いつかきみが枯れてしまうまで | ナノ
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 チャンピオンの初防衛が成功して数か月。祝福ムードもさすがに落ち着きしばらく経つと、アンの候補生二年目がスタートした。
 ダンデからは相変わらず、ひと月に数回、多いときは毎週のように呼び出されており、リーグスタッフにもアンはすっかり顔を覚えられた。ダンデを送り届けると、彼の到着を待ちわびていたスタッフたちから感激されることもある。

 二年目が始まると、アンは週のうちの数日は、一人で巡回業務に当たるようになった。
 ダンデを迎えに行くために一人で飛ぶことには慣れていたが、パトロールを自分だけで務めるのは、それとはまた別の緊張感を覚える。
 一人でいると、インスが教えてくれた、パトロールでの大切なことをじっくり振り返る時間が増えた。
 業務に慣れたせいで蔑ろにしていた部分もあり、レンジャーとしての責任の重さを改めて感じている。



 ジムチャレンジの開会式まであと一週間。
 エリアパトロール隊の隊員に薄い冊子の束が配られ、アンもインスから受け取った。冊子は『ワイルドエリアのマナーブック』と題されている。

「アンもジムチャレンジのとき貰ったことないか?」
「そういえば……ワイルドエリアを歩くときの注意とか、禁止されていることが書いてありました」

 一冊を手に取って中を確認すると、大きな写真と共にワイルドエリアを紹介し、自分たち管理局がワイルドエリアの自然や安全の維持に努めていることや、エリア利用者へのルールとマナーが明記されている。
 野生のポケモンたちをむやみに傷つけないこと、バトルの際は周囲を巻き込まないこと。
 キャンプで出たゴミは持ち帰る、熾した火は自分の手で消火し、灰は持ち帰るか、『バイオチップ』をしっかり混ぜておくなど、ワイルドエリアの環境を害さないようにと記されている。

「あっ。バイオチップを補充しておかないと」
「早く申請しとけよ。来月まで貰えなくなるぞ」

 バイオチップは、火を焚いて残った灰や炭に混ぜると、そのまま放置しても自然に影響を与えないという、三年ほど前から流通している画期的なキャンプ道具の総称だ。
 マクロコスモス・バイオ研究所が開発し商品化すると、環境に害を与えない特徴を高く評価され、今ではキャンプに欠かせないアイテムの一つになった。アンたちパトロール隊は、放置された灰や炭を見つけたときのために持ち歩いている。

「マクロコスモスってすごいですよね。いろんなところで名前を見かけるから、そうじゃないサービスを見つけるのが難しいくらいです」
「『揺り籠から墓場までマクロコスモス』って言われてるからな」

 インスの言葉にアンは笑った。昔は知らないが、今のガラルでの生活はまさにそのとおりだ。



 アンが今日任されたのは、パトロールをしつつ、見つけたトレーナーにマナーブックを配布する業務。
 ジムチャレンジに初めて参加するルーキーに、ワイルドエリアでのルールを知ってもらうのも、レンジャーの大切な仕事の一つ。
 上空がひどい強風で荒れているため、アンはウインディに跨ってノースエリア内を駆けた。上から見る風景と違う、地上を走りながら過ぎる景色もアンは好きだ。
 ウインディが短く吼える。前方に上がる煙。近づいてだんだん見えてくるテント。調理の最中なのか、火に向かう背がこちらに向けられている。おそらくトレーナーで間違いない。
 アンはウインディの背から降りて、ゴーグルを上げてグローブを外した。マナーブックを一冊取り出しながらトレーナーへと歩みを進める。

「こんにちは。すみません、少しよろしいですか?」

 背に声をかけると、トレーナーが振り返る。垂れた目と視線が交わった。

「あれ……あなたは……」
「アンタ、ダンデのお迎え役の候補生」

 アンが相手の名を浮かべる前に、彼がアンを認識した。去年のジムチャレンジ中に、ダンデを迎えに行った先で顔を合わせた少年。シュートスタジアムでダンデと戦ったチャレンジャー、キバナだ。

