いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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31

 ナックルスタジアムを出て、アンは予定通り巡回業務に入った。そんな気分ではないと休めるわけもなく、今もしダンデに呼び出されたらどうなるのだろうかなどと考えながら、終業時間まできっちり勤め上げた。

「アン。ローズ委員長から話があったんだが……」

 本部に戻って日報を仕上げていると、隊長が耳打ちした。どうやらアンがナックルスタジアムでローズと会っていた間に、彼の秘書であるオリーヴが管理局に出向き、ダンデの件について話を済ませたらしい。仕事が速いと、かえって感心してしまった。


 管理局を出ると、ナックルの自宅へまっすぐ飛び、ルーフバルコニーにアーマーガアの足を付けた。
 ボールへ戻したあとテラスドアの外鍵を開錠し、フライトジャケットやキャップなどを身から外すと、リビングのソファーに腰を下ろして、背もたれにだらしなく身を預ける。照明のスイッチにはなんだか手が伸びない。
 食事もシャワーも億劫だが、ポケモンたちの夕飯はアンが用意しなければならない。汗を流さないまま寝るのも気分はよくない。
 分かっているのに動けない。精神的にも肉体的にも疲れている。瞼を下ろせば、このまま眠ってしまいそうだ。

『メッセージロト』

 脇に放っていたジャケットのポケットから声がする。目を開けスマホを取り出し確認すると、送信者はダンデだった。『会って話したい』という短い一文が表示されている。
 アンはすぐに、しばらく忙しいから無理だと返信した。もしダンデからコンタクトがあれば、そう返すように前もって決めていたので、文字を打つ指に迷いはなかった。
 返信してすぐに、今度は着信音が高らかに鳴る。ソファーから腰を上げ、喉を潤そうと水を飲んだ。その間も着信音は諦めることなく無機質に鳴り続け、グラスを置いたアンが応答ボタンを押すとやっと沈黙する。

『アン、どういうことだ』

 しんとした部屋の中で、スマホを耳に当てる前から、ダンデの声ははっきりと聞き取れた。それほど大きな声だった。

「どういうことって?」
『とぼけないでくれ。委員長が、キミはもうオレを迎えに来ないと。本当なのか?』

 耳に当てて訊ねると、じれったいのか早口で問い返される。

「ローズ委員長は、他になんて?」

 バルコニーが見える窓のカーテンは開けっ放しで、ナックルシティの明かりが届くとはいえ室内は暗い。やっと照明をつけて、カーテンをすべて端までぴっちりと引いた。

『管理局から、アンにはこれから指導員としていろんな仕事を任せるつもりで、忙しくなるからオレを迎えに行く約束の破棄を望まれたと言っていた』

 実にそれらしい話だと、またしてもアンは感心してしまう。アンに非が向かない形でうまくでっち上げており、悪役は誰もいない。大企業を束ねる総帥とあってか、無用な恨みを買わない手筈を整えることには慣れているようだ。

「……ローズさんが言ったとおりだよ」
『ではローズさんではないキミの話は? 聞かせてくれないか』

 委員長がこしらえた脚本に乗っかってしまおうと肯定したが、ダンデは許さなかった。
 アンの話などできない。どう伝えればいいのかも分からない。カーテンの端を掴んだまま、何度か唇を開きはするものの、言葉が見当たらず黙してしまう。

『アン。オレには、キミの言葉だけが真実だ』

 縋りつくような、切羽詰まった声に胸が痛い。
 おそらくダンデは、最初からローズの話を信じていない。体のいい理由の裏に隠しているものを、長年の付き合いか、あるいは勘から察したから、こうしてアンに確かめている。

「わたしはダンデくんを、もう迎えに行けない」

 口にしたのは決別の言葉だ。
 アンにだけに任されていた大切な仕事は、できることなら彼がチャンピオンである間は務めたかった。
 しかし、管理局に籍を置くただのレンジャーであるアンは、ローズや上役に抗議の声を上げられるほどの立場にない。

「でも、ダンデくんが本当に困ったら……そのときはわたしを呼んで。必ず迎えに行くから」

 エリアレンジャーはアンにとって天職だ。レンジャーになってしまったら、姉のように一般企業に勤めたり、友人たちのようにトレーナーとして活躍する自分など考えられない。ワイルドエリアの自然や雄大さを守れる職は、手放しがたいものだ。
 けれどもし窮したダンデがアンに助けを求めたら、アンはそれらすべてを放ってでもダンデの下へ向かうつもりだ。
 極端な話、仕事などどうにでもなる。やりたいことを職にできたアンは恵まれている方で、希望した職種でなくとも、生活のために仕事に精を出す人など山ほどいる。
 でもダンデには代わりなどいない。彼を失うくらいなら、アンはレンジャーを辞めてもいいと心に決めた。

