いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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28

 ひとしきり泣いたホップが落ち着いたところで、マメパトたちのそばから離れ、グループに追いつくためウインディに騎乗して駆けた。
 オレンジグループのガイドには、ホップと一緒に居ることを伝えておいたので大事には至らなかったが、ホップは気落ちしたまま皆と合流し、周りに合わせて明るく振る舞うものの、アンとは決して目を合わせなかった。


 体験会が終わり、参加者は迎えに来た保護者やガイドたちに先導されながら、ワイルドエリア駅の改札を通っていく。
 ホップに声をかけようと思ったものの、ノースエリアでバンギラスの縄張り争いが起きていると連絡があり、招集を受けたため向かわねばならず、他のパトロール隊と共に現場へ急行した。
 バンギラスの縄張り争いは、地形が変わるほどに激しいものが多く、レンジャーが警戒すべき野生同士のバトルの一つだ。
 レンジャーは周囲への被害を抑えるため、非力なポケモンたちを安全に逃がし、トレーナーが近づかないように警戒し続ける。


 ようやく決着がつき、後処理は他の仲間に任せアンはそのまま本部に戻った。
 日報を仕上げる間も、憂いた顔のままホップと別れたことが頭を占めており、作業はちっとも進まない。
 ホップの自宅に電話をして、今回のことを話して謝罪しようと思ったものの、アンの手元には番号が分かるような資料はなかった。担当者に連絡を取ろうにも、体験会の片付けで忙しいらしく捕まらない。
 迷ったが、思い切ってダンデへ、話があるので時間が取れないかとスマホでメッセージを送った。
 多忙なダンデからの返事はいつになるか分からなかったが、日報を提出して本部を出る前にスマホが鳴り、アンは急いで人気がない給湯室に入って応答した。

「忙しいのにごめんね」
『構わない。話があるんだろう? 何かあったのか?』

 後ろめたさから口は重たかったが、体験会中にアマカジが捕食されるところをホップに見せてしまったことを手早くダンデに話した。

「本当にごめんなさい。せっかく来てくれたのに、ホップくんにつらい思いをさせちゃって……」

 目を閉じずとも、啄むマメパトたちを呆然と見つめるホップの、血の気が引いた顔が浮かぶ。もっと自分が後ろを確認しながら移動していれば、ホップをあんな場面へ引き合わせることもなかった。

『気に病まないでくれ。指示に従わなかったホップにも非がある。キミは弟に大事なことを教えてくれたんだ。多少荒っぽさはあったにしろ、ホップもポケモントレーナーを目指すなら知るべきことだったと思うぜ』

 常と変わらぬ穏やかな口調に、アンの心は少しだけ軽くなる。ダンデが言うように、トレーナーになるのならば、ポケモンの生態を知っておく必要がある。
 遅かれ早かれ知ることではあった。けれどあのようにして知ることがよかったとは思えず、アンは悔いることを止められなかった。

『オレから連絡してみる。近いうちにオフが取れそうだから、家に帰るつもりだ』
「ありがとう。ご家族にも、申し訳ないと伝えてくれる?」
『アン、そんなに気にしなくていい。ハロンでだって、ココガラに襲われるキャタピーをホップも見ていたはずだ。キミはレンジャーの仕事を全うしてくれた。あとは任せてくれ』

 ダンデの力強い言葉に、アンは分かったと返事をし、通話は切れた。
 今日会っただけの自分より、兄であるダンデの方がずっとホップのことを理解し、必要であれば寄り添えるだろう。現状、自分ができることはもうない。気にかかるがダンデを信じると決め、本部を出た。



 オフは二日後に取れたようで、業務を終えて帰宅しシャワーから上がると、ホップは大丈夫だったという旨のメッセージがダンデから届いていた。
 詳しくはまた後日と添えられていたので、そのうちダンデがワイルドエリアで迷ったときにでも話してくれるのだろうと解釈し、こちらからあれこれ訊ねるのは控えて、取り急ぎ礼だけ返しておいた。

 ダンデから迷子になった連絡を受けたのは、それから二週間後だった。
 強風が吹いていたため、ウインディに乗って向かったのはナックルシティから出てすぐの場所。
 彼が迷った先は、たいていワイルドエリアの中を歩き回った先――街の出入り口から離れた場所だ。ナックルやエンジン付近で呼び出されることはなくなっていたので、珍しさを覚えつつ、ナックルの城壁が十分に視界に入る場所でアンを待っていたダンデと合流する。

