いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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「#甘々」のBL小説を読む
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 アンのスマホの画面には、記者の質問に答えるルリナが映っている。今年もジムのクラスに変動があり、みずジムはメジャーに上がって、来期からルリナはバウスタジアムを任されることになったため、会見を開いていた。
 就任一年目のルリナの活躍は目を見張るものがあり、新米ジムリーダーの彼女がみずジムを見事メジャーへ引っ張り上げたと、ガラルのポケモンリーグに詳しい有識者が、ワイドショーに招かれ熱弁していた。
 ルリナにダンデにキバナ。アンが親しくなった友人たちは、直接顔を合わせるよりも液晶画面や様々な紙面で見かける方が多くなった。従兄のヤローとですら、互いに職を持ち多忙になったせいか、家族の集まりで会うくらいに頻度も下がっている。
 何らかの媒体を通して友人たちを目にするのは、寂しいという感覚よりも、いまいち現実味がなく戸惑う気持ちが強かった。
 紙に印刷され、スマホの液晶画面に写る人たちは、アンにとっては別世界の人間だった。しかし彼らは確かにアンの友人に違いなく、その辺りの矛盾にいまだ完全には慣れきっていない。

「へえ、そうなんだ。アタシはあんまり考えたことないなぁ。小さい頃からおばあさまが新聞に載ったりテレビに映ったりしてたから、そういうものなんだなぁって」

 エンジンシティの馴染みのカフェで、向かいに座るソニアが口に運んだカップを下ろして言う。夕方前に業務が終わったアンは、ソニアに誘われそのままナックルからエンジンへと足を運んだ。
 学業に専念しているソニアもまた他の友人らと変わらず忙しい身だが、ジムリーダーを担うルリナたちより融通は利きやすい。場合によってはソニアがナックルシティに来てくれることもある。

「『ソニア博士』もいつか有名になって、こうして会うより新聞で見かける回数が多くなったりして」
「もし有名になっても、アンをしょっちゅう呼び出してお茶するわよ」

 仮定の話を振ると、ソニアはあっさり否定した。先のことなどネイティオでもないアンには分からないが、ほんの少し顔を出していたうら寂しい感情は引っ込んだ。

「あっ、ねえねえ。これ見た?」

 ソニアがスマホの画面を操作したあと、アンに見せる。表示されているのは、ユニフォーム姿ではなく、シックな服を着て眼鏡をかけているルリナだった。

「うん。この眼鏡、ルリナにすごく似合ってる」
「元が美人だからどんなコーデもこなせちゃうよね」

 同意だとアンは相槌を打った。みずジムのメジャーに昇格する前から、ルリナは容姿の良さを買われてモデル活動も始めていた。
 当初は地元であるバウタウンの情報雑誌に華を添えていたが、最近ではガラル全土で販売されているファッション雑誌にも、美しく着飾った彼女が掲載されるようになっている。

「メジャーに昇格したから、スポンサー契約の話もいろいろ来てるらしいよ」
「スポンサーかぁ」
「ダンデくんなんかすごいよね。マントのロゴなんて有名企業ばっかり。まあ、それだけ企業の宣伝でこき使われるんだけどさ」

 棘のある物言いではあるが、実際にダンデは企業名が冠されたエキシビションマッチでバトルをし、パーティーやイベントに出席し取材に応じ、テレビやネットCMの撮影など、あらゆる場面で彼の名と顔が使われている。
 当然、チャンピオンとしての業務もある。昔はダンデが幼かったため負担は軽いものではあったが、来年には成人を迎える今となっては任される仕事も多くなり、スケジュールは過密と称しても間違いではなく、そこにダンデの迷子癖で発揮されると、彼のプライベートな時間などほとんどない。

「ダンデくんたちの分まで、アタシたちはゆっくりしよ」
「そうだね」

 特に意味のないことではあるが、さりとてアンたちが友人たちの多忙を引き受けることもできないならば、二人が急いてもそれもまた無駄だ。
 アンはパトロール隊に籍を置いてそれなりに長く、中堅として責任も仕事も増えた。ソニアも祖母の名に恥じぬ成績を修め、首席で卒業することを目標の一つにしている。
 友人たちに比べればかわいいものだが、それなりに忙しい中で得られる休息を大事にしたい。はっきり口にせずとも、アンもソニアも同じ思いだった。



