いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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 彼がポケモン研究所を訪ねてきたのは、自席に座って集めた資料に目を通していたソニアが、三杯目の紅茶を飲み終えた直後だった。

「ソニア、久しぶりだな」

 深い赤色のテールコート姿を実際に見るのは初めてで、すぐには誰だか認識ができなかったが、歳の割には子どものような笑顔で、ソニアはやっと幼馴染みだと判別がついた。

「ダンデくん……? えっ、ホント久しぶりだね」

 呆けた頭がようやく回るようになり、ソニアはひとまず手に持っていたワンパチを模したカップをテーブルに置いた。
 ダンデは長いことガラルのチャンピオンの座に腰を据えていたが、先だってとうとう玉座から降ろされた。
 今は代理を務めていたリーグ委員長に就任し、ソニアが想像しうる限りの多忙さを極めているので、その彼が何の連絡もなしに現れたとあっては、驚くなというのは無理がある。

「いきなり来るからビックリだよ。お家は?」
「ここを出たら帰るつもりだ。みんなまだ起きているといいがな」

 言ってダンデは、研究所の窓から外を眺めた。
 太陽は随分と前に沈み、助手としてソニアを手伝っていた彼の弟も、とうに家へ帰している。ダンデの家族はウールーの世話もあり朝が早いので、すでにベッドに入っていてもおかしくない時間だ。

「先に顔を出してくれるのは嬉しいけど、早く帰った方がいいんじゃない? ホップだったらきっとまだ起きてるよ」

 ホップは研究所を出る前に、何冊か本を持ち帰った。家でも目を通すつもりで借りていったのだから、勉学に励んでいればまだ床には就いていないはず。
 友人よりも家族を優先すべきだと説くソニアに、

「相談があって来たんだ」

とダンデは返した。
 彼からの相談は珍しいものではない。大半は相談という体で、あらゆる角度から様々な質問をぶつけ、意見を求めてくる。ガラルの頂点であり続けるために、ポケモンやバトルに関して研鑽を積み知見を深め、常にバトルに対する追求を止められない男だ。そういう意味では、彼もまた研究家だった。

「明日じゃダメなの?」
「ダメだ。明日の昼にはハロンを出なきゃならない」
「ええ? じゃあなんで帰ってきたの」
「だから、ソニアに相談するためだ」

 どうやら休暇のついでで立ち寄ったのではなく、相談のためだけにわざわざシュートシティからはるばる帰ってきたらしい。
 朝から晩まで忙しいだろうに、電話ではなく訪ねてくるとはよほどの内容なのか。今回の相談とやらはポケモンか、それともバトルか。ポケモンであれば、ガラルを救った伝説のポケモン、ザシアンやザマゼンタに関してかもしれない。

「長話はやめてよね。アタシもそろそろ家に帰るつもりだったし」
「ああ。すぐに済む」

 念のためにと釘を刺して椅子から立ち上がり、空になったカップを研究所のキッチンまで運ぶ。カップに水を張り、茶渋がつかぬようにだけしておき、すぐそばのテーブルに着くようダンデに促した。話が長引かないよう、あえて茶は出さない。
 ダンデの向かいに腰を下ろし、背もたれのクッションを少し調整して、ソニアは体をゆったりと預ける。

「で、相談ってなに?」
「アンの指のサイズを知りたいんだ」
「指のサイズ? アンの? なんで?」
「指輪を用意したいからだ」
「指輪……?」

 話の方向性がいまいち分からず、ソニアは思わず眇めた。

「プロポーズには指輪が必要だろ?」

 指輪の必要性を淡々と説かれる。それよりも何よりも『プロポーズ』という言葉がダンデの口から飛び出したことを、脳が受け入れられなかった。

「え? プロポーズ?」
「そうだ」

 問い返すとダンデは頷く。

「ダンデくんが?」
「ああ」
「アンに?」
「ああ」

 質疑応答は矢継ぎ早に進むが、ソニアの思考はまだ理解にまで届かない。

「え……? ダンデくん、アンと付き合ってたの?」

 ダンデとアンはソニアの友人だ。古くから親交があるのはダンデだが、同性ということもありアンともかなり親しい。
 その彼女が、目の前の幼馴染みと恋人だという話は一切聞いたことがない。親しいからといって、何でも包み隠さず打ち明けなければならないわけではないが、二人に近しい自分が知らないのは、ソニアとしてはかなりショックだった。

