いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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19

 いつものように飛行巡回をし、周囲に目を配り飛んでいると、前方遠くで飛行するケンホロウを見つけた。
 リボンのようにひらひらと流れる赤い頭の飾りで、オスのケンホロウだと分かる。目を凝らすと、その背に人が乗っているのも確認できた。
 ケンホロウはそれほど大きなポケモンではないので、騎乗しているのは恐らく子どもだろう。人を乗せているというのに、ケンホロウはくるりくるりと何度も身を翻しては降下し、見るからに危なっかしい。

「様子がおかしい。近くへ」

 異変を感じ取り、アンがアーマーガアへ指示を出し近づくと、耳に子どもの叫び声が届いた。大声で「助けて」と繰り返してる。

「レンジャーさん! お兄ちゃんを助けて!」

 下から、まだ十代半ばにも満たない少女が、悲痛な顔で見上げ、泣きじゃくりながらアンに助けを求める。背に乗っている子どもを兄と呼んでいるのなら、彼女は妹に違いない。
 アンのアーマーガアが近づいてもケンホロウは高速で飛び続け、背から響く悲鳴は一向に止まらない。

「ケンホロウ! 落ち着いて! その子を落としてはだめ!」

 呼びかけてみるが、ケンホロウは聞く気などないようで、再び高く上昇していく。急降下して少年を振り落とすつもりかと、アンの背に悪寒が走った。

「《こわいかお》!」

 ケンホロウの真下に回り込み、下を向いたところでアーマーガアの技を出すと、動きのスピードは若干落ちたが止まる様子はなく、急降下の姿勢を取った。アンはハンドルを両手でしっかり握り直す。

「《ドリルくちばし》でケンホロウに突っ込んで!」

 アーマーガアが翼を折り、体を回転させながらケンホロウに向かって矢のごとく上昇していく。アンはハンドルにしがみつき、振り落とされないように堪えた。
 鋼の槍のような攻撃を避けるため、ケンホロウは動きをピタリと止める。その位置も予測していたアーマーガアの嘴が直撃し、体が大きく弾かれた。
 腹を天に見せたケンホロウの背から、重力によって少年が落下していく。アンがボールを下へ投げる。

「《コットンガード》!」

 ボールから出たエルフーンへ指示を出しながら鞍の安全ベルトを外し、技を出したばかりで体勢を整えていないアーマーガアの背から飛び出した。
 全力で少年に手を伸ばす。服を掴むと引き寄せて小さな体を抱き込み、来るであろう衝撃に備えた。
 綿を何倍にも膨らませたエルフーンの上に着地できたが、《コットンガード》でもすべての衝撃は吸収しきれず、ポンと跳ねる。
 アンの体が地面に強く打ち付けられ、特に足には一際大きな衝撃と激痛が走った。

「――グッ、アッ……!」

 勢いを殺せず、アンは少年を抱えたままゴロゴロと転がり、岩に頭をぶつけてようやく停止した。
 厚地のフライトキャップで衝撃は軽減されたとはいえ、頭や足の痛みで口の端から悲鳴が漏れそうになるが、息が苦しくて声にならない。
 起き上がることなど到底できず、腕の中の少年が抜けだしてアンに声をかけるが、ろくに答えることもできなかった。

「レンジャーさん! レンジャーさん起きて!」

 少年に応じようと目を開けるが、痛みですぐにまたきつく閉じ、特に痛む足を抱え込むように体を折る。
 少年の妹も駆け寄るが、子どもの二人はこの事態に適した対応が分からず、ひたすらにアンを起こそうと呼びかけ続けた。
 綿の嵩を減らしたエルフーンや、ケンホロウを遠ざけたアーマーガアもそばに付き、アンを見下ろして不安げな声を上げる。

「ロトム……シグナル……」

 アーマーガアの鞍にセットしていたスマホが飛び出し、中に入っているロトムが緊急シグナルを発信する。
 すぐにシグナルを受けた管理局本部のレンジャーが応答すると、アンは痛みに耐えながらも現状を報告し、救助要請を頼んだ。



 幸いにもアンの怪我は、あれだけの高所から落下したにもかかわらず、全身の打撲と左足の骨にヒビが入った程度で済んだ。
 ただ着地の際に頭を打ち付けたので、運び込まれたナックルシティの病院で、そのまま入院することになった。

