いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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37

 有言実行とばかりに、後日ダンデから、ハロン行きのためにアンにも仕事を休んでほしいと、少し先の日にちを指定して頼んできた。
 前委員長に倣ったような即行ぶりに戸惑ったものの、アンは言われたとおりにシフトを調整し、休みを作った。

 ハロン行きの日が来る前に、マサルたち研修生はすべての訓練課程を修め、配属先に振り分けられた。
 マサルはナックル所属のパトロール隊に入り、いつかのアンとインスのように、そのままアンが指導員を継続することになった。
 ナックルへの配属が決まってすぐにキバナへそのことを告げると、彼はマサルのために手を尽くし、ナックルでの彼の新しい部屋を探した。

 見つかったのは、アンのアパートの大家のランドロード婦人の家。マサルの件で相談した際に、子どもの一人暮らしを懸念したランドロード婦人が、自分の家へ下宿すればよいと迎えてくれることになった。
 家賃などはアパートの一室を借りるより安く、ついでだからと食事もランドロード婦人が用意してくれる。
 与えられた部屋は、ベッドやデスクが置かれてもゆとりのある一室。庭は広く、ポケモンたちを出してものびのびと過ごせる。何より、子どもを見守る大人がすぐそばに居るのが、キバナやアンにとって安心できた。

 ダンデの実家のハロンへは、アーマーガアのタクシーで向かう。シュートシティでダンデを乗せたタクシーがナックルでアンを拾い、そのままワイルドエリアを通ってさらに南下していく。
 昇った陽はまだに東の空にあり、徐々に光を強めて南天を目指す。朝独特の冷え込んだ空気も太陽の熱を含み始め、ポケモンたちの動きも活発になる。
 アンは空路に関しては自身のアーマーガアで移動することが多く、タクシーに乗る機会がほとんどないため、座席に身を預け上空を進む振動に懐かしさを覚えていた。

「のんびりとワイルドエリアを眺めるなんて、なんだか新鮮」
「アンの場合は仕事になってしまうからな」

 ワイルドエリアのパトロールは、雄大な光景につい目を奪われてしまいそうになるが、アンはエリア内の安全のために注意を配らねばならず見方も違う。
 職場であるノースエリアを、タクシーに乗って飛行する。
 それも隣には私服のダンデ。被っているのはアンが成人祝いに贈った黒いキャップ。
 対してアンの左の薬指には、ダンデから贈られたリング。
 普段とまったく異なる状況に、アンは珍しく高揚している。

「タクシーで飛ぶのもやっぱりいいね。ダンデくんと並んでゆっくり座れるもの」

 嬉しさを堪えきれず満面の笑みを向けてアンが言うと、ダンデは手を重ね指を絡め、「そうだな」と身を寄せてきた。
 タクシーの運転手に聞かれない声量に留めるものの、人目を気にしないで談笑していると、気づけばブラッシーを越してハロンタウンの上空まで来た。ターフと似た田園風景は、アンの緊張を少しだけ和らげる。
 二階建ての大きな家の前にタクシーは到着し、ダンデに手を引かれながら足を付ける。田舎で土地を広く使えるとはいえ、庭にバトルコートを設けているのは珍しい。

「ダンデ、おかえりなさい」

 家の玄関ドアが開き、女性が出て来てアンたちを迎える。ダンデと同じ浅黒い肌と菫色の髪の女性は、数年前に一度だけ顔を合わせたことがある、ダンデとホップの母親だ。

「アンさんもいらっしゃい。お久しぶりね」
「お久しぶりです。お元気そうで」
「あなたもね。何もないところだけど、来てくれてありがとう」

 言って、ダンデの母はアンに腕を回し軽く抱きしめた。親子に挟まれる形で玄関から家の中へ入ると、母親はダンデにエスコートを任せた。
 通された部屋は、暖炉とソファー、大きなテレビが備えられたリビングルーム。ダンデのものだろうトロフィーと、彼の写真が飾られている。
 ソファーには髭をたくわえた老人と、チョロネコを膝に抱いた老婦人がゆったりと座っていた。