『……本当に会いたくなったときも?』

 目の前で紡がれたら潰えそうなほど儚い呟きも、スマホなら簡単に拾ってアンの耳に届けてくれる。

「だめ。ダンデくん、すぐに呼んじゃいそうだから」
『ははは。そうだな。今すぐ来てほしいぜ』

 姉か教師が窘めるように言えば、ダンデはさきほどとは打って変わって普段の調子を取り戻し、軽快な笑い声すら聞かせてみた。

『会うのは無理でも、電話は構わないか?』
「ローズさんからは何か言われてる?」
『……忙しいキミの邪魔をしないように、連絡も控えろと』
「つまり『だめ』ってことだね」
『キミ、実はオレのことが嫌いなんじゃないか?』
「そんなことないよ。ダンデくんの立場を悪くしたくないだけ」
『嫌いじゃないなら何だ? オレはキミの、何なんだ?』

 軽快に続いていたやりとりはぴたりと止まる。冗談で気安く返せない真剣さは、声だけでも十分に汲み取れた。
 ダンデの質問への答えはすでにあるが、口にするにはたくさんの勇気がいる。

「……今度会えたら」

 爪先や指先、体中のあらゆる端っこから勇気を掻き集めても、伝えるほどの度胸にまでは繋がらず、つい先延ばしにする答えを返した。

『アン、迎えに来てくれ』
「だから、だめってば」
『キミも知ってるだろう。待つのは苦手なんだ』
「知ってるよ。でも楽しいことだったら待てるでしょ?」

 今すぐにでも答えが知りたいと駄々を捏ねるダンデに、アンは優しく説く。ダンデは思案しているのか沈黙した。部屋に掛けている時計の針の音が、やけに大きく響いている。

『期待してもいいと取るぜ』

 ダンデの声に、アンの口元は自然と弧を描いた。

「お好きなように」

 曖昧な返事に、スマホの向こうでダンデは軽く笑った。それじゃあと通話を切ると、二人の会話はあっさりと終わる。
 これでもうしばらくは、ダンデとは会うことも話をすることもできない。
 寂しさはあるが、繋がりが途切れたわけではない。左に嵌めたバンドを握り、そう言い聞かせた。



 ダンデを迎えに行くことがなくなっても、アンの日常には大して変化はない。
 ここ数年はダンデがワイルドエリアに迷い込む頻度も少なくなっており、会えない時間の方が長かった。
 メディアを通せば、一方的にではあるがダンデを知ることもできる。顔を合わせたキバナたちからも話を聞き、距離ができた感覚はあまりなかった。
 ただ、十回目の防衛を祝うメッセージも送れないときは、この状況にうら悲しさを覚えた。伝えたいことがあるのに許されないのは、やはり不自由だ。

 秋が深まり、今年もターフでは収穫祭が行われる。
 恒例の『麦の乙女』を引き受けた女性には『案山子』がおり、収穫祭の間はずっとそばに付き添った。仲睦まじい様子に割って入る野暮な輩もおらず、ひと事ながら心配だったが杞憂で済んだ。
 ヤローの家は、今年も品評会からウールーの毛の質の良さを認められ、買い付けに来る業者や職人の相手で忙しい。
 収穫祭に置けるジムリーダーの務めがまだ終わっていないヤローの代わりに、アンも手伝いに加わり、一段落したところで女性が一人が訪ねてきた。

「こんにちは。今年も大盛況ね」

 女性は、いつもは下ろしている髪を一つにまとめ、サングラスをかけたルリナだ。アンがすぐにヤローの両親を呼ぶと、二人はルリナを歓迎した。

「いらっしゃい。今年も会えて嬉しいわ」
「こちらこそ。これ、いつものです」

 ルリナは両手に抱えていた白い梱包箱を示すと、ヤローの母が受け取る。

「毎年ありがとう。ルリナさんのところのお魚、いつも楽しみにしてるのよ」
「いえ。うちの両親も、ヤローくんのお家の野菜をたくさん買って帰ってこいってうるさくて」
「有難いわね。用意してるから、帰る前にまた寄ってちょうだいね」

 ヤローの母は箱の中の海産物を保存するため、あとのことは夫に任せて一旦自宅へ帰る。
 アンはヤローの父から、手伝いはもう十分だからと、ルリナと祭りを回ってくるように促された。
 ターフのありとあらゆる場所は、麦で作られたオーナメントや季節の花で飾りつけられ、大通りの雑踏は夜遅くまで続く。

「収穫祭っていいわよね」
「うん。バウタウンの豊漁祭も」
「そうね。こうして大地や海の恵みに感謝するのは大切なことだわ」

 数年前からルリナはターフの収穫祭に顔を出すようになり、アンやヤローもバウの豊漁祭に訪れ、互いに得られた幸をお裾分けするようになった。
 明日からはしばらく、ルリナが運んできた魚や貝を使った食事が、アンの家の食卓にも出るだろう。バウの海鮮物はどれも新鮮で美味しい。
 ルリナを連れて屋台や店を巡る。ヤローにも挨拶をしたいとルリナが言うので、アンたちはスタジアムへ向かった。


 ターフスタジアムでは、ジムリーダーやスタッフたちによるイベントが開かれており、年齢性別を問わない様々な人たちが詰めかけている。
 まだポケモンを連れていない幼い子たち向けに、ジムスタッフらのポケモンたちとの交流広場が設けられ、心得のある者はジムトレーナーたちとバトルし、勝者には収穫祭に出店している店で使える割引券が用意されている。
 アンは顔見知りのジムスタッフに断ってスタッフ専用通路を通り、ヤローが居るであろうジムリーダー室へ彼女を案内した。閉じた扉をノックするとヤローの返事があり、アンがドアを開けて中へ入る。