 ケンホロウの背に乗っていた兄と妹は、ジムチャレンジに参加していたチャレンジャーだった。
 妹はルーキー、兄は今年で三年目の若きトレーナーで、兄妹二人でジムを回っていたという。
 チャレンジ中にワイルドエリアでキャンプをしていた際、たまたまケンホロウが彼らのキャンプへ遊びに来た。しばらく過ごし、仲良くなれたと思った兄が興味本位でその背に乗ったところ、ケンホロウが怒って空へ飛び上がり、少年を振り落とそうと暴れ出した、というのが今回の事の顛末だ。
 管理局から連絡を受け迎えに来た両親は兄を叱りつけ、妹と共に今年のジムチャレンジを棄権させてしまった。可哀想だが、両親の心配を思えば口を挟めない話だ。
 アンが駆けつけなければ死んでいたかもしれないとあって、病室へ見舞いに訪れた少年は、アンが心配するほど青褪めた神妙な顔で、怪我をさせたことを謝った。

「あなたたちが無事でよかった。自分のパートナーではないポケモンと触れ合うときは気をつけて。それから、今回のことはとても怖かっただろうけれど、ポケモンと距離を置くんじゃなくて、これからもたくさん勉強してね。いろんな性格や生き方をすることを知って、尊重して接すれば、ポケモンもあなたたちをむやみに傷つけることはないから」

 今回の件はレアケースだ。ケンホロウはプライドが高いポケモンで、縄張りに入った者を追い出す以外で、自ら人間に近づくことは少ない。気まぐれで彼らのキャンプに入り込んだのだと思われる。
 仲良くなれたと少年が思ったのであれば、ケンホロウもそれなりにキャンプを楽しんではいたのだろう。
 しかし、『プライドポケモン』に分類されるケンホロウが、主人でもないトレーナーを背中に乗せるなど許すはずもない。ケンホロウの生態に詳しくない少年の無知さと無遠慮が重なって、不運な事故に繋がった。
 少年は今回のことを深く反省し、もっと勉強するとアンに約束した。
 彼の妹からはお礼の絵を貰った。アンだというレンジャー姿の女性の絵の横には、『レンジャーのお姉さん、ありがとう』のメッセージが添えられ、院内のスタッフに許可を貰って枕元に飾った。

 入院中に行う予定の検査がすべて終わるまでに数日を要した。アンの件と別で大きな事故がノースエリアで起き、病院へ急患が多く運ばれ、検査の順番が前後したためだ。
 ようやくすべての検査が終わって、結果も問題ないと医師から報告を受けた。
 明日には退院できるらしく、手続きのための書類を事務員が持って訪ねてくるというので、アンはベッドの上でのんびりと雑誌を読んでいる。骨をこれ以上傷めないよう、歩くことは控えているので、雑誌を買いに行くのも人に頼まねばならない。
 移動が困難なこと以外には病院生活に不満はないが、心配事があった。
 入院してから一週間も経っていないが、いつダンデから迷子の連絡がくるかとひやひやしている。
 数年前に比べ頻度は減ったものの、今でも一か月に一度は呼ばれていた。
 どうかこのまま連絡もなく退院し、足も治ったあとで呼び出されたい――その願いは、スマホの通知音によって砕かれた。

「ここは……巨人の腰かけ辺りかな」

 ダンデが送ってきた写真で場所の当たりをつける。念のため写真も転送し、インスにダンデから連絡があったことをメッセージで伝える。もしダンデが迷子になっていたら、アンの代わりにインスが迎えに行ってくれることになっている。
 了解したとインスから返信が来て、アンはダンデに、いつものようにその場を動かないようにと送った。インスが迎えに行くことは伏せる。明日退院するのだし、入院していることをわざわざ伝える必要もない。目的地まで送るだけなのだから、アンでなくとも大丈夫だ。

 事務員が退院手続きの書類を持って病室に入り、書き方やサインが必要な箇所の説明を受けてしばらく経った頃。
 書類への記入を終えて、雑誌の続きを読んでいたところ、病室のドアがゆっくり開き、隙間から人の目が見えた。
 不気味な光景に驚いて小さな悲鳴を上げると、インスが顔を突き出し、無言で病室内を見回す。

