いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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13

 新年度が始まると同時に、管理局の本部には知らない顔が増える。
 若々しいグリーンのスカーフを巻いた新規採用のレンジャーたちが、朝から夕方まで研修で局内の講義室を出たり入ったりと忙しない。
 アンの指導員のインスも、今年はまた飛行訓練の授業を受け持つことになり、アンと共にエリアに出る回数は週に一回ほどに減った。
 研修中のレンジャーと同じスカーフを巻くアンは、肩書はいまだ候補生だがすでに丸二年エリアパトロール隊として活動し、単独での巡回業務も問題なく行えている。指導員も形ばかりなものになりつつあるが、アンにとって一番頼れる先輩はインスには変わりない。

 そのインスから連絡を受け、アンは本部の近くにあるポケモンセンターに向かった。
 本部ではなくなぜポケモンセンターなのかと疑問はあったものの、深く考えることなくドアを開いて中へ入る。
 センター内は利用者を迎えるように半円状にカウンターが並んでおり、そのうちの真ん中のカウンターのそばにインスが立っていた。

「おっ、来た来た。アン、こっちだ」
「何かありましたか?」
「ああ。アンに頼みたいことがある」
「わたしに?」

 頷き、インスは受付担当の女性スタッフに声をかけ、脇のドアから中へと進んでいく。ついて来いと言われ、アンもインスの後へ続いた。
 カウンターより奥へは入ったことがない。アンの知らない奥は意外と広く、怪我のひどいポケモンたちをしっかり治療できる設備が整えられ、体格に合わせたベッドや寝床も並んでいる。
 インスはその中でも奥の方、カーテンがきっちりと引かれた前に立ち、ゆっくりと開いた。
 カーテンの向こうには箱が一つ。出入り用の大きな穴があり、その中を覗くと黄色に光る目のようなものが見え、驚いて肩が跳ねた。

「この子は……?」
「ドラメシヤだ。数日前に、ナックル丘陵で瀕死だったところを通りがかったトレーナーが発見して、連絡を受けた俺がここへ運んだんだ。かなりひどい状態だったが、医療スタッフが頑張ってくれて全快できた。退院のため引き取りに来たはいいんだが……」

 アンはドラメシヤを初めて見る。名前だけしか知らないポケモンに興味を引かれ、その姿をもっと見てみたいと思うが、ドラメシヤは箱の中で縮こまっている。霊体らしいので揺らいでいるのかと思っていたが、その小さな体は震えているようにも見えた。

「もしかしてこの子、怯えてるんですか?」

 様子にピンと来て問うと、インスは肯定した。

「ドクターが言うには、このドラメシヤは野生じゃないらしい。元々トレーナーと一緒にいたが、理由があってワイルドエリアに捨てられたようだ」
「そうなんですか……」

 アンの声のトーンが一つ落ちる。ワイルドエリアで捨てられたポケモンを見るのはこれが初めてではない。
 エリア内で捨てられたポケモンが、野生の縄張りに入ったが故に起きるトラブルも多く、管理局でも毎年問題として挙げられ、野生へ返す際の注意をトレーナーへ呼びかけている。

「ドラメシヤのことは詳しいか?」
「いえ、あまり。ドラゴンとゴーストタイプということくらいしか」
「ドラメシヤはな、言っちゃあなんだが、弱いんだ。野生だとドロンチやドラパルトがそばにいないドラメシヤは希少だと言われるくらい、一匹では長くいられない。せめて他のドラメシヤもいる生息地に放してもらえていればよかったんだがな。たった一匹で、野生の生き方も知らないままワイルドエリアに取り残されたら、ましてや他のポケモンの縄張りになんて入ってしまったら……正直、こうして命が助かっただけでも運がよかったとしか言えない」

 インスの話に、アンは心を痛めた。
 ドラメシヤの生態に明るくはないが、野生で見かける姿が稀だということくらいは知っていた。けれど、まさかそんな理由だとは考えたこともなかった。
 野生の厳しさと、二年もワイルドエリアで活動しているのに把握できていなかった自分の未熟さに、アンの唇は引き結ばれ言葉を失う。

