シュガーレス | ナノ
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23

 数日かけて行われたインターハイで、鴎台はベスト8という結果で終わった。
 今の鴎台の強さは県内では飛び抜けているというのが客観的な評価で、長野大会での他校の反応から鴎台は強豪校に恥じない強いチームだと思っていたが、それはあくまでも県内での話。
 全国には鴎台と同じくらい、それよりも強いチームがゴロゴロしている。今回初めて参加した全国大会で、ひよりはちょっとした井の中の蛙の気分を味わった。
 だとしても、そんな強いチームが数十校も出場し、競い合った末のベスト8は大した成績だと思うのだが、光来は悔しがっていた。

「ベスト4でも準優勝でも、光来くんは悔しがると思うけど」

 幸郎の推察にはひよりも同意する。光来はひよりが今まで出会った人間の中で、一番と言っていいほどの負けず嫌いだ。



 インターハイが終わったら、今度は春高の予選。大して休む間もなく次の大会に向けて切り替えていかねばならない。忙しさには慣れていたつもりだが、夏の暑さも手伝って家に帰る頃にはほとほと疲れ果てている。
 ただ美原が入部したおかげでマネ一人に任せられる作業の量自体は減り、以前ほどの目まぐるしさはなかった。
 中学ではバスケ部だったらしく、最初にひよりに声をかけてきたとき違い、受け答えはいつもハキハキしていて、ひよりよりもずっと運動部の雰囲気に早く馴染んでいる。
 初めてできたマネの後輩は、ひよりよりもずっとしっかりしている。時々、自分なんかより部に貢献しているのではと焦るときもあった。運動部特有の上下関係が身についている美原はいつも先輩であるひよりに礼儀正しく接してくれて、余計に自分の至らなさみたいなものに苛まれてしまう。
 しかしそれ以上に日々募るのは、美原が入部してくれてことへの感謝だ。

「美原さんが入ってくれて本当によかった」

 体育館近くの水道で、部員みんなのスクイズボトルを洗浄しながら口にすると、隣に立って同じ作業をしていた美原は「え?」と声を上げた。

「志賀先輩たちが卒業したあとのこと考えると、マネがもう一人いてくれないと困るってずっと悩んでたんだ。そしたら美原さんが入ってくれて、しかもすごく頼りになるし、ほんっとうちに来てくれてよかったなぁ、って」

 ひよりにとって後輩の美原は救世主だ。単純に来年の憂いを取っ払ってくれたうえに、しっかり仕事もできる。上級生なのにみっともない話だが、運動部で選手として活動していた美原は言わずとも勝手が分かっているので、生粋の文化部育ちだったひよりには教えることなんてほとんどなかった。

「そんな、私なんか……」
「『私なんか』じゃないよ。志賀先輩も高峰先輩も、美原さんがいるなら再来年まで心配いらないって言ってるよ」

 三年の先輩コンビが言っていたことをこっそりと伝えると、美原は喜ぶどころか、顔を曇らせてしまった。

「美原さん?」

 二本の蛇口から水が流れる音だけがしばらく続いたあと、美原は捻って水を止め、空のスクイズボトルをがっしりと両手で掴んだ。

「やっぱり蓼科先輩には言ってもいいですか?」
「え? 何を?」
「入部した本当の理由」

 思い詰めた表情の美原に、ひよりはたじろいだ。

「別に無理に言わなくても……」
「でも言わないままなの、気持ち悪いんです」

 美原が『やりたいから』以外の理由でバレー部に入部したことは察していた。言いたくないなら聞くつもりもないし、問題行動を起こしているわけでもないのだから気にしていなかったが、隠し続けることが気持ち悪いのはひよりも分からなくはない。
 本人が言うならと、ひよりも手元の水を止めて美原に向き直った。

