いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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27

 管理局が開くエリアレンジャー体験会には、毎回たくさんの子どもたちが参加する。
 中心となって動くのはワイルドエリアの案内を専門にしたエリアガイド隊で、アンたちパトロール隊は子どもたちと共に騎乗したり、移動する際の補助を担う。
 ダンデの弟のホップも、今回初めて参加している。集合場所である集いの空き地にて、母親と居る姿を見つけた際、アンにはすぐに彼がホップだと分かった。髪色や肌の色がダンデのそれと同じで、目は色だけでなく形までそっくりだ。

「ホップくん、だよね?」

 体験会が始まるまでにはまだ時間があった。受付を済ませて開始を待つホップに、思い切って声をかける。
 ホップはアンよりまだ背が低いので、膝を曲げて視線を合わせると、金色の瞳はアンを認め真ん丸になった。

「そうだけど……お姉さんは誰だ?」
「はじめまして。パトロール隊のアンです。お兄さんやソニアから、ホップくんの話をよく聞いてるよ」

 初対面の相手にいきなり名前を呼ばれて驚いたホップに、ダンデやソニアの名を挙げると、彼ではなく付き添いで来ている母親が「あら」と声を上げた。

「貴女がアンさん? ダンデがいつもお世話になってます。迷ったあの子を迎えに行ってくれてるのよね」
「あ、いえ。こちらこそ、ダンデくんに助けてもらうこともありますし……」

 丁寧な挨拶に慌てて姿勢を正し背筋を伸ばす。口ぶりから察するに、ダンデはアンの話を家族にしているらしい。アンもダンデから家族の話は聞いているのでお互い様だが、なんだか恥ずかしさを覚えた。

「あっ! 候補生だったアンさんか。アニキの友達なんだろ?」
「う、うん。そうだよ。今日は参加してくれてありがとう」

 元候補生としてSNSで話題になったのは一年以上前だというのに、こうして覚えられているのは少し居心地が悪い。
 まだSNSに触れていない子どもたちなら、そもそもアンのことを知らない場合が多かったのだが、兄の友人ということもあってか、ホップの記憶には残っていたようだ。

「アンさんがレンジャー体験会に誘ってくださったのよね。この子もダンデと一緒で、興味があるとつい周りを見ずに熱中してしまうの。言い聞かせてきましたけど、ご迷惑をかけたらすぐに叱ってやってね」
「かーちゃん、心配しなくても大丈夫だって」

 不安を口にする母親に、ホップは頭の後ろで手を組み、白い歯を見せて笑う。確かに兄にそっくりだと、チャレンジャー時代のダンデに重ね、一人懐かしさを覚えた。
 成長したダンデは立派な青年となり、最近ではチャンピオンの威厳が欲しいからと、リザードンの牙に見立てて髭を整えるようになった。もしかしたら将来、ホップもそうなるのかもしれない。
 体験会に参加するのは子どものみで、付き添いの保護者は体験会が終わる頃にまた空き地まで引き取りに来るか、レンジャーがワイルドエリア駅から送り出した子どもたちを自宅最寄りの駅まで迎えに来るようになっている。
 ホップは一人で家まで帰れるから迎えはいらないと母親に告げるが、日が暮れると危ないからと、ブラッシーの駅で待つ約束を取り付けた。

「アンさん。体験会って、アーマーガアに乗ったりできるんだろ?」
「そうだよ。ホップくんは乗ったことある?」
「アーマーガアはないけど、アニキのリザードンに乗せてもらったことならあるぞ!」

 ホップはリザードンに騎乗したときのことを、身振り手振りで楽し気に語る。ダンデたちから聞いていたとおりの元気いっぱいな様子が微笑ましくて、アンも釣られて笑顔になる。
 開始予定時刻が過ぎ、集合するようにと参加者へ声がかかる。体験会を取り仕切るレンジャーが、参加者や保護者に向けて挨拶をし、今回のスケジュールをざっくりと説明した。
 一通り話し終えたところで、保護者の付き添いはここまでとなり、ホップの母は迷惑をかけないようにと再度息子へ言い聞かせ、電車を使って自宅のあるハロンに帰って行った。

