いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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 撮影予定の日が近づくと、アンは再び憂鬱な時期を過ごしたが、ダンデが相談に乗ってくれたおかげもあってか、逃げ出すことなく広報の女性と共にワイルドエリアに来ていた。
 ダンデがアンに送ったアドバイスは、『ワイルドエリアで撮影してもらうこと』だった。改まった場ではなく、普段通りのアンを撮ってもらうといいと。
 場所を変えたくらいで事態が好転するのかと思いはしたものの他に当てもなく、当初は管理局の一室での撮影だったのを、勝手に決まった写真の掲載を許可する代わりに、ワイルドエリアに変更させた。
 エリアレンジャーの制服が見えるようにと、フライトジャケットは脱いでいる。騎乗時に欠かせないフライトキャップやグローブも身に着けていないアンを、カメラマンが辺りを見回し良い構図を探してはその場に立たせた。

「表情がかたいね。もっと笑って」

 カメラマンの言葉がアンを焦らせる。笑えと言われても、シャッター音が鳴るたびにアンの緊張感は増して、さきほどから心臓は早駆けしっ放しだ。カメラマンのアシスタントが持つ、銀色のレフ板とやらがアンに向けられるのも、彼女の息苦しさをよりいっそ高めた。

「ちょっと休憩しましょう」

 広報の女性が皆に言うとカメラが下がった。カメラマンを始めスタッフ全員が、用意されたテーブルのドリンクやクッキーなどに手を付け始める。
 アンはまだ終わらないのかとげんなりとした思いで、一団から離れた場所で腰を下ろした。飲み物も喉を通る気がせず、当然お喋りなんてできるわけがない。

「お疲れ様。ほら、アンも飲んで」

 ミネラルウォーターを満たした紙コップを、広報の女性がアンに渡す。
飲む気はなかったが、受け取った手前ほんの少し口を付ける。あとは両手に収めて、紙越しに伝わる冷えた温度を肌で感じる道具になってしまった。

「こういうのが得意じゃないって聞いてるわ。だけど文章をいくら並べるよりも、写真が一枚あるだけで人はずっと興味を持つの」
「それは、分かってます。写真が載るのは納得してますから」

 すでに了承した以上、写真の掲載に関してもう文句を言うつもりはない。
 けれど、文句を言わないことと、カメラマンが望む被写体になれるかは別であり、気を張ってレンズと向き合っているアンには、自然な笑顔一つ見せるのも簡単なことではなかった。

「ねえ。アンがエリアレンジャーになってよかったことって何?」

 女性が隣に座りアンに問う。アンは少し考え、

「自分の世界がグンと広がりました。ワイルドエリアは毎日見ているはずなのに、不思議といつも発見があるんです。レンジャーの道を選ばなかったら、続くことも、繋がれることもなかった縁もたくさんあって……」

と、思うことをそのまま並べ立てた。
 ワイルドエリアはアンにとって楽しく、美しく、素晴らしい場所だ。
 そして候補生になれたおかげでダンデと再会し、彼を通じてキバナと知り合った。すでにガラルを離れたじめんジムの元ジムリーダーのグランとも、レンジャーを目指さなければ再び会うことはなかっただろう。

「そういえばアンって、チャンピオンのお迎えを頼まれてるって本当?」
「えっ」
「隊長からちょっと小耳に挟んで」

 途端に隊長の顔が頭に浮かび、ここ最近のこともあって憎らしくなった。
 ワイルドエリアで迷子になったダンデを迎えに行く役目は、管理局の中でも公にされていない。チャンピオンにまつわる情報は、彼の食の好みですら面白がられ記事になる。彼の立場を考慮し、口外しないようにと局側で取り決めている。
 幸いにも、パトロール隊は全員が似たような格好をし、キャップやゴーグルなどで顔もうまく判別できないため、街へ送り届けるレンジャーが決まってアンだということは知られていない。傍目には、迷子になったダンデがレンジャーの誰かに送られた、という風にしか見えていないはずだ。

