流水落花 | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



 六つになったトウリがアカデミーへ入学する日が来た。
 初めて見る校舎での入学式を終えて帰宅するまでは笑顔だったが、家を訪ねてきたシスイの話を聞くと、声を上げてわんわんと泣いた。

「シスイのうそつき!」

 顔を真っ赤にし、ぽろぽろと涙をこぼしながら、トウリは畳の上に手足を投げ出し、今生の思いで泣いて喚いた。道端に腹を出して転がる、死にかけの蝉ががなるのに似た激しさがある。
 シスイは何度も謝罪の言葉を口にしたが、トウリは頑として受け入れないとさらに声を張り上げる。
 幼子特有の高音は耳をつんざき、シスイは困り果て癖毛の頭を掻く。その小さな額には、木ノ葉の印が彫られた鉢金が鈍色に輝いていた。

「トウリ、いい加減になさい!」

 傍で見ていたトウリの母が一喝する。叱られた当人ではないシスイが、居住まいを正すほどに厳しい一言が効いたのか、トウリは大声を発することはやめた。
 それでもしゃくりあげることは止められず、跳ねる体に合わせて喉が鳴る。

「いっしょ、行くって、言った、のに」
「うん。ごめんな」

 小さな体から必死に絞り出す自分を責める言葉に、シスイはただ謝るしかなかった。
 半年ほど前から、シスイは木ノ葉の里の下忍として任務に出ている。在学中の成績を評価され、飛び級でアカデミーを卒業していた。
 他里との戦が続く今、忍の数を確保するため、能力があれば幼子でもクナイを持たせ送り出さねばならない。
 どんな子どもでも例外はない。血継限界を有し、多彩な火遁を扱ううちは一族であれば尚のこと。
 下忍になったばかりのシスイに、里から離れた地域での任務は命じられていないが、里外に出て戦争の激しさを肌で感じ取る日々がすでに始まっている。

「シスイが行かないなら、アカデミーなんか、行かない!」
「トウリ!」

 明日から通学するためにと買ってもらった、赤い布の鞄を放り投げたトウリに、母の声はさらにきつく強いものとなり、トウリは再びわんわんと泣いた。
 シスイは、トウリが自分とアカデミーへ通うことを楽しみにしていただけに、共に通うことはできなくなったと告げられなかった。
 言えばきっとこうなると分かっていたからこそ問題を先延ばしにし、入学式を終える今日を黙って待った。
 入学前にアカデミーへ行くことを拒んでしまえば、トウリの家族に迷惑がかかるというシスイの配慮だったが、まだ分別のつかないトウリには意図など伝わるはずもない。
 シスイは腰を上げ、部屋の隅へ放られた鞄を拾い、泣きじゃくるトウリの前に膝をついた。いつもは見下ろす顔は、涙や鼻水や汗でべとべとしている。

「アカデミーには一緒に行けないけど、これからも遊んでやる。だから泣くな」

 手を伸ばして、頭を撫でた。泣き喚いていていたため、艶やかな髪の下から発せられる頭皮の熱は高い。
 横隔膜の痙攣に翻弄されるトウリの身は跳ね、言葉を発したくても容易には喉を通らない。
 ようやく涙の粒が顔を見せなくなり、トウリは自身の手で重たい瞼を拭った。

「約束よ」
「約束だ」

 微笑むシスイが鞄をトウリに差し出すと、それを受け取って抱き込んだ。
 ふうふうと大きく呼吸を繰り返し、小さな体に余りある激情は一旦は落ち着いたかに見える。
 しかし、鞄という、アカデミーを連想させる物が、変えようのない現実を思い知らしめているようで、トウリの表情は再び崩れた。

「シスイと一緒がいいのに」

 きゅっと眉を寄せ、ぽろぽろと流す涙をシスイの手が拭う。
 切り傷や肉刺の潰れた痕がたくさんあることに、トウリは初めて気づいた。シスイの手はもうすでに、忍の手になっていた。
 この手と繋いでアカデミーに行く日を、指折り数えて待っていた。トウリにとってたった一つの大事な、世間から見ればささやかな願いであった。
 明日からシスイと毎日通えるのだと楽しみにしていた約束は、泡となって潰えてしまった。



 シスイのいないアカデミーへ、トウリは赤い鞄を肩にかけ黙々と通った。
 駄々を捏ねて登校を拒否するかもしれないと懸念していた母は、その心配が杞憂であったと安堵し、しっかり学んできなさいと毎朝見送る。
 同年で入学するうちはの子は他にもいたが、授業を受ける教室でうちははトウリ一人だった。
 トウリは、一族以外との関わりがほとんどない。
 うちはは血で力を引き継ぐため、能力を外部に流すのを嫌い、古来より一族同士での婚姻で代を継いできた。
 慣習により閉鎖的な環境を望む者は少なくなく、トウリの家も他族と関わる頻度はほとんどない。
 朝から晩まで毎日、顔を合わせる者は大人も子どもも同族のみだった。
 買い物などで入る店はあっても、それはただ単純に『店』という認識であり、人ではない。店で働く者は『店』に付属するもので、うちはであるか否かは関係なかった。
 六つのトウリにとって世界はうちはのみで構成されており、他族の存在は認識できていない。
 突然知らない子どもたちの中に放り込まれても、すぐに級友と打ち解けるなど容易ではなかった。

「アカデミーは慣れたか? 新しい友達も、いっぱいできただろ?」

 任務がない日だからと