シュガーレス | ナノ
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24

 隠していた入部理由を打ち明けた美原は、あの日からほぼ毎日、部活中の隙を見つけてはひよりに『今日の戸倉くん』を語るようになった。
 とにかく戸倉について喋りたいらしく、部内ではひよりだけが事情を知っているので、語る相手は当然ひよりだけになる。
 ずっと後ろめたさに悩んでいたからその反動なのだろうと相手にしていたが、一から十まで本当に戸倉のことなのでさすがに辟易してきた。

「友達には戸倉くんの話とかしないの?」
「話しますけど、みんな携帯片手で真剣に聞いてくれないんですよ」

 口を尖らせた「ひどくないですか?」の問いに、ひよりは羨ましいと返しそうになったのをなんとか我慢した。
 部活中なので携帯電話へ思考の逃避はできないし、美原はお喋りしても咎められないときをちゃんと見極めて話しかけてくるため、話を遮る理由もないので捕まるとしばらくは解放されない。
 周囲はひよりと美原が親しくなったのだと思い、幸郎からも「懐かれてるね、先輩」などと揶揄めいた言葉をかけられた。
 ひよりとて美原が嫌いなわけではない。けれど毎日『今日の戸倉くん』を聞かされて、最近は夢にまで戸倉が出てきて参ってしまう。
 やっとしなくなった寝坊が再発しそうだと、頭を抱えながら、ひよりは鴎台高校での二回目の体育祭を迎えた。

 二組のひよりと六組の幸郎には白の、一組の光来と五組の白馬には青の鉢巻きが配られ、今年は幸郎が味方に、光来が敵になった。
 勝てば嬉しいし負ければ悔しい気持ちもあるが、従兄ほどこだわりのないひよりはただ自分の競技がつつがなく終わればそれでいい。
 参加した徒競走では七人中の四位という半端な順位でゴールした。速いとも遅いともいえない順位だが、ひよりは満足している。
 よかったと、ホッと一息つく間もなく、

「もっと気合い入れて走れ!」

と、走者を順位レーンまで連れて行く係だった光来に、なぜか敵陣営ながらも叱咤されたが、コケて恥を掻かずに終えられるのが一番だ。
 肩の荷が下りたひよりは、そのままトイレに向かった。用を済ませ鏡で乱れた髪も整え、グラウンドに戻って自席へと歩を進めていると、ちょうど向こうから幸郎が歩いてきていて、ぱちりと目が合った。

「四位おめでとう」

 幸郎が足を止めたので、ひよりもその場で立ち止まり「どうも」と短いお礼だけ返した。七位中の四位に向けられる『おめでとう』なんて幸郎からの皮肉だと確信しているので、そっけないものになるのは仕方ない。

「光来くんに怒鳴られてたね」
「気合い入れて走れ、だって」

 気持ちがプレーに出るというのは、ひより自身は選手ではないものの間近で何試合も観てきたので理解できる。
 けれど普段走り慣れていない自分が変に気合いを入れたら、かえって躓いてしまいそうだ。想像しただけで必要のない羞恥心が顔を出しそうになる。
 コケて恥を掻いたうえの最下位より、保身を優先した無難な四位。これがひよりなりの戦略だと、それらしく言ってもきっと光来は納得しないだろう。

「あ、戸倉くん」

 ふと目を向けた入場門の前で並ぶ列の中に、部活の後輩の姿を見つけた。青い鉢巻をしている。

「戸倉は何に出るんだろ」
「徒競走だよ」
「よく知ってるね」
「たまたまね。聞いたの」

 体育祭の競技決めが行われたその日の放課後に、訊いてもいないのに美原が教えてくれた。スマホで写真を撮りたいけどそんなことできないからつらいと本気で嘆いていて、残念だねとしか言葉をかけられなかった。

「部活でタイムとか計ったことないけど速いのかな」
「そこそこ速いらしいよ」
「ほんとによく知ってるね」
「たまたまだよ」

 もちろんその情報の出所も美原だ。ひより自身は戸倉に対し特別な関心を向けたことなんてないのに、戸倉の出席番号が何番かも、どの委員会に所属していて、今は教室のどこの席に座っているかも、戸倉本人の口から聞いたことはないがひよりは知っている。

「なぁんか怪しいな〜」
「な、なにが?」

 幸郎がスッと目を細めた。高く昇った陽の下なのに瞳から光が消えて、なんとなく雰囲気が怖い。
 ひよりと戸倉は部活以外に関わりを持たない。その部活中ですらも特に会話もない。マネと選手としてのやりとりはあってもすべて業務連絡みたいなもので、最近では戸倉に用があるときは美原に頼んでいるのでそれ自体も少なくなった。

