いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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30

 あれから一週間。アンは休むことなくパトロール業務に当たっているが、とても元気とはいえなかった。

「アン、調子が悪そうだな。どうしたんだ?」
「そ……うですか? 寝坊して朝食を抜いちゃったから、そう見えるのかも」

 朝のミーティングが始まる前にインスに指摘され、咄嗟に笑みを浮かべ取り繕った。
 調子が悪く見えたのなら、朝食ではなく睡眠の不足が原因だろう。窓辺に立っていたローズの姿を思い出すと、妙な不安からかちっとも寝付けず、今朝は家を出る30分前にエルフーンに起こされた。
 頭を切り替え、なんとかミーティングに集中して、業務連絡や本日のノースエリアの様子を皆で確認したあと、各々が受け持つエリアに向かうため準備に入る。

「アン、ちょっと」

 散らばるレンジャーの中で、隊長がアンだけを呼び止めた。

「パトロールに行く前に、ナックルスタジアムに寄ってほしいんだ」
「分かりました。届け物ですか?」

 外に出るレンジャーが出掛けに用事を頼まれることは珍しくない。特にアンはキバナと親交が深いこともあって、スタジアムに書類や物品を届ける際は真っ先にアンへ声がかかる。

「いや。ローズ委員長がアンと話がしたいと」
「えっ……」

 唐突にローズの名が出て、アンの声は上擦った。てっきりジムリーダーやスタッフに用があるのかと思い込んでいたため、すっかり不意打ちを食らってしまった気分だ。

「委員長は忙しい方だから、急ぎで頼むよ」
「……分かりました」

 行きたくないなどと口にできるわけもなく、アンは憂鬱な気持ちで支度を済ませ、徒歩でスタジアムへ向かった。
 アーマーガアを駆ればスタジアムへはすぐに着く。急ぎでと言われているのにあえて徒歩を選んだのは、少しでも到着にかかる時間を増やしたかったからに過ぎない。
 こうして時間を稼いでいる間に、忙しいローズがスタジアムから去っていれば。
 そんな願いを持って跳ね橋を通り中へ入ったものの、受付に名前を告げると「会議室でお待ちです」と案内され、足取りはいやでも重たくなる。
 エレベーターが目当ての階へ到着しドアが開くと、すぐそこでローズの秘書であるオリーヴが背筋を伸ばし直立していた。
 普段から表情筋を失ったのではと疑うほどに顔から感情が読み取れず、冷めたグリーンの瞳がアンを捉える。

「お待ちしておりました。ご案内します」

 オリーヴはくるりと背を向け、高いヒールをコツコツと鳴らしながら前を進む。
 黙って後を追い、一階のホールと違って人の気配がまったくない廊下を歩き続け、一つのドアの前で止まった。

「委員長、お連れしました」

 声をかけると、中からは短い返事があった。オリーヴがドアを開け、中へ入るようにとアンに促す。
 緊張で強張る手足を動かし会議室へ入ると、備えてある椅子に腰を下ろさず立っているローズが、穏やかな笑みを口元に称えこちらを向いていた。

「やあ、アンくん。おはよう」

 挨拶を受け、アンも小さな声ではあるが返した。後ろのドアはオリーヴの手で閉まり、30人は座れそうな広い会議室で二人きりになる。

「呼び出してすまないね。私が管理局へ訪ねるべきでしたが、何分忙しい身で」
「委員長のご多忙ぶりは存じておりますので。お気遣いありがとうございます」

 丁寧な物腰、柔和な態度、親近感を持たせる微笑み。ガラルの発展に貢献してきた大企業のトップに相応しい紳士的な振る舞いだが、そのどれもがアンには恐ろしく見えた。

「もう十年にもなりますが、チャンピオンの件では、君には長年お世話になりましたね。レンジャーの活動に支障もあったでしょう」
「いえ……最近は頻度も減りましたし、チャンピオンの身の安全を考えれば、ちっとも苦にもなりません」

 アンは必死で言葉を選んだ。ダンデは友人である前にチャンピオンであり、アンはガラルの至宝である彼を迎えに行くことに不満など一切持っていない、ただのエリアレンジャーの一人。彼にはそう思ってもらわなければならない。そうでなければいけない。

