たった一匹のパートナーと旅立つ幼いルーキー。回数を重ね慣れてきたティーン。バトルへの理解を深めて成熟したミドル。もはや生き甲斐にしているシニア。
チャレンジに年齢は関係ない。無料で利用できるタクシーやホテルがあるので、子どもや年配者でもそれなりに楽な旅にできる。老若男女にネットが普及した今は、学業や仕事との両立も昔よりずっと容易になった。
――とはいえ、極端に若い、あるいは高齢のチャレンジャーには、本人ではなく周囲が懸念を抱く。活動上、必要のない接触は控えるのが原則だが、事故や事件を未然に防ぐため、積極的に気にかけることも大事だ。
アンは今、平時の巡回区域ではないサウスエリアの上空を飛んでいる。
サウスエリアを担当するパトロール隊で病欠が相次ぎ、ノースエリアのアンたちに応援要請があった。
シフトを組み直した結果、今夜はアンがパトロールに来ている。元々エリア内で迷子になったダンデを迎えによく来ていたためサウスエリアの地理は把握しており、適した人材といえる。
任された見張り塔跡地付近は、ゴーストタイプのポケモンが好んで生息する地域。昼間でも体感温度がガクンと下がるほどの寒気を感じるのに、彼らが活動的になる夜のパトロールは余計に恐ろしいものがある。
業務は業務だと、恐怖心は抑え込みアーマーガアで飛行していると、いつ崩れてもおかしくない見張り塔のそばに動く人影を捉えた。
夜間にも関わらずその存在に気づけたのは、顔が異様に真っ白で、闇の中で浮いて見えたからだ。新種のポケモンかと驚いたものの、シルエットはポケモンではなく人間の子どもだと気づく。
昼ならまだしも、こんな夜中に子どもが一人で歩いているのは危険だ。下降しつつ近づくと、アンのアーマーガアに気づいた子どもは逃げるように走り出した。
「あっ、ちょっと」
見失わないようにとスピードを上げ、小さな背を追う。子どもが全力で走っても、アーマーガアの速度にはとても敵わない。逃げるその前にくるりと回り込み、子どもの進路を塞ぐ。
「こんなところで何してるの? 一人でいたら危ないよ」
アーマーガアから降りて問うと、びくびくと震えながら後退するので、アンも同じ距離だけ歩を進めた。
白く見えた顔は、顔ではなく面だ。目と口の辺りに穴が三つ空いたシンプルなお面は、やけにその白さが目立ち、異様な雰囲気を漂わせる。
「ひっ、一人じゃ……ないです……」
喉を絞りきったような一際高い声は、少年か少女か判別がつかない。
子どもの背後、暗闇の陰からポケモンが現れた。丸々としたフォルムに、短い手足が特徴的なゲンガー。人の命を好んで狙う危険なポケモンだ。
背後のアーマーガアに見えるように手を突き出し、いつでも指示が出せるよう構えるが、ゲンガーがこちらに向かってくる様子はない。
「もしかして……その子はあなたの仲間?」
ゲンガーは子どもに害を与えるというより、むしろアンから庇うように子どもに寄り添っている。まだ敵意は向けられていないものの、アンや後ろに控えているアーマーガアに視線を合わせ、こちらの出方をじっと窺っているようだ。
「はい……」
子どもは小さな声を発し、頭をこくんと縦に振る。隣に立つゲンガーも応えるように短く声を上げた。肩から力を抜き、アーマーガアへ突き出した手を下ろす。
「そうだったの……。勘違いしてごめんなさい。この辺はゴーストタイプのポケモンの住処だから、つい心配になっちゃって」
「い、いえ……」
誤解を謝ると、子どもは集中しないとうっかり聞き逃してしまいそうなほどに控えめな声で返事をした。
身長は去年会ったホップよりもずっと低い。体は薄く華奢で、短いパンツから伸びる足は簡単に折れてしまえそうなほどに細く、ひどい猫背で顔も俯きがちだ。今度は違う心配が芽生えてきた。
「わたしはエリアレンジャーのアン。今パトロール中なんだけど、あなたの名前を教えてもらってもいいかな?」
「な……名前? あの……オニオン、です……」
「オニオン……オニオンくん?」
「は、はい……」
男子でよいのかと名前を復唱すると、オニオンはこくりと頷いた。その間も彼のゲンガーはアンに注意を払い、気づけばヨマワルやフワンテなど、他のゴーストポケモンも彼のそばに集まってきた。
目の前のポケモンたちが襲ってきたら――最悪な事態が頭を過ぎったものの、野生であるらしいポケモンたちはアンに近づく素振りもなく、オニオンの周りを悠々と漂っている。オニオンも彼らを恐れるどころか、寄り添うフワンテの頭を撫でる仕草を見せた。
「オニオンくんは、ゴーストタイプの扱いに慣れてるんだね」
「ぼくの友達はみんな……ゴーストタイプだから」
