いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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18

 新年度が始まる少し前から、ターフタウンはちょっとしたお祭りのように沸いている。
 アンの従兄のヤローが、ターフスタジアムのジムリーダーに就任したからだ。
 ターフを任されているくさジムのジムリーダーは、前々から家業に専念したいと考えていたようで、ヤローをジムトレーナーにスカウトしたのも、いずれジムリーダーを継いでもらうためだったとアンたちは聞いた。
 ヤローは若いトレーナーの中でも屈指のくさ使いであり、愛想もよく人柄もいい。ターフの住人の多くが新米ジムリーダーへ温かい目を向け歓迎している。

 アン一家はヤロー宅に招かれ、ヤローのジムリーダー就任を祝う、身内だけのちょっとしたパーティーに参加した。
 当初はヤローへのお祝いムード一色だったが、親戚が集まれば話題はヤローから家業や近所の話など、結局いつもと変わらぬ世間話が中心になった。
 パーティーは夜が更けても続き、アンはワインを飲み交わす大人たちから離れたダイニングで、一つ残ったトライフルを口へ運びながら、ヤローと向かい合っている。

「祝ってくれるのは嬉しいが、あんなに飲みすぎたら明日の仕事に響くんだな」
「伯父さんはお酒強いから平気だよ。うちのお父さんの方が心配」

 リビングで笑い声を上げる自身の両親らを見ながら、お開きはいつになるのかとぼんやり考えた。
 ヤローの弟は寝かしつけられ、アンの姉は一人暮らしをしているナックルに戻ったためもういない。
 両親を置いて先に家へ帰ってもいいのだが、そうするとヤローを一人残してしまう。本日の主役である彼に片づけを任せるのもどうかと思い、ダイニングの椅子に座ってもう一時間は経つ。

「ジムリーダーはとっても忙しいんだってね」
「だなあ。でも任されたからには、しっかりやらなきゃいかん」

 微笑む顔は、昔とほとんど変わらない。今年成人のはずだが随分とあどけなさが残り、子どもと間違えられてもおかしくない。
 しかしジムトレーナーに加え、農作業やウールーたちの世話に腕力が求められるからか、ヤローの体は筋肉が目立つようになり、腕の太さなどアンの脛どころか腿に近い。彼の父も体が大きいことを踏まえると、もしかするとさらに筋肉質な体型になるかもしれない。
 ふと、自分が非力なせいでダンデに心配をかけたことを思い出し、体を鍛えなければと思うが、具体的に何を始めたらいいか分からない。あとでネットで調べてみようと決めたところで、ヤローに呼ばれた。

「アンはルリナさんと仲が良かったよな?」
「ルリナ? うん、友達だけど」
「そうかあ……」

 質問に答えると、ヤローは眉を下げた。

「ルリナがどうかした?」

 わざわざルリナの名を出したヤローに問うと、ヤローは両親たちがこちらにまったく関心がないことを確認してから、重たげに口を開いた。
 ヤローとルリナは、同じ時期にジムトレーナーとなった縁で親しくしていた。共通する苦労もあったからか、愚痴をこぼしたり励まし合ったりと、気心の知れた友人として交流していたが、去年の暮れ頃から態度がつれなくなったらしい。

「ぼくが何かしたなら謝りたいんじゃが、連絡しても返事がないんだわ。もしかしたら体調でも崩しとるんじゃないかと、心配でな」

 肩を落としてため息をつくヤローが、いつかのダンデと重なる。チャンピオンになってからソニアに避けられていると落ち込んで、自分はどうすればいいのかとアンに助言を求めた。
 もしかしたらルリナは、あの頃のソニアと同じ気持ちをヤローへ抱いたのかもしれない。
 ルリナは今年もみずジムのジムトレーナーだ。同じスタートラインに立って進んでいたのに、ヤローだけが先にジムリーダーに就任したことがショックだったのでは――ただの憶測だが、有り得ない話ではない。

「分かった。ルリナと話してみるよ。でもわたしも、ほとんど連絡が返ってこなくなったから、あまり期待はしないでおいて」
「ああ、それでもいい。お願いするんだな」

 アンを頼ることができてホッとしたのか、ヤローの表情から強張りが解ける。
 自分だけでなく、ソニアに対してもルリナからの返信は少なく、会おうとしても仕事を理由に断られてばかりだ。ヤローにお願いされたからではなく、純粋に友人としてルリナの異変が気がかりだった。
 けれどもし、昔のソニアと似たような理由だったならば、彼女から打ち明けられるまで待った方がいい気もする。
 アンはどうするべきか悩みながら、重荷を下ろして元気になったヤローの、ウールーたちの話に耳を傾けた。