「皆さん、受付をした際に色付きのスカーフを受け取りましたね。色ごとのグループに分かれて活動しますので、まずは集まって互いに自己紹介をしましょう」

 エリアガイドが促され、子どもたちは同じ色のスカーフを目印に集合し、名前や住んでいる町などを口にしていく。オレンジ色のスカーフを首元に巻いたホップも、子どもたちの輪の中に入って、仲間の名前を聞きながら自分の番を待っている。

「オレはホップ。住んでるのはハロン!」
「ハロンってチャンピオンの町だよね」
「ああ。チャンピオンなら――」
「ほ、ホップくんホップくん! お母さんから電話!」

 アンは急いでホップに声をかけ、輪から引っ張り出した。ホップは驚きつつも素直に従い、アンが進むあとを追っていく。
 十分に距離を取り、茂みで自分たちの姿が見えなくなったところで、アンはホップに向き直った。

「あのね、お願いがあるんだけど……。ホップくんがダンデくんと兄弟ってことは、内緒にしておいてもらえるかな?」
「えっ? なんでだ?」
「チャンピオンの話題はみんな大好きで、盛り上がっちゃうでしょ? 体験会に集中できなくなっちゃうかもしれないからね」

 チャンピオンの弟と知られれば、参加者の子どもたちの多くはそちらに意識を取られてしまう可能性が高い。
 過去にも体験会にブラッシータウンの子どもが参加し、兄がダンデのスクールメイトだったと話したせいで、学校に通うダンデはどうだったのか、実際に会ったことはないのかなど質問責めに遭っていた。レンジャー体験会だというのに、終始ダンデの話題に熱中する子もおり、グループでの活動に支障を来し、他の参加者が楽しめずに終わったこともある。

「分かったぞ。アニキのことは秘密にしとく」

 ホップは嫌な顔も見せずに、アンの話にすんなりと納得した。

「ありがとう。ごめんね、ホップくんが悪いわけじゃないんだけど……」
「いいんだ。かーちゃんからも、余所でアニキのことをペラペラ喋るなって言われてるからな」

 長年チャンピオンの家族として過ごしていただけに、『ダンデの家族』への反応について理解はあるらしく、ホップはグループに戻ってもダンデの身内であることは一切口にしなかった。
 自慢の兄だろうに存分に語る機会も奪い、せっかく親の目を離れてのびのび活動できる場だというのに、自由に振る舞うことも遮って、アンの胸には罪悪感が芽生えるが、今更どうしようもなかった。



 体験会は、午前中はサウスエリア内を移動し、ワイルドエリア特有の局所的な気象の変化を体験させつつ、生息するポケモンや自生する植物の観察を行う。
 参加者はエリアガイドのバンバドロが引く車に乗り、決められたポイントで降りてはガイドの説明に耳を傾け、植物やポケモンの特徴をスケッチしレポートを作成する。
 蛹の姿で動かないトランセルや攻撃的ではないチラーミィは、野生育ちで人に慣れていなくとも危険性は低く、ラルトスなどは自ら逃げていくほどに気性の弱いポケモンだ。
 しかし、愛らしい外見のチョロネコは隙を見ては人の持ち物を盗み、ウパーは乾燥しないよう毒性を持った粘膜で体を覆っているなど、個々の生態が時として人間への害になってしまう種もいる。
 知識や経験がないうちは、決して軽い気持ちで彼らに接触してはならないと、ガイドは真剣な表情で子どもたちへ言い聞かせ、みんな神妙な面持ちで返事をした。
 アンはガイドの補助としてホップのオレンジグループに付き添い、周囲に危険や異常がないか目を光らせている。無邪気な子どもたちの声は、ポケモンにとって強い刺激になる。遭遇すると厄介な縄張りを避けて回っているものの、何が起こるか分からないのが自然だ。


 予定時刻より若干遅れたものの、エンジンシティ前に着くと、他グループもすでに到着していた。
 ガイドの案内は一旦終わり、今度はパトロール隊が自分たちの仕事を説明する。
 アンは子どもたちへ向け、パトロールとはどんな仕事なのか、どうして必要なのか、巡回中に気をつけていることなどと共に、その楽しさを説いた。
 説明が終わるとポケモンに子どもたちを乗せる時間になり、騎乗した参加者から歓声が上がる。飛行するポケモンの背に乗り、高い位置から見回すワイルドエリアの景色に興奮し、将来はアーマーガアを仲間にすると宣言する子もいた。
 用心を重ね近づくことも控えていたダイマックスの『巣』も、上空からなら安全に確認できる。赤い光が塔のように昇るさまは、ここでしか見られない風景だ。