「祖父母だ」

 ダンデにそう紹介されると、自然とアンの背筋が伸びる。ダンデの母とは面識はあるが、祖父母とは初対面だ。

「やあ、いらっしゃい」
「遠くからここへ来るのは疲れたでしょう。さあ、こちらに座って」

 二人はわざわざ腰を上げ、アンを歓迎する。祖母が握手を求めたので応じると、離さずにソファーへと促されるので、言われるがままにソファーに掛ける。祖母の膝から下りたチョロネコは、壁際の自分のベッドで毛繕いをし、初めて見た顔のアンを値踏みするかのように、時々視線を向けた。

「ダンデがお嬢さんを連れてくるなんて初めてだ」
「本当に。いつも誰かに引っ張られて帰ってきていたのに」

 アンの左にはダンデの祖母が着き、右にはダンデが着席した。祖父はにこやかに微笑んで空いている席に座り、祖母は夫の言葉に頷きつつ朗らかに笑う。

「それはスクールにも通ってない子どもの頃の話だろう」
「何を言うの。今だってリザードンに道案内してもらうじゃないの」

 昔話を掘り起こされて苦笑するダンデに、ティーセットを運びながらリビングに入ってきた彼の母は呆れていた。否定できないからかダンデはグッと喉を詰まらせたあと、「ハロンでは迷わないぜ」とアンに囁くよう小さく続けた。
 ダンデの母が全員分のお茶を淹れると、アンを迎えるティータイムが始まる。
 主に祖父母から、アンへいくつも質問が飛んできた。ダンデとはどこで出会ったのか、エリアレンジャーとはどういう仕事なのか。アンは言葉を選びながら、一つ一つ答えた。
 質問の合間には、ダンデの家の話も振られる。今年もウールーたちの毛は豊かで質がいいこと、ホップは残念ながら不在だということ。

「ダンデ。あちらのお家へご挨拶には行ったの?」
「まだだ。近いうちに」
「そう。失礼のないようにね」
「分かってる」

 母親へ答えたあとカップを煽って空にし、ソーサーに置くと同時にダンデは腰を上げた。

「アンへの質問タイムは終わりだ。ランチまでまだ時間があるよな? 上を案内してくる」

 先に祖父母へ、後は母へ言うと、アンの空いている手を取った。席を立った二人は、そのままリビングを出て階段を上がる。
 上がり切った先の右手がホップ、左手がダンデの部屋だと説明し、左の部屋のドアを開ける。
 ダンデの部屋は実に彼らしさに溢れていた。壁には数十のキャップが掛けられ、棚にも行儀よく並んでいる。
 デスクのそばには、リーグ委員会が毎月出している雑誌で占められた本棚。部屋の隅にはトレーニング器具。ベッドは整えられているものの、室内にはダンボールや床に積まれた雑誌の束もあり、主の不在の長さが窺える。

「ダンデくんの部屋、って感じ」
「ほとんど帰ってないから、今じゃ荷物を置くだけになっているんだ」
「ここからシュートは遠いから、帰ってくるだけで一苦労だものね」

 今日とて、ダンデは早朝からタクシーに乗り、アンが待つナックルへ飛んできた。かなりのスピードを出せるアーマーガアを指名しても距離は変わりようがなく、やはり移動時間はそれなりにかかってしまう。

「アンのターフの部屋は?」
「似たようなものだよ。わたしが出て行ったきり。いつでも帰って来られるように、支度してくれているのもね」

 家を出ても、アンの部屋は変わらないままだ。数か月に一度は帰っているが、その度にベッドのシーツは太陽とシャボンの香りがする。離れて気づく親の愛情は、くすぐったくてほっとする。
 飾られたキャップに纏わる思い出をいくつか教えられたあと、階下から呼ばれてダイニングルームへ向かう。ダンデの母と祖母が用意してくれた料理がテーブルに並べられ、五人での昼食が始まる。
 田舎料理だと謙遜されたが、皿に盛られた品はアンにはどれも美味しかった。ターフの家庭でも食卓によく出される料理と似たものもあり、勧められるがままにフォークを口へ運ぶ。
 ランチが終わると、今度は外へ散策しようとダンデに誘われ、二人で家を出た。
 ハロンタウンの音や色はアンには馴染み深いもので、ウールーたちの鳴き声や、淡く濃く色づく緑は、強張っていた肩をほぐしていく。