「今日は迷ったんじゃないぜ。ホップの話をしようと思って来たんだ」

 そう言われて合点がいく。ダンデのそばには、彼の案内役をしっかりと務めるリザードンがいる。その賢さを生かして、ワイルドエリアに迷い込む前に引き留める役を担っていたはずだが、意図的にノースエリアに足を踏み入れたのなら納得だ。
 次の予定にはまだ時間があるからと、アンとダンデは近場に腰を下ろした。

「オレが家に帰ったときは、落ち込んでいる様子もなかったし、元気だったぜ」

 開口一番に聞きたかったことを知れて、アンは安堵の息を吐く。

「体験会から帰ってきた日も、たしかにいつもより元気はなかったようだが、はしゃぎ疲れたんだろうと思ったくらいで、特におかしいとは感じなかったらしい」
「そう……」
「むしろ嫌いだった野菜や料理も、文句を言わずに食べるようになったらしくて、いい経験をしてきたんだろうと喜んでいたからな。アマカジの件で、ホップなりにいろいろ考えたんだろう。だからオレからは何も言わなかった。オレが言葉をかけなくても、ホップはアンの話だけで正しく学んだんだ」

 ダンデにそう言われ、アンの心からようやっと重たいものが取れた気がした。
 最後に見たのは憂いた表情だったので、ホップの印象もあの横顔で残ってしまっていたが、こうしてよく似たダンデと顔を合わせることで、体験会を楽しんでいたホップの顔を思い出せ、上書きできそうだ。

「兄弟だけあって、ホップくんはダンデくんに似てるね。なんだかジムチャレンジのときのことを思い出したよ」

 今のホップは、ダンデがチャレンジを始めた年頃に近い。髪型が違うのでパッと見た雰囲気は多少異なるが、顔や背格好はあの頃のダンデとほとんど変わらず、チャレンジャー時代のダンデを知る者ならば、アンと同じようにすぐに兄を思い出すだろう。

「ジムチャレンジか。一回しか経験できなかったが、面白かったな」

 初めてのチャレンジでそのままチャンピオンになったダンデは、今年の防衛が成功すれば、来年で在位十年目になる。たった一度の挑戦で王座についたチャレンジャーは、ダンデくらいなものだろう。

「わたしも。悔しいこともいっぱいあったけど、ジムチャレンジに挑戦しなかったらワイルドエリアに出会わなかったし、エリアレンジャーになろうなんて考えなかった」

 アンもジムチャレンジに参加したのは一回だけだ。ファイナルトーナメントを勝ち進んだダンデと違って、途中で諦めざるを得なかった形だが、チャレンジへの未練はない。

「アーマーガアやウインディ、ラプラスにも会わずに、ポットデスとも縁がなかったんだと思うと不思議。ほんのちょっと違ってたら、みんなと会えなかったんだよね」

 アーマーガアたちとは、そろそろ人生の半分を共に過ごしている。彼らのいない生活など考えられないが、あのときヤローに連れられ一歩を踏み出さなければ、そんな寂しい未来もあった。

「そうだな。強くなるだけでなく、旅をしなければ得られない出会いもチャレンジの面白さだ」
「うん。わたしなんかがガラルのチャンピオンと友達になれるなんて、ジムチャレンジがなかったら有り得なかったもの」

 ヤローたちと違い、トレーナーとしての力量は大したものではないとアンは自覚している。もちろん12歳の頃から成長はしているが、ジムを任せられるような実力はまず持っていない。
 あの年のあのときに、サウスエリアで迷子のダンデと遭遇していなければ彼との縁もなく、チャンピオンになった彼を『チャンピオンのダンデ』としか認識していなかっただろう。彼の人となりや迷子癖、家族のことも、メディアを通してしか知ることはなかったはずだ。
 出会いに感謝する、というと少し気恥ずかしいものだが、ダンデとあの日偶然会えたことは、間違いなくアンの人生にとってプラスになっており、その気持ちを言葉に表すなら、やはり『感謝』になってしまう。
 しみじみ考えていると視線を感じ、横を向くとダンデが自分をじっと見ていた。驚いたものの、避けるのもおかしいと思い、アンも黙って見返した。