「やあ、ルリナさん。今年も来てくれましたか」
「ええ、こんにちは。ヤローくんはまだ仕事?」
「いいえ、さっき終わりました。人前に出るのはやっぱり緊張しますねえ」

 一仕事終えたヤローは、毎年子どもたち向けにポケモンバトルの講習会を開いている。
 ポケモンバトルに興味がある子どもたちは皆ざっくりとした知識はあるものの、実戦経験に乏しい子がほとんど。バトルを始めたての頃は、勝つことばかり考えて自分のパートナーを蔑ろにしてしまう未熟なトレーナーも多い。
 アンもかつてそうだった。初めてのジムチャレンジで、エンジンジムを突破することばかりを考え、エルフーンたちではなく自分の感情を優先した。
 講習を受けたにもかかわらず、我を通した自分のようなトレーナーを一人でも減らすには、ポケモンとの関わり方を説く場が必要で、ガラルでも一目置かれるジムリーダーはまさにその役を担うに最適な人材だ。

「ジムリーダーになってもう五年にもなるのに、まだそんなこと言ってるの?」
「ぼくはどうにも慣れませんわ。ルリナさんは緊張しないんですか?」

 同じ立場のルリナに呆れられ、ヤローは後ろ手で頭を掻いたあと訊ね返した。

「どちらかというと、プレッシャーかしらね。求められた以上のもので応えなければと思うわ」
「さすがルリナさんじゃ。だからモデルのお仕事もお上手なんだな。シュートシティの看板も、美人さんでしたね」
「あ、ありがとう……」

 ジムリーダーではなくモデル業を取り上げ、屈託のない賛辞を贈るヤローに、ルリナは戸惑いつつも礼を述べる。

「そうだわ。アン、ダンデと距離を置いてるって本当なの?」

 何を思い出したのか、今度はルリナがアンに問う。不意に話を振られたこと、問われた内容に思わず硬直し、すぐには反応ができなかった。

「そうなのか? ダンデさんと何かあったんかい?」

 ルリナの発言にヤローは眉を寄せる。二対の視線を一身に受けたアンは、隠し通すのは難しいと諦め、実はと話を切り出した。
 ローズがダンデに常時監視をつけるため、迎え行く役目から外されたことを掻い摘んで説明すると、ルリナは愕然とした表情を見せ、喉の奥で小さな悲鳴を転がす。

「委員長がそんなこと……」
「ふうむ。ワイルドエリアに関してはアンに任せた方がいいと思いますけど、いきなり監視をつけるなんて、委員長にも事情があるんでしょうかねえ」

 サングラスの奥の青い目を見開いて、信じられないと言葉を詰まらせるルリナに対し、ヤローは事実を淡々と受け止めつつ、委員長側の意向を察しようとする姿勢を見せた。
 ローズは行動的な人間だ。『即行』という言葉を体現したような男であり、思い立ったらすぐにやらねば気が済まないタイプだ。
 そんな彼が、長いことアンに任せっぱなしだった件に対し、今になって唐突に動いたことへ、ヤローは違和感を覚えたのだろう。

「だとしてもあんまりよ。そりゃあ迷子になるダンデに非はあるけど、朝から晩まで自分の行動を見張られているなんて、気分が悪いわ」

 険しい顔で非難するルリナに、それに関しては同意だとヤローも頷いた。測位システムの件については口外できないため説明しなかったが、話せたとしてもローズがダンデに監視をつけることには変わりない。

「私たちで協力できることがあれば、何でも言ってちょうだい」

 自身の胸に手を添え、ルリナはアンに言う。冴えた眼差しに頷いた。

「ありがとう。ダンデくんのこと、よろしくね」

 幼馴染みのソニアに『刈り終えた畑に転がる麦わらロール並みに図太い神経』と称されるダンデでも、常時監視されているのは息苦しいに違いない。不自由な思いをするダンデを、キバナだけでなくルリナやヤローたちもフォローしてくれれば、アンも安心だ。

「ダンデさんだけじゃなくて、アンもじゃ」

 そう言ったヤローに、アンは目をしばたたかせた。

「ちゃんとぼくたちを頼るんだな」

 ポンと肩が軽く叩かれる。厚い手のひらは農作業特有の癖がついており、少し無骨だが温かく優しい。物心つく前からほとんど兄妹として育ち、成人した今でもヤローはアンの頼れる兄だ。
 ルリナも反対の肩に手を置き、

「今度は私が、アンを助ける番よ」

と言って微笑んだ。『今度』ということは、『以前』があったのか。アンにはすぐ思い出せないが、ルリナは恩を感じてくれているらしい。
 ターフとバウ、二人のジムリーダーの心強い言葉に、アンは笑顔を見せた。
 自分はこんなにも友人に恵まれている。だから寂しさなどない。そうに違いないのに、アンは左の手首をそっと握った。

20220324