いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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32

 ダンデの十回目の防衛が成功して新しい年が明けると、アンはパトロール隊の指導員を任されることになった。
 てっきりローズがダンデを納得させるための方便だと思っていたが、候補生時代から含めるとアンのレンジャー歴は十年を越えている。
 先輩と同じ数だけ後輩も増え、いつの間にかまごうことなき中堅に位置していた。指導員に選ばれるには少々若いが、経験は十分だ。
 パトロール隊の隊長も代わった。新しい隊長は、アンが最も信頼を寄せるインス。
 出世だと皆で祝ったが、本人は面倒な役を押し付けられただけだと肩を落としている。

「俺はデスクワークよりパトロールが好きなんだよ」

 はあ、と深いため息を吐く姿には、アンたちも苦笑いをこぼすほかなかった。アンらも皆、オフィスで書類と向き合ったり、他部署との打ち合わせや会議に出席するより、外を駆ける方が好きだ。

 アンは新規採用された研修生たちの騎乗訓練を任され、新年度前から準備に慌ただしかった。
 候補生に向けてエールを送ったことはあるが、指導は初めてだ。研修期間が終わるまでに、基礎も知らぬ年上の研修生に、レンジャーとして十分な騎乗能力を身につけてもらわねばならない。
 インスや他の指導員たちからアドバイスを貰いながら、アンはカリキュラムに則って指導を続け、なんとか全員が研修期間内で騎乗訓練課程を修めることができた。

 肩の荷が下りたアンは、ようやく巡回業務に戻る。
 今年はパトロール隊に配属された新人が一人いるが、アンではない別の指導員がついていた。
 隊長がインスに代わり、新人が一人増えた以外には人事の異動もなく、慣れたメンバーでシフトを組んでいるので、休日もゆとりを持って取ることができる。
 休みの日の過ごし方はほぼ決まっている。家でポケモンたちとくつろぐか、買い物に出かけるか、ソニアやルリナに声をかけて遊ぶかだ。
 ジムチャレンジが始まったため、シーズン中のルリナとはお茶も難しいだろう。ただ、みずジムは第二のジムなので、少し経てば誘いやすくなる。
 そうなるとこの時期にアンが遊べる相手といえばソニアなのだが、今年はそうもいかなかった。



 エンジンシティでなら会えるからと言われ、アンはアーマーガアに乗って向かい、いつものカフェで待ち合わせた。
 現れたソニアは席に着くなり、しばらくは気軽に遊べないとアンに告げる。

「フィールドワーク?」
「そう。おばあさまに、あなたも頑張りなさいって」

 ソニアは頬杖をつき、レモネードのストローをくわえた。グラスの中の氷がカランと涼しい音を立て、柑橘類特有の爽やかな香りがアンの鼻をくすぐる。

「ホップが、ハロンの奥の森で不思議なポケモンを見たらしいんだ。なんだか気になっちゃって」

 言って、ソニアはこれまでにまとめた資料をテーブルに広げ、アンに見せた。
 資料とはいうものの、情報はまだ少ない。手掛かりになればと、ガラルの古い伝説や各地域の伝承にも目を通しているらしいが、大きな収穫はなさそうだ。

「ターフにも行ったんだ」

 捲ったページには、アンには見慣れたターフの地上絵の写真が貼り付けられ、ソニアが描いた絵に書き込みがされている。
 文中に見つけた『黒い渦』『ブラックナイト』『ダイマックス』の単語に、地上絵にはいろんな解釈がなされているのだと、スクールの授業中に教えられたことを思い出した。観光名所の一つだとしか捉えていなかったが、もしかしたらホップが見たという不思議なポケモンのヒントになるのかもしれない。

「まあ、アタシもあの子たちに刺激を受けたからね」
「あの子たちって?」
「ホップたちだよ。今年はとうとう、ジムチャレンジに挑戦してるんだ」

 思いがけない話に、アンは顔を綻ばせた。

「そっか。ホップくんももうそんな時期なんだね」
「アンの担当はノースエリアだから、まだ顔は合わせないかもね」

 ジムチャレンジは始まったばかりで、ワイルドエリアに訪れるトレーナーも、多くはまだサウスエリアに足を向けている。エンジンジムを突破する者が増えてくれば、ノースエリアにもキャンプの煙がいくつもたなびくだろう。