「アンです。こんにちは」
「こんにちは。アイツはここにはいないけど?」
「いえ。ダンデくんを探しているわけじゃありませんので」

 すぐにダンデがいない旨を告げられたが、幸いにも今日はまだ連絡は来ていない。

「ジムチャレンジに参加する皆さんへこれを配って回っているので、受け取ってください」

 そばに寄って、手に持っていた冊子をキバナに差し出す。キバナはわざわざ立ち上がり、アンの手から受け取った。また伸びたのではないだろうかと思うほど、キバナの頭は高くにある。

「ああ。マナーブック」
「キバナ選手にはご案内は必要ないかもしれないですが、改めてもう一度確認していただく意味でも、目を通しておいてください」

 数年連続でジムチャレンジに参加していれば、ワイルドエリアのルールなど頭に入っているだろう。しかし管理局の各部署への連絡先などで細かい修正や加筆もあるので、見かけたトレーナーにはルーキーやベテラン問わず渡すように言われている。

「アンタ、チャンピオンには友達みたいに話すのに、オレさまには丁寧なんだな」

 パラパラと中を捲りながらキバナが言う。自分に敬称を付けて呼ぶ人は珍しいが、それよりアンは藪から棒な指摘に面食らった。

「だ、ダンデくんは友達でしたので……」
「ふうん? なあ、アンタが構わないなら、その生真面目な話し方はやめて普通にしない? 肩が凝りそうだ」

 首をぐるりと回す仕草は実にわざとらしいが、なんだか様になっている。

「候補生はどう? ルリナもそうだけど、ダンデと同じ歳の奴らって、なかなか骨のある奴が多いよな」
「あの……わたしはキバナ選手と同い年ですよ」

 どうやらアンの歳を勘違いしているらしいが、同じ歳なのはダンデではなく目の前のキバナだ。

「は? ホントに? 悪い。ダンデとやけに親しかったから、てっきり同郷のスクールメイトなのかと思ってた」
「いえ、気にしてませんから」
「だったら尚のこと、そんな堅苦しい喋り方やめてくれよ」

 話がさきほどと同じ地点に戻ってしまい、アンは困った。
 キバナ本人から乞われているとはいえ、簡単に切り替えられるほどアンは器用ではない。レンジャー活動中ということもあり、いわゆるオンのスイッチが入っている。レンジャーの制服を着て、今日初めてまともに喋る相手とのプライベートなやりとりは、なんだか調子が狂うのだ。

「努力します」
「ホントに?」
「努力、する」
「いいね。お茶でも飲んでいきなよ。ウインディも走りっぱなしで疲れてるんじゃないか」

 断る前に、キバナがアンのウインディに歩み寄る。警戒されない距離を取って、キバナは明るい声で話しかけ敵意がないことをアピールした。ウインディもアンとの様子を見ていたからか、大きな尻尾を左右に揺らしている。
 休憩も兼ねたお茶くらいなら咎められはしないだろう。一杯だけ頂くと伝えると、キバナはカップを二つ用意し、ウインディの前に水を張ったボウルを置いた。
 差し出されるカップは、家で扱うようなどっしりとした安定感のあるものではない。持ち運びを重視した軽いステンレス製で、うまく持たないと熱くて落としてしまう。
 注意して受け取って、何度か息を吹いて冷ましたが、湯気はすぐには薄くもならなかった。

「エリアレンジャーの候補生なんて初めて見たよ。そんなのあったんだな」
「候補生は去年から始まった制度だから。わたしは一期生になるんで――なる、ので」

 努めても口調はすぐには変わらずたどたどしいもので、キバナはつっかえるアンを面白そうに笑った。
 アンたちは一期生であり、テスト生でもある。今のところ次の候補生の募集などは決まっていないが、すでに辞めた者が一名いる。家庭の事情らしいが、共に研修を頑張った同期が減っていくのは寂しさもあった。