「そうですか。しかし、やはりいつまでもご迷惑をかけるのは、私たちとしても心苦しいもので」

 髭と共に、立派に整えられた眉が下がる。『沈痛な面持ち』という題で額に入れて飾っても違和感がない。かえって白々しさを覚えるほどにだ。

「この度、マクロコスモス・テクノロジーが、ガラル粒子の影響を受けない測位システムを搭載した機器を開発しましてね。ああ、ここだけの話にしてくださいね。まだ試作段階で、公の発表もしておりませんから」

 ローズは幼い子どもに言い聞かせるよう、人差し指を立てて自身の口元に当てる。

「その試作機を、チャンピオンに持たせることにしました。貴重な機器ですので誰に任せるか悩みましたが、様々なデータを取るうえで、彼が最も適していると判断しまして。君なら分かるでしょう?」
「ええ。チャンピオンは、いろんな場所へ向かいますから」

 ダンデほど思いがけないあらゆる場所に姿を現す者はいない。
 森や林の中、山間や雪道、川べり、崖下。
 街中では店や住宅地、劇場に公園、施設の玄関や裏口を問わず、いろんな場所へ迷い込む。まるで冒険家だ。

「試作機があれば、私たちでも彼の居場所を捉え、迅速に迎えに行けます。ですので本日をもって、チャンピオンを迎えに行っていただく話は、破棄させて頂きたい」

 とうとう本題に入ったと、アンは口を閉じ気持ちを落ち着けた。
 ここに来る前から覚悟はしていた。ローズが自分を呼び出して話すことなど、ダンデに関わることくらいなものだ。

「……確実な、ものではないんですよね、試作機は。もし間違った場所を示して、チャンピオンの身に――」
「安心してください。私たちもチームを作りました。機器を持たせた彼の動きを、そばで常に目を配るチームです。彼の位置は元より、動きを把握していれば座標とのずれなども分かりやすいですし、迷ったとしてもすぐに保護でき、無駄なトラブルに巻き込まれる心配もありません。はじめからこうしておけばよかったんですが、君の優秀さに甘えていました。これまで彼の迷子癖で、大なり小なり業務に支障を来してきましたが、おかげで困らずに済むでしょう」

 にこやかに語るローズの話を、ままらない頭を回して何度も噛み砕いた。

「ダンデくんを、四六時中ずっと監視するつもりですか」

 怒りを出所にしたアンの声は、かすかに震えている。ローズが言ったことはつまり、ダンデに常時見張りをつけ、その行動をつぶさに観察する行為だ。

「ダンデくんはガラルのチャンピオンですが、一人の人間です。一個人のプライバシーを侵害する権利は、リーグ委員長にだってありません!」
「彼は協力してくれますよ、ガラルのチャンピオンですから。この測位システムを製品化できれば、ガラル地方のよりよい未来に繋がります。ガラルを愛する彼なら必ず引き受けてくれる」

 ガラルのチャンピオンなのだからガラルのために。確かにダンデ本人も、そう思って受け入れるかもしれない。

「だからって……だったら、わたしが迎えに行っても構わないはずです。試作機のデータが欲しいだけなら、せめてワイルドエリアでの迎えは、これからもわたしに任せてもらえれば……」
「ふむ。君は賢い女性だと思っていましたが、意外とのんびり屋なのかな」

 必死な思いで説得を試みるアンを、ローズは顎鬚を緩慢に撫でつけつつ、朗らかに見下ろした。
 アンは確かにのんびり屋だ。自覚もしているし、家族や友人、同僚からもよく言われる。
 友人らが口にする『のんびり屋』には、アンへの親しみを感じていたので不快に思うことはなかった。
 しかし、ローズの口から放たれたものは違う。やわらかい言い回しで包んでいるが、ローズは食い下がるアンを『愚鈍』だと言いたいのだ。人より少し疎いところがあるアンも、このときばかりは驚くほど早く悟った。

「私はね、アンくん。君を責めているわけではありません。アンくんに落ち度はないでしょう。私が望んだとおり、君はチャンピオンの良き友人でいてくれました。まあ強いて挙げるなら、君は彼にとって魅力的過ぎた、といったところですかね」