「あそこに家が見えるだろう。ユウリくんたちの家だ」

 自宅の敷地から出てすぐに、ダンデが一つの家を指した。石垣で囲われ、蔦が這う一軒家には、大きな木の影が落ちている。道や方向に疎いダンデが建物を覚えているのは珍しいが、周囲に見える家も遠く離れているので、一番近い隣家として間違えようがないのかもしれない。

「今日は、ユウリちゃんは?」
「彼女もオフだ。ワイルドエリアに行ってくると言っていた。ホップとソニアが調査でワイルドエリアに行ってるから、二人と合流してカレーを作って食べるんだと」
「ユウリちゃん、カレー大好きだもんね。マサルも今日は休みだから、もしかしたらみんなと会ってるかも」

 指導員の自分が休みを取ったので、マサルも今日はオフになった。マサルは余暇を楽しむ目的で休日もノースエリアへ足を伸ばすほど、ワイルドエリアで過ごす時間を気に入っている。
 せっかくだからと、挨拶も兼ねて双子の家を訪ねてみることにした。家へ続くアプローチでは、日光を浴びて機嫌が良さそうなスボミーたちが体を左右に揺らしている。
 不在であればまた別の機会にと思っていたところ、ノックした玄関のドアは開いて、眼鏡をかけた女性が現れた。

「ダンデくん! 帰ってたの?」
「ええ。久しぶりにオフが取れたので」
「委員長は忙しいわよね。ユウリは元気かしら?」
「元気ですよ。今日はワイルドエリアで羽を伸ばしてもらっています」
「そう。よかったわ」

 ダンデに向けてにっこりと笑う女性は、その隣に立つアンに気づき目を向ける。双子と同じ髪や目の色。眼鏡をかけているので印象は違うが、娘のユウリと似通った顔立ちだ。

「そちらの方は?」
「はじめまして、アンです。マサルくんの指導を務めています」

 息子の指導員だと名乗ると、

「あなたがアンさん! 会えて嬉しいわ」

と声を高くして握手を求められ、アンは両の手で応じた。

「わたしもです。マサルくんを預かっているのに、ご挨拶が遅れてすみません」
「いいのよ、気にしないで。あの子はどう? レンジャーの勉強にはついていけてる?」
「もちろんです。候補生の中でも、一際頑張っていますよ」

 嘘でもお世辞でもなく、候補生で最年少のマサルの頑張りは、アンでなくとも皆が認めている。レンジャーの研修と並行しつつ、スクールの勉強にも取り組む一所懸命な少年の姿は、特にベテラン勢の胸に響くらしく、やたらとお菓子の差し入れを貰うのだと言っていた。

「アンさんは、ハロンには観光か何か?」

 手を握られたまま問われたアンは、戸惑った表情を浮かべる。ユウリやマサルの母親とはいえ、ダンデとのことを話してもいいかは判別がつかない。

「オレの家族に会いに来てもらったんです」
「ご家族に……」

 アンの代わりにダンデが答えた。双子の母は復唱しつつ意味を考え、自身と重ねているアンの左手を見て目を見開いた。

「あら! そうだったの! おめでとう!」

 握られた手は、今度はアンの体を抱き、ぎゅっと力が込められる。祝福の言葉を真正面から貰ったアンは、両腕を回してはにかみながらも礼を述べた。

「できればこのことは、まだ内密に」
「もちろんよ。元チャンピオンの結婚だなんて、ガラル中が驚くビッグニュースだわ」

 アンから体を離し、双子の母は深く頷く。玄関先に並ぶアンとダンデを眺め、眼鏡の奥の双眸は目尻が下がる。

「そうなの、あなたたち二人が……。不思議な縁ね。娘と息子がお世話になっている方同士が結婚なんて」

 考えてみれば彼女の言うとおりで、偶然とはいえ縁が重なっている。家へと招かれたものの、日を改めてお邪魔すると丁重に断り、二人はハロンを歩いた。
 ハロンでは迷わないと言ったのは嘘ではないらしく、ダンデはアンの手を引いて様々な場所を案内した。
 幼い頃によく駆けた畑道。自分の家のウールーたちが草を食んでいる放牧場。勝手に入って怒られたサイロ。上を歩いて落ちずにどこまで行けるか試した石垣の塀。
 トレーナーとしてチャレンジに参加する前の思い出ばかりだが、実に活発な少年だったことが伝わるエピソードに、アンは楽しく耳を傾けた。