「い、インスさん……どうしたんですか?」
「一人か? 誰か来てないか?」

 アンの病室は個室だ。入院当初は四人部屋に入っていたが、病院側の都合で今の部屋に移された。

「誰もいませんよ。わたし一人です」
「そうか、よかった」

 見舞客も医療スタッフも不在だと伝えると、インスは大袈裟に安堵したあと、ドアを大きく開いた。

「だっ……!」

 インスの後ろから現れた人物に驚く。まるで子どもがお化けの真似をするように、頭からシーツを被って病室へ入ってきたのは、チャンピオンのユニフォームを着たダンデだ。
 大声を上げそうになると、インスが指を立てて、静かにとジェスチャーで伝えるので慌てて口を手で押さえた。

「ダンデくん? どうして?」

 突然の訪問に目を丸くするアンに、ダンデはぎこちなく微笑んだ。

「病院のスタッフに頼んで、こっそりここまで通してもらったんだ。チャンピオン、私は屋上で待っています。あまり長居はできませんので」
「ああ、ありがとう。恩に着ます」

 インスはアンへ手早く説明し、ダンデに告げ終えると、そそくさと一人で部屋を出て行った。
 残されたダンデはシーツを取って手元で簡単に纏めると、どこか所在なさげに立ったまま、ベッドで半身を起こしているアンをじっと見る。

「入院してるなんて、どうして教えてくれなかったんだ」

 声に怒気は含まれていないが、責めるような口ぶりにアンは苦く笑う。

「ごめんね。大したことじゃないから、余計な心配をかけたくなくて。だからソニアたちにも……」
「分かってる。言わないぜ」

 アンの入院を知れば、ソニアはわざわざナックルまで見舞いに来るだろう。勉強で忙しいソニアの時間を奪いたくはない。アンが最後まで言わずとも意を察し、ダンデは口外しないと自ら約束した。

「足にヒビが入っただけだよ。頭も打ったけど、小さいコブができただけで検査も問題なかったから、明日には退院するよ」
「そうか。入院したと聞いて驚いたが、安心した」

 ダンデの顔が明るくなる。病室に入ってからずっと、それこそダンデの方が病人のように気分が落ちているように見えていたので、やっといつものダンデの表情が戻ってきた。

「退院したあと、パトロールはどうするんだ?」
「しばらくは椅子に座って仕事かな。でもまたすぐに迎えに行けるようになるよ」

 ヒビの入った箇所が落ち着くまではしっかり固定しておかねばならず、徒歩での移動も不自由なうちは、騎乗も控えるように医師から説明を受けた。
 インスが上司に話を通してくれたおかげで、退院後は本部での内勤にシフトを変えてもらっている。完治すれば巡回業務に戻り、またダンデを迎えに行けるだろう。
 話を聞き終えたダンデは、口元は弧を描いているものの、顔からは明るさがまた失われている。

「迎えに来てくれたのがアンじゃなくて、びっくりしたぜ」
「驚かせちゃってごめんね」
「いや。アンはオレを煩わせたくなかったんだろう。オレも入院なんてしたら同じことをしたと思う。だというのに、あの人に悪いことをした。本来の仕事を放ってわざわざ来てくれたのに、アンのことを無理に聞き出して、病院まで連れてきてもらって」

 申し訳ないと憂いた表情を見せるダンデを不思議に思いつつ、その顔に視線を送っていると、それに気づいたダンデがアンの目から逃れるように、わずかに目を横へ逸らした。

「最初は、『今日はアンは休みだから』と言われたんだ。でも休みだとしても、アンがそのことも伝えず、オレを迎えに来てくれないなんておかしいだろう? アンに何かあったなら教えてほしいと、まあ、強く頼んだんだ」
「強く……?」
「……その……つい、な、リザードンを出して、バトルを……」
「それは強いなぁ」
「……すまない」

 ダンデはシーツを抱える腕にギュッと力を入れ、眉尻を下げてアンに謝った。
 答えないならバトルで勝負しよう、とインスに詰め寄りでもしたのだろうか。すぐに想像できてしまい、怒るなどという感情よりも、可笑しさが上回りアンは笑った。

