いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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20

 無事に退院を済ませ、アンは予定通り内勤業務に入った。
 足の不自由さに苦労し、勝手を知らないところもあってか、普段の業務よりずっと疲れが溜まったが、あまり話す機会がなかった同僚たちとも親しくなれたのはよかった。
 迷子にならないようにと言っていたが、残念ながら内勤中にもダンデから連絡があった。
 インスに頼んで迎えに行ってもらうと、戻ってきたインスが「アンじゃなくてガッカリされた」と笑いながら話した。
 腫れが引き痛みもなくなり、再診を受けて医師からも許可が下り、アンが巡回業務に戻ったのは、入院から一か月半後だった。

「チャンピオンには業務に戻ったことをまだ教えるなよ。きっとすぐに呼び出される」

 インスから言いつけられ、アンは心苦しいもののダンデには現場への復帰を伝えなかった。インスが言うことは一理あり、復帰からしばらくは無理をするなとも医師から言われている。
 いずれダンデから呼び出されたときに、迎えに行くついでに報告すればいい。
 そう考えていたら、二日も経たないうちにダンデから連絡があった。どこかでアンの復帰を耳にしたのかと疑いかねないタイミングだ。
 ダンデが待つ場所へアンはアーマーガアで駆けた。ノースエリア担当のアンがサウスエリアを飛ぶのは、ダンデを迎えに行くときくらいだ。
 途中、サウスエリア担当のパトロール隊とすれ違う際、「おかえり」と大きな声を投げられた。同じパトロール隊としてアンの入院の件は知っていたのだろう。アンは嬉しくて、片手を大きく振って返す。
 写真から判断したうららか草原に入り、低空飛行で進んでいくと、木の幹に背を預け座っているダンデを見つけた。あちらもアンの影に気づき、腰を上げて手を振る。

「アン!」

 元気いっぱいな声を上げたダンデの下へ着き、アーマーガアの背から降りた。

「もうパトロールに戻ってたんだな。いつ復帰したんだ?」
「昨日から。まさか復帰してこんなに早く呼ばれるなんて思ってなかったよ」
「アンに言われたから迷わないように努力したつもりだぜ。ただ、迷わないようにと思って歩くと、そのことばかり考えて余計に迷ってしまうんだ」

 意識する方がダンデには逆効果だったらしい。彼の取り扱いは難しいのだと、アンは思わず苦笑した。

「元気になってよかった」
「大した怪我じゃなかったからね。わたしもワイルドエリアに戻ってこられてよかったよ」

 離れていた期間は大した日数ではないが、こうしてワイルドエリアの空に帰ってくると、改めてこの大自然への愛しさが湧いてくる。
 無茶をしたつもりはなかったけれど、一歩間違えばエリアレンジャーとしての復帰も危うかったかもしれない。インスや同僚たちにも言われたが、危険な行為はこれまで以上に慎まねばならない。

「それで、どこへ送ったらいい?」
「ナックルシティに頼む。ポケモンたちは休ませたいからアーマーガアに乗せてほしいんだが、いいか?」
「もちろん。じゃあ乗って」

 アーマーガアの鞍へダンデを座らせ、アンは後ろに立ち、足先を鞍のバンドに固定した。自分より身長も体格も立派になったダンデを前に乗せると、ハンドルを掴むのも腕を伸ばしきらないと届かない。

「アン。オレが後ろに回るから、キミが前に座るんだ」

 飛び立とうとアーマーガアに指示を出す直前に、ダンデが後ろを向くので、慌ててハンドルを握る手を緩めた。

「そんなことできないよ。ダンデくんが落ちたら一大事だもの」
「それはキミも同じだ。オレと違って、実際に落ちて入院したじゃないか」

 入院したのは事実だが、うっかり落ちてしまったのではなく、自分の意思で落ちたため事故などではない。

「ダンデくんはチャンピオンなんだよ。怪我をさせたら、始末書どころの話じゃないよ」

 活動中に一般人を負傷させてしまうだけでも処分が下るというのに、チャンピオンであるダンデならば、想像もしたくないほどの厳罰が待っている。ヒビが入っただけでもあんなに痛かった思いを、ダンデにしてほしくない気持ちだってあった。