 腕を後ろで回して組み、スタジアムで大観衆を前に朗々と語るときのように、ローズは穏やかな微笑を崩しはしない。

「彼が君を良き友人とは見られなくなった以上、君との逢瀬は忌避すべき事態なんですよ。ガラルが抱く彼のイメージは、清廉潔白な無敵のチャンピオン。糊の利いた真っ白なシーツは、たった一点の染みすらもないからこそ価値がある。ガラルの顔のゴシップが広まるなど決してあってはならない。危険な芽は摘んでおかなくてはね。何よりも彼のために」

 演説を終えて区切りをつけるかのように、ローズは胸の前で一つ手を叩いた。パンと乾いた音が会議室で反響する。

「今までありがとうございました。君の活躍をこれからも楽しみにしています」

 アンへにっこりと笑顔を見せると、その脇を通って自らの手でドアノブに手をかける。開く音が聞こえると同時に、「おや」とローズの声が上がった。

「盗み聞きは褒められた行為じゃありませんよ」

 自分へ向けられたものではない発言に、見えない第三者に気づいたアンが振り向く。
 開いたドアの前にはローズしか見当たらないが、上背が男性の平均はある彼の視線が少し上を向いている。

「ナックルのジムリーダーはオレです。ここで起こることをオレが把握するのは、プライバシーの侵害ですか?」

 見えない場所からキバナの声が聞こえる。親しい友人の存在に、アンの肩から少しだけ力が抜けた。

「いいえ。場所選びを間違えた私のミスです」

 キバナにもにこやかな笑みを送り、ローズは開いたドアをそのままに廊下を歩いて行く。
 ローズがいなくなってすぐに、キバナが会議室の中へと入りドアを閉め、厳しい表情でアンに歩み寄った。

「アン、何があった? ローズ委員長と何を話してたんだ?」

 どこから聞いていたのかとアンが質問すれば、監視云々の話からだと返ってきた。
 足りない情報を補いつつ、会議室に入ってからのことを簡単に説明すると、キバナの眉間はきつく寄せられ、バトルのときのような険しい顔を見せる。

「なんだよそれ……ダンデを何だと思ってんだ!」
「……チャンピオンだよ。チャンピオンだから、ガラルのためになるなら……」

 怒気を孕んで言うキバナに、アンは淡々と口にした。
 ローズが言ったことすべてに同意するつもりはないが、ガラルに貢献することはチャンピオンの責務であり、そしてダンデ本人も望んでいる。『ガラルのためだ』と言われれば、責任感の強いダンデならよほどの理由もなければ断らない。

「本当にもう、ダンデを迎えに行かないのか?」

 キバナがアンに問う。

「ローズさんのことだから、うまく理由をつけてダンデくんを納得させると思う。管理局にもすぐに話がいって、正式に破棄になるだろうね」

 数々の大企業のトップを務める者ならば、手回しなどもう進めているだろう。もしかすると、こうしている間にも管理局との話は済んでいるかもしれない。

「アンはそれでいいのか?」

 諦めているアンに、尚もキバナは訊ねる。
 いいも何も、もうすでに終わったことだ。アンはローズを説得できなかった。
 そもそも、事はすでに決まっており、ローズはわざわざアンに直接伝えるために呼び出しただけだとしたら、無駄な抵抗だったと言える。
 今からでも間に合うだろうか。ローズを追いかけ呼び止めて、真摯に語れば理解してくれるのか。

「チャンピオンの名を、汚したくない。ローズさんに言われたからとか、ガラルのためとか、そんな理由じゃなくて。わたしが、ダンデくんの邪魔になりたくない」

 腹が立つことに、ローズの主張は正しかった。
 ダンデはチャンピオンだ。ガラル中のトレーナーたちが憧れる、完全無欠の王者。
 もし仮に、アンとのことをメディアが面白おかしく取り上げ、ダンデにとっての『染み』になってしまったら、アンはどれだけ悔いても悔やみきれない。
 測位システムの新しい機器を持たせるにも、あちこちへ移動する彼はちょうどいい協力者になるだろう。
 迷子になってチャンピオン業務が滞り損害が発生するなら、彼の安全を確保する意味でも、最後の手段として監視の目をつけることもやむを得ない。
 子どもみたいな反論しかできなかったのは、認めたくないだけでアン自身もローズの言い分に納得してしまっていたからだ。