「不安だったんだぜ。アンが、オレを迎えに来るのが嫌になったのかと思って」
「えっ? わたしが?」

 笑われたことに拗ねたのか、ダンデがこぼした思いも寄らぬ発言にひどく驚き、彼が不意に現れたときよりずっと大きな声を出してしまった。

「前に、『休みの日も構わず呼び出すなんて可哀想だ』とキバナに言われたんだ。でもアンはいつも嫌な顔一つしないで来てくれるから、気に留めてなかった。アンのことは、キバナよりオレの方がずっと知っている自信もあったから」

 確かにダンデが言うとおり、彼を迎えに行く回数は、キバナと会う頻度よりは多かったかもしれない。
 しかしダンデが知らないだけで、おそらくキバナも言わないだけで、キバナがナックルのジムリーダーになって以降は、彼と顔を合わせる機会が増えたことはあえて口にしないでおいた。今言えば話がこじれてしまう。
 それに親しさでいえば、キバナよりも以前から付き合いのあるダンデの方が、少しだけ勝るかもしれないのは事実だ。

「今日、アンのアーマーガアじゃない影が見えて、心臓が止まるかと思ったんだ。どうしてアンは来ないんだろうと。来られなかったのか、それとも来たくなかったのか――考えたら、あの人を問い詰めてしまった」

 ダンデはインスの姿を見て、キバナの言葉が真実なのかもしれないと心が揺らいだのだろう。彼はよくも悪くも物事に対して素直な見方や反応をする。心配をかけさせたくないというアンなりの配慮だったが、かえって不安にさせてしまった。

「じゃあ、しばらくは迷子にならないように気をつけてね。わたしがアーマーガアに乗れるようになったら、またいつもみたいに呼んで」

 アンがそう言うと、ダンデの下がっていた眉尻はようやく上がり、その顔にも普段よく見せる快活な表情が戻ってきた。
 メッセージが届いたとアンのスマホロトムが知らせ、画面を確認するとインスからだった。そろそろ病院を発たねばまずいらしい。

「ダンデくん、もう行った方がいいみたい」
「ああ、そうだな。屋上だったか」
「うん。あ、ちょっと待って」

 ベッドの上から、すぐ脇のチェストの天板に並べていたボールを一つ手に取る。ポンと放ると、中からエルフーンが飛び出して、アンのベッドに着地した。

「エルフーン、ダンデくんを屋上まで案内してあげて」

 頼むと、エルフーンは小さな手を挙げ答えた。足の具合がよくないアンに代わって、医療スタッフや姉たちが、時々ポケモンたちを外に連れて行ってくれている。太陽に近い屋上までの行き方は、エルフーンなら把握しているはずだ。
 ダンデはシーツを被り直して、エルフーンの後に続いて病室を出ていく。手を挙げるダンデにアンも返し、ドアはパタンと閉まった。
 念のため、インスにダンデがエルフーンと共に病室を出たことを知らせ、彼に迎えに行ってもらうようお願いした。一匹と一人がかりならなんとかなるだろう。
 ダンデの迷い癖をよく知っているだけに心配だったが、しばらく待つとエルフーンだけが元気に戻ってきた。インスからもダンデと合流した旨のメッセージが届き、ようやくアンは胸を撫で下ろし、起こしていた体を倒した。
 エルフーンはベッドに飛び乗ると、アンに何かを突き出した。横にしたばかりの半身を再び立てて、アンはエルフーンの小さな手が抱えている物を認め、受け取る。

「これ、どうしたの?」

 渡されたのは《カシブの実》だ。皮は薄いマゼンタ色で、開きかけの花の蕾のような形をしている。濃厚な甘みを持っており、ガラルでは採取場所も限られているので、どちらかといえば貴重な実の一つだ。
 なぜエルフーンが持っているのか不思議だったが、遅れて渡されたメモを見て、ダンデからの贈り物だと知る。

「お見舞いの品、ってことかな」

 ダンデはアンの入院を知ってそのまま病室へ来たのだから、花や果物なんて当然用意していない。おそらく手持ちの中で一番花に見えるだろうカシブを選んで、エルフーンに渡したのだろう。
 メモの紙はインスから伝言をもらう際に、何度か目にしたことのある柄が印刷されている。インスから一枚貰ったに違いない。
 綴られた『いつもありがとう』の文字に、アンは早く退院して、またアーマーガアたちとパトロールに出られるようにならなければと、エルフーンのふかふかの綿を撫でながら思った。

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