「よほど恐ろしい思いをしたらしく他のポケモンを怖がってるんだが、この子が嫌うのはそれだけじゃない」

 インスが腰を曲げ、箱の穴を覗く。自分を見るインスをじっと見つめ返すドラメシヤの体の震えは、先ほどの比ではないほどに激しい。

「このドラメシヤを捨てた前のパートナーは、あまりいいトレーナーではなかったらしくてな。人間――特に大人の男を怖がるんだ。虐待を受けていた可能性が高いと、ドクターも言っている」

 体勢を戻すと、インスはカーテンの端を持ち、ドラメシヤを刺激しないようにかゆっくりと引いて閉めた。

「虐待なんて、どうして……」
「これも推測になるが……ドラメシヤは進化させるのに結構な経験を積ませる必要がある。仮にタマゴから育てているとなると、かなりの時間も手間もかかる。ゆっくりと育っていくポケモンたちのペースを理解し、大事に育てられない奴は、残念ながらいるんだ」

 沈んでいた胸の内が、怒りでカッと熱くなる。インスの言うとおりだとしたら、なんて身勝手なトレーナーだろうか。
 元々アンは、トレーナーがポケモンを野生へ返す行為そのものをよく思っていない。明確には禁止されていないとはいえ、多くのトレーナーは安易に手放すことを避け、ポケモンのことを第一に考え自分で引き取り手を探す。周りで見つからなければ専門の保護団体に頼む手もある。
 他に手はいくらでもあっただろうにと考えると、見知らぬトレーナーへの苛立ちが止まらなかった。

「野生に返すのは難しいだろうから、譲渡会で新しいトレーナーを探すつもりだ。ただこうやって人やポケモンを怖がっているうちは無理だから、慣れてもらわなきゃいけない。だからアンに、しばらくこの子の面倒を見てやってほしいんだ」
「わたしに、ですか。でもわたし、ドラゴンタイプの子をお世話したことはないですよ」
「構わない。鍛えてほしいわけじゃないからな。アンやアンのポケモンたちと一緒に過ごす時間が、今はドラメシヤにとって一番必要なんだ」

 頼むインスに、アンはすぐに返事をした。
 インスや医療スタッフが尽力して繋いだ、ドラメシヤの命を自分も繋いでやりたい。
 レンジャーである前に一人のトレーナーとして、アンはドラメシヤにできることをしてあげたいと強く思った。



 ドラメシヤとの生活は、慎重な気遣いを要するものだった。
 ボールに入れたまま帰宅したアンは、まずドラメシヤが落ち着けるように、自室に箱を用意して隠れられる場所を作ってやった。
 両親にも説明し、刺激しないように大声や騒音には気を払うよう努めてもらい、特に父親はドラメシヤが最も恐れる成人男性でもあったので、アンの部屋がある二階へ立ち入ることを控えてもらった。
 体調はすっかり良くはなったものの、ドラメシヤはアンの前では食事を摂らない。まだ体を壊してしまうと心配になり、自分が居るからよくないのかとわざと部屋を明けると、誰も居ないことに安心して箱から出てフードに口を付けるが、それも半分は残してしまう。
 アンはレンジャーの仕事がない日は、自室でスクールの勉強をしたりスマホで音楽を聴いて、食事の時以外はできる限りドラメシヤのそばで普通の生活を送った。
 ドラメシヤは触れられることを極端に恐れていたので、自分がそばに居ることが当然で、何も害を成さない存在だとアピールするしかなかった。

 レンジャーとして活動する際も、アンはボール入ったドラメシヤを常に連れ歩いた。折り畳める箱を携帯し、みんなで食事を摂る際も安心できる居場所を確保した。
 アンの仲間は体の大きいポケモンがほとんどで、唯一エルフーンだけはドラメシヤと体格がさほど変わらない。
 いつも機嫌よさそうにアンや仲間と戯れるエルフーンの存在が、ドラメシヤの心の壁を少しずつ剥がしていったのか、たまに箱から出てエルフーンのそばで浮いている姿を見かけられるようになり、エルフーンの隣でならみんなと食事もできるまでになった。