「アイツはアンを邪魔なんて思わないよ」
「それでも、足を引っ張りたくないの。ダンデくんはずっとチャンピオンとして生きてきた。わたしのせいで、チャンピオンのダンデくんを死なせたくなんかない」
「たかがゴシップ一つでチャンピオンを剥奪されるわけじゃない。オレさまを見てみろ。しょっちゅうSNSで炎上してるけど、トップジムリーダーだぜ」

 自身の胸に手を当てキバナが言う。ネット上で騒動を起こすことは決して褒められたものではないが、彼はジムリーダー二年目にしてトップをもぎ取り、それからも譲ったことはない。振る舞いに心無い文句や罵倒をぶつけられても、実力で黙らせるその強さに魅了されるファンも多い。

「そもそも、アイツをチャンピオンの座から引きずり下ろすのは、このキバナさまだ。アンや世間なんかじゃない。聖人じゃあるまいし、好きな女がいるくらいなんだよ。むしろ『無敵のダンデ』に人間味が増していいってもんだろ」

 自信に満ちた口調と共に、やけに大きな身振りで強気に言い聞かせるが、アンの表情は晴れることはない。反応もなく黙り込むアンに、頭の後ろを掻いて小さくため息を吐く。

「ダンデもなぁ……もっとうまく隠せればいいんだけど。まあ最近まで委員長にバレなかっただけマシか」
「……キバナくんは、ダンデくんのこと知ってたの?」

 何をとは直接には言葉にせず、アンは訊ねた。

「アイツがアンを好きだってこと? まあね。アンと居るときのダンデを何度も見てるし、よくアンの話をするしな。本人に自覚があるかは別だけど」

 キバナにもそう言われ、アンは戸惑いは消えないものの、ダンデが自分を慕ってくれている事実を認めるしかなかった。
 振り返れば、ダンデがアンに好意を示すような場面は幾度かあったのかもしれないと気づく。収穫祭で『案山子』にしてほしいと言ったのも、数年経った今でもまだアンの『案山子』だと自称したのも、ただの茶目っ気ではなく本心だったとしたら。考えると恥ずかしさで居た堪れなくなる。

「ダンデのことはオレさまに任せておきなよ。いろいろフォローしとく」
「うん……ありがとう。巻き込んでごめんなさい」

 アンを思いやる提案は素直に有難い。彼がちょうど通りがかってくれたおかげで、アンは孤独のまま悩まずにいられるが、無関係なキバナに迷惑をかけてしまうことに罪悪感を覚えた頭は自然と俯いた。

「あのさ」

 呼びかけられ下げたばかりの顔を上げると、キバナとぱちんと目が合う。

「アンはダンデのこと、どう思ってる?」

 キバナの問いには揶揄は混じっていなかった。ターコイズブルーの双眸から感じられるのは、純粋な興味、あるいは確認。
 ダンデをどう思うか。
 もちろんダンデはアンにとって素晴らしい友人だ。人として尊敬もでき、彼がチャンピオンであることが、ガラルの住人の一人として誇らしい。
 けれどダンデがチャンピオンであるからこそ、アンは距離を置かねばならなくなった。
 ダンデがチャンピオンでなければ――そんな思いは抱いてはいけない。ダンデは望んでチャンピオンになり、努力と研鑽を重ね玉座に留まっている。
 しかしチャンピオンでなければ。
 例えばあの年、あの瞬間、ガラル中のトレーナーの頂点に立たなければ。
 きっとダンデは優秀な一人のトレーナーとして、何に囚われることもなくバトルを楽しみ、アンとこれからも顔を合わせることができた。世間の目など気にせず二人で出かけ、寄り添うことができた。
――ローズが言うことはやはり間違っていなかった。自分は愚鈍だ。会えなくなった今頃になってダンデへの想いを自覚するなど、のんびり屋にもほどがある。
 気持ちの整理が追いつかず、伝えられる言葉は口から出てこない。代わりに押し上げられた感情が目元に集まり、涙となってぽたぽたと落ちていく。
 嗚咽が込み上げ、両手で口元を押さえたアンの背に、キバナが腕を回し引き寄せた。

「分かった。言葉は本人に取っておこう」

 トントンと背中が優しく叩かれる。目の前の服にしがみついて、激しい感情の渦の中で、必死に息継ぎをした。

20220321