 アンの姉は、カレッジを卒業後は進学をせず、ナックルシティで職を見つけ、寮を出たあとはアパートを借りている。
 管理局の本部も同じナックルにあるため、候補生時代から姉とはよく顔を合わせ、部屋に泊まることもあった。
 業務を終えて日報を提出し管理局を出ると、ひどい土砂降りが石畳に打ち付けていた。天気予報ではこの雨は夜中まで続くらしい。パトロール中は悪天候でも飛ばざるを得ないが、仕事が終わったあとではさすがに濡れて帰りたくはない。
 姉に連絡を取り、泊まっても構わないと返事をもらって、アンは合鍵で姉の部屋に入った。
 いつも泊めてもらう礼として、部屋の掃除や家事を引き受けることにしている。夕飯は姉が買って帰ってくるそうなので、アンはまず出しっぱなしの服や小物を拾った。
 テイクアウトした夕飯を持って姉が帰宅すると、二人で小さなテーブルにつき、遅めのディナーが始まる。

「アンも来年は成人だし、そろそろ家を出たら?」
「考えてはいるけど……」

 ターフからの通勤は何年も続けているので慣れているが、不便な面は多い。時間もかかるし、今日のように天候が悪ければ帰宅も難しい。
 もし部屋を選ぶならと、注意するべき点や重視すべきことを挙げる姉の話に相槌を打ちながら夕食を済ませ、シャワーのあとはブランケットを借りてソファーで横になり、姉が起きて支度をする頃に目が覚めた。

「今日は休みなんでしょ? 出ていく前に洗濯物を干しておいて」
「うん。あ、服借りるね」
「黒のワンピースは着ないでよ。明日着るつもりだから」

 姉は準備が済むと、アンが作った朝食を掻きこむように食べ、バッグを掴んで出勤した。
 頼まれた洗濯物を干し、クローゼットを覗く。姉の好む服はアンには少々派手で、なるべくシンプルなものを選んで、借りたナイトウェアから着替えた。
 部屋が広くないので、数匹に分けてポケモンたちをボールから出して食事を摂らせたあと、キッチンや室内を片付け、自分のためだけに入れた紅茶で一息いれる。
 いつもであれば昼前には帰宅しているが、今日は姉に一人暮らしを勧められたこともあり、アンはフライトジャケットを羽織らず近くの不動産屋に足を運んだ。
 ナックルに住むにしても、まずは家賃の相場などを知ってから計画を立てなければならない。
 不動産屋は姉のアパートから通りをいくつか過ぎた先で見つけた。大通りに面した一階の窓に、部屋の間取りと金額を記したチラシが貼られている。

「うーん……高い」

 太字で印字されている金額は、どれもアンの想定より高く、一瞬にして一人暮らしのへの意欲が潰えた。
 もう少し安い物件はないものかと探してみるが、アンの希望に添う金額は見つからない。

「アン?」

 名を呼ばれてチラシから顔を離すと、ジムのユニフォームの上にいつものパーカーを羽織ったキバナがそばに立っていた。

「やっぱりアンか。レンジャーの格好じゃないと、なんだか別人みたいだな」

 そう言われて振り返れば、キバナと私服で会ったことは一度もなかった。初めて顔を合わせたのも候補生時代で、彼がジムリーダーになってよく会うようになってからも、アンはレンジャーの制服以外でキバナの前に現れたことはない。

「なに? 部屋探してんの?」
「ちょっと見てみただけ。ナックルの家賃ってこんなに高いんだね」
「あー……ここに貼られている部屋は、人気のある地区ばかりだからな。場所や条件を選ばなかったらもっと安く住めるぜ。安心や便利と引き換えだから、オススメはしないけど」

 チラシを一通り見てキバナが言う。金額と共に明記されている地区名は、人気のある住宅街をはじめ、駅や商業施設の近く、スクールやカレッジの周辺など、多くの人が住みたがる場所だ。狭い割に高いのは、安全や利便性を含んでこの値段なのだろう。

「キバナくんはナックルに住んでるんだよね?」
「ああ。リーグ委員会から補助金は出てるけど、家賃の半分にも足りてなくてさ。でもポケモンと暮らすことを考えると、広さと設備に妥協はできないし、頭の痛い問題だよ」

 今年からジムチャレンジの最後の砦、第八のジムを任されることになったジムリーダーでも、家賃問題には悩むらしい。キバナに関してはパートナーの管理も仕事のうちなので、ポケモンたちに住みやすい環境を重視し、ここに掲示されている倍の家賃を払っていても不思議ではない。