「ダンデくんのことは何も話せませんよ」
「もちろん分かってるわよ。チャレンジャー時代からの友人なんでしょ。そういうのいいわね。私は同期とは疎遠になっちゃったから、羨ましい」

 牽制すると、女性は心得ていると返し、友人との縁が続いているアンに羨望を向ける。
 女性はアンや姉よりも、両親の方に歳が近い。思えば両親も友人の多くとは会う機会も減ったようで、『ネットがあるからなんとなく状況が分かるくらいだよ』と言っていた。
 アンはまだターフを離れていないので、ターフの友人や幼馴染みたちとは今もたまに会えているが、もしナックルなどに住むようになれば、帰省でもしないと顔を合わせる回数は少なくなる。
 感傷的な雰囲気が二人の間に流れ、なんとなく落ち着かない。少し温くなった水を飲んで、意を決してアンは口を開いた。

「実は、ここでの撮影をお願いしたのは、ワイルドエリアで撮ってもらうといいって、ダンデくんがアドバイスをくれたからなんです」
「チャンピオンが?」
「はい。『そのままの自分』を撮ってもらうといいって」

 着飾る必要も肩肘を張ることもない。ダンデがそう言ったから、アンは従ってそのままの自分でレンズの前に立ったが、カメラマンにはどうも不評で、そうなるとどうしていいか分からなかった。

「ねえ。撮影しながら、候補生時代のことを話してもらってもいい?」
「え……?」
「ビシッと決めたカッコいい写真を撮るつもりだったんだけど、チャンピオンがそう言うんだもの。かしこまってないアンを撮ってもらおう。取材も今日終わらせちゃえば、アンも時間を割かなくて済むでしょ? ポケモンたちも出して、みんなと一緒のいつものアンで、もう一回挑戦しましょう」

 女性の言い分は、今回の件に関する時間を少しでも減らしたいアンには朗報だったが、撮られながら質問に答えられるかはかなり不安だ。
 迷うアンの返事も聞かず、女性は立ち上がると撮影スタッフみんなに声をかける。どうやらもう手遅れだと、諦めてアンも腰を上げた。



 なんとか撮影を済ませ、人事の男性が整え直したアンのインタビューの文章をチェックし、広報の女性から仕上がった写真を確認し終えると、不本意な大役からやっと解放された。
 せっかくいい写真が撮れたからと、サイトやパンフレットだけでなく、ポスターにも使わせてほしいと頼まれ、重荷がなくなり楽になったアンは、大きくなければとだけ伝えて了承した。

 候補生の募集は、正規レンジャーの採用開始と共に、チャンピオンカップが過ぎてから始まる。ジムや駅などに、募集案内のパンフレットと共にポスターが掲示された。
 広報の女性が気を遣ってくれたのか、写真はポスターの半分も占めておらず、募集の文字の方がずっと目立っていて安心する。

「アン、美人さんに撮ってもらったんだな」

 頼まれて従兄の家へ野菜を取りに行くと、ヤローがにこにこと言ったので、アンは沸騰したように顔が熱くなった。
 ターフスタジアムに掲示されたポスターを見たのだろう。ジムリーダーの権限で剥がしてほしいと頼んだが、当然ながら断られた。
 キバナやルリナ、ソニアからもポスターを見たと連絡が来て、何と返せばいいのかちっとも浮かばず、『恥ずかしいのであまり見ないでほしい』とつれない返事をしてしまった。

 各所に貼られて一週間も経てば、アンの心も落ち着きを取り戻しつつあった。
 掲示期間は長くとも数か月。その日が過ぎれば剥がされ、アンの役目は本当に終わる。
 それまでの我慢だと、なるべく考えないようにしていたのに、キバナからの連絡で、アンはまた頭を抱えた。



 ナックルシティはキバナのホームであり、彼だから知る穴場の店が多くある。
 有名人の彼を客引きに使うことなく、一人の一般客として尊重してくれる店だと案内されたのは、蓄音機で古いレコードを回すひっそりとした喫茶だ。
 出入りのドアから一番離れた陰になる席に、キバナとアンとルリナは座っていた。今日はルリナが、近々行われるイベントでナックルスタジアムに打ち合わせに来ており、皆それぞれ時間を作って集まっている。