「いや? 付き合ってはいない」

 常と変わらぬ調子であっさり否定したダンデに、ソニアは文字通り頭を抱えた。

「ちょ……ちょっと待って。いろいろ確認させてほしいんだけど」

 両肘をテーブルにつき、重たい頭を支える。ダンデの発言に対して、先ほどからまったく追いつけない。
 混乱して考えがまとまらないのは、情報が少ないからだ。状況を把握するには調査が必須。ソニアは友人としての自分から一旦外れ、研究者としてダンデに向き直った。

「まず、二人は付き合ってないのね?」
「そうだ」

 清々しいまでにきっぱりと肯定され、やはり理解ができないとくじけそうになったが、咳ばらい一つで済ませて堪えた。

「でも、ダンデくんはアンにプロポーズしたい、と」
「ああ」
「付き合ってないのに?」
「おかしいか?」
「おかしいよ! 付き合ってもいない相手にプロポーズするなんてありえない! 順番が逆でしょ!?」

 自分の言動にまったく違和感を覚えないダンデに、たまらず両手でテーブルを叩く。
 祖母の世代は交際など経ず、親同士が決めた相手と結婚することもままあったそうだが、現代ではそういった話はほとんど聞かない。惹かれた相手と付き合い、互いを十分に知ってから結婚を考えるのがスタンダードだ。

「ていうかダンデくんって、アンが好きだったわけ?」
「ああ」
「ホントに? 友人としてじゃなくて?」
「友人としても好きだぜ」

 あまりにも快活に答えるので、ソニアはいよいよ話が通じているのか不安になった。
 ダンデという人間は、その頭にはポケモンとバトルのことしか詰められていない男だ。しばらく距離を置いた時期はあるとはいえ、ソニアは長く付き合いのある幼馴染み。長年彼を見ていたソニアの言い分を、簡単に切り捨てられる者などいないだろう。
 だからこそ、アンにプロポーズしたいと言い出すなど、まさに青天の霹靂だった。
 ダンデはこれまで、女性関係でメディアに取り上げられることは一切なかった。情がない男ではない。家族や友人、果てはガラル地方へ確かな親愛を以て接している。
 しかしそれだけだ。彼が見せる愛は特定の誰かへ向けたものではなく、いわば博愛。二十歳も過ぎた男にしてはあまりにもクリーンではあったが、たまたまそういう人間だったのだと思っていただけに、予想外の展開に戸惑っている。

「あのさ。アタシが言うのもなんだけど、まずは無難に恋人から始めようよ。プロポーズはそれからでもいいじゃない」
「恋人になっても、行きつく先は同じだろ?」
「だからって過程をすっ飛ばしていい理由にはならないっての」

 なぜ目的地に最速で辿り着こうとするのか。ソニアは再び額を押さえる。
 物事には段階があるということを、この男は知らないだろうか――否、ステップを重ねていくことの大事さを知らないわけがない。パートナーのポケモンたちとて、今は自分を乗せて飛行できるほど立派な姿へ進化しているが、腕に抱えられるほど小さかった時期があり、じっくり経験を積んで少しずつ成長していったはずだ。
 正直なところ、階段を一段ずつ踏みしめながら上るより、リザードンの背に乗って一気に飛んでいく考え方は彼らしいといえばらしい。しかしこれはダンデ一人の問題ではない。

「大体、アンの気持ちはどうなのよ。アンはダンデくんのこと、友達としか思ってないかもしれないのに」

 現状において、一番大事なのはプロポーズされるアンがどう考えているかだ。
 アンはダンデとも親しく、ワイルドエリアで迷うことがあれば、エリアレンジャーの彼女を頼るようにしていた。アンの口からダンデの話題が出ることはよくあり、彼を嫌ってはおらず、好ましく思っているのはソニアも知っているが、それが恋愛感情なのかは定かではない。

