いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


15

 テントから透ける朝日に瞼をくすぐられ、アンはふっと目を覚ました。
 自室とはまったく異なる視界に、ここはどこだろうかと寝返りを打つ。長い睫毛を揃えて眠るダンデに気づき、キャンプをしていたことを思い出す。
 時間を確認すると、日の出から数十分経ったくらいで、起床予定にはまだ早い。二度寝を考えたが、ダンデをシュートへ送ってナックルの管理局本部へ戻る時間を考えると、悠長にまどろむ時間はあまりなかった。
 寝袋から這い出て、軽く身支度を整えテントから出ると、寒さに体がぶるりと震える。まずは暖を取りたいと、マッチで火を熾す。
 薪をくべて炎を大きく育て、高く昇っていく太陽を眺めていると、背後のテントから音がした。

「おはよう」
「おはよう……アンは早起きだな」

 ダンデの瞼はまだ完全には上がりきっておらず、声も寝起き特有のかすれたもので、アンの隣に座ると大きな欠伸をする。肩を越えた後ろの髪は、寝癖なのか判別がつかない跳ね方をしている。

「ダンデくん、髪伸びたね。切らないの?」
「切ろうと思っても時間がなくてそのままだったんだ。そうしたらローズさんが、いっそ長くした方がいいと言うんで、伸ばすことになった」
「長くした方がいいんだ?」
「バトルのときは風がよく吹くから、髪が長いと動きが出て、『映える』らしい」

 オレにはよく分からないけれど、と続けたあとにも、また一つ欠伸をし、両目の端に涙の珠を作った。
 チャンピオンともなれば、見た目すらも本人の思うようにはできないのか、と同情したが、その不自由さをダンデ自身はさほど苦には感じていないようだ。元からあまり容姿に頓着していないのだろう。
 焚き火の熱で体を温めたあと、二人で朝食の準備をし、ポケモンたちと共に食事を摂る。
 火を消し、テントを畳み、バイオチップを混ぜた灰や炭以外何も残さないよう片づけを終え、騎乗するアーマーガアやリザードンを残し、ボールへ入るようにポケモンたちを促した。

「ドラメシヤ、おいで」

 アンがドラメシヤのボールを見せると、ドラメシヤは逃げるようにダンデの背に隠れた。

「どうしたんだ? 早くボールに戻らないと、ここに置いて行かれてしまうぜ」

 ダンデが後ろを向いて言うが、ドラメシヤはダンデの腕に霊体の身を絡ませ、離れようとはしない。
 ドラメシヤの予想外な行動に動揺しつつも、アンは既視感を覚えた。

「もしかして、ダンデくんについていきたいの?」

 アンが訊ねると、ドラメシヤはそうだと言わんばかりに大声で鳴き、今度はダンデの頭を抱えるようにしがみつく。

「ダンデくんを好きになっちゃったみたいだね。すごいなぁ。一晩でこんなに懐かれちゃうなんて」

 アンたち以外の人間やポケモンを怖がっていたドラメシヤが、まさかたった数時間ほど共に過ごしたダンデにこれほど心を許すとは。驚嘆すると同時に、ドラメシヤのポジティブな変化をアンは喜んだ。

「好いてもらえたのは嬉しいけど、この子はいずれ譲渡会で新しいパートナーを探すんだろう? 勝手に連れて行くのはまずいんじゃないか」
「そうなんだけど……」

 ドラメシヤはインスから預かっているだけで、アンのポケモンではない。譲渡会に参加できるようになれば、そこでドラメシヤに合うパートナーを探してやるつもりだった。

「ダンデくんはどう? インスさんに話して許可が出たら、この子を引き取ってもらえる?」
「もちろんだ。この子がオレを選んでくれるなら、オレは全力で応えるぜ!」

 なんともダンデらしい返事だった。アンがダンデに巻き付いているドラメシヤに近づくと、引き離されることを恐れてか、頭を低くして構える。

「ねえドラメシヤ。ダンデくんはチャンピオンなの。たくさんバトルするのがお仕事なんだ。あなたはどう? バトルは怖くない?」

 ドラメシヤに無理強いはしたくなかった。人語はすべて通じはしなくとも、それなりに人と過ごしたポケモンは相手の意を汲めると聞く。
 試しに説得してみると、ドラメシヤは短い声を幾度も上げ、目にも止まらぬ素早い動きを見せる。覚えている技の一つ、《でんこうせっか》だろう。