「だったらこうしよう」

 ダンデは鞍から下りると、ボールからドラパルトを出した。久しぶりの再会を喜び、アーマーガアと高い声を上げてはしゃいでいる。

「ドラパルトなら速いスピードで長時間飛んでもそれほど負担にならないし、もしオレが落ちても助けてくれる。これならオレが後ろでもいいだろう?」

 名前を呼ばれたドラパルトがダンデに擦り寄ったあと、アンの体にもその身を巻いて甘えた仕草を取る。
 少し冷えた霊体を撫でて、小さなため息を吐いた。こうまでして説得してくるのだから、何を言ってもダンデは聞かないだろう。

「分かった。でも怖いからゆっくりね。ドラパルトも、絶対にダンデくんのそばを離れないで」

 それぞれにしっかり言い聞かせ、先にアンが鞍に腰を下ろす。ダンデがバンドに足先を入れ、ハンドルを掴む。後ろから密着され、慌ててアーマーガアに身を寄せるが、大して体は離れない。

「よし。アン、頼む」
「……アーマーガア、上へ。ゆっくりね」

 普段と違う重心に戸惑うアーマーガアを急かさぬよう、不安定なバランスに慣れたところで、ドラパルトを連れてナックルシティを目指す。
 向かい風を避けてダンデが頭を下げると、アンの背中に厚みのある体がぺたりとくっついた。
 強風の冷たさとダンデのぬくもりが混じると、アンは顔が熱くて仕方なかったが、ダンデはちっとも気にしていないようで、意識しているのが自分だけだと知るとさらに恥ずかしく、早くナックルに着くことばかりを祈った。



 今年のチャンピオンカップも、ダンデの防衛成功で終わった。
 ジムリーダーとしてファイナルトーナメントに出場したヤローは、二回戦で負けてしまったものの、新米ジムリーダーとしてはまずまずの活躍を見せた。
 ダンデのチャンピオン六年目を祝うニュースが落ち着いた頃、次年度における各ジムのクラスに変動があり、大きな話題になった。
 マイナークラスだったほのおジムが来期よりメジャークラスへ上がり、エンジンスタジアムを任されると知って、ネットニュースが表示されたスマホを持つアンの手は震えた。
 今のエンジンジムはじめんジムだ。ジムリーダーの青年――グランは、若いながらも第三のジムを任されるほどの実力を持っている若者だった。ニュース記事と共に上げられている写真のグランは、どこか浮かない顔を切り取られている。


 次の休日が来ると、アンはエンジンスタジアムに向かった。
 顔を知っている人はいないかと探したが、アンが来ない間にスタッフの入れ替わりがあったらしく、受付に立つスタッフも、ユニフォームを着たジムトレーナーも、見知らぬ者ばかりだった。
 誰でもいいから声をかけ、グランに会わせてもらえるように頼めないかとロビー内をうろうろしていると、一人のジムトレーナーが先にアンへ声をかけてきた。

「もしかして……アンか?」
「えっ……」
「アン、だろ? いやぁ、大きくなったなぁ」

 男性ジムトレーナーの顔を、アンの記憶と照らし合わせる。目の前の彼に似たジムトレーナーが一人だけ思い当たった。レンジャー候補生について説明を受けたあと、礼を言おうとエンジンスタジアムに来て、グランへの手紙を預けたトレーナー。

「あっ……! あのときは、手紙を預かってもらって、ありがとうございました」
「はは。そんなこともあったな。今日はどうしたんだ?」

 思わぬ再会に慌てて礼を述べると、ジムトレーナーは愛想よく笑い返し、用件を伺った。

「グランさんにお会いしたくて。今はお忙しいと分かってるんですけど……」

 スタジアム内は、シーズンが終わったというのに忙しない雰囲気がある。じめんジムからほのおジムに改装するための工事も入るだろう。アンにとって覚えのあるエンジンジムは、来期までにはもうなくなってしまう。

「ちょっと座って待ってな」

 ジムトレーナーは近くのベンチをアンに指し示したあと、『スタッフ専用通路』と書かれたドアの向こうに消えた。
 ベンチに腰を下ろして、行き交うジムスタッフたちを見ながら、もし会えなかったとしたらまた手紙を渡そうか、何と書こうかと考えていると、専用通路のドアが開いてジムトレーナーが戻ってきた。