「そんなことはないぜ。アンもオレと同じ気持ちだ」
「だから、どこからそんな自信が湧いてくるのよ!」
「ははは」

 一抹の不安すらも抱いていないらしく、ダンデは何が面白いのか笑っている。
 言わないだけですでにアンとの結婚を確約しているのか、単なる一方的な思い込みなのか判別もつかず、ソニアは幼馴染みとして心配になった。バトルに関しては疑いようのない強さを誇るが、それ以外はどうも不安が尽きない。

「いきなり結婚なんて……そもそも、なんでこのタイミング?」

 自分たちはまだ二十歳を越えたばかりだ。二つ年上のアンも二十代半ばを過ぎていない。
 早すぎることに文句をつけたいわけではないが、リーグ委員長に就任し慣れない業務に追われる中で、なぜ無理に事を進めようとするのか。もう少し落ち着いて、アンと話す場を設けてからでも遅くはない。
 ダンデは口元に手を当て、考える仕草を取った。牙のような整えられた顎髭は、多忙にもかかわらず手入れがされている。

「未来のことを考えると、オレの隣にはいつもアンが居るんだ」

 愉悦をたたえたような返答に、ソニアは小言一つも返せなかった。
 チャンピオンという立場から降りて、ダンデは実に十年ぶりに一人の青年に戻った。
 今度は委員長として、ガラルのポケモンリーグの発展に努めることには変わりないが、チャンピオン時代に比べれば選択の自由は増える。バトルの際に画面映えするからと伸ばしていた髪を切っても、彼を咎める者はもう表舞台にはいない。
 チャンピオンのイメージを損なわぬよう、振る舞いには気をつけ我慢していたことも多々あっただろう。笑うべき場で笑顔を作り、安い挑発や無礼な発言をぶつけられても、牙を向けぬよう堪えてきた。
 それらのしがらみから解放されたダンデが望む先に、常にアンが居るのなら。前置きをすっ飛ばした行動に納得できてしまった。

「……分かった。左の薬指ね?」

 理解してしまったのなら協力するしかない。これ以上説得しても、きっとダンデはプロポーズを諦めることはない。
 ダンデの言葉以外は何の根拠も提示されていないが、アンもダンデを好いているのなら、彼女のためにもここは人肌脱ぐ必要がある。自分がここで断ったばかりに、アン本人に指輪のサイズを訊ねるような、デリカシーに欠けた行動を取らないとも限らない。幼馴染みのためというよりは、アンのプロポーズを野暮なものにしないためだ。

「サンキュー! よろしく頼む」

 ソニアからの協力を得られたことに、ダンデは破顔し礼を述べる。一瞬、早まったかもと後悔したところもあったが、乗り掛かった舟だと頭を切り替えた。

「ところで、どんな指輪を贈るか考えてるの?」
「それがさっぱりだ。シュートの宝飾品店で買えばいいのか?」
「まあ、アタシたち一般人はね。でもダンデくんは別。ダンデくんがお店で指輪なんて選んでたら、あることないことネットに書かれるわよ」

 今の時代は、誰もが手持ちのスマホで撮影し、すぐにSNSでニュースとして送り出せる。元チャンピオンがいかにもな指輪を選んでいるなんて、まさにマスコミがこぞって欲しがる特大のネタだ。

「アタシに任せて。いいアドバイザーを紹介してあげる」



 ダンデがバウスタジアムを訪れたのは、リーグ委員長としての業務をこなすためであった。
 到着してすぐにジムトレーナーに連れられルリナの下へ案内されると、ルリナは挨拶もそこそこにダンデを引っ張った。建物の中でも迷子になる新しい委員長は、目で捉えておくより腕を掴んだ方が安心だ。
 ひたすら歩を進めるスタジアムの通路の窓は、白く濁っている。海が近く、風に乗った塩がガラスに張り付いているため、曇りガラスかと見間違う。まとまった雨が降れば流れるものの、生憎と最近は晴れが続いている。

