いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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「#甘々」のBL小説を読む
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26

 予想通り、アンはチケットの抽選に外れ、チャンピオンカップ当日は巡回業務に励んだ。
 ダンデの防衛成功を祝う声を耳に入れながら、ターフタウンでは収穫祭の準備が始まる。
 麦穂のオーナメントや人形が町のあちこちに飾られ、店やイベントの打ち合わせで朝から晩までざわついていた。

 収穫祭当日は、家畜や農作物の品評会が行われ、質の良いウールーの毛や作物には高値がつく。
 腕を認められた農家には文字通り箔がつけられ、以降の取引に影響が出てくるとあり、どの家もこの日に向けて優れた一匹や一品を育てている。
 町の至る所で店が開かれ、ターフで採れた野菜や果実、それらの加工品が並ぶ。
 小麦の粉はパンやパイ、クッキーやスコーン。特産品のリンゴはジュースやサイダー、ジャムやソースに。
 ワタシラガの糸で織られたセーターやブランケット。ミルタンクのモーモーミルクで作られた甘いアイスクリームに、バイウールーのメーメーミルクでできた濃厚なチーズ。
 住人たちは行きつけの、観光客は気に入った店で買い付け、通りには買い物袋を下げた人で溢れる。

 収穫祭の目玉の一つに、『麦の乙女の踊り』がある。
 ターフに住む未婚の女性がその年の収穫を祝い、天地への感謝を送り、次の年の豊穣を願って踊りを披露する。麦の乙女の踊りは数百年近く前から続いており、ターフにとって大事な行事だ。
 その昔、小麦が例年の半分も収穫できないほどのひどい不作が何年も続いた際、一人の娘が実りを乞うて天地へ踊りを捧げたところ、願いが届いたのか稀に見る豊作となった。
 以来、毎年ターフ生まれの未婚女性の中から『麦の乙女』が選ばれ、収穫祭で踊ることが通例になっており、今年はとうとうアンが選ばれた。

「似合うじゃないの、アン」

 ヤローの前任である、ターフの元ジムリーダーのペタルが、麦の乙女の衣装を着たアンを褒める。
 生地をたっぷり使ったグリーンのスカートは、ターンする度に満開の花のように翻る。麦を模した金糸の刺繍が華やかな白い前掛けを腰に巻き、熟した実を表す赤い帽子を被るのが習わしだ。
 長く受け継がれてきた衣装は、その年の女性に合わせて何度も仕上げ直されてきた。腹回りはコルセットで締め上げられ、ウエストラインは驚くほど鮮明に浮かぶ。ペタルがぎゅうっときつく締めたので、踊りが終わるまではスコーンの一つも腹に収められない。
 ペタルは麦の乙女の世話を任されており、乙女の衣装の管理や準備、踊りの指導など、すべて彼女が中心となって動いている。元ジムリーダーで顔が広く、ターフ生まれで過去に自身も麦の乙女として踊った経験もあり、世話役にはぴったりの人材だった。

「今日は、子どもたちは?」
「旦那と一緒に店を回ってるよ。下の子も歩くようになったから二人を連れて巡るのは大変だろうけど、『麦の乙女の踊り』はターフにとって大切なものだからね」

 当時すでに既婚だったペタルは、ヤローにジムを任せてから二人の子どもに恵まれている。ペタルを姉のように慕っているアンは、まだ舌足らずな子どもたちを叔母気分で可愛がっており、去年は両親が共に多忙だったため、アンが上の子を連れて収穫祭を楽しんだ。

「アンもとうとう麦の乙女かぁ。こんなに小さかったのにね」

 ペタルは抱えるように腕を組み、赤子だったアンをしみじみと思い出している。オムツの世話もしたことがあるらしいので、彼女にすれば小さい子どもの印象がまだ強く残っているのだろう。