 パトロール隊のオフィスに管理局の人事部が姿を見せたのは、朝のミーティング後すぐだった。パトロールのため準備をしていると呼ばれ、話があるからと隊長と共にオフィスを出た。
 人事に呼び出されることに良いイメージはない。緊張で胃がキリッと痛んだ。インスや同僚たちも、アンへ心配そうな視線を送っている。
 恐々と隊長の後に続いて同じ階にある会議室に入り、勧められた椅子に腰を下ろす。机を挟んだ向かいに座るのは人事部の男性と、なぜか広報部の女性。

「業務も控えてますので早速説明に入りますね。今年は正規レンジャーの採用とは別で、レンジャー候補生の募集も始めることになりました」

 人事部の男性が手に持っていた紙を一枚、アンの前へ置く。

「そこで、候補生だった君にぜひお願いしたいことがあってね。元候補生の『声』が欲しいんだ。例えば候補生時代の充実した時間や、レンジャーの魅力を文章で語ってほしい」
「いわゆる『先輩の声』よ。候補生に興味を持った人へ、どんな活動内容なのか、どういう学び方をしてどういう働き方ができるのか伝えてほしいの。そういう現場の生の声は、応募を考えている人にとってとても気になるものだから」

 紙には人事と広報の二人が口にしたことが、もっと堅い文章で記されている。注意を受けるわけではなかったと一安心したが、しくしく痛む胃はまだ治らない。

「君の声を掲載するのは、今のところ管理局のサイトの募集案内ページと、ジムや駅などに配布する募集要項のパンフレットが決まっている」
「あの……わたしの他にも候補生だった人はいますし……」

 アンは元来引っ込み思案だ。レンジャー候補生になってからは幼い頃と比べると積極的に行動できるようにはなったが、人前に出るのは今でも苦手なのは変わらなかった。
 申し送りで大人数へ話す時間も、慣れただけで好きではない。大多数の人間の目に留まる機会は避けたいのが本音だ。

「貴女がいいの。学業と並行しつつ候補生から登用されたのは貴女だけよ。『史上最年少のレンジャー』という箔もある。ぴったりだわ」

 広報の女性は、ぱっちりと開いた目をアンに向けて力強く断言した。学校に籍を置いていた同期は、成績に影響が出たり学業に専念したいと申し出て、候補生を辞めてもういない。

「管理局には君みたいな良い人材がこれからも必要だ。協力してほしい」

 お世辞だと分かりつつも、二人がかりで説得されては断りづらく、アンは口を噤んだ。
 何もマイクを持って大勢の前で話せと言うわけではない。自分の経験を文面で語るくらいだったら、スピーチに比べ羞恥心も抵抗もない。
 渋々ながら了承すると、すぐにスケジュールの話になったが、パトロールもあるのであとは隊長が話を進めると、アンは一足先に退室した。同僚たちや巡回業務に差し支えないシフトを組み直さなければならないので、隊長はそのためにも呼ばれたらしい。
 『声』の文面を考えるだけなのに予定を立てるなんて仰々しい、と不思議に思ったものの、早く準備を済ませて出なければとアンは急いだ。



 もしアンが過去に戻れることがあれば、あのときあの会議室に戻り、『違和感に逆らうな』と忠告しただろう。
 アンが考えていた『先輩の声』は、まとめられた短い文面が紙面やページの一部に掲載されるくらいだった。せいぜい名前も載るだけだと。
 けれどアンに渡された予定には、『写真撮影』の文字があった。