「ダンデ、入って」

 ルリナがドアを開けて中へと促す先は、彼女の執務室であるジムリーダー室。ダンデが足を踏み入れると、いくつもの横長のテーブルが彼を迎え入れた。
 ベルベッドのシートがかけられたテーブルには、窓から差す陽を飲んでキラキラと光を放つ石やリングがずらりと並べられている。脇にはスーツに身を包み白い手袋を嵌めた男女が立っており、ダンデと顔を合わせると会釈した。

「すごいな。こんなに用意してくれたのか」

 まるで宝飾品店がそのままこの部屋に移されたかのような、美しく陳列された指輪やダイヤモンドにダンデは金の目を丸く見開く。

「アンのためだもの」
「はは。オレもアンも、いい友人を持ったな」

 ジムリーダー室のドアを閉め、鍵もかけたルリナがダンデの背に声をかけると、少々つれない態度だったにもかかわらず、ダンデは気にも留めず笑って返した。
 ダンデの反応に、自分の幼稚な振る舞いに恥を覚え、ルリナは両手に腰を当てて長い息を吐く。同い年だというのに、子どもじみた自分へのため息だ。

「それで? サイズは分かってるらしいけど」
「ああ。これがぴったりらしい」

 上着のポケットからリングを取り出し、指先でつまんでルリナへ見せる。事前にソニアが買い物に付き合ってもらう体で、アンの左の薬指に合うサイズを購入しダンデにこっそり渡していたリングだ。
 ルリナが受け取り、そのままそばの男性に預けた。彼らはルリナが広告モデルを務める高級宝飾品の販売員で、頼んでわざわざこの部屋に呼んでいる。
 伝手は彼女だが、実際に販売員らに商品を運ばせたのはダンデだ。ガラルの元チャンピオンでリーグ委員長は、苦労や手間をかけてでも遇したい上客らしく、彼らはルリナの相談に快く応じてくれた。

「エンゲージリングに絞って持ってきてもらったわ。こっちはレディメイド。この辺はオーダーの見本。オーダーはフルでもセミでもできるけど、時間がかかるわよ」
「どれくらいだ?」
「セミならまあ、一か月ちょっと。フルだと数か月ね。刻印するならレディメイドでも少しかかるわ」

 事前に販売員から受けていた説明を、ルリナがダンデに伝える。テーブルに応じて分けられているのは、店頭ですぐに購入できる既成品から、客の好みに応じてデザインを変える特注品の一例。ダイヤも異なる大きさや色、カットで揃えられている。

「どんなリングにするつもり?」
「アンが喜ぶものだ」

 ルリナの問いに、ダンデは指輪を見ながら答えた。

「まあそれはそうよね。アンの好みは分かってる?」
「分からない。プライベートの彼女と会ったことはほとんどないからな」
「それでよくプロポーズなんて考えたわね……」

 事前にソニアから話を聞いていたたものの、本当に交際期間がないまま求婚しようとしているダンデに、ソニアは呆れよりも恐ろしさを覚えた。
 プライベートもろくに共にしていないのに、断られることを一切想定していないその自信はどこからくるのだろうか。
 ダンデはルリナから胡乱な視線を注がれても気にもせず、並べられたリングに目を落としたまま、真剣な顔で選んでいる。
 好みが分からないというのなら、彼女とプライベートを多く過ごし、好く物を知っている自分が助言すべきだろう。ソニアがルリナに声をかけたのも、リングの用意だけでなくアドバイスも込みの相談だったに違いない。

「アンなら、こういうのがいいんじゃないかしら」
「へえ。なぜだ?」
「華美なものを好む方じゃないから、シンプルなものがオススメね。ダイヤの大きさは控えめにして、質の良さを重視するとか」
「なるほど。豪快で分かりやすく見映えする技よりも、派手さはないが威力や命中率が高く、追加効果にも優れた堅実なタイプか」
「バトルで例えるのはやめて」

 似合いそうなものを一つ取ってダンデに見せると、バトルに繋げた比喩で返され、ルリナは冷たく切り捨てた。
 ルリナの助言に従い、ダンデは彼女が摘まんでいるリングに似たものに絞り、改めて選んでいく。
 ダンデは身なりにこだわらない。チャンピオンや委員長という立場に恥じない装いは心掛けているが、『相応しい』と周りが思う物に黙って体を通し、本人の好き嫌いは後回しだ。
 だから指輪選びもすぐに行き詰まり、ルリナや販売スタッフがいくつかピックアップしたものから検討する無難な流れになるかと思っていたが、彼は一つ一つをじっくりと見ながら、あくまでも自分で選ぼうとしている。