「分かった。ダンデくんに引き取ってもらえるように、わたしがインスさんにお願いするから。だから今日はわたしと一緒に帰ろう。手続きが終われば、ダンデくんと一緒に居られるよ」

 語りかけるアンを、ドラメシヤは黄色の目で見つめ返す。完全に理解するには難しい話だとは思うが、アンは言葉以外にドラメシヤへ伝える方法をまだ知らない。

「ドラメシヤ、オレたちはまた会える。そのときオレは、キミのパートナーだ!」

 ダンデがドラメシヤを両手で抱え、満面の笑みでそう言うと、伝わったのか定かではないが、ドラメシヤは一声上げると自らボールに触れ中へと入った。
 ボールをしまうと、アンたちはすぐにその場を発った。
 気流を読み、安全な進路を選んでシュートシティまで飛び、目的地であるシュートで一番大きなホテル、ロンド・ロゼ前でダンデを下ろすとそのままナックルへ急ぐ。


 管理局本部に着いたのは、始業時間の30分前。シャワーを浴びたり着替えたいところだが、まずはインスを探した。
 手っ取り早くスマホで連絡を取り、カフェでテイクアウトの順番に並んでいると知り向かう。インスには毎朝通っているカフェがあり、そこでコーヒーとキャラメルスコーンを買ってから本部に出勤するのがルーティンだ。
 行き違いにならないようにと、インスはカップを手にして店の前でアンを待っていた。

「おはようアン。朝からどうした?」
「おはようございます。ドラメシヤのことで相談が」

 アンはインスと共に、走ってきた道を辿り直して本部へと歩を進めた。ドラメシヤがダンデを気に入り、ダンデも引き取る気があることを手短に伝える。

「そうか、チャンピオンか! ドラメシヤのやつ、なかなかお目が高い」
「どうですか? ドラメシヤもダンデくんにすごく懐いてるし、ダンデくんなら前のトレーナーみたいなことは起きないはずです」
「チャンピオンなら身元も人柄も知れてるし、アンがそばで見ていたなら、面談や審査の必要もないだろう」

 他の誰でもないダンデならと、インスは引き取り手続きに必要な書類を用意しておくと言い、夕方に取りに来るようアンに言った。
 今日の巡回業務を終え、書類一式をインスから受け取ったアンは、すぐにダンデへメッセージを送った。返信があったのは帰宅後で、二日後にナックルスタジアムを訪れるらしく、そのときに会えるよう約束を取り付けた。



 二日後の午後。アンは半休を取り、レンジャー姿のままスタジアムに入る。
 受付スタッフに名乗って用件を伝えると、すでに話は通っていたようで、一時間ほど待ちはしたものの、ダンデと会うことができた。

「わざわざ来てもらってすまないな」
「こっちこそ、忙しいのに時間をありがとう。早速なんだけど、これに目を通したらサインをお願い」

 大きな封筒から書類を数枚出し、引き取る際の条件などが並べられた紙を見せ、口頭で説明を加える。ダンデは相槌を打ちながら読んだあと、引き取り人の枠にサインをした。

「これでいいか?」
「うん。手続きは完了」

 チェックをし、必要な項目すべてにダンデのサインを認めて書類を封筒へ戻したあと、アンはドラメシヤの入ったボールをダンデに差し出す。
 ダンデはすぐには受け取らず、なぜかアンがそうしているように、自分もボールを突き出してみせた。

「このボールは?」
「あのときゲットしたヤバチャだ。やっぱりオレじゃなくてアンのそばに居たいみたいだぜ。アンに似た女の子を見かけると、勝手にボールから出てきてしまうんだ」