「ホップとユウリは、ダンデくんが推薦してるんだ」
「ユウリっていうのは……」
「ホップの家の隣に住んでる女の子。一年くらい前にハロンへ越してきたみたいよ。ユウリには双子の弟がいてマサルっていうんだけど、その子もチャレンジに参加してる」

 ホップの友人の話は初めて聞く。体験会で話した際には、ハロンは田舎だから遊ぶ相手が少ないと言っていたが、あれから共にチャレンジに参加するほど親しい友人ができたようだ。

「ダンデくんが推薦するチャレンジャーなんて初めてだね」
「そうね。で、マサルはおばあさまから」
「マサルくんだけ博士からの推薦なの?」

 なぜ三人まとめて推薦しなかったのかと不思議に思い、テーブルの上の資料を片付けるソニアに問う。

「ホップたちがハロンを出る少し前からマサルは体調を崩してて、一緒に行けなかったんだ。遅れておばあさまに会いに行って、ポケモン図鑑と推薦状と、あと謎のタマゴを持たされたの」
「謎のタマゴ?」

 資料をバッグにぎゅうぎゅうと詰め込んだソニアは、顔の前で両手で楕円を描いた。

「ポケモンのタマゴって、大体これくらいじゃない? そのタマゴは、これくらいあるのよ」

 ソニアの手が、さきほどよりも一回り以上も大きな楕円を描く。通常発見されるポケモンのタマゴは、アブリーでもホエルコでも決まって同じサイズだ。

「ダイマックスみたいに、その謎のタマゴもガラル粒子の影響を受けて大きくなったんじゃないかってことで、おばあさまの下に届いたの。ある程度は調べ終わって、いざ孵化させようと思ったときには、アタシもホップたちもブラッシーから出たあとでさ。で、ちょうどマサルが訪ねてきたから、推薦状を渡す代わりに研究に協力してほしいって預けたみたい」

 タマゴは温めておけば孵化するわけではなく、トレーナーやポケモンたちと行動を共にし、長く過ごすことで刺激を受け、殻を破って出てくる。
 高齢のため歩き回ることが難しくなったマグノリア博士が、新米と言えどもこれから旅に出るトレーナーのマサルを頼ったのも納得だ。

「アタシはこれからバウタウンに向かうつもり。バウタウンの灯台にある英雄の像も、不思議なポケモンに何か繋がりがあるかも」

 話すその顔は生き生きとしており、探求心が満たされている様子が手に取るように分かる。
 ソニアはカレッジからエンジンユニバーシティへ入学し、優秀な成績を修め卒業した。いくつかの論文は専門家にも認められたにもかかわらず、本人は『マグノリア博士の孫だからだよ』と、自身への評価ではないと撥ねつけている。
 卒業後はポケモン研究所で祖母の助手を務め、自身の研究も進めているものの、これといったテーマには出会えていないとフラストレーションを溜めていたが、ようやく胸躍るテーマが見つかったらしい。
 遊べないのは残念だが、ソニアの溌剌な表情を見れば、アンも全力で応援したい気持ちが勝る。ホップと再会できるかもしれないという楽しみもできた。



 ジムチャレンジが始まって一か月は、チャレンジャーを中心としたトレーナーはサウスエリアに集中しているため、ノースエリアのアンも応援に呼ばれキバ湖付近を巡回している。
 ルーキーを中心に目を配り、異状がないか見回りを続ける。上空からもチャレンジャーたちのテントはいくつも見つかり、合同でキャンプを行っている様子も見受けられた。
 今の時期はまだキャンプに慣れていないトレーナーも多いので、目に留まったら顔を出すようにしている。
 テントから離れた位置でアーマーガアから降りて、煙が上るキャンプ地に徒歩で近づくと、焚き火の前で腰を下ろし、薪をくべる背中が目に入った。

「こんにちは、エリアレンジャーです。お話を伺いたいので、少しお時間もらえますか?」

 振り向いた顔はまだあどけなく、突然の訪問者に驚いて目を見張っている。白いワッチキャップから出ている前髪は、眉がはっきり見えるほど短い。

「構いませんけど……」

 腰を上げながら、服に付いた砂を払う。襟付きの赤いシャツに袖を通した体は薄く、声は女の子にしては低いので少年だろう。
 彼のそばにはレドームシがおり、まるで小さな岩のように微動だにしないが、殻の斑点を発光させ、レンズのような目でアンをじいと見上げている。