「そうだ。まどろみの森に行ってみよう」
「森に? 迷わないかな」
「平気だ。一度リザードンと奥まで行ったことがある。森の奥には、ザシアンとザマゼンタが眠っていた場所があるんだ」
「ザシアンとザマゼンタが……」

 少し不安だったが、伝説のポケモンたちにまつわる場所には興味があった。道案内に慣れているリザードンなら大丈夫だろうと自身を納得させ、アンはダンデの手に引かれるまま、森の入り口を通る。
 ボールから出たリザードンは、躊躇いなく歩む主と違って、慎重に奥へと進んでいく。入ってすぐの茂みには、ガラルでは珍しくないポケモンたちが、見慣れぬ侵入者を遠巻きに観察している。リザードンを見て逃げ出す影もあった。
 入り組んだ道を、リザードンは特に迷う素振りもなく選んで歩く。石造りの橋を渡ると、最深部が見えてきた。
 森の最奥で真っ先に目に入るのは、巨大なアーチ。唐突に現れた大きな人工物に圧倒されつつも近づけば、円形の石畳の中央に建てられている碑が目に留まる。

「ここに、ザシアンとザマゼンタが……?」
「ホップたちが言うには、ここで彼らと再会したと」

 伝聞らしいが、納得できてしまうほどに神秘的な雰囲気だ。
 すぐそばを流れる小川のせせらぎ。木々の葉で角を取ったようにやわらかく差し込む光。アーチや石畳は経年劣化でだろうか、朽ちて一部が崩れているものの、久しい時の流れを思わせ、辺りを幻想的な世界に仕立てている。

「静かでいい場所。空気も澄んでて、穏やかだね」

 鬱蒼とした森だが、不思議と恐怖心を煽られることはなかった。特に最奥のここは心が落ち着く。『まどろみの森』の名のとおり、眠るにはぴったりの場所だ。
 リザードンもこの森が持つ眠気に誘われたのか、はたまた案内という大役で張り詰めていた神経を休めるためか、その場で体を丸め両目を閉じた。
 当の主はといえば、森へ行こうと言い出した当人にも関わらず、どこか浮かない顔をしている。

「どうかした?」
「いや……」

 訊ねるが、ダンデは曖昧な返事をした。どうもしていないとも、そうだとも言わない。
 ダンデへと歩み寄り、視線の落ちた顔を見上げ覗いた。金の目が、その近さに驚いて揺れる。

「何かあるなら話して?」

 重ねて問うと、薄い唇の端は左右に引かれ、言葉を飲み込んだ。
 それでも諦めず、アンはじいとダンデを見続けた。先に根負けしたのはダンデで、口元から力が抜ける。

「アンは、本当にオレと結婚していいのか?」
「えっ?」

 喉を通った声は、おかしな高さで森に響いた。

「え……? 急にどうしたの?」

 意味は理解できるものの、質問の意図が分からず、つい問い返してしまう。ダンデの唇は再び引かれた。言葉を必死で飲み込んでいるように見える。
 待っていても、先ほどのようにダンデが口を開く気配はなかったので、アンは混乱を収められないまま、質問に向き合って考えた。

「……ダンデくんがどうしてそう思ったのか分からないけど、わたしは雰囲気に流されて指輪を受け取ったわけでも、断りきれなくて一緒にハロンへ来たわけでもないよ」

 ダンデの問いは、自分の意思が彼にとって不確かなものに見えたゆえだろう。アンはそう結論付け、決して結婚に対し後ろ向きな考えは持っていないと告げると、ダンデの強張っていた表情は緩められた。
 両腕が伸び、アンの体を抱きしめる。遠慮を感じられない抱き方は、まるで怖がりな子どもがぬいぐるみをぎゅっとハグするのと同じだ。
 しかしダンデは成人を過ぎた青年で、逞しい体躯で力いっぱい締められると、さすがにアンも苦しい。
 体などほとんど動かせやしないが、息ができるように顔を上げる。木々の葉が風に吹かれてざわざわと揺れるさまを見ながら、なんとか両手でダンデの体をトントンと叩く。
 ダンデの気が済むには少し時間はかかったが、解放され与えられていた熱が遠ざかると、寒気を覚えた。