「オレはアンがチャレンジャーやレンジャーでなかったとしても、必ずどこかでキミを見つけたと思うぜ」

 きっぱりと断言するダンデに、アンは息を呑んだ。
 何の根拠があるのか、自信に満ちている眼差しから逸らすことができなかった。
 問い返すことも相槌も打てず、声を失くしたアンに、ダンデは言葉を足さない。
 口を噤んで見つめ合っていると、ダンデのスマホから着信音が響き、ようやくアンから目を離して手元の画面を確認する。表示されたアイコンをタップすると、鳴っていた機械音が止まる。

「――はい。大丈夫です。今からアンに送ってもらいますから」

 ダンデは通話を切ると、草地に着けていた腰を上げて立ち、アンに手を差し出した。

「行こう。オリーヴさんに怒られる前に」

 言われ、アンは半ば無意識に、ダンデの手を取った。指先をぎゅっと掴まれ引っ張り上げられると、思いのほか勢いが強く、ダンデにぶつかりそうになったがなんとか堪えた。
 目的地はバウタウンだと告げ、ダンデはリザードンの背に跨った。アンもアーマーガアに騎乗し、ダンデを先導してバウタウンへと指示を出す。
 抱えていた心配事がなくなって楽になれたはずなのに、さっきのダンデの発言が気になり、アンの胸にはまた引っかかるものができてしまった。



 アンがエリアレンジャーに正式に登用され、そろそろ五年が過ぎる。候補生時代を含めると九年。来年には十年だ。
 任せられる業務は多くなり、定時を過ぎて帰ることも増えた。これまでそれほど苦ではなかったナックルからターフへの帰路も、今まで以上に煩わしさを覚えるようになった。
 実家から職場が近いならともかく、職を持った若者の多くは家を出る。父親が家から出したがらないのもあって、アンも実家暮らしに甘えていたが、本格的にナックルで部屋を探す時期が来た。
 不動産屋を訪ねていくつか提示されたものの、アンの希望条件を満たす物件は少ない。治安がそこそこ良く、家賃も控えめ、一人で暮らす部屋となると、すでに良い部屋は埋まっている。
 いくつか諦めれば見つかるが、特に期限があるわけでもなかったのでアンはのんびりと根気よく探し続けた。


 テラスドアを開けて望むナックルの街並みに、アンは心を躍らせた。足をつけたルーフバルコニーは広く、日差しがさんさんと降り注いでいる。
 柵に手をつけ眼下を覗けば通りを歩く人やポケモンがミニチュアに見え、建物の間を縫えばナックルスタジアムが鋼鉄の翼を広げる姿が視認できた。

「素敵。眺めも日当たりもいい」
「気に入った?」
「もちろん!」

 窓に手をかけもたれているキバナに問われ、アンは興奮を抑えきれない様子で明るく返事をした。
 手招かれ室内へと戻り、部屋にあった小さなダイニングテーブルの椅子に腰かける老婦人と向かい合う。机には契約書が数枚広げられ、老婦人の説明に耳を傾けつつ確認し、サインを綴る。

「はい。鍵はこれを使ってちょうだいね」
「ありがとうございます。よければ下までお送りしますよ」
「あら、いいの? じゃあお願いするわ」

 アンはバルコニーでボールからアーマーガアを出すと、その背に老婦人を乗せた。
 今居る場所は、五階建ての最上階。かなりの高所であり、目当ての通りもさほど広くはないので慎重に降下し、老婦人の手を取ってアーマーガアから降ろす。

「ありがとう。アーマーガアがいると助かるわね」
「ええ。何かご用があれば声をかけてください。階段を上がるのは大変でしょうから」
「そうさせてもらうわね。これからよろしく」
「こちらこそ。素敵なお部屋を貸していただき、ありがとうございます」

 礼を述べたアンに老婦人はにっこり笑い、自身の家へとゆっくり歩き出した。
 アンは再び騎乗し、先ほどのルーフバルコニーへ戻ると、アーマーガアをそのままに部屋の中へ入る。