「パトロールの一環で、キャンプ中のトレーナーに声をかけて回っています。今日は他のトレーナーとの合同キャンプですか?」
「はい。姉と友人の三人で。二人は木の実を採りに出ています。もうすぐ戻ってくると思いますけど――あ、ちょうど帰ってきました」

 少年はアンの問いに過不足なく答え、アンの後ろを指差した。体ごと後ろを向くと、二つの人影がこちらへ歩み寄っている。
 徐々に見えてきた二つの顔のうち、少年の方には見覚えがある。少年もアンの姿を見つけると目を凝らし「あ」と何か気づいたように口を開けて駆け出した。

「アンさん!」

 叫ぶようにアンの名を呼んだ少年は、アンの目の前まで着くと、幼い頃の彼の兄によく似た笑みを向け、金色の両目は山なりに形を作る。

「アンさん久しぶり!」
「久しぶり。元気そうでよかった」
「ああ! オレはいつも元気だ! ほら、木の実がたくさん採れたんだぞ」

 そう言ってホップは、抱えていた袋を軽く揺する。詰まっているのは、採れたばかりの新鮮な木の実。ホップの後を追って走ってきた少女も、木の実が入った袋を抱えている。

「ホップ、知り合い?」
「エリアレンジャーのアンさん。アニキとソニアの友達! アンさん、オレの家の隣に住んでる、マサルとユウリ。双子なんだ」

 テントでホップたちの帰りを待っていた少年に訊ねられ、ホップは簡単にアンを紹介したあと、アンにも二人を名を教えた。

「はじめまして。名前だけはソニアから聞いてます。エリアレンジャーのアンです。よろしくね」

 二人に手を差し出すと、躊躇うことなく握手に応じ、「よろしくお願いします」と挨拶が返ってきた。性別は違うものの、双子だけあって二人の顔つきは似ている。

「アンさんアンさん! こいつ、アニキから貰ったバチンキー! サルノリから進化したんだ」

 木の実の袋を置いて、ホップがボールから出したバチンキーの両脇を抱えアンに見せる。くさタイプだけあって、全身は明るい新芽のようなグリーンの体毛に覆われ、バトルが始まると武器として扱う木の棒は、今は頭の天辺の大きな葉に留めている。

「あたしはヒバニーを貰って、今はラビフットです!」

 ユウリもボールからラビフットを出し、アンに見せた。垂れた長い耳には、薄灰色のもこもことした毛が生え揃っている。襟のようなたてがみで口元が隠れているため、無邪気なトレーナーと違い感情は窺い知れず、細められたような赤い目からは、どこか冷めた視線を送られている。

「マサルくんは?」

 弟とその友人がダンデから貰っているのなら、当然もう一人の友人であるマサルも貰っているだろうと訊ねたが、彼はポケモンではなく苦笑を見せた。

「おれはダンデさんからは貰っていないので……」
「ダンデさんはちゃんと三匹連れてきてくれたんですけど、マサルはそのとき寝込んじゃって会えなくって。三匹目のメッソンはダンデさんがそのまま連れて帰ったんです」
「言っとくけど、風邪を引いたのはシャワーから出てまだ髪も乾かしてなかったおれを、ユウリが無理矢理ゲームに付き合わせたからだからな」
「もう、ごめんってば。マサルだって『おれにはもう相棒がいるから』って、はじめから貰うつもりもなかったんだし、いいじゃない」
「だからって開き直るなよな」

 マサルは眉を吊り上げ、ユウリは頬を膨らませ、互いに怒りのポーズを取る。アンは喧嘩を始めた二人を前に焦るが、ホップはまったく気に留めていない。

「止めなくていいの?」
「二人はいつもこうだぞ。喧嘩じゃなくて、ただの会話だ」

 ホップに耳打ちすると、事も無げに返された。あまり双子に縁がないので知らなかったが、どうやら本当に喧嘩ではなかったらしく、ユウリの顔には笑みが戻り、マサルの眉もあっさり下がった。

「貰った子と言ったら、マグノリア博士に預けられたタマゴから産まれた、この子です」

 言ってマサルがボールを一つ放ると、中からはワシボンが現れた。ラビフットよりも嵩のある羽毛を纏い、大きな爪は地面にしっかりと立てられている。

「ワシボンが産まれたんだ。なんだか大きいね」

 ソニアが言っていた『謎のタマゴ』から産まれた子らしいが、アンがこれまでワイルドエリアなどで見てきたワシボンと比べる一回り大きい。アオガラスとほぼ同じくらいだろうか。