「本当にアンにプロポーズするつもりなのね」
「そうだ。おかしいか?」
「世間の常識に則って考えれば。でもあなただったら、やりかねないとも思えてしまうわ」

 残念ながら、ソニアから彼のプロポーズ話を聞いたときに、ルリナの頭には『ダンデらしい』の一言が過ぎってしまった。一般常識は持ち合わせているものの、どこか突飛な言動の多い彼ならば、恋人でもない相手にいきなり求婚しても、まあさほどおかしくはないと。

「先に言っておくけど、プロポーズする場はちゃんと整えておくのよ。挨拶もそこそこに渡すなんて真似はしないで」
「いくらオレでもそこまで無粋じゃないぜ」

 ルリナの忠告にダンデは案ずるなと返し、再び並ぶリングに目を戻した。

「心配だわ……」



 シーズンオフのジムリーダーは、ジムチャレンジ期間より暇かといえばそうでもない。今年度を完全に終えるための事務処理を進めながら、各スタジアムの修繕、イベントや取材。来年度に向けての準備。どれも毎年同じ作業だが、悠長に羽を伸ばせるわけではなかった。
 今回キバナがシュートスタジアムに足を運んだのも、わざわざジムリーダーが赴くほどの用ではなかったが、ナックルジムに籠り続けている中での息抜きの一つだった。唯一無二のライバルへ顔を出すという目的も兼ねている。
 シュートスタジアムのスタッフに案内され通された部屋には、大きな執務机に座りペンを走らせているダンデがおり、来客に気づくとすいと顔を上げた。

「やあキバナ」

 相手がキバナだと知るとダンデは微笑んで軽く手を挙げた。キバナも右手で返し、執務机を挟んでダンデの前に立つ。
 背後のドアが退室するスタッフの手によって閉まってから、脇に抱えていた厚みのある封筒を差し出した。

「ご所望の書類をお持ちしましたよ、委員長閣下」
「キミは仰々しい芝居が好きだな。ポプラさんの劇に出たらどうだ」

 揶揄を交えれば、ダンデは軽く笑いながら受け取り、中の書類を出して手早く目を通していく。
 これまでリーグ委員長の執務室があったローズタワーは、現在改装工事が入っている。終わるまでにと宛がわれたシュートスタジアムの一室には多数のキャビネットが並び、ダンボールが詰まれ、応接用のソファーやテーブルすらも置けないほど室内を圧迫している。
 チャンピオンの王座からリーグ委員長の座に腰を移してまだ半年も経たないが、書類を捌く姿はだんだんと板についてきた。
 前委員長の秘書であったオリーヴの手を借りていた頃は、頭から湯気か煙が出そうなほど難しい顔で書類を睨んでいたが、その影も今はもうない。
 頼りにしていたオリーヴは、ダンデが正式に委員長へ就任すると、委員会やマクロコスモスから去っていった。
 幸いにもローズについていた第二、第三秘書はそのまま残り、今はダンデを支えてくれているおかげで、新米リーグ委員長もなんとか業務を遂行できている。

「そうだ。キバナはアンとよく会うんだよな?」
「アンと? まあ、ナックルジムと管理局は付き合いがあるし、時間が合えばランチに行くくらいだ」

 ふと書類から顔を上げたダンデの問いに、キバナは執務机に寄りかかり答えた。
 頻度としては多くないが、アンとは定期的に顔を合わせている。ランチがほとんどで、たまに互いの同僚も含めてパブに行くこともあるが、よく会うかと問われるとそうでもなかった。

「アンの次の休みがいつか知っていたら教えてほしいんだが」
「そこまではさすがにオレさまでも知らないな。訊けばすぐ分かるけど……」

 キバナも常に予定を把握して誘っているわけではなく、自分の空いている時間で都合が合えばと声をかけているので、断られることも断ることも多々ある。
 ただ、互いにスケジュールを秘匿にせねばならない職でもないうえ、アンは半月ごとにシフトが組まれるので、知るのは容易い。
 そこまで考えたところでキバナははたと気づき、組んでいた腕を解いた。