「もうすぐ陽が沈む。そろそろ戻ろう」

 言うと、ダンデはアンの手を取り、リザードンに一声かけた。丸まっていたリザードンは首を伸ばし、来たときと同じく、二人を先導して歩き出す。
 行きと違い、幾分暗くなった森の中でも、ゆらゆら揺れる尾の先の炎は十分な目印になる。地面にはガラル特有のマッギョが潜んでいるので、注意しながら進んでいき、ようやく森を出ると、西の空はまだ明るいものの、東はすでに夜の色をしていた。

「夕飯までは居られるだろう?」

 リザードンに礼を言ってボールに戻し、家路を辿りながらダンデが問う。

「うん。ダンデくんは明日帰るんだよね。シュートまで迷わないで帰れそう?」
「タクシーを使うから大丈夫だ。食事が終わったら呼ぶから、アンもタクシーで帰ってくれ」

 行きも帰りもタクシーを使うのは贅沢だが、ここを発つ時間にもよるが、ブラッシーからナックルまで列車に揺られて帰るとなると、日付を越えてしまうかもしれない。明日のことも考え、今日くらいはいいかと自分を甘やかすことにした。

「家に連絡して、ダンデくんを連れて行けそうな日を確認しておくね」

 ハロンタウンでの挨拶が済めば、次はアンの実家があるターフタウン。先延ばしにする理由も見当たらないのなら、親に会わせるのは早い方がいい。キバナが案じていたように、両親に話すより前にメディアに撮られることはアンも避けたい。
 夕暮れが過ぎて宵の口。鮮明には見えないが、ダンデは微笑んだ。

「分かった。でもゆっくりで構わない。キミを急かすつもりはないんだ」

 彼にしてはどこか消極的な返事に、アンの胸はざわつく。先ほどのこともあり、歯切れの悪さを感じたものの、どう問えばいいのか思いつかない。
 家に着くと、二人はダンデの母に言われるがまま、食卓に腰を下ろした。夕食の最中、家族に見せるダンデの力の抜けた表情に、結局アンは気づかないふりをした。



 ダンデや彼の家族らに見送られながらナックルへ帰った翌朝は、いつもより早めに管理局に入り、今日の予定を確認する。指導員のアンには、通常とは別で候補生に関するミーティングもあり、仕事量は単純に倍だ。
 マサルはいうなれば優等生ではあるが、子どもらしい未熟な面もあり、彼の指導に関してインスや他の指導員のアドバイスを求めることもあった。研修期間が終わった今も、マサルのパートナーに陸上移動できるポケモンが居ないのが、目下の悩みだった。
 近々開かれる譲渡会はないかとスマホで探していると、マサルの声が耳に入り、画面から顔を上げる。

「おはよう、マサル」
「……おはようございます」

 レンジャーの制服も板についてきたマサルに挨拶を送ると、控えめな声で返ってきた。

「いい休日だった?」
「あ、はい。ワイルドエリアで、ユウリたちとカレー作ったり……」
「そうなんだ。ユウリちゃんのカレーは『面白い』って聞いてるけど、そうなの?」
「ええ、まあ……はい」

 以前ホップから『ユウリのカレーは面白い』と耳にしたことがある。『美味しい』ではなく『面白い』なのが、食事に対する評価としては珍しいのでよく覚えている。
 どんなカレーなのか気になっていたこともあり、ちょうどいいと訊ねたアンに、マサルは相槌のような答えを返しつつ、目線は居心地が悪そうに横へずれている。元々、姉との話になると口が重たくなるところがあるので、アンはさほど気に留めなかった。

「わたしもハロンに用事があって、機会があったからマサルのお家を訪ねて挨拶したの。お母さんはユウリちゃんにそっくりね」
「そうなんですか……」

 母親と会ったことを伝えても、マサルは大して興味を示さなかった。それよりも気かかることでもあるのか、どうも落ち着かない。顔を合わせて一度も目が合わないのも、普段のマサルにはないことだ。
 さすがに様子がおかしい。体調不良であれば、指導や巡回活動にも影響が出るので、見過ごすことはできない。

「マサル? 体調が悪いなら――」
「ああ、いや、そうじゃありません。あの……ごめんなさい。おれ、ずっと勘違いしてたみたいで……」
「勘違い?」

 慌てて否定したマサルは、アンを人気のない通路へ連れ出すと、昨日のことだと話を切り出した。

20220506