緒に」
「そっか」

 光来と友人がいるおかげか、いつもより口は回った。それでもつっかえるけれど、二人がいるという安心感はとても大きい。
 ひより、友人、光来、幸郎というおかしなメンバーで校舎を進み、靴を履き替えて外に出る。朝晩は冷え込むが、陽が出ているうちはまだ暖かい。
 四人で歩くと、自然と二人ずつ前後に分かれる。前に光来と幸郎、後ろにひよりと友人。一緒に帰っているものの会話はそれぞれで交わしているが、たまに幸郎がこちらを向いてひよりに話を振ってくるので油断ならない。
 雲のない晴天の下を歩き、向かうのは駅。徒歩でそうかからない鴎台高校の最寄駅は、都会みたいにカフェやファストフード店など併設されていない。駅舎の中にあるのはベンチと自動券売機と、日中だけ人が詰めている駅長室のみで、飲食物など買いたければ自販機か近くのコンビニに寄るしかない。

「幸郎くんもこっち方面?」
「うん。光来くんたちよりちょっと先で降りる」

 改札を抜け、ホームに立った友人が幸郎に訊ねる。二人は今日初めて話した仲だが、ひよりが幸郎を幸郎と呼ぶからか、友人も自然とそう呼んでいる。幸郎個人に親しみを持っているわけではなく、あくまでもひよりという繋がりがあるから交流しているという態度で、それは幸郎も察しているのか、積極的に友人へ話しかける素振りはない。
 他の鴎台生たちと共に電車を待ち、滑るように入ってきた車両に乗り込む。四人が座れるようなまとまった席がないので立つことにし、カタンカタンと揺れる振動で足を取られぬよう手すりを掴んだ。
 ひよりにとっては見慣れている風景。他の三人も、この電車を使う学生たちにとってもそうだが、今日は光来と幸郎も一緒なので少し見え方が違う。同じ風景なのに、普段よりずっと遠くに見える。
 途中の駅で友人が降車した。友人宅の最寄り駅はまだ先だが、今日は習い事の日なのでここでお別れ。

「ひよりちゃんバイバイ」
「バイバイ。またね」

 手を振る友人に振り返すとドアが閉まる。友人が居なくなったら、頼れるのは光来だけ。乗降者する人たちの流れを避ける体を取りつつ、さりげなく幸郎から一歩分ほど離れた。

「友達はこの辺に住んでるんだ」
「……家は隣の駅だけど……習い事の教室が、ここら辺って」
「ふうん」

 幸郎がそこに居ると思うと喉が張りつく。慣れた電車の揺れが、いつもは気にならないのに吐き気を呼んでくる。

「ひよりちゃんは習い事とかないの?」

 訊ねる幸郎の方は見ずに、ひよりは光来に目を向けた。ぱっちりと大きな目は、テレビで見る芸能人よりも目力がある。代わりに答えてくれないかと無言で訴えたものの、光来は顎をしゃくった。自分で言え、との意だ。

「塾は通ってたけど……」
「けど?」
「……教室に、大きい男の子が入って来たから、辞めちゃって……」

 中学の半ばから、ひよりは近所の塾に通うようになった。中学受験は始める前から諦めねばならなかったが、将来を案じて光来と同じ鴎台に入学すると決めたからには、何がなんでも落ちるわけにはいかなかった。
 塾には同世代の男子も通っていたが、塾内での私語は憚られる雰囲気があり、おかげで接触することもなかったのでひよりでも通えていた。
 けれど三年生の夏頃、一人の男子が入塾した。別の中学の生徒だったが、当時ひよりをいじめていた男子と同じくらい背が高かったので、他人だと分かっていてもひよりは恐怖を堪え切れず、辞めたいと親に頼み込んだ。
 いよいよ受験が迫ってきた時期にと怒られたが、自宅学習で頑張ると言い張った。担任との面談で、成績を落とさなければ鴎台は問題ないと言われていたのもあってなんとか納得してもらい、無事に鴎台へ入学した今となっては目的は達成されたので、塾通いはあれきりだ。