「入部したいなって思ったのは………………その……ちょっとでも近づけたらなって……」
「近づけ……え? 誰と?」

 後半はボソボソとしていて自信はないが、ひよりの聞き間違いでなければ美原は誰かに近づきたくて入部したらしい。
 近づきたくてということは、恐らく相手に好意を抱いているのだと思う。バレー部の誰かに。
 女子に好意を持たれそうなイメージがある部員として、真っ先に浮かんだのは幸郎だった。
 一年生の頃、ひよりと幸郎が話す姿を見かけた自分の友人から頼まれたと、クラスメイトの女子に幸郎との関係を訊ねられた。あのときは彼の名字すら知らないほど交流は薄かったが、今では同じ部活に所属し登下校も共にして、そもそも入部のきっかけも幸郎の誘いだった。
 まさか美原は幸郎と近づきたかったのか――考えると動悸がした。もうずっと縁がないはずと思っていた不安が、なぜだか胸を掻き乱す。

「と、戸倉くんと……」

 ぽろりと零れたように紡がれた名は幸郎ではなかった。

「戸倉くんって、一年の?」
「はい……」

 一年生の戸倉リアムは美原と同じクラスだ。光来ほどではないがバレー部の中でも小柄な方で、ポジションはセッター。

「え。あ、もしかして……」
「違うんです、好きとかじゃなくて、好きとかじゃなくて!」
「あ、そ、そう? 好きってわけじゃないんだ」
「いや、好きってわけじゃないんじゃないんですけど!」
「ん? ん? えっと、じゃあ、好き――」
「だから、好きとかじゃないです!!」

 好きではないが、好きではないわけではない。でも好きとかじゃない。二転三転する美原にひよりは混乱した。

「戸倉くんって、すごくカッコいいじゃないですか」

 言われて、後輩の戸倉を思い出す。
 戸倉は春休みから部活に参加していた内の一人。父方か母方か知らないが、祖父母の誰かが外国人だというのは小耳に挟んだ記憶があり、日本人離れとまでは言わないけれど色素が薄く、少し吊り気味で大きな目をしている。

「まあ、顔は整ってる方だよね」
「顔面国宝ですよ」
「あ、うん」

 戸倉の顔立ちは一般的に見てもカッコいい部類に入る。国宝レベルかは知らないが、中性的な雰囲気の面差しはテレビに映る男性アイドルみたいだ。

「で、すっごくクールなんです」
「あー。どっちかっていうと物静かだし、お喋りなタイプじゃないよね」
「クールなんです」
「あ……はい」

 強く言い切られ、勢いに圧されたひよりの返事は小さくなった。

「だから気軽に話しかけるのも躊躇われるんです。戸倉くんが教室で話すのってウスイくんとかハセガワくんとかマシタくんくらいだし、あと隣のクラスのヤマニシくんとテラナカくんとか、ほんとその五人くらいで。あ、別所くんとか乗鞍くんとかはもちろん省いて、ですよ」
「把握してるんだ……」

 詳細な情報をハキハキと語られ、ひよりはちょっと怖くなった。真面目で礼儀正しい美原の知らなかった一面には、何とも筆舌し難いものを感じる。

「別に戸倉くんと付き合いたいとか、そんなおこがましいことは思ってないんです。けど戸倉くんがウスイくんに、男バレのマネをやってくれそうな人を頼まれて探してるって話してるの聞いて、マネになったら私にも話せるチャンスがあるかも、でも戸倉くんから誘われたわけでもないのに、いきなり話したこともない同級生が入ってくるとか、そういうの戸倉くんからしたら気持ち悪いかもしれないし……そうやっていろいろ考えてたんですけど、やっぱり話してみたくて、とりあえず部室に行ってみたんです。そしたら蓼科先輩が居たんで、今しかないと思って声をかけました」

 そこまで喋り終えた美原は、気が済んだとばかりに息をつき、蛇口から水を出して止めていた作業を再開した。ひよりも続く形でボトルの中をすすいでいく。

「そういうことだったんだ」

 情報量が多くてまだ戸惑ってもいるが、美原が隠したかがった気持ちは分かった。本人ははっきりした明言を避けているようだけど、戸倉に好意を抱いているのは一目瞭然。『好きな人に近づきたくて』というのは、不純な動機と取られても仕方ない。