「やっとアンと会う気になったのか」

 両手を机に付いて言えば、思いのほか声は室内に響いた。
 ダンデとアンは一年ほど前から交流を絶っている。前委員長のローズがダンデのスキャンダルを危惧し、まだ恋人ととも呼べない程度の仲だった二人を引き離した。
 実際ダンデはアンに好意を抱いていたので、ローズの対処は無意味ではなかった。アンもはっきりとは言葉にしなかったが、態度から察するにダンデを好いているのはキバナも知っている。
 ムゲンダイナの事件でローズがリーグ委員会から去った今となっては、二人を分かつ壁はすでに瓦解していたが、どちらも頑なに会おうとしなかった。きっと多忙だからとアンは言い、ダンデに至っては自ら彼女の話を振ることすらない。
 そのダンデがアンの休みを訊ねるということは、ようやく彼女と会うつもりなのだと、キバナの胸は急くように駆けた。

「ああ。準備が済んだからな」
「準備?」
「さっきちょうど指輪が届いたんだ」

 嬉しそうな顔とその発言に、キバナは訝しんだ。

「待て。オマエ、アンと会って何する気だ?」
「プロポーズだ」

 表情をちっとも変えず、ダンデはさらっと言い放った。キバナの青い目はこぼれ落ちそうなほど見開かれ、大きな口が引き結ばれ息を詰める。

「プロポーズって……オマエ、ちょっ……!」

 右の手のひらを突きつけ、左手で額を押さえ、キバナはダンデの奇行の理解に努める。
 一年ぶりに会うだろう相手にプロポーズ。常人では考えられない行動だが、なにせダンデだ。

「……分かった。プロポーズだな。うん。アンにプロポーズしたいわけだ、オマエは」
「そうだ。さすがキバナ。理解が早くて助かるぜ」

 笑顔を見せるダンデに、キバナは口の端を吊り上げるだけの笑みで返した。
 理解したわけではない。ダンデの思考をまともに精査しても、こうと決めた以上はちょっとやそっとでは揺るがないことを、ライバルとして長年付き合いのあるキバナは熟知している。要するに考えることを放棄しただけだ。

「で? 指輪はもうあるんだっけ」
「ああ、これだ」

 執務机の引き出しを開け、ダンデが小箱を出してキバナに見せた。ベルベットの張られた箱を見て、すぐにどこのブランドのリングケースか気づいた。ガラルで一番有名な宝飾品ブランドだ。

「へえ。いいところで用意したな」
「ルリナに協力してもらったんだ」
「サイズは?」
「ソニアに頼んで調べてもらった」
「閣下はバトル以外でも抜かりないようで」

 ルリナもソニアもアンの親しい友人で、協力者としてはベストな人選だ。
 チャンピオンになってすぐの頃は世間知らずな子どもで、幼いゆえの失敗を起こしていたものの、ガラル一の実業家であったローズが長年面倒を見たおかげか賢い立ち回りを身につけた。
 オリーヴや周りの助力があったとはいえ、お飾りのリーグ委員長代理にならずに済んだのはローズのおかげでもある。彼に対して蟠りはあるものの、ダンデがガラルの皆から慕われるチャンピオンであることを支え続けたのは間違いなくローズであり、その点はキバナも彼の手腕を認めざるを得ない。

「アンの休みに合わせるのもいいけど、オマエにそんな時間あるのか?」
「正直に言えばない。けど、先延ばしにしても結局いつになるか分からないなら、行儀よく順番を待つより、さっさと無理を通すのが利口だと思わないか?」
「同感だ」

 キバナ自身も似た立場だったため、頃合いを見計らっていたらキリがないことは身をもって知っている。
 時間は与えられるのではなく、自ら作って確保するもの。どうしても譲れないものがあるなら余計に、機会を逃す前に動いた方がいい。

「オレさまにいい考えがある。とりあえず先に、オマエがナックルジムに来る予定だけ教えてくれよ」

20220501

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