「いい? 踊りが終わっても気を抜いたらだめよ。あんたには『案山子』がいないんだから、ちゃんとヤローのそばについてなさい」

 帽子についている飾りを調整しながら、ペタルはアンに言い聞かせる。
 ペタルが言う『案山子』は、端的に言えば麦の乙女の恋人を指す。
 踊りを捧げた麦の乙女は天地の祝福を受けるので、麦の乙女がいる家は特に実りに恵まれ、富を得られると言われている。
 迷信の類だが、面白がる若者や、半ば本気であやかろうと考える者もおり、踊り終えた麦の乙女に言い寄る男がいない年はない。
 以前には未遂ではあったが乱暴を働くような事件にまで発展し、麦の乙女になりたがる女性は減って、いつしか恋人のいる女性が選ばれるようになった。邪な輩を追い払う役を女性の恋人が担うので、麦畑を鳥たちから守る姿に例え、乙女の恋人は『案山子』と呼ばれている。
 今年は麦の乙女を務める者がいなかったため、恋人のいないアンに白羽の矢が立った。
 当初はアンも断っていたのだが、いろいろと恩のあるペタルに懇願されては跳ねつけることもできず、渋々ではあったが麦の乙女を引き受けることにした。

「本当に来るんですか? そういう人たち」
「最近はずっと案山子のいる子だったから、アンたちは知らないかもね。結構前にも、アンみたいに案山子がいない子にお願いしたら、いろんな奴に声をかけられてたのよ」

 あれは見ていて鬱陶しかった、とペタルは眉間に皺を刻む。話だけはペタルから何度も聞かされているが、実際に目にしたことがないのでアンにはピンと来なかった。
 恋人はいないものの、アンには従兄のヤローがいる。頼れるジムリーダーの彼がアンの案山子の役を担ってくれるなら、さほど不安も感じない。それよりも今は無事に踊りきれるかが問題だと、本番が始まるまでステップの確認に集中した。



 麦の乙女が踊るステージは、ターフ中から集められた数多の収穫物の中央に作られている。
 無数の視線とカメラを向けられながら、ペタルから教えてもらった振りを演奏に合わせて丁寧に辿り、ミスもなく踊り終えると歓声と拍手がアンに送られた。
 ステージから降りたアンは、ペタルに付き添われターフスタジアムに向かう道中、自分に声をかけようと付いてくる男性を数名見つけた。顔に覚えのある者もいれば、まったく知らない顔もいる。
 自分に注がれる不躾な視線に、ペタルの言うことは本当だったのだと恐怖を覚え、歩は自然と速くなる。
 麦の乙女が誰であるかは、直前まで公表されないよう配慮されている。過去に、乙女に選ばれた女性に恋人がいるにもかかわらず、口説こうとする不埒な者がいたからだ。もし前もって発表がされていたならばと考えると、言いようのない悪寒が走った。
 スタジアムはその造りから、部外者の立ち入りを制限しやすい。アンに接触したくともジムスタッフらによって遮られ、案山子の代役であるヤローも収穫祭での出番を終えて戻っている。

「ここまで来れば安心ね。着替えたらあとは自由だけど、くれぐれも一人で行動しないこと。約束よ」

 ペタルは改めて言い聞かせると、スタッフ専用通路にアンを残して来た道を引き返していく。
 麦の乙女以外にも、ペタルは収穫祭でのいろいろな仕事を任されており、いつまでもアンに付いてはいられない。
 一人になると心細いが、ジム内にはヤローが居るはずだ。ひとまず窮屈な衣装を脱ぐため、借りているスタジアムの一室を目指して通路を歩いていると、曲がり角で予想外の人物に出くわした。

「だ……ダンデくん!?」

 目の前に現れたのは、チャンピオンマントを羽織り、キャップを被ったダンデだ。
 名を呼ばれて驚いたダンデは、しばし口を閉じたのちに、

「アンか! 見慣れない格好だったから、すぐにキミと分からなかったぜ」

と言い、ワンテンポ遅れたものの、自身の友人だと気づいた。
 ダンデと顔を合わせるのはいつも決まってレンジャーの制服、もしくはポケモンに騎乗しやすい服装だ。麦の乙女の女性らしい衣装のアンに馴染みがなく、すぐに気づかなくともおかしくはない。

「ダンデさん、どこですかあ」

 なぜここに居るのかと訊ねる前に、スタジアムの通路にヤローの声が遠くから響いた。
 足音と共に、ダンデの後方の角からヤローが顔を見せ、「おったおった」とホッとした顔でこちらへ歩み寄ってくる。