「先輩たちすごく優しくしてくれるし、戸倉くんともう六回も話せてるし、ほんと嬉しいんですけど、嬉しい分だけ、邪な理由で入ったっていうのがずっと居心地悪くて……」

 入部して数か月経っていてまだ六回しか話していないことにも驚くし、それを『もう六回』と捉えることも、回数を覚えていることにも驚いて、いまいち美原が一番伝えたい気持ちにすんなりと寄り添えない。この数分間で、後輩の印象が随分と変わってしまった。

「や……まあ、私も、似たような感じだし」

 手を止めずに返すと、「蓼科先輩も誰かと話したくて?」と美原が問う。

「私の場合は『誰かと』っていうわけじゃないんだ」

 美原も打ち明けてくれたのだしと、ひよりは自分がバレー部に入った理由を簡単に説明した。
 小学生の頃にとある男子にいじめられていたことや、そのせいで男子全般が怖くてまともに話せなかったこと。光来や幸郎のおかげで少しずつトラウマを克服して、バレー部には男子と話す練習のために入ったこと。
 短くはないが、そう長くもない。そんな風に思えるくらい、『男子が怖い』という問題は、ひよりにはもうそれほど重たいものではなくなっていた。

「そうだったんですか。でもそんな感じ全然しませんけど」
「今はね。ちょっと前にやっと吹っ切れたっていうか、勝ったんだ」
「勝った、ですか」
「うん。恐怖に打ち勝ったの」

 逃げもせず、その場で立ち止まったままでもなく、ひよりは前に進んだ。あのとき、ひよりは生まれ変われた気分だった。

「私は、光ちゃんとか幸郎くんが居て、いざとなったら助けてもらえるって安心もあったから、これなら入部できるかもって気になれたんだけど、それでもすっごく勇気が必要だった」

 従兄と顔見知りが先に入部していたことが、ひよりには大きな安心材料だった。
 加えて、当時の三年生が引退したばかりで人数も少ない時期だったことと、次の年に向けた新生バレー部を作っていこうと組み立て始めていた中にうまく紛れ込んだ形だったのも大きい。

「でも美原さんは、戸倉くんくらいしか知り合いがいないのに一人で部室まで来たよね。すごいなって思うよ。なんて言うんだろう……孤軍奮闘? そんな感じだなって」

 美原が入部してきたのは六月に入る頃。その時期にはどの部も表立った勧誘はしなくなり、今居るメンバーで大会やコンクールに向けて準備を始め、新入部員が増えることも期待しなくなり、その部その部の空気が作り上げられていく。
 そんな時期に一人で、それも友人と呼べるほど親しい人も居ない場に飛び込むなんて、ひよりだったら考えられない。

「美原さんの行動力とか勇気は私には尊敬ものだよ。そもそもマネージャー頑張ってくれてるし、理由なんかもう関係ないって」

 話し上手ではないので、こんなときに最適な言葉はあまり思いつかない。それでもひよりなりに懸命に言葉を尽くした。
 邪な思惑であったとしても、環境を変えるため自ら動いた美原に、光来たちを頼る前提で入部した自分はとやかく言えない。
 志賀や高峰は『そんなこと』と気にしないだろうし、実際にマネージャーとしての美原には誰からも文句が出ていないのだから、理由なんて今更どうだっていいとひよりは思う。
 美原はホッとしたように息を吐いて、「変な話しちゃってすみません」と言い、「でも内緒にしてほしいです」と続けた。「うん」と頷いたひよりは、それからすべてのボトルの洗浄が終わるまでの間、戸倉がどれだけカッコいいかをずっと語られ、その数分間だけで数か月分の戸倉の情報を得てしまった。

20240427

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