「友達とシェアするのは?」
「今のところ当てもないし……できれば一人がいいかな」

 部屋を借りる若者の多くは友人たちと部屋をシェアしている。一部屋を共有する形や、キッチンやバス、トイレのみ共有するなど、スタイルに合わせて募集しているアパートもある。
 シェアをすれば安く住めるが同居人との相性が悪いと苦痛でしかない、だから一人暮らしできる部屋を見つけたのだと姉が言っていたので、アンも狭くとも一人で暮らせる部屋が希望だ。

「ちょっと早いけどランチに行かないか? この近くでよさそうな店を見つけたんだ」

 通りの奥を指差してキバナが誘う。キバナとのランチはもう珍しいものではない。
 わざわざ姉の服を借りて部屋を検討しに出たのに、高額な家賃を前に早々に諦めたアンにすれば、ランチの誘いは気分転換にもよかった。
 行くと返事をする前に、アンのスマホが鳴る。通知欄にはダンデの名前。ワイルドエリアで迷ったようだ。

「ごめんなさい。ダンデくんを迎えに行かなくちゃ」
「ダンデを? 今日は休みじゃないの?」
「休みだけど、でも約束してるから」

 休日だろうと夜だろうと、アンはダンデに呼ばれたら駆けつけるようにしている。チャンピオンであるダンデを、ワイルドエリアから送り届けるのは自分の役目だ。

「アンも根っからのレンジャーだな。じゃ、ランチはまた今度。ダンデによろしく」
「うん。誘ってくれてありがとう。またね」

 キバナに見送られ、アンは姉の部屋に急ぐ。すぐにレンジャーの服に着替えて向かわねばならない。その場を動かないようにといつものように返信し走った。



 ジムチャレンジ期間中は、各スタジアムがある町や市は特に賑わうが、反面ジムのない地域は静かだ。
 閑散さを求めて、その時期だけジムのない町で暮らす人もいるらしいが、産まれたときからスタジアムのあるターフで暮らしているアンには、一時の騒々しさから逃げたいと駆られる人の気持ちはあまり理解できなかった。
 ブラッシータウンはチャレンジのシーズンが始まっても終わっても、常に静かな町だ。そこへ足を運んだのは、ポケモン研究所に居るソニアと会うためだった。

 希望していたエンジンシティのスクールに編入したソニアは、スクールがない日は祖母の助手と称した手伝いや、自分の研究を進めるために、ほとんどの時間を研究所で過ごしている。
 研究とはいうものの、具体的な方向性やテーマを決めるところから躓いており、並行して務める祖母の手伝いはなかなかハードなようだが、それなりに楽しい日々を送っているようだ。
 距離を置いていたダンデとの仲も、少しずつ以前のような関係へ戻ってきているようで、ダンデ自身からもソニアから久々に連絡があったのだと嬉々とした報告を受けている。
 アンがワイルドエリアで見かけたポケモンの珍しい行動を話すと、ソニアだけでなくマグノリア博士も興味を持って聞き、時には見解を述べてもらい、アンにとって有意義な時間となった。

 数時間ほど滞在したのち、お暇することにしたが、ブラッシーに来たついでにちょっとだけブティックに寄ることにした。
 ターフにも服屋はあるが品数は少なく、オシャレより農作業に重きをおいた活動的なものばかりだ。
 ブティックへの道を進んでいると、前を歩く人影を目が捉えた。少し青みがかった、ミッドナイトブルーの長く美しい髪。後ろ姿だけでもスタイルのよさが分かるシルエット。

「――ルリナ!」

 名を呼んで駆け寄る。振り向いたルリナはアンを認めるとひどく驚いた。

「アン……」
「ルリナ、久しぶり。元気だった?」

 息を切らしながら訊ねると、ルリナは黙ったままゆっくりと頷くが、その瞳はアンを捉えてはいない。

「なかなか会えないから心配だったんだ」
「……迷惑かけて、ごめんなさい」
「迷惑なんて、そんな」

 ルリナは物言いはいつもハキハキとしている。芯をしっかり持ち、常に物怖じしない態度はアンが憧れる一面だが、今日は言葉の歯切れも悪く表情は浮かない。

「せっかく会えたんだし、どこかでお茶でもしない?」
「……悪いけど、もうバウタウンに戻らないといけないから」
「……そっか」

 不意の再会に喜ぶ素振りも見られず、視線も合わせないまま断られた。拒絶されたことが少しショックだが、気まずさで逃げ出しそうになる足に力を入れ、留まるために踏ん張った。