 ダンデの言葉に反応してか、アンを前にしてか、ボールは手の上でゆるく左右に揺れた。

「レンジャーは人から譲ってもらうのもだめなのか?」
「ううん。譲渡は禁止されてないよ」

 捕まえることは禁じられているが、トレーナーから譲り受けることは認められている。譲渡会で引き取った仲間を活動の相棒にしているレンジャーもおり、不遇な身に置かれたポケモンたちを引き取ることはむしろ奨励されている。
 あのときのヤバチャは、そんなにも自分を気に入ってくれたのか。ポケモンからの好意は、人から向けられるものと少し違う。理性よりは本能が勝って生きる種である彼らが向ける気持ちは、どれも偽りない感情だ。ヤバチャは純粋にアンを好いてくれている。嬉しいと、つい顔がにやけてしまった。
 交換する形で、ダンデの手にはドラメシヤの、アンの手にはヤバチャのボールが渡る。
 途端にそれぞれのボールがパカンと開く。中から現れたヤバチャはアンを見て喜び、くるくると踊るように周りを浮遊する。
 ダンデを見れば、彼もまたはしゃいだドラメシヤが体のあちこちに身をこするので、くすぐったいと声を上げて笑っている。
 こうしてアンとダンデは、それぞれ新しいパートナーを迎えることになった。



 ドラメシヤはドロンチに進化したと、引き取ってもらった日から数か月ほど経った頃にダンデからメッセージが届いた。
 臆病だったドラメシヤは、先人のリザードンたちともすっかり打ち解けて仲良くしているようで、賑やかな写真も添付されている。
 写真をインスに見せると、来年はシュートスタジアムで活躍する姿が見られるかもしれないなと笑った。今年のチャンピオンカップをあと数日に控えた日のことだ。

 チャンピオンカップ当日はシフトで休みをもらった。
 とんでもない倍率のチケットは持っていないし、今年は自宅でゆっくりとテレビ観戦をする気でいたが、前日にソニアからメッセージが届き、彼女の家にお邪魔することにした。
 ソニアの自室は女の子らしいカラートーンでまとめられ、彼女の私物がそこかしこに飾られ、あるいは放置されている。
 本棚の隙間に無造作に突っ込まれた、アンティーク調の花柄のエプロン。
 ドレッサーの鏡の前に並ぶ、箱から出されてもいないたくさんのコスメ。
 そして今ソニアが手に取っているのは、鉛筆と練りゴムだ。

「アン、もうちょっと顎を引いて」

 言われて、アンが顎を引くと今度は「引きすぎ」と指摘され、望む位置を探すのに少し苦労した。
 今度はコスメから絵画の道に舵を取ったらしく、人物モデルになってほしいと頼まれ、用意されて椅子に座ってソニアへ横顔を見せている。
 約一年弱、化粧についてあれこれ研究したものの、ティーンのお小遣いでは望むコスメを気軽に買えない不自由さに耐えきれず、すっかり気持ちは落ちてしまった。
 しかし色の合わせ方や重ね方は、同じくコスメ好きのルリナも褒めるほどのセンスがあったので、ならばと水彩画を始めることにしたようだ。
 モデルをするのは、単純なことながら疲れる。同じ姿勢で動かないというのは体が凝るし、何より暇だった。
 まずは鉛筆で下書きだというからすぐに終わるかと思えば、もう20分は経っている。
 視線の先にある壁に貼られたワンパチの写真を、もう穴が空くほど見ている。音楽や映画を観ながらならまだよかったが、ソニアの集中を邪魔するのも躊躇いがあり、アンはただ前を向き続けた。
 鉛筆の走る音に混じって、アンのスマホから小さなベルが鳴る。
 ロトムの名を呼んでスマホの画面を見せてもらうと、ニュースアプリが速報として、ダンデのチャンピオン防衛が今年も成功したことを告げていた。

「ダンデくん、勝ったんだって」

 横顔を見せたまま、スマホの画面に詳しい記事を表示するようロトムに言う。
 スクロールして読んでいけば、挑戦者は今年もキバナで、大接戦の末に勝利を収めたダンデのポーズが写真として切り取られている。三本指を立てた左手を天へ突き上げた姿は、実に堂々としている。

「そう」

 ソニアの返事は短く、億劫なものに聞こえた。ダンデの話題は禁句ではないが、チャンピオンカップのことについては、ソニアは時々敏感な反応を示す。
 二人の間には、キャンバスに引かれる鉛筆の音だけがしばらく続いた。