「エルフーンのおかげだね。ありがとう」

 ふわふわの綿毛を両手で抱えて礼を言うと、エルフーンは楽し気に笑った。
 エルフーンをきっかけに、ラプラス、ウインディ、アーマーガアとも、距離はあるものの打ち解け始め、食事も残さないようになった。箱の中に入る時間は日に日に短くなり、アンの部屋を自由に飛ぶこともままある。
 自室でいつものようにスマホで音楽を聴きながら勉強していると、ドラメシヤがすいっと後ろからアンの手元を覗き込んできた。距離はあるものの、人に明確な関心を持つのは初めてだ。

「気になる? 勉強してるんだ」

 ことさら優しい声になるよう気を遣い、ドラメシヤに机の上のノートやテキストブックを見せながら声をかける。ドラメシヤには何のことか分からないようだったが、一つ一つ教えてやった。
 ノート。黒いペン。赤いペン。ペンケース。デスクライト。スマホより一回り大きなタブレット。
 ラベンダーの香りがするハンドクリーム。幼い頃にプレゼントされたドレディアのお人形。装丁が美しい詩集。ソニアやルリナと揃いで買ったビーズのチャーム。
 引き出しの中の小物も説明しようと開けると、数個のピースが収まった、丸いメダル型のケースを見つけた。
 それまでポンポンと説明を続けていたアンの動きが止まり、ドラメシヤが高い声を上げる。アンはケースを取って両手で大事に持った。

「これはね……ジムチャレンジのときに集めたバッジだよ」

 三分の一ほどのスペースを埋めているバッジは、くさとひこうとじめん。
 特に思い入れのあるじめんバッジを指でなぞると、あの日の感情がぶり返してくる。

「わたしはあまりバトルが得意じゃなかったから、エンジンジムまでしか行けなかったんだ……」

 後半の挑戦は、半ば意地で通ったものだ。次のジムのことなどとうに諦めていて、目の前のエンジンジムは乗り越えたという結果を得たいがために、アンは夢中だった。

「もう、すべてを揃えることはないと思うけど、頑張ったんだよっていう、証なの」

 ダンデやソニアたちのようにメダルとして完成されてはいないが、不揃いでも12歳のアンの功績を示す大事な思い出の品だ。見かけるたびに言葉にし難い思いが溢れるが、苦い気持ちは年を過ぎる毎に徐々に消えつつある。
 ドラメシヤは首を傾げたあと、じっとアンに目を向ける。

「ん? 今度はなあに?」

 黄色の瞳は大きく、瞳孔は小さい。暗がりで見るとびっくりさせられるが、愛嬌のある顔立ちだとアンは思う。
 ドラメシヤはアンを見ながら、何回も首を左右に倒した。何かを訊ねているようだが、一体何を示しているのか分からなかった。
 後ろを向いて見えた、壁掛けの時計や飾っているポストカードの説明をしてみるが、ドラメシヤの疑問は一向に解けない。
 目に付くものは粗方挙げてみた。ドラメシヤの意図が分からず困ってしまい、再び目を合わせると、アンを見ながら幾度も首を曲げる。

「もしかして、わたし?」

 自身を指差すと、ドラメシヤは一声上げた。まさか自分のことだとは思っていなかったアンは、ドラメシヤが自分自身に興味を持ってくれたことに喜んだ。

「わたしはアンだよ。ワイルドエリアの自然やポケモンたちを守るエリアレンジャー、の、候補生」

 軽く自己紹介を添えると、ドラメシヤはアンの周りをくるくる回る。腕に体を擦りつけてくると、その冷たさに驚いたものの、愛らしい仕草に自然と笑い声が漏れた。

20220219