「まあ戸倉は顔も良いし身長も高すぎないし、ひよりちゃんがいいなって思うのは分からなくもないけど。年下は意外だったな」

 遠くの戸倉に目を向け、幸郎は勝手なことを言いだした。曖昧な言い回しだが、ひよりが戸倉を好きだと勘違いしている。

「そういうんじゃないよ。戸倉くんが好きとかじゃないから」
「またまた」
「違うって。私じゃないの!」
「じゃあ誰?」
「みは――」

 誤解をそのままにしておくのはまずいと、否定に躍起になったひよりは慌てて口を押さえた。そろりと幸郎の顔を窺い見上げる。真上に太陽があるせいで、目は開かれているのに相変わらずそこに光が入らない。大きな口は弧を描いた。

「そっか。美原さんって、そうなんだ」
「お願い、誰にも言わないで。美原さんにも言わないで。聞かなかったことにして!」
「えー?」
「お願いだから! ほんとに!」
「どうしよっかな〜」

 体操着を掴んで揺さぶるひよりに対し、幸郎はされるがままに揺れながらも愉快そうに声を弾ませる。通りかかる生徒から何事かと目を向けられるが、それどころではなかった。
 美原の片想いを知られるのは困るが、一番困るのは美原にこのことを知られること。他人の秘密を守れない奴だと思われたくない。

「お、奢るから。今度コンビニで奢るから!」
「買収しようっていうの? 俺も随分と俗物な人間に見られたもんだね」
「ねえ! いじわるしないでよ!」

 なりふり構っていられないと提案しても、幸郎は呆れた様子で返すだけ。幸郎のペースに飲まれているのは分かっているが、かといって自分よりずっと弁の立つ幸郎に言葉で抵抗するのは難しく、駄々を捏ねる子どもみたいになってしまう。

「聞いちゃったから『聞かなかったこと』にはできないけど、人に言ったりしないよ」
「ほんと?」
「うん。俺は誰かさんみたいにツルツル滑る口は持ってないから」
「つっ……そ、そ、ですか。それはよかったです!」

 幸郎の言い方にむかっ腹を立てたひよりは、腰に両手を当ててフンと顔を背けた。

「ごめん。拗ねないでよ」
「拗ねてないですけど」
「怒ると敬語になるタイプ?」
「違いますけど」

 発端は自分の失態が招いたことだが、そこまで馬鹿にされるのは単純に気分が悪い。
 幸郎が追及しなければ、焦ったひよりの口だって滑ることはなかった。意地悪せずに、誰にも言わないとすぐに約束してくれればよかった。
 次から次に身勝手な文句が浮かんで、口に出そうになるのできゅっと唇に力を入れて結ぶ。

「からかいすぎたね。ごめん」

 少しだけトーンを落とした声は、いかにも真剣そうだ。睨んだ瞳を合わせると、幸郎の眉はちょっとハの字になっていた。やりすぎた、という顔に、湧き上がった怒りはしゅんとしぼむ。

「……自販の、お菓子」

 ひよりが口を動かすと、幸郎は「え?」と聞き返した。

「自販機のお菓子で、許してあげる」

 素直に非を認め謝れる幸郎に対し、ひよりは許す条件を提示した。彼を見習って「こっちもごめんね」と返すのが正解なのは分かっているが、どうにも引っ込みがつかない。従兄ほどではないが、ひよりも実は負けず嫌いなのかもしれないと、そんな場合ではないのに自覚した。

「いいよ。あとで一緒に行こ」

 幸郎はあっさり了承した。いいよ、とすぐに言ってくれたことに密かに安堵し、一方で不安になるくらいなら意地を張らないで謝ればいいのにと、光来のものとはまた違う、自分のつまらないプライドの高さにうんざりする。

「待てよ。俺がコンビニで奢ってもらうはずでは?」
「俗物な人間に見られるのはいやなんでしょ」
「ひよりちゃんはいいんだ。俗物な人間に見られても」
「いじわるな人よりマシだもん」
「言ったな〜?」

 大きな両手がひよりの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。伝わる振動に足下からフラフラと揺れる。せっかく整えた髪も巻きなおした鉢巻きも乱れてずれて、きっとめちゃくちゃだ。
 やめてと振り払うと、幸郎は笑って「またあとでね」とひよりの前から立ち去ってしまった。やたら大きな背中を見送りながら、ずれた鉢巻きを外す。
 買ってもらうお菓子はチョコのウエハースにしよう。箱に二袋入っているから一つあげよう。
 そして意地を張ったことをごめんねと言えたなら言おう。そう考えながら手櫛で髪を整え、巻き直して自分の席に戻るべく足を進めた。

20240427

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