「ダンデくんが言ってたよ。『チャンピオンになってからソニアに避けられてる』って。『嫌われたんだろうか』って」

 ピタリと音が止まる。かえって耳鳴りがしそうなほどに、しんと静まったソニアの顔を見やる。イーゼルに固定されたキャンバスに目を向けていつつも、鉛筆を握る手は膝の上にあった。

「ソニアはダンデくんを嫌ってないし、今はいろいろあって忙しいだけだから、ダンデくんはダンデくんのお仕事を頑張って、って返したよ」

 正確ではないが、大まかには間違えてはいない。ダンデは嫌われておらず、今はソニアを放っておいてやればいいと伝えたことだけがソニアに分かれば、彼女にとってそれが一番欲しい答えだと思ったからだ。

「ありがと……」

 密やかな礼と共に、ソニアの口からは長い息が落ちた。

「余計なお世話だった?」
「ううん、全然。アンがダンデくんと繋がっててくれてよかった」

 アンの問いに、ソニアは満面とはいかないものの笑みを見せる。
 数年前なら、ソニアがアンとダンデを繋げていた。ダンデの連絡先も知らず、彼の近況はソニアの口伝でしか知りようがなかった。
 セミファイナルトーナメントで戦ったあの日から、ソニアとダンデの距離は――少なくともソニアからすると、彼との距離は世界中の誰よりも遠くなったのかもしれない。

「アンはエリア管理局に入ってもう三年経つよね。候補生はいつまで?」
「今年までかな。スクールを卒業したら正式にレンジャーとして登用される予定だから」

 脈絡のなさに虚を衝かれたものの、話題を変えたいソニアの意を汲み取って、今現在自分が把握している状況を簡単に説明した。
 飛び級で卒業を済ませたキバナのようにはいかないが、卒業に必要な単位を早めに取ることで、来年度の正式登用を確実にしたいと考えている。スクールのテストやレポートの提出を頑張った甲斐もあり、問題を起こさなければすんなりと卒業できる見込みだ。

「そっか。アン、頑張ってるもんね」

 呟くソニアの口元は、笑みを作ったままだが声は沈んでいた。

「ダンデくんもアンもルリナも……みんな、アタシよりどんどん先に行ってる。当たり前だよね。みんな横道に逸れずに、一つの目標にずっと向かってるんだもん。あっちこっちに手を出して、ちょっと進んだだけで放り出しちゃうアタシが、みんなと同じ位置にいるわけないよ。時間だけ無駄にして、ホント、何してるんだろう……」

 ソニアが握る鉛筆はまだ長い。イーゼルも真新しく、キャンバスは三枚目。絵を描き始めたばかりだ。
 ダンデはチャンピオンとしてポケモンバトルの道を究め続け、ルリナはジムトレーナーとしてステップアップし、バトルから離れたアンはエリアレンジャーの夢を見つけた。
 セミファイナルからのソニアは、三人に比べると様々なことにチャレンジしている。料理、化粧、絵画。気が多いと悪く捉える者もいるかもしれない。

「ソニアが料理やコスメで頑張ったことは、この先も絶対に無駄になんかならないよ」

 頭に刻んだ知識や身についた動きは、意外なところで役に立つことがあった。時間は有限ではあるが、自らの血肉になったものは、決して無駄なものではないとアンは考えている。
 料理はできるに越したことはないし、年頃ならばオシャレも心掛けたい。絵だって上手く描けたら嬉しい。ずっと歩くと決めた道ではなくとも、心豊かに過ごせる時間を増やすことができる。

「うん。そうだね。ダンデくんもさ、迷ってるときに出会ったポケモンとチャンピオンになったんだもん。アタシも今ちょっと迷子なだけだよね。人生という道のさ」

 腕を組んで、頭を縦に振りながらソニアは深く頷く。彼女の語りに思わず納得の声を上げてしまいそうになり、グッと口を結んで喉で堪えた。
 道に迷うが人生には迷いがないダンデと、道は難なく歩けるけれどやりたいことを探して迷っているソニア。似ている二人は、さすが幼馴染みといったところだろうか。

「よし、続き続き。アン、横向いて」

 気持ちは切り替えられたようで、アンに指示を飛ばすソニアの顔に憂いの色はない。
 アンは胸を撫で下ろして前へ向き直り、また壁に貼られたワンパチの写真を見続ける作業に入った。

20220222