「写真撮影って……どういうことですか!?」

 渡されたばかりの紙を突き返しながら、アンは隊長へ問いただした。大きな声を上げることなどほとんどないアンに周りは驚き注目するが、当人はそれどころではない。

「アンの写真を撮る日だよ。広報部がカメラマンを頼んでるから、その日は休まないよう体調管理をしっかりね」
「写真なんて、そんなこと聞いてません! 文章だけって……!」
「私もそう言ったんだが、『語り手が見えると興味も湧きやすく、より印象に残る』と言われてね」
「こ、断ってくださいよ!」
「うーん。でももう、オッケー出しちゃったし」

 のらりくらりとする隊長へさらに詰め寄ろうとしたものの、隊長のデスクの電話が鳴り、それに応じてしまったために話は一方的に切られてしまった。
 しばらく待ってみたが、アンが去るまで切るつもりはないらしく、隊長は意図的に話を長引かせているようだ。
 デスクの前で立ち尽くすアンを、先輩女性が引っ張って、備え付けのカフェコーナーまで連れてきた。

「大丈夫よ。アンは可愛いもの。写真だってプロが撮るならいいものになるわ」

 彼女なりに励ましてくれているのは分かったが、アンは撮影そのものを取りやめてほしいので、少しの慰めにもならない。
 候補生募集の案内パンフレットは、ガラル全土に配布される。管理局のサイトに至っては余所の地方からでもアクセスできる。写真には名前と、アンが語った文章も並ぶ。
 考えただけで目の前が真っ暗になり、差し出された紅茶のカップにも手を付けることができず、憂鬱な気分でパトロールのため外に出た。


 ノースエリアの気象予報を確認しつつ、アーマーガアの背に乗って進むアンは、目は地上へ向けつつも、意識はずっと写真撮影のことばかりに囚われていた。
 せめて写真だけは絶対に避けたい。頭の中はそればかりで、口からはため息や、言葉にならないうめき声が自然と漏れてくる。
 パトロールなんてやりたくない。ベッドに転がって現実逃避をしていたい。
 けれどスマホの画面にダンデの名前が表示されれば、アンは彼の下へ急ぐほかなかった。

「来てくれてありがとう。いつもすまない」
「ううん」

 リザードンと共にアンを迎えたダンデが謝意を述べるので、アンは気にしないでと頭を横に振った。にこやかに返せればよかったのだが、鏡を見なくとも分かるほどに、自分の顔の筋肉はかたくなってちっとも動いていない。

「どうしたんだ? 今日は元気がないな」

 普段と様子が違うアンにダンデもすぐに気づいた。

「そう? 昨夜は遅くまで起きてたから、ちょっと寝不足かも」

 微笑みを浮かべ体のいい嘘を吐いたが、ダンデの金の瞳はじっとアンの顔を窺っている。

「何か悩みがあって、オレに話せることなら話してくれないか?」

 真剣な表情で訊ねられ、アンは口を引き結んだ。長い付き合いもあってか、彼はアンの下手な嘘など簡単に見抜いてしまう。
 話せるか否かと言えば、ダンデに打ち明けられないものではなかった。
 ただ、説明するために写真撮影のことを口にするのがとても億劫で、できるなら自分を含めた誰にも触れられたくない、どこかの箱の中に押し込んでおきたい話題だったので、唇は貝のように合わさったままだ。

「覚えてるか? 随分と前に、ソニアとの話を聞いてもらったこと。オレはあのときアンに話して、相談に乗ってもらって、気が楽になったんだ」

 忘れてなどいない。ソニアの気持ちが痛いほど理解でき、ダンデとバトルをしないと宣言した日のことだ。

「今度はオレが、アンの役に立ちたい」

 自分を射抜くような真摯な双眸とその思いに、アンは観念してそっと口を開く。

「管理局が、正規レンジャーだけじゃなくて、レンジャー候補生も募集することにしたんだ」

 ぼそぼそと喋り出したアンの声を聞き逃さないようにか、ダンデは顔を少し近づけつつ、頭をこくんと縦に一つ振った。

「その募集の案内に、わたしの『声』を掲載したいって頼まれているの。元候補生のわたしが、候補生時代に経験したことや、よかったこと……興味を持った人たちに、候補生の魅力を伝えてほしいって」