「へえ。すごいな。期待されてるってことだ」
「う……ん。応えられているかは分からないけど。スクールの成績もなんとか維持できてるだけだし……」

 レポートやテストで稼いだ単位で、アンはなんとか管理局が求める成績を修めている。レンジャー候補生の生活も一年過ぎれば慣れてしまったが、いつだって気持ちにゆとりがあるわけではない。

「キバナ――くんも、チャレンジしながら勉強してるんでしょ? 大変だね」
「いや? オレさまはもうスクールは卒業してるぜ」
「えっ?」

 驚いて、つけていたカップから口を離し、斜め前に胡坐を掻いて座るキバナへ顔を向ける。彼はアンの視線に気づき、カップを口元へ運ぼうとしていた手を止めた。

「元々、もっと早くジムチャレンジに挑戦するつもりだったんだけど、『勉強を疎かにするな』って止められててさ。だったらさっさと卒業しちゃえばいいやって、飛び級を使ったんだ。で、一昨年からやっとジムチャレンジに参加できたんだよ」

 さらりととんでもないことを言われて、アンは軽くショックだ。
 ガラルには優秀な学生を成績に応じて特別に進級させる飛び級制度があり、主にカレッジで適用されている。スクールでもないことはないが、かなり稀だ。よっぽどの秀才、あるいは天才と称される学生でなければ、12歳ですでにスクール卒業など到底不可能だろう。

「キバナくん、すごく頭良いんだね……」
「勉強は苦手じゃなかったからな。アンはあと二年? 飛び級しちゃいなよ」
「できることならやりたいけど、今よりももっと勉強時間を取るのは難しいなぁ」
「ダンデのお守りもあるしな」
「……やっぱりそう見える?」
「見えてしまうとしたら、すぐ迷子になるダンデが悪い」

 ソニアにも『お守り』と称された。アンにとってダンデはあくまでも友人であり、そんなつもりは微塵もないのだが、周りから言われるとだんだん自分でもそう思えてくる。母親は言い過ぎだが、手のかかる弟の面倒を見る姉のような感覚に近い。

「面白い奴だよな。バトルは信じられないくらい強いのに、コートから出るとただの子どもなんだ」

 キバナが焚き火を見つめながら、密やかに口にした。
 少し緑を足したようなブルーの目は普段は垂れているが、バトルとなると一転して吊り上がり獰猛な獣のようになるのを、アンは映像を通して初めて見た。
 そのせいか、なんとなくキバナには怖い印象を抱いていた。ダンデを迎えに行って初めて会ったときも、初対面ということもあって一線を引いている節も感じていたから余計にだ。
 けれど今日こうして、思いがけないティータイムに招かれ、屋根のない空の下でお茶を飲んでいると、バトルコートに立っていない普段の彼は、物腰の柔らかい少年だと知る。
 耳に嵌めたままだったイヤホンからロトムの声が響く。同時に、ポケットに入れているスマホが震え、勝手に出てきてアンに通知画面を見せた。

「噂をすれば?」
「うん。これは多分、ミロカロ湖の近くかな」

 メッセージの送り主はダンデ。湖の写真が数枚ほど送られ、確認すれば思い当たるのはミロカロ湖。恐らく西の方だ。
 カップに残った紅茶をグイッと飲み干すと、キバナが空の手を差し出していたので、その手に預けた。

「お茶ありがとう。美味しかったよ」
「そりゃよかった。また誘っても?」
「機会があれば、喜んで」

 キバナはアンの返事に口元を緩めた。ゴーグルとグローブを嵌め、水分と休憩をしっかりと得たウインディに騎乗すると、キバナも腰を上げてそばへ歩いてくる。

「アン、近くにキテルグマの群れがいた。アンタなら大丈夫だと思うけど、気をつけて」
「ありがとう。キバナくんも、火の始末はしっかりね」
「オーケー、レンジャー」

 指先まで伸ばした手をこめかみに当て、ちょっとおどけて返したキバナに、自分も同じ仕草を取ったあと、アンはミロカロ湖へ向かうようにウインディへ指示を出した。

20220213