「少しだけなら時間が取れそうだ。早く」

 ジムトレーナーに急かされて、アンは彼の後ろに続いて通路を歩いた。
 一般人が通ることのできない場所には、アンも人並みに興味が湧く。手伝いで歩き回ったターフスタジアム内はほとんど知っているが、余所のスタジアムとなると造りも違う。
 奥へと歩き続け、着いた先に掲げられたプレートは『ジムリーダー室』の簡素な文字。ジムトレーナーが扉を開け、中へ入るように促す。
 緊張しつつ入室すると、大きな机の前に人が座っていた。日差しが差し込む窓を背景にしていたため、逆光でうまく見えないが、人影が腰を上げてこちらへ歩み寄ってくるのは分かった。

「アン、久しぶりだな! 大きくなったなぁ」
「それ、オレがさっき言いましたよ」

 アンを迎えた青年へ、ジムトレーナーが揶揄混じりに教えたあと、ドアを閉じて退室していった。

「お久しぶりです。忙しいところすみません」
「構わないよ。ちょっと休憩が欲しいところだったしね」

 グランは応接用の二人掛けのソファーをアンに勧める。アンが腰を下ろすと、向かって右手に配した一人掛けの椅子に座った。
 彼と会うのはジムチャレンジ以来だ。エンジンジムと繋がりが強いのはサウスエリア担当のパトロール隊で、顔を合わせる機会がなかった。ダンデをスタジアムに送ることもあるが、アンは中へ入ることはない。
 数年ぶりに会うと、何を口にすればいいか分からなかった。グランと対面していたのはいつもバトルコートで、こうしてゆっくり話す時間を取ったのは今が初めてだ。

「ニュースで知って来たんだろう?」
「……はい」

 突然の訪問理由をグランは察していた。頷くと彼は小さな笑い声を立て、アンから、脚の低いテーブルの、流れる川のような木目に視線を移した。

「残念だけど、今回のマイナーへの降格は俺の実力不足だ」

 グランの物言いは思ったよりあっさりとしていて、自分の話のはずなのに、まるで他人事のように聞こえる。

「ジムのみんなにはすまないが、ほのおジムがメジャーに戻るのは、俺個人にとっては嬉しいことでもあるんだ」

 意外な発言に驚いていると、グランはテーブルからアンへと、再び顔を戻した。

「じめんジムがメジャーになる前まで、エンジンスタジアムはずっとほのおジムだった。『燃える男カブ』って、アンは知らないか?」
「ダンデくんとのバトルは観ましたが、昔どんな方だったかはあまり……」

 ほのおジムのジムリーダーのことなら、最近のニュースで取り上げられて大体の情報は得ている。
 十年近く前、まだメジャーにいた頃はチャンピオンに最も近いジムリーダーと称されていたり、実際にトップジムリーダーだった時期もあった。
 マイナー落ち後はメジャーへなかなか戻ることができず、このまま引退かと囁かれていたが、今年行われたダンデとのバトルで再び彼に注目が集まり、念願のメジャークラス復帰に繋がった。
 アンもダンデを目当てに試合を観たが、年の功とでもいうのか、カブには十代のダンデやキバナたちとは違う強さを感じた。
 ただ、カブが特に活躍した時期はアンも幼かったゆえに、彼の過去の功績には疎い。父や母たちが熱心に彼のすごさを語るが、アンには『すごい人だった』ということしか伝わっていない。

「そっか。まあとにかく、俺は昔からカブさんのファンだったんだ。でも俺がトレーナーになった頃に、マイナーへ降格しちゃってね。それでじめんジムがメジャーに上がってエンジンを任された。前のジムリーダーが引退を決めたときは、当時ジムトレーナーだった俺がジムリーダーになって……そしてまた、カブさんがエンジンジムのリーダーに戻るんだ」

 カブのことを語るグランの顔は、憧れの選手を語る一ファンの顔をしていた。目が輝いていて、声も明るい。

「チャレンジャーとして俺の前に立った君は、カブさんによく似ていた。諦めず、可能性を追求する姿勢と情熱。実はさ、もしまた君がチャレンジでジムに来てくれたら、ジムトレーナーにスカウトしようと思ってたんだ」