「おや、アンも。もう出番は済んだかい?」
「うん。ねえヤロー、ダンデくんは……」
「スタジアムの裏にいたところをスタッフが見つけて、ぼくのところまで連れてきてくれたんだな。ダンデさん、ちょっと目を離したらあっという間にいなくなったから、びっくりしましたよ」
「すまない。ポケモンの声が聞こえたから、つい気になってしまってな」

 朗らかに笑うヤローに釣られたのか、ダンデは謝罪を口にするも笑顔だ。

「ダンデくんはターフに用があったの?」
「午後から明日まで休みを貰ったから、リザードンに乗ってハロンへ帰る途中だったんだ。ターフの近くを飛んでいたら花火が上がっていて、なんだか賑やかだったから気になって寄ってみた」

 ダンデの話でやっと現状を理解でき一安心したアンに反して、ヤローの表情は曇った。

「わざわざ来てくださったんだし、ダンデさんにもぜひ収穫祭を楽しんでもらいたいんですが……。チャンピオンが姿を見せたら大騒ぎになってしまうし、迷って鉱山にでも入ったら大変なんだな」

 ヤローの懸念にはアンも同感だ。ガラルのスターが突然現れればどうなるか、ダンデの人気を知る者なら想像に容易い。
 また、鉱山に迷い込むことも十分に想定できる。下手をすれば貴重な休日が迷子のまま過ぎてしまうかもしれない。ハロンの家族――特に弟のホップは、たまにしか帰ってこれない兄を待ち望んでいるだろう。

「そうだ。服をお貸しますんで、着替えてアンと一緒に回ったらどうでしょう?」
「えっ!」

 いいことを思いついたとばかりに、ヤローがダンデへ提案する。突然の思いつきに驚き声を上げたのは、ダンデではなくアンだった。

「ぼくは急ぎの仕事が入って、今日はもうスタジアムを出られそうにないんだわ。年に一度の収穫祭じゃ。アンも楽しまねば」
「わたしは別に……今日くらい我慢できるよ。ペタルさんにも、ヤローと一緒に居なさいって言われてるし」
「でもダンデさんを案内するのは、アンの役目だろう?」
「それは……まあ……」

 ヤローの発言にアンは口ごもる。休日でもターフに居ても、連絡があればダンデを迎えに行くことは彼も把握している。

「ぼくじゃなくても、男のダンデさんがそばについていれば、ペタルさんの言いつけも破らずに済むんだな」

 そう言われては強く反論はできなかった。
 ペタルがヤローのそばから離れないようにと言ったのは、案山子の代役に彼がちょうどよかったからであり、頼れる当てが他にあるのなら、正直ヤローでなくとも構わないといった態度だった。とにかく一人にさえならなければいいと。
 わざわざ足を運んだダンデに、ターフの収穫祭を楽しんでもらいたいという気持ちもある。案内したい場所も店も、食べてもらいたい物だってある。
 アンが答えを出す前に、ヤローはダンデを連れて行ってしまった。
 不安は残るものの、まずは着替えなければと借りている一室へ急いだ。


 私服のアンがジムリーダー室を訪ねると、ヤローと着替えを済ませたダンデに迎えられた。ユニフォームではない姿は久しぶりに見たせいか、まるで知らない男性のようだと錯覚する。
 ダンデとヤローは身長や体格が異なるので、借りたのはジムスタッフがたまたま持っていた、スタジアム周りの草刈りで着る作業用の服だ。特徴的な長いバイオレットの髪は、緑色のキャップにうまく押し込んでいる。

「着替えたのか。似合っていたのに」
「あの格好じゃ目立っちゃうから」

 麦の乙女の衣装を脱いだアンは、シャツにジーンズのシンプルな格好だ。ダンデに会うと分かっていればもっと考えて選んだだろうが、収穫祭の人混みを歩くには動きやすい服装がいい。
 人目に付かないようにスタジアムの裏口から外へ出て、まずは腹ごしらえと出店が並ぶ通りに向かう。昼を過ぎてしばらく経つものの、祭りは夜まで続くので、人の多さは午前より増えている。
 隣を歩く男性がダンデだとばれてしまわないか心配だったが、ターフによく馴染む格好のおかげか、試食を勧める女性も品物の良さを説く男性も、相手がチャンピオンだとは気づかなかった。
 一時的にではあるが、チャンピオンとしての立場から解放されたダンデも、祭りの賑わいを子どものように楽しんでいる。ただ少しでも気を緩めるとすぐに離れてしまうので、アンは常に隣を歩く気配に注意を払った。