「本当に素敵な部屋。こんな部屋を紹介してもらえるなんて、さすがナックルのジムリーダーだね」

 見回す室内は、リビングとキッチンを兼ねた一室。ソファーやチェストなどの家具は、前の住人がそのまま置いて出て行ったもので、幸いにもアンの趣味に合っている。
 キバナに、この部屋に住まないかと声をかけられたのは二週間ほど前。彼の知り合いだという先ほどの老婦人が、部屋の借り手を探していると紹介された。
 アンがこれから暮らすアパートは、築年数でいえば六十年は経っている。とはいえ、ナックルシティでは古い建物は珍しくもなく、外観はアンティークでも室内は改装を重ねられ、設備も生活に不自由はない程度には整えられている。
 ただこのアパートには一つだけ問題があった。随分と昔に造られたため、大半の建物には備えられているエレベーターがなく、上の階へ進む手段が階段しかないのだ。
 改築工事をしようにも、エレベーターを設置するスペースもないため、上階に住む者は階段を使うか、アンのようにアーマーガアで上がるほかない。

「オレさまは仲介しただけ。部屋を借りられたのはアンだからだよ」

 椅子を引いて腰を下ろし、キバナは長い脚を組んで言う。
 彼がアパートの大家である老婦人から話を受けた際に、彼女が提示した希望がいくつかあった。
 職を持ち、階段のみであることを厭わず、キバナが人柄を保証できる人。老婦人が最も重要視したのが、三つ目だ。

「部屋や建物を汚さず、壊さず、騒がない。家賃を滞納せず、他の住人とも良好な関係を築け、トラブルを起こさない常識を持ってる。自信を持って紹介できる奴なんて、意外といないもんだ」

 キバナが並べた条件は、特別厳しいものではない。部屋を借りて暮らす際の最低限のマナーだ。
 ただ、必ず条件に合うと断言できるかは、その人となりを把握しておかねばならない。紹介者としての責任もある。アンはキバナにとって、信用に足る人物だったということだろう。

「家賃も安くてびっくりしちゃった」
「相場で考えたら倍以上は取られるな」

 エレベーターがないとはいえ、五階の最上階。少々手狭だが、リビングダイニングとベッドルームの二室に、アーマーガアが楽に羽を広げられるほどに広いルーフバルコニー。バスやトイレも完備。シャワーも温水がすぐに出る。おまけにすぐに暮らせる家具付き。
 これ以上ないかなりの好条件にもかかわらず、契約書に記された毎月の家賃は、アンが希望していた額にギリギリ収まった。キバナが交渉してくれて、随分と値引いてもらっている。

「あの人はここ以外にもいくつもアパートを持って、暮らすのに不自由ない収入がある。だから儲けはあんまり重視してないんだ。家賃を安くしてでも、信用の持てる借主を求めてるわけ」
「それにしても安くないかな?」
「賢いやり方だと思うよ。トラブルに対応するために金を使うより、未然に防ぐために損をするのが、あの人にとってコストパフォーマンスが高いんだ」

 キバナが語る大家の老婦人の考えには、アンも納得した。問題が起きて解決するためにかかるのは、金銭だけでなく手間や面倒もある。トラブルの対処に当たるのは、何かと苦労するものだ。
 アパートを多数所有するほど裕福であれば、損をしてでも得になるものを選びたい姿勢も理解できたが、上流家庭育ちではないアンには別世界の考え方だ。

「それで。今日はこれからどうする?」
「とりあえず……何か食べに行こうか。大したお礼にならないけど、ご馳走させて」
「了解。ちょうど行きたい店があったんだよな」

 テーブルの上に置かれた鍵を二本手に取り、アンはキバナと二人でルーフバルコニーに出た。
 鍵のうち、一本はアパート内の共有廊下に通じる玄関のもの。もう一本はバルコニーに面したテラスドアの鍵。以前の居住者が出たあとで、錠の類はすべて交換が済んでおり、用意された鍵は真新しく輝いている。
 しっかり施錠をしたのち、キバナはフライゴンで、アンはアーマーガアで地上へと降り、キバナが行きたかったという店に向かう。

「これでアンもナックルの住人だな」
「そっか。よろしくね、我らがドラゴンストーム」
「ハハッ! いいね。財布の中身は確認したか? ドラゴンの腹は、山を一飲みしても余るぜ」

 普段のキバナの食事量を考えれば冗談にならないと、アンが慌てて財布を取り出し中を見ると、キバナはケラケラと笑った。

20220316