 予想外の話に、アンは目をしばたたいた。

「そう、だったんですか……。でもわたし、じめんタイプのポケモンを連れていないですし……」
「関係ないよ。俺だってじめんタイプのパートナーしかいないわけじゃない。ジムトレーナーに必要な素質が、君にあるかどうかさ」

 そういうものなのかと、ジムトレーナーがどういう基準で選ばれるのか知らないアンは素直に納得した。ヤローもルリナも、パートナーのタイプに合ったジムからスカウトされていたので、てっきり細かい条件があるのだと思っていたが、そういうわけでもないようだ。

「エリアレンジャーの選考中に、アンの名前を見かけたときは驚いたよ」
「あっ……その節は本当にありがとうございました。グランさんがあの場に居てくれなかったら、わたしはこうしてレンジャーになれませんでした」

 すっかり忘れていたことを思い出し、あのときの感謝を口頭で伝えた。彼はアンの恩人だ。

「そう言ってもらえると、声を張り上げた甲斐があった。手紙もありがとう。忙しくて返事を後回しにしていたけど、君の活躍は管理局から聞いていたよ。ケンホロウから落ちた子どもを助けて入院したんだってね」
「は、はい……おかげさまで、今はもう怪我も完治して、現場にも復帰できています」

 ケンホロウや入院の件が知れているとは思っておらず、体が強張った。後ろめたいことはないのだが、一方的に知られているのは居心地が悪い。近所のおばさんがアンの学校での失敗をなぜか知っていたときと、似たような気持ちを抱いた。

「チャレンジ参加への権利を捨てて、エリアレンジャーを目指して次に進む君を見て、俺も改めて考えたんだ。ジムリーダーとしてずっとここで留まっていることを。そういう迷いが、今回のマイナー落ちに繋がったんだろう」

 グランは手を前で組んで、少し背を丸めてアンに顔を近づける。

「まだリーグ委員会にも伝えていないんだけど。さっき君を案内した彼。彼に、来年からジムを任せることにしたんだ」
「えっ!?」

 びっくりして大きな反応をしてしまったものの、衝撃が強く口も体も動きを止めてしまった。この部屋に入ってから驚くことばかりだ。

「俺がマイナーに落としてしまったジムを押し付ける形になって申し訳ないんだけど、『逆境な状況ほど面白い』って、後任の話を快く受けてくれてね。だから俺も、一歩踏み出すことに決めた」

 グッと手元に力を入れる。右手は使い込まれたグローブに指を通し、その手首にはダイマックスバンドが巻かれている。ジムチャレンジの記憶が突風のように蘇ってきた。
 アンはもうすぐ、あのときの彼と同じ歳になる。若くしてジムを背負っていたかつての彼と比べると、一年前にやっと正規レンジャーになれた自分はまだ未熟だ。

「ガラルを出て、余所の地方へ行くことにしたんだ。カブさんもホウエンの出身で、ガラルに来て努力を重ねジムリーダーになった。いつか俺もと思っていたんだけど、なかなか踏ん切りがつかなくて。でも君がエリアレンジャーとして頑張っているのを聞いて、俺も試してみたくなったんだ」

 グランが丸めていた背を伸ばし、体ごとアンの方を向く。

「アン。君のおかげで、俺は勇気を持てた。あのとき、諦めずに戦ってくれてありがとう」

 手を差し出し、礼を述べる彼の顔は晴れやかだ。あの頃の思い出の姿と重ねてしまい、アンは泣いてしまいそうだった。

「わたしも。あなたのおかげで、心から望むものを見つけられました。本当にありがとうございました」

 グローブを嵌めた手を取ると、ぎゅっと握りこまれた。
 何度か上下に振れたあと、どちらともなく離れ、二人で顔を合わせて笑った。グランの目にもうっすら涙の膜が張っている。
 今生の別れにならなくとも、近いものになるだろう。
 いつになるか分からない再会を果たしたときに、彼に胸を張れる自分でいようと、アンは心に誓った。

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