「アンも災難だったな」
「SNSって本当に恐ろしいのね。アン、大丈夫?」

 帽子に長い髪を詰め込んだルリナは、サングラスを外して隣のアンに訊ねる。アンはなんとか笑って返すものの、ここ最近の出来事で精神的に大分疲弊しており、笑みは不格好なものとなった。

 事の発端は、候補生募集のポスターを見かけたどこかの誰かが、ポスターを撮影した写真をSNSに投稿したことだった。
 どこかの誰かは、ポスターのアンが素敵だとコメントを添えており、その投稿を友人たちが続々とシェアし始めた。
 当初は内輪だけに広がっていたため、大したことはなかったのだが、SNSで多くのファンがついている有名な女性歌手が、たまたま自らのアカウントでその投稿をシェアしたことにより、一気に拡散されてしまった。
 大半は、自分も歌手と同じものをシェアしたいという欲求によるものだったが、シェア数が爆発的に増えたことにより、次第にアンの写真を無責任に評価する者が出て、好意や悪意を問わない様々な反応があちこちで見られた。
 街中に置かれていたパンフレットは次々になくなり、爆発的にアクセス数が増えた管理局のサイトは、一時的にサーバーがダウンしたという。
 とんでもない騒ぎに気づいた、アンの写真を最初にアップした誰かは、該当の投稿を削除したもののすでに後の祭りだ。アンの名前は、しばらくSNSなどのネット上で頻出するワードにまでなってしまった。

「でもまあ、大体の反応が好意的でよかったよな」
「どこがいいのよ。アンを見るためにって、ワイルドエリアやターフにまで来た人もいるんでしょう? アンの迷惑を考えないのかしら」

 SNSで話題になったアンを見ようと、ワイルドエリアを訪れる人数は増えた。簡単なプロフィールにパトロール隊であると明記していたため、わざと緊急シグナルを発信してパトロール隊を呼び寄せる者が現れ、悪質だとニュースにもなった。
 勤め先の管理局はもちろん、自宅のあるターフにもアンを見てみようと訪問する者が現れ、アンはしばらくナックルの姉の部屋に身を寄せている。ランチや買い物は同僚や姉に頼み、外を出る際もルリナやキバナのように簡単な変装をし、とにかく顔がバレないように気をつけている。

「しかしなぁ。会えないからって幻扱いとは……ミュウと肩を並べたな!」
「ちょっと。笑い事じゃないわよ」
「悪い悪い」

 アンを幻のポケモン扱いして笑うキバナを、ルリナがきつく窘める。キバナなりの冗談だと分かっているし、実際にアンは幻扱いされ、すでにパトロール隊のみんなからも幻や伝説のポケモンみたいだと揶揄を受けている。
 写真のアンはレンジャーの制服姿だが、パトロール中はジャケットもキャップもゴーグルも身に着けているので、パッと見ても同僚たちとの区別はつきにくい。おかげでアンだと気づかれたことは一度もなかった。
 そのため、『募集案内の写真のアンは、管理局側が都合よく作った架空の人物ではないか』とまで言われ始めている。実物を確かめようと躍起になっていた人たちが、一転して架空の存在であると主張し始める様がおかしくて、キバナは笑っているのだ。

「幻のまま、早く消えちゃわないかなぁ」
「あとひと月も経てば、みんなアンのことなんて忘れるさ」
「もっと大きな話題があればそっちに興味がいくものね。キバナさん、ちょっと炎上してくれない?」
「やだよ!」

 淡々とした口調で頼むルリナに、キバナは全力で拒否を示した。SNSでもファンが多く、自撮りや日常の写真の投稿がよく拡散されているキバナは、ちょっとしたことで話題に上がりやすい。
 仮に、良くも悪くも影響力がある彼が、女性歌手のようにSNSでアンのポスター写真をシェアしていたら、この騒動はもっと大きなものになっていたかもしれない。アンはゾッとして、絶対にSNSはやらないと固く誓った。