「ひよりちゃんって、本当に男に振り回されて生きてきたんだ」

 慮っているのだろうけれど、あっけらかんとしたその言い方はどうかと思う。実際そのとおりだが、事情を知らない者が聞けば意図していない捉え方をされかねない。
 それからはひたすらに車窓の外に目をやり続けた。光来と幸郎の話に自ら入ることはもちろんない。そのうち、空いた席に座れと光来が言うので、少し離れることもできた。座ることで気分の悪さも軽くなり、指先にも確かな力が戻る。
 ひよりと光来が降車する駅に着くと、なぜか幸郎もついて降りた。やっとさよならできると思ったのにどうして、と驚いて固まるひよりに、幸郎は口元を緩ませる。

「光来くんの家、行ってみたかったんだよね」

 ちらりと光来を見ると、それについて反対の声は挙げない。どうやら最初からそのように決まっていたらしい。
 まだ幸郎がくっついて来るのかとうんざりだが、ひよりと光来の家は駅からだと反対方向にある。駅を出れば今度こそさよならだ。
 ひよりは徒歩だが光来は自転車で駅まで来ているらしく、流れでひよりも駐輪場について行くことになった。通学や通勤で乗り付けるだろう自転車は、隙間に無理矢理に入れこまれていたりと、かなりごちゃついている。

「サドルこんなに低くていいの?」
「うるっせ!」

 並ぶ自転車の中から自分の物を引っ張り出した光来に幸郎が訊ねる。どうも幸郎は光来に対し、事ある毎に回りくどく『小さい』を口に出す癖がある。
 その光景に、自分とあの男子が少し重なる。自分たちと二人の違いは、気が強い光来ははっきり文句を言い返すところと、からかう幸郎には悪意をあまり感じないところ。それと、二人がちゃんと友人として成り立っている点。

「ひより、さっさとこいつに慣れろ。そんで引っ叩け」
「暴力の教唆は罪に問われるよ」
「キョウサってなんだ」
「唆すってこと」
「そそのかすって」
「よくないことをやるように勧めるってこと。辞書じゃないんだけどな俺」

 無理なことを言う光来に、幸郎は難しい言葉で返す。ひよりも『教唆』の意味が分からなかったので、話を振られずに済んでよかったと、内心ホッとして二人の後ろを付いて歩いた。
 駅周りを囲うフェンスの切れ目まで光来は自転車を押して進み、道に出れば光来は東、ひよりは西へ行く。

「じゃあな」
「ひよりちゃんまたね。気をつけて」

 自転車のハンドルを掴む光来は振り向くだけに留め、幸郎が手を振る。
 ここは自分の地元で、幸郎がこうしてここに居るのは不思議な光景で、なんだか現実感がない。自分にとって新たな発見など久しく見当たらない風景に、唐突に現れた幸郎は異物だった。
 電車の中でも物珍し気な視線を送られるほどの、滅多にいない長身。それはひよりにとって恐ろしさの象徴。
 紐で結ばれているみたいに引っ張られて思い出す顔は、いつもひよりを見下し嘲笑っていた。でも今見ているそれの眼差しはひよりを見下してなどいない。

「…………また」

 自分のテリトリーということもあってか、ひよりは初めて手を振り返せた。といっても、ちょっと指先を揺らしただけだ。
 幸郎は目を丸くし、そして笑った。「またね」と繰り返し、光来と共に背を向ける。
 凸凹の後ろ姿が遠くなっていく。同じサイズのバッグを肩にかけているのに、光来と比べるとバランスにずれを感じるほど、その差は大きい。
 普段は後ろ姿すらろくに見ることもままならなかったが、今日は違った。丸刈りとまではいかないが、髪はかなり短いと認めることができた。例の男子より短いその頭がいかにも男の子らしいけど、やっぱり今日はそこまで怖いと思わなかった。

20240204

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