「一つだけ、訊いてもいい?」

 答えはなかったが立ち去ろうとはしない。よい、ということだとアンは判断した。

「ヤローのこと、嫌いになった?」

 青い瞳がきゅっと細くなる。アンの方はちっとも見ようともせず、ブラッシーの街角の、看板や花壇や、消火栓や電灯へと視線が迷う。

「……嫌いじゃないわ」

 沈黙ののち、提示されたのは否の返事だった。

「ならいいんだ。それだけでも聞けてよかった」

 訊ねたいことは山ほどあったが、一番に知りたかったことが確認できただけでもいい。気休めではなく、ヤローに事実として『嫌われていない』と伝えることができる。
 答えたあとも、ルリナはソワソワと落ち着きがない。

「ヤローくん、私のことで、何か言ってた?」

 今度は彼女がアンに問うた。

「連絡が返ってこないし、避けられてるし、何か悪いことしたのかなって、悩んでた」

 ヤローが言っていたことをありのままに伝えると、ルリナはふっくらとした唇を噛んだ。言いたいことがあるのに言えない。アンからそう見えた。

「ルリナがヤローを避けてるのは、ヤローがジムリーダーになったからだよね」

 細い肩が跳ねる。海育ちだからか、彼女は日頃から腕を出すような薄着を好むので、今日も袖のない服を着ている。決して華奢ではないが、女性らしい丸みは残しつつも、ほどよく締まったバランスの取れた体躯は、毎日のトレーニングを怠らない彼女の努力の証だ。

「置いて行かれたって、思ったの?」

 アンの言葉に、ルリナは俯けていた顔をパッと上げる。やっとアンと目が合った。

「自分勝手なのは分かってるわ。でも今は、ヤローくんと前みたいに話せそうになくって……」

 憶測を口にされたことへの怒りなのか、図星を指されて狼狽えているのか、ルリナの吊った両目はさらに吊り上がっているものの、反対に眉尻は下げられている。

「アン、お願いがあるの。みずジムのジムリーダーが今年で引退を考えていて、ジムトレーナーの中から後任を決めるつもりなの。私、選ばれてみせる。絶対にジムリーダーになってみせる。だから今は……その……集中、していたいの」

 額に手を当て言葉を詰まらせるルリナ自身も、まだ他人に説明できるほど思考が感情に追いついていないのだろう。

「うん。ヤローのことはわたしに任せて。ソニアにも、全部は伝えないけど、今は離れて応援しようって言っておくから」

 皆まで言われずとも、ルリナの求めるものが何かはアンには察せられた。アンでなくとも、この場に居たのがソニアでも分かっただろう。彼女もかつて、ルリナのように悩み苦しんでいた。
 ルリナは安心したのか、疲れたように一度目を閉じた。青いアイラインがわずかによれている。

「ありがとう……本当にごめんなさい。ワガママばかりで」

 久々に聞いた穏やかな声に、アンは笑顔を返す。

「いいの。ヤローもソニアもね、ルリナを心配してただけ。ルリナが元気ならいいんだ」

 一時はルリナの身に何かあったのではと案じていたが、体調に問題がないのならば皆にとっても一安心だろう。

「私、恥ずかしいわね。ヤローくんやアンたちが心配してくれてるのに、自分の事しか考えられなくて」

 ままならない自分に憤りを覚え、ルリナの顔は陰る。誰よりも彼女自身が、以前と変わらぬ態度でヤローやアンたちと接したいと考えているのに、うまくやれない歯痒さに苦しんでいる。

「周りがどんどん先に進んじゃったら、焦る気持ちは誰にだってあるよ。わたしだってそうだった。ルリナは今が頑張り時なんだよね。ジムリーダーになったときは、また三人で集まってお祝いさせてね」

 ジムチャレンジを三つ目のエンジンスタジアムで断念せざるを得なかったアンは、先を進んでいたソニアやダンデへ一時は複雑な思いを抱えていた。
 ソニアもチャンピオンになった幼馴染みへ引け目を感じ、ここ数年ずっと自分探しに奔走した。
 ルリナがヤローを避けるのも、ヤローを友人や同期、そしてライバルと強く意識してのことで、多少気持ちは急いているものの、ヤローを追う形でジムリーダーになるべく励んでいる。
 アンたちがルリナにしてあげられるのは、彼女が戻ってこられる場所を確保しておくことくらいだが、それこそが最も望むことでもあったらしく、ルリナは瞳を潤ませながら「ありがとう」と呟いた。

20220227