 陰鬱とした気持ちのせいかハキハキと喋るなどとてもできず、ゆっくりと続けたが、ダンデは急かすことなく黙って耳を傾けている。

「それで……わたしの写真も載ることになって……」

 そこまで言うと、アンはとうとう言葉を詰まらせた。

「いやなのか?」
「……うん。名前や、経験したことや魅力を語って、文章として載るのは構わないんだけど、写真は……」

 渡された予定表の『写真撮影』の文字を思い出すと、あらゆる箇所に錘が吊り下げられたように体が重たい。

「理由を訊いても?」
「理由……恥ずかしいし、それにわたしは…………やっぱり無理。モデルみたいに洗練された人でもないのに、ガラル中に顔を出すなんて」

 パンフレットに自分の顔写真が掲載されることを考えると、ゾッとして背中が冷え、両手で頬を押さえて恐怖を覚えた。
 アンは自分の外見に特別な自信を抱いたことはない。田舎の出ということもあり、都会の女性と比べて垢抜けていないと自覚している。
 とはいえ、目も当てられないほど野暮ったいわけでもない。人並み程度には身だしなみに気を遣い、日常生活では特に困ることもなかったので、さほど気に留めていなかった。
 しかし管理局に身を置き始めナックルを頻繁に歩き、都会育ちの女性を目にする機会が多くなると、次第に引け目を感じるようになった。
 ナックルで数年暮らしている姉も、都会という場所で宝石のごとく磨かれた女性の一人だ。姉妹だというのに、姉はアンと同じ歳の頃には大人の女性としてしっかり成熟していたが、それなりに身なりを整える努力していても、自分は今でも冴えない田舎者のままだと恥を覚え始めていた。
 また、友人にモデル業をこなすルリナがいることも、写真の件を避けたい要因の一つだ。自分と美しい友人を他人が比べるより前に、すでに自身でルリナとの写真の出来を想像し、絶望している。

「オレだってモデルでもないのに、もう何年もガラル中に顔を出してるぜ」
「ダンデくんはチャンピオンだから……」
「そうだな。オレはチャンピオンだ。不満があろうとも、リーグ委員会の意に従うしかない」

 腕を組み、アンから視線を外して、ダンデは長い睫毛が揃う瞼を少しだけ伏せた。

「しかし、チャンピオンに求められたのだから、オレは全力で応じている。替えがきかない、唯一の立場としての責務を全うすることは、オレの為すべきことだ」

 金の両目が大きく開かれ、アンに向けられる。陽光を得て光る色は、写真や映像で見るよりもずっと鮮やかだ。

「元レンジャー候補生の『声』を届けられるのは、君だけなんだろう?」

 言われ、アンは喉がきゅっと締まった。
 広報の女性は、アンがいいとしきりに繰り返していた。学業と両立できたという実例を挙げてアピールするのは、応募を躊躇っている若いトレーナーへの後押しに繋がり、それはアンにしかできないと。
 ダンデと比べれば大した立場ではないが、彼が言うように、今回の件を請け負える元候補生はアンだけだ。

「アンはアンでいい。前にも言ったが、キミはオレが知る中で一番の、素晴らしいエリアレンジャーだ」

 両肩にダンデの手が乗せられる。大きな手のひらから伝わる熱に動揺し肩が跳ねるが、ダンデは構わず指先に力を入れる。

「着飾る必要も、肩肘を張ることもない。そのままのキミを切り取ってもらえばいい。最高の写真になるさ」

 あたたかな言葉をかけられると、アンは少しだけ心が軽くなった。ダンデの力強い声には、信じ込ませる何かがあった。
 とはいえ、すぐに気持ちを切り替えられるほどではなく、アンの顔は浮かないままだ。そのままの自分でいいと言われても、『そのままの自分』そのものに自信がないのだから、問題はあまり解決していない。

「じゃあ一つ、とっておきのアドバイスをしよう」

 なかなか表情が晴れないアンにダンデが言う。今度はアンがダンデの言葉に耳を傾け、彼のとっておきを頭に刻んだ。

20220308