「博士が言うには、ガラル粒子の影響を受けている様子はなくて、単純に大きなサイズのタマゴから、相応に大きめのポケモンが孵化しただけだって」
「へえ、そういうこともあるんだね」

 初めて聞く事例だが、アンもタマゴのことについてはそれほど詳しいわけではない。ポケモンのタマゴは、そもそもどうやって産み落とされているのか、もしくは運ばれているのかなど解明されていない謎が多い。マグノリア博士が言うのならば、そういうものなのだろう。

「木の実も集まったし、早速カレーを作ろうよ!」

 ユウリはテントのそばに置いていたリュックを探って、ウキウキとカレーに入れる具を選び出した。マサルは隣に立ち「今日はキノコはなしだからな」と声をかける。

「ホップくん、ちょっといい?」

 二人に聞こえないよう、ホップにだけ届くほどに声量を落とし、テントから少し離れた場所までホップを連れて歩いた。

「なんだ?」

 あまり遠くに行かないよう、木の陰に入って足を止め、ホップに向き直る。

「今更だけど、体験会でのことで謝りたくて」

 ホップが体験会に参加したのはもう二年近く前になるので、謝罪をするにしても、本当に今更な話だった。
 けれどあの日からアンの心には重たい罪悪感が腰を据えている。話を蒸し返されるのはホップにとって迷惑かもしれず、ただの自己保身になると分かっていても、謝らずにはいられなかった。

「アンさんが謝ることなんて一つもないぞ」

 ホップは臆することなく、まっすぐにアンを見ている。髪の色も瞳の色も、ダンデの色と同じだ。

「アンさんの言うことを聞かなかったのはオレが悪いし、ワイルドエリアって、自然ってそういうものなんだろ。ポケモンにはポケモンの世界とか生態系とかがあって、可哀想だからってすぐに手を出しちゃだめなんだよな」

 分かってるぞと続け、ホップは白い歯を見せて満面の笑みを作る。その笑顔に、ずっと抜けなかった心の棘がやっと取れた。あのとき教えたことをホップはきちんと理解してくれている。アンに笑ってくれる。嬉しくて頬が緩んだ。

「本当は去年も、マサルたちとレンジャー体験に参加したかったんだけど、スクールの成績があんまりよくなくて、申し込めなかったんだぞ」
「そうだったんだ。今年はみんなで、ジムチャレンジに挑戦してるんだよね」
「ああ! 二つ目のジムバッジまで手に入れたから、次はエンジンスタジアムだ!」

 ルーキーだというのに、どうやらチャレンジは順調に進んでいるようだ。ホップの腕にも双子の腕にも、《ダイマックスバンド》が嵌っている。アンが参加していた頃と違って、今はダイマックスバンドを持たないチャレンジャーの方が珍しい。

「そっか。頑張ってね。応援してる」
「サンキュー! バッジを全部集めて、アニキに勝ってチャンピオンになってみせるぞ!」

 苦戦していた自分とは大違いだと感傷的な思いが湧く。できれば三人揃ってシュートスタジアムのバトルコートに立ってほしい。そう考え言葉を贈ると、ホップからなんとも力強い返事があった。

「そういえばアンさん、最近アニキと会った?」
「えっ? ダンデくんとは……会ってないけど……どうして?」

 不意にダンデのことを問われ、反応は遅れたもののなんとか平静を装い返す。

「サルノリたちを連れて来てくれた日に、アニキといろいろ話したんだ。前はアンさんの話をよくしてたのに、この間は全然なかったから」
「うーん……わたしも任される仕事が増えて、忙しくなっちゃったから会えていないの。だから話題がなかったんじゃないかな」

 嘘はつかず、現状をそのまま話した。ちょっと複雑で気恥ずかしさもあるが、子どものホップに余計な心配をかけたくはなかった。

「喧嘩してるわけじゃないのか?」
「してないよ。ダンデくんは元気?」
「元気だぞ! 方向音痴は相変わらずだけど」

 ダンデも変わりないらしく安堵した。待ち望んでいた弟とのバトルが、とうとう実現するかもしれない。きっとダンデもワクワクしていることだろう。
 テントのそばへ戻って改めて三人のジムチャレンジを応援し、ルーキーを狙った犯罪に気をつけるよう言い聞かせ、アンはアーマーガアに騎乗してパトロールに戻った。

20220326