 騎乗を終えると、ランチのカレー作りが始まる。
 食材や道具は管理局で用意しているものの、作業の中心はあくまでも子どもたちだ。
 自分たちで火を熾し米を炊き、材料を切って炒め煮込んだカレーを頬張る子どもたちは喜色満面にあふれ、おかわりで揉めることはあったが、雰囲気は終始明るいものとなった。


 片付けが済み休憩を取ったあと、午前とは違うコースで集いの空き地を目指す。
 バンバドロが引く車に皆を乗せて進み、半ばまで過ぎると、そこからは徒歩で空き地まで移動する。
 車に乗っているときと違い、自由に歩き回る子どもたちに目を配るのは大変だが、午前中の指導がしっかり行き届いているのか、勝手な行動や無茶をすることはなかった。


 うららか草原に入ったところで、一行の進路とはずれた先で、騒がしい音が響いた。
 子どもたちは音の正体が分からず怯えた表情を見せるが、アンとガイドはマメパトらの鳴き声だとすぐに気づく。
 一匹や二匹ではなく、それなりの数で騒いでいるが、木々や茂みで様子は窺えない。それでも、長年ワイルドエリアで活動してきた二人には、何が起きているのか想像がついた。

「念のため見てきます」
「頼んだ」

 アンが耳打ちすると、ガイドは頷いたあと、

「さあ、みんな止まってないで歩くぞ。ワイルドエリアは街灯なんてないから、陽が沈むと真っ暗だ。急げ急げ」

と子どもたちに言い、ルートから外れないようにと声をかけて歩き出した。
 不安気な子どもたちは素直に従い、午前中には見なかったポケモンに気づいたガイドの説明を聞きながら進んでいく。
 グループの最後尾についていたアンはゆっくり速度を落とし、距離を取ったあと静かに音の出所へと急いだ。
 騒ぎはまだ収まっておらず、念のためボールに手を添えながら、姿勢を低く保ち近づく。
 大きな茂みを見つけ覗き込むと、予想通り複数のマメパトがいた。
 バタバタと羽ばたく翼の隙間に、マメパトではないものを見つけ、やはりと予想が的中したことを知る。
 参加者の子どもたちに危険はなさそうだと安堵するが、鼻先に甘い香りを感じ、思わず顔を顰めてしまう。

「――アンさん」

 不意に声をかけられ、驚いて振り向くと屈んでいるホップがすぐ後ろについていた。

「ほっ……ホップくん、どうしてここに?」
「アンさんこそ。珍しいポケモンを見つけたのか?」

 ワクワクとした顔で訊ねるホップは、どうやら別行動を取ったアンが気になって、こっそり追って来たらしい。

「早くみんなのところへ戻って」
「戻りたくても、戻り方が分かんないぞ」

 促すものの、無理だと返されてアンは頭を抱えそうになった。初めて足を踏み入れた場所ならば当然地理に疎く、アンの姿を頼りにして来た道を把握していないのなら、ダンデでなくとも迷ってしまうだろう。

「じゃあ戻ろう。静かにね」
「待ってよ。あのマメパトたち、バトルしてるんじゃないか?」

 ホップもマメパトたちの姿を目に入れたらしく、彼らの騒ぎはバトルのそれだと思っているようだった。集まって突き合う姿は、そう見えても不思議ではない。

「見ない方がいいから、早く戻ろう」
「野生同士のバトルなんて、見逃すわけにはいかないぞ!」

 腕を取って引っ張るアンに対し、ホップは頑としてここを動かないと抵抗する。
 力づくでと考えたが、静かにこの場を去ることはアンの力だけでは難しい。ポケモンを出して頼むにしても、近くにいるマメパトたちをこれ以上刺激したくもない。
 迷っている間に、ホップは茂みから頭だけを出し、マメパトたちの動きを目で追う。
 街中では滅多に見られない野生のバトルだと目を輝かせていたが、次第に戸惑った色を浮かべていく。