 キバナやルリナとのお茶を終えたアンは、夜もとっぷり更けた頃、久しぶりにターフの自宅へ帰った。
 ターフをうろついていた、アン目当てだと思われる不審者は、親類や知人らが警察に通報し追い払い続けたおかげで見かけなくなったとの連絡を受け、アンは数週間ぶりに帰宅することができた。
 迷惑をかけたことを詫びつつ、久しぶりの自宅でゆっくりとくつろいだ。姉の部屋は二人で暮らすには狭く、ポケモンたちにも苦しい思いをさせていた。緊急事態だったとはいえ、姉も巻き込んで申し訳ない。
 何か姉へお礼をしようと考えながら、慣れたベッドの心地にまどろんでいると、ソニアからの着信をロトムが教える。寝転がったままスピーカーホンで応答すると、スマホから明るい声が響いてきた。

『こんばんは。今いい?』
「いいよ。電話なんて、何か急ぎの用事?」
『今夜は家に帰れるって聞いてたからさ。久々に話したいなって思って』

 弾んだ声のソニアに、アンの心も釣られて踊りそうになる。
 SNSで騒ぎになってから、ソニアとは会っていない。極力出歩かないようにしており、また姉の部屋で電話をするのも気が咎め、やりとりはずっとメッセージのみだった。

『久しぶりの家はどう?』
「最高。自分のベッドってこんなに気持ちいいんだね」
『お姉さんの部屋ではずっとソファーだったんだっけ? 満足に眠れなかったよね』

 居候の身でワガママは言えないが、二人掛けのソファーでの睡眠は決して良いものではなかった。姉から今夜は帰宅しないと連絡が来ると、ベッドで伸び伸びと眠れることが嬉しく、食事やシャワーを済ませるとそそくさと体を横にしたものだ。

『そうだ。この間さ、ダンデくんが研究所に来たんだ。オフでハロンに帰ってきたから、顔を出しに』

 ダンデの名前が出てきて、アンは身を起こし通話の設定を切り替えてスマホを耳に当てる。ダンデの話題は家族であっても不用意に漏らしてはならないと考え、こうするのがずっと前から癖になっている。
 撮影が終わってすぐに、アドバイスをしてくれた彼へお礼のメッセージは送っている。そのときの返事も、チャンピオンカップで防衛に成功したことを祝った返事も、少し前に届いたきりで連絡は取っていない。忙しい彼に用もないのにメッセージを送ることは基本的になく、これもダンデと連絡先を交換してからずっとだ。

『でね。アタシが駅で持ち帰ってた、候補生募集のパンフレット見せたらさ、その場でじっくり読み出しちゃって』
「えっ……ちょっと、どうして見せちゃうの!?」
『だってダンデくんも気になってたみたいだし。ポスターはスタジアムで見たけど、募集案内は必要な人が取るものだからって、読んでなかったんだって。そういうとこ真面目だよね』

 友人知人たちの中で、募集案内の写真について何もコンタクトを取ってこなかったのはダンデだけだった。
 キバナがよく使っているSNSにダンデ自身のアカウントはなく、彼の情報をいち早く発表しているガラルのポケモンリーグの公式アカウントがあるくらいで、SNSに関してはアンと同程度に疎い。
 それでもキバナや周囲から、アンの話題は耳にしていてもおかしくはないが、実際にダンデがパンフレットを見たと知ると、恥ずかしさで動悸がしてきた。

『持って帰っていいかって訊かれたから、あげちゃった』
「あ、あげ……」

 見られただけでなく、パンフレットがダンデの手に。スマホを耳に当てたまま、アンはベッドに倒れた。

『アンー? おーい。どうしたのー?』

 倒れた音が聞こえたのか、ソニアが心配する声が届くが、答えることができないままベッドの上をごろごろと転がった。
 パンフレットを読んで、ダンデはどう思っただろうか。写真の自分は不格好ではなかっただろうか。
 ヤローやキバナのときよりも、ダンデの目にどう映ったのか考えるのが怖くて、アンはそれから数分、唸るような声しか上げられなかった。

20220309