言うと、オニオンは二つのボールを投げた。現れたのはヨノワールとサニゴーン。どちらもゴーストタイプだ。
「そっか。だからちっとも怖がっていないのね。わたしがあなたくらいの頃は、ゴーストタイプの子はちょっと苦手だったなぁ」
ポケモンには様々な種族がいるが、中でもゴーストタイプは独特の恐ろしさがある。人間に害を為す種が多く、しつけの一環で『いい子にしないと襲ってくるぞ』と子どもへ言い聞かせる際も、決まってゴーストタイプが持ち出されている。
命を奪われるまではなくとも、実際に悪戯好きの気性のせいで脅かされたり追い回されることもあって、アンには彼らに対する苦手意識が植え付けられていた。
「今は、平気……?」
「そうだね。慣れたっていうのもあるし、驚かせてくることが減ったから。わたしが大人になって、反応が面白くなくなっちゃったのかも」
候補生の頃は、オニオンより年上ではあったものの子どもには違いなく、アンはポケモンたちにとって格好の獲物であり、夜のパトロールはいつも憂鬱だった。
ヤバチャがパートナーに加わって以降は、ゴーストタイプを敬遠する気持ちもなくなり、野生のポケモンたちもいつしかアンへちょっかいを出してこなくなったので、昔のように怯えることはほとんどない。
「おっ、おねえさんの、ポケットの中」
「ポケット?」
オニオンがアンを指差して言うので、服についているあらゆるポケットを叩いて確かめた。
そこじゃない、上の方、などと誘導してもらい、フライトジャケットの右胸のポケットに手を当てたところで「そこ」と止められた。
「ここ……これ? カシブのお守りだけど……」
右胸のポケットから、手のひらに収まる大きさの布製の小袋を取り出す。中には水分が抜けて小さくなった《カシブの実》が入っている。
以前に入院した際、ダンデがお見舞いに来たときにくれたカシブは、乾燥させればお守りになると父から教えてもらい、以来こうして持ち歩いている。
「それがあるから、みんな、おねえさんを避けてる……」
「これが?」
「カシブのお守り……ゴーストタイプは嫌い……」
ゴーストタイプが嫌うというのは初めて知る情報だ。
試しにと、目が合った野生のゴースにお守りを近づけると、慌てて遠くへ逃げて行った。効き目は十分らしい。
「じゃあわたしのポットデスも嫌いかな?」
アンの仲間であるポットデスもゴーストタイプだ。心配を口にすると、呼ばれたと思ったのかボールから出てきて、アンのそばをふわふわと浮遊する。
「ポットデスはおねえさんの友達だから、平気。悪いことしようって考える子が、だめ」
オニオンの言うように、ポットデスはアンの持つお守りを嫌う素振りはない。持ち主への悪巧みを考えるポケモンにのみ効果があるようだ。
お守りとはいうものの、効力はさほど信じてはおらず気休め程度だったが、知らず知らずのうちにきちんとその役目を果たしてくれていた。口には出さないが感謝を持って、丁寧にポケットへ戻した。
サウスエリアの応援が終わり、受け持っているノースエリアの巡回に勤しんでいると、ダンデから連絡がきた。現在地は巨人の腰かけのようで、アンはすぐに向かう。
合流すると、ナックルシティにあるマクロコスモス・バンクの支社まで送ってほしいと頼まれた。
「そこでローズ委員長と一緒に打ち合わせなんだが、どうやら降りる駅を間違えたようだ」
おそらくワイルドエリア駅で降り、そのままサウスエリア内をさ迷ったらしい。駅舎から出てすぐにナックルシティではないと気づかなかったのかと頭を過ぎるが、今更言っても仕方がないことだ。
アンが前に座り、ダンデが後ろに乗る形でアーマーガアに騎乗し、ナックルシティまでまっすぐ飛ぶ。
広い市内を囲う城壁は中世から残っており、主がいなくなった城は役割を変えたものの、現代でもナックルの顔を担っている。
目的地であるマクロコスモス・バンクは、現存する城の一棟に支社を構えており、ガラルのほとんどの住人が口座を持っているとても大きな銀行だ。
市内で迷うリスクを減らすため、できるだけ銀行に近い場所までダンデを案内したいが、人の出入りが多い銀行の前に降りると騒ぎになる。
「アン、あっちに見える中庭に降りてくれ」
「中庭?」
「ああ。銀行の裏手になるから、人の目もないはずだ」
ダンデが指差した先には、ぽっかりと空いた場所が見えた。穴に吸い込まれるように降りていくと、芝生が敷かれたこじんまりとした庭に着く。
人気はまったくなく、ベンチはあるもののあまり使われていないのか朽ちており、座れば壊れてしまいそうだ。
「こんなところがあったんだ。入ってもいいの?」
「分からないが、きっと大丈夫だろう」
