シュガーレス | ナノ
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08

 傘の要不要を確認するため、登校前の天気予報のチェックが欠かせなくなる時期から、七月に行われる文化祭の準備がゆっくり始まった。発足された文化祭実行委員会を中心に、校舎のあちこちで準備が進められている。
 ひよりたちのクラスはステージ発表。多数決でダンスが選ばれた。クラス発表とはいえ、実際にステージに立つのは希望者のみで、人前で踊ることに抵抗のあったひよりは裏方の衣装係に入った。
 ダンスのメンバーは十五名ほど、衣装係は八名。残りは吹奏楽部や演劇部など部活でステージに参加したり、大会を控えた運動部の生徒で、クラスの出し物に参加できずとも仕方ないという空気がある。
 文化祭の準備には放課後の時間が多く当てられて、ひよりもここ数日はずっと居残りだ。

「またあとでね。衣装がんばってぇ」
「うん。そっちもがんばって」

 ダンスを選択した友人は、他のメンバーと共に練習のため教室を出て行った。ひよりは教室に残って、クラスメイトたちを彩る衣装作りを進める。
 各クラスに用意された予算は限られている。定番のクラスTシャツに何かをプラスする形で話し合いが行われ、ダンスのリーダーとも相談し合って、シャツのデザインや追加アイテムも決まった。
 家庭科室にミシンはあるが、使用日や時間はクラスごとに平等に割り振られており、それ以外の時間は手作業で行わなければならない。
 八人もいると全員固まるより、普段から仲が良いとか、教室の中で話す方だとか、そんな風になんとなく数グループに分かれる。私語厳禁というわけではまったくないので、どの輪も和やかに話を弾ませながら手を動かしている。

「なんかね、文化祭で告る人って多いらしいよ」

 一緒のグループになったショートカットの女子の一人が、針を動かしながら言う。

「準備中に一緒に行動したり、作業したりとかで距離が縮まってーって感じで」
「あー。非日常感が余計に気持ちを盛り上げるんだよね」

 もう一人の眼鏡をかけた女子が、玉結びをしたあと糸切り鋏をちょきんと鳴らした。

「うちの中学でもあったなぁ。あの二人が付き合ってる、とか情報回ってきた」
「なんかいつの間にかみんな知ってるよね」

 グループの子らは、中学にどんなカップルがいたのか、付き合った話を聞いた一週間後には別れた話を聞いたなど、自分たちのエピソードではない恋バナで盛り上がっている。
 ひよりはそれらを耳に入れ、「へえ」や「すごいね」など、どんな話にも無難な相槌を打ちながら針を進めた。
 中学の話から、次第に現在の鴎台で耳にした、何組の誰と何組の誰が付き合っているとか、ダンス部のかわいい女子は入学してからすでに三人から告白されているなどに話は移っていき、互いの知り得る情報を共有し合っているが、やはりひよりはそういった類の話題は一つも提供できず、「そうなんだ」と繰り返している。
 そのうちやっと他人の恋バナから文化祭での出し物や模擬店についてに話が移って、二人には悟られぬようこっそりと安堵した。



 放課後に行う文化祭の準備は、普段は遅くまで校舎に残らないひよりにとっては新鮮でワクワクする。
 校舎内で学年問わずいろんな生徒が準備作業に没頭し、笑い声だったり困った様子だったり、先生に聞いてくるだの実行委員はどこに行っただの、いろんな声が聞こえてくる。
 今の時期は最も日が長いので、ふと時計を見てもうこんな時間かと驚き、衣装係のリーダーが皆へそろそろ帰るようにと促した。

「蓼科さんは残るの?」
「うん。友達のダンス練習が終わるまで待ってる約束だから」
「そっか。じゃあまたね」

 昇降口で靴を履き替えたあと、ショートカットの女子と眼鏡の女子はそのまま校門へ歩いて行き、ひよりは友人が練習しているだろう体育館裏に向かった。
 練習するための広い場所は、ミシンのある家庭科室と同じで、他のステージ参加のクラスも使うため、担当者同士で話し合って練習時間と場所が割り振られている。
 ひよりのクラスは、前半は校門近くで振りの練習をし、後半は第ニ体育館裏に移ってステージでの立ち位置や流れの確認をしているらしいので、そちらに向かえばまだ練習している友人と合流できるだろう。
 いつもなら放課後の第ニ体育館には近づかない。女子だけならいいが、男子バレー部が活動している場所なのだから、授業でならともかく放課後に行きたいと思ったことは一度もない。
 まだ明るいが、それでも夕方は夕方。陽が西に傾いたことで、真っ青だった空も白みを帯びた紫やピンク色に染まりつつある。