「あ、いたいた。アン!」

 名を呼んでアンを呼び止めた男性は、かつてのスクールメイトだ。友人と呼ぶほどには親しくもなく、知らない相手とも言い切れない。
 顔を合わせれば挨拶を送る程度の仲だったが、今日はやけに馴れ馴れしく感じる。

「踊りよかったぜ、お疲れ。今年はうちのサイダーの出来がいいんだ。一緒に飲もう」

 そう言うと男性はアンの腕を取る。返事を待たない強引な誘いに困惑していると、男性との間にダンデが体を割り込ませた。

「他を当たってくれないか」

 遮るダンデへ、男性は狼狽えつつも睨むような視線を送る。帽子の鍔を下げ、できるだけ顔を隠しているおかげか、至近距離で対峙してもダンデだとは気づいていない。

「な、なんだよ。あんた誰だ?」

 掴む手から力が抜けた隙をつき、アンは自分の腕を胸へ引き寄せ、反射的にダンデの後ろに隠れる。
 スポンサーのロゴなど一つもついていない広い背で、知人の姿はすっかり見えなくなった。

「案山子さ」

 唐突に落とされた爆弾のようなダンデの発言に、男性もアンも面食らい、呆けた声を上げる。
 今度はダンデがアンの腕を掴み、動揺して静止している男性の脇を抜けて先へ進んでいく。

「だんっ……!」

 引っ張るダンデの名を呼びそうになり、慌てて口を閉じた。
 ダンデは通りをどんどんと進んだ先の、店もない突き当りまで着くとやっと止まる。周りに人の姿はあるものの、皆それぞれで輪を作って話に耽っており、こちらを見やる者は一人もいない。
 足を止めたダンデが振り向く。帽子を深く被っているせいで、彼がアンと視線を合わせるには屈まねばならない。普段と違ってぐっと近づいた距離に戸惑い、アンは思わず後ろに一歩下がった。

「ヤローから話は聞いてる。『麦の乙女』のことも、『案山子』が必要なことも」

 疑問はあっさり解決した。恐らくお互い着替えている間に、ヤローが話してアンのことを頼んだのだろう。

「……せっかくのお祭りなのに、お守りを押し付けちゃってごめんね」
「ははは。オレは楽しんでるぜ。普段はアンの世話になりっぱなしだから新鮮だ」

 周囲に聞こえないように抑えてはいるものの、ダンデは何てことないと明るく笑い飛ばす。裏表のない性格を知っているので、楽しんでいるのは嘘ではなさそうだ。

「アンが構わないなら、オレをキミの案山子にしてくれ」

 さらっと言われ、アンは心臓が止まるかと思った。
 麦の乙女にとって、案山子は恋人の異称だ。ダンデにその気はなくとも、まるで告白を受けたかのような衝撃に打たれ、一瞬でアンの顔に熱が集まる。

「じゃ、じゃあ……今日だけ……お願いします」

 おずおずと頼むとダンデは微笑んで応え、腕を掴んでいた手をそのまま下ろし、アンの手を握り直した。
 平や甲に添えられる肌の熱に、アンは大袈裟なまでにびくついてしまい、ダンデの喉から笑う声が転がる。

「啄まれないようにしないとな」

 繋いだ手を軽く上げ、金の両目をほんの少し細めてダンデが言う。アンに声をかける男性を、麦の穂を狙う鳥に見立てた言葉に、顔どころか全身が熱くなり、合わせていた視線をパッと逸らした。

「……迷わないようにもね」

 なんとかそう返すと、ダンデはまた喉を鳴らすように笑う。普段は大きく通る声が、アンにだけ届くようにと潜められると、いつもよりずっと低く、アンの鼓膜と胸を震わせた。

20220313