声は杞憂だと笑い飛ばすような明るさだが、内容はその逆で不安を煽る。チャンピオンを送り届けたという大それた名目があるので、目こぼししてもらいたいところだ。
ダンデがアーマーガアから降りたときに、ふと先日のオニオンとのやりとりを思い出した。
「ダンデくん、ちょっと待って」
呼び止めて、アンはカシブのお守りを出そうとポケットに手をかける。グローブの厚く太い指先ではポケットの中にうまく入らず、一旦外してから素手で取り出しダンデに見せた。
「これなんだけど。前にカシブをくれたこと覚えてる? わたしが入院したときに、エルフーンに持たせてくれたよね」
「ああ、覚えてるぜ。あのときは花なんて持ってなかったし、あげられそうなものがカシブくらいしかなかったんだ」
「ふふ。そうだろうなって思ってた。それでね、お守りになるよって聞いて、こうして持ち歩いてるの」
小袋を開け、乾燥して二回りほど小さくなった実を出してみる。鮮やかなマゼンタ色は変色し、表面にはきつく皺が入ってゴツゴツとした感触だが、カシブだと言われれば分かるほどには形を保っている。
「最近教えてもらったんだけど、カシブのお守りは、悪戯しようと近づくゴーストタイプの子たちから守ってくれてるんだって」
「へえ。たしかにゴーストタイプの技を耐える効果があるが、それは知らなかったな」
「わたしも。でもね、野生の子に脅かされなくなったのは事実だし、これを向けると本当に逃げ出しちゃったんだ」
オニオンからは、実が崩れてしまわなければ効力は続くと教えられた。水分が抜けきりぎゅっと縮こまった皮は硬く、ちょっとやそっとでは砕けることはなさそうだが、少しでも衝撃が伝わらないようにと、厚みのあるキルト地で新しく袋を作って入れ直している。
「お役に立てて光栄だ」
「こちらこそありがとう。ダンデくんのおかげで、夜のパトロールも安心だよ」
人の命を糧にする種もいるので、ゴーストタイプには常に警戒を怠ってはならないが、カシブが守ってくれていると分かれば心強い。
実を袋に入れポケットに戻したところで、空いた手をダンデに取られる。軽く引っ張られたかと思うと、彼が頭を下げると同時に、手の甲にやわらかいものが触れた。ダンデの唇だ。
ほのかな熱はしばらく押し当てられたのち、そっと離れていく。伏せていた顔が少し上げられ、金の双眸がアンを見上げる。
「オレはキミの『案山子』だからな」
取られた手がぎゅっと握られる。長い指の先から全身の力が吸い取られる感覚に陥り、アンは呼吸以外のすべての動きを止めた。代わりに心臓は全力で駆け出して、破裂しそうなほどに苦しい。
こちらを窺うダンデの瞳は、何かを確かめているようだ。一体何を、そして答えは見つかったのか。
息を詰まらせるアンの異変を察したように、アーマーガアが鳴いた。それを合図に、ダンデは手を放す。
「送ってくれてありがとう」
礼を伝えると背を向けマントを翻し、近くの通路から石造りの建物の中へと入っていった。
ダンデが見えなくなって、やっと体が動かせるようになり、感触が残る手の甲をもう片方の手で押さえた。
「びっくりした……」
かなり動揺はしているものの、不思議と不快感はない。
手を取り口付けを落とすダンデの仕草は、実にスマートだった。手慣れているのかと思うと、少しつまらない気分になる。
彼の言った『案山子』は、収穫祭で踊りを披露する『麦の乙女』の恋人の意だ。以前に、恋人がいないにもかかわらず麦の乙女を務めたアンの、案山子役を引き受けてくれた。
ダンデが案山子だったのはあの日限りの話だ。そのうえ、あくまでも代わりでしかなく、ままごとのようなものだったはず。なぜいきなり、あんなことを言ったのだろうか。
悶々とするアンに呼びかけるように、アーマーガアがまた鳴き声を上げる。
「ご、ごめんね。行こう」
グローブを嵌め、ゴーグルを装着し、アーマーガアの背に跨る。鳥の姿をしたポケモンの中でも特に大きいため、翼を広げるには中庭は少々手狭だったが、体勢を整え上昇していく。
途中、建物の窓際に立つ男性が視界に入った。目が合う。刹那に視線を交わした相手は、ローズ委員長だ。
――瞬間、背筋に悪寒が走った。アンはアーマーガアに、スピードを上げるよう指示を出し、逃げるようにナックルシティ上空を駆ける。
鎮まっていた動悸がぶり返す。ダンデのときとは違う、例えて言うならば暗闇の中で野生のゴーストタイプに遭遇したときのような恐怖で、ハンドルを持つ手が震えてくる。
いやな予感がする。これは胸騒ぎだ。正体が分からぬ何者かが、手を伸ばして追ってくる感覚に怯え、もっと早くとアーマーガアを急かした。