「ここをぐるっと囲んだら?」
「そしたら布が足りなくない?」
「壁とか作って見えなくすればいいじゃん」

 そんな時間でも、輪を作りプリントに目を落としながら相談し合う女子や、ダンボールを持って小走りする男子など、まだ残って作業をする生徒は多い。それらを目にすると軽い高揚感で、何かにときめくような気分だ。
――非日常感。作業中に眼鏡の女子が言っていた言葉が、まさにぴたりと当てはまり、同時に彼女らが話していた恋バナも、そのときの気まずさも思い出した。
 初恋はあったと思う。特定の男子をカッコいいなと思う時代もあったはず。
 けれどあの男子からいじめられて以降は、男の子に恋心なんて抱いたことはない。恋がしたいとも思わない。そんなこと考えられない。
 だからひよりは恋バナには混ざれない。自身のエピソードはないに等しいし、クラスのみんなの恋愛にも興味はないから、あのとき話を振られたら内心どうしようと気が気じゃなかった。

「ひよりちゃん?」

 校舎の合間を縫って第ニ体育館の近くまで着くと、不意に名前を呼ばれた。誰だと振り向けば、制服でも体操服でもないシャツを着た幸郎。スニーカーに履き替えたため舗装されていない地を歩く自分と違い、校舎から体育館へ続く渡り廊下に立っている。
 最近ようやく彼に慣れてきた自覚はあるものの、こうして唐突に遭遇すると心臓が大きな音を立て駆け始めてしまう。

「光来くんに用?」

 動揺するひよりに、幸郎は第二体育館を指して訊ねる。体は勝手に構えてしまうが、クラスメイトの男子を前にしたときよりは精神的に余裕があった。

「と、友達が……体育館の裏で、練習してるから……」
「体育館の……ああ、あのダンスしてる人たち、ひよりちゃんたちのクラス?」

 問われ、ひよりは頷いた。まず間違いなく自分のクラスのことだろう。

「ひよりちゃんは踊らないんだ」
「……無理」
「っぽいね〜。じゃあひよりちゃんは何してるの?」
「衣装係……教室で、さっきまでやってた」
「そっか」

 この場に光来は居ないが、会話は一応成り立っている。一人でもちゃんと幸郎と話せていることに、自分の成長を感じた。光来や日朝を前にしたときと比べればぎこちないし、まだ体は張り詰めてしまうが、裏庭でのコツコツ重ねた訓練の成果は得られている。

「楽しい?」

 漠然とした問いで、何を指して訊ねているのか分かりにくい。話の流れから『衣装係は楽しいか』と受け取って、ちょっと考えた。

「ふ、ふつう」
「ふつうに、楽しい?」

 繰り返され、また訊ねられ、もう一度考えてみる。

「……うん。まあ、ふつうに、楽しい、かな?」

 改めて考えたけれど、やはり答えは『ふつう』であり、楽しいか否かで言えば『楽しい』だと思う。
 恋バナなどひよりにとって苦手な話題もあるけれどお喋り自体は楽しかったし、みんなでワイワイと作業する空気は好きだし、特別に楽しいとは言えないものの、『ふつうに楽しい』とは言える。
 幸郎は軽く声を立てて笑った。笑われた、と恥を掻いた気になったが、文句をつけられるほどひよりはまだ彼に強く出られない。

「じゃ、またね」
「……また」

 手を振った幸郎が渡り廊下を進んで、そのまま体育館の入り口へと消えていった。
 人の考えていることなど一から十まで把握できないが、表情や言葉や口調でそれとなくは伝わるものだ。
 でも彼の場合はちっとも読めない。どうして笑ったのか、なぜ楽しいかどうか訊ねたのかさっぱり分からない。
 昼神幸郎という男子はやっぱり怖い。でもその怖いは、男子皆に向けるものと少し違って、でもどう違うのか分からなくて、そういう気持ちにさせるところも怖いと、ひよりは一刻も早く友人と合流したくてその場から走り出した。

20240208

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