「ねえ……マメパトじゃない……あれって、アマカジ?」
「……そう。アマカジだよ」

 騒いでいるのはマメパトだけでない。集団の声量でかき消されているものの、アマカジの甲高い声も混じっており、よく見れば天辺に緑のヘタをつけた丸い体が、激しく動いている姿に気づける。
 アマカジはヘタを懸命に回し、マメパトたちを追い払おうと必死だが、マメパトたちはその数を生かし、攻撃の手を一向にやめない。
 そのうち、アマカジは力尽きたのか地に伏した。待ってましたとばかりにマメパトたちはその周りに集まり、短いくちばしでアマカジの体をつつき始めた。
 ついばまれ続け、アマカジから放たれる甘い匂いはどんどん強くなる。
 ねっとりと濃厚な香りは、人間にとっては不思議と心が落ちつく作用があるが、マメパトなどにとっては食欲を掻き立てる魅惑の匂いだ。
 アンがホップを見やると、彼の顔色は青かった。大きな金の目は、視線の先の光景をしっかりと捉え、言葉を失くしたように黙りこくっている。
 無理矢理にでも止めるべきだった。アンが悔いていると、ホップが「アンさん」と名を呼んだ。

「あのアマカジ……食べられちゃったのか?」

 震えた声で問うホップに、アンは口をきつく引き結んだ。

「……そうだよ」

 なんとか声を絞り出して答えると、ホップはアンの腕を掴む。

「なんで助けないんだ? エリアレンジャーだろ!?」

 腕ごと体を揺らすホップは、明らかにアンを責めていた。昔のダンデにそっくりな顔に怒りを向けられていることに、アンはそんな場合ではないというのに自分勝手に傷ついた。

「わたしたちエリアレンジャーは、ワイルドエリアの自然やポケモン――環境を守るために活動しているの」

 自分を掴むホップの手に、自分のそれを乗せる。子どもだけあってアンより小さいが、性差からかほとんど変わらない。

「襲われているアマカジを助け続けたなら、今度はあのマメパトたちが餓死してしまうかもしれない。アマカジだって、人間の手で守られ生き続けていたら、その子はもう野生とは言えない。ポケモンの世界には彼ら独自の生態系があって、それはわたしたち人間が手を出して崩していいものじゃない」

 指先に力を入れ、ゆっくりとホップの手を腕から外していく。

「わたしも候補生になった頃は、すごくショックだった。助けられる命を見殺しにするのは気分がいいことじゃない。でもこのワイルドエリアはわたしたち人間のものではなくて、ポケモンたちが生きる場所だから。わたしたちは彼らの邪魔をしてはいけないの」

 今度はアンがホップの手を両で握りしめ、どうか理解してほしいと気持ちを込めた。
 レンジャー候補生になったアンは、自分には知らないことがまだまだたくさんあるのだと思い知った。
 人間が野菜や肉や魚を食べるように、ポケモンたちにも食物連鎖がある。野生の彼らが口にするのはポケモンフードではなく、自然界で得られるものだ。
 植物や果実、魚に日光、土。鉱物、電気、引いては感情や生命エネルギーと様々だが、自分と異なる種であるポケモンも含まれている。
 マメパトたちがアマカジを襲ったのは、ポケモンの世界ではごくごく当たり前のことであり、人間の与り知るところではない。
 ただ、レンジャーとて環境ばかりを考え、すべてのポケモンを見捨てるわけではない。トレーナーからの連絡で瀕死のドラメシヤを保護し、原因が分からないままダイマックスして暴れていたエンニュートたちも一時的に管理局で預かった。
 けれどそういった例外でもない限り、人が介入することは望ましくないとされている。

「だからって……アマカジ、かわいそうだぞ……!」

 ホップの大きな目から、ポタポタと涙がこぼれていく。
 泣いている姿を見ていられなくて、アンはホップの頭を抱え込んだ。自分より一回り小さな体は、鼻や喉を鳴らすたびに跳ねる。
 アマカジの身に夢中なマメパトたちの羽ばたきや地鳴きは、今も止まずに二人の耳に届き、甘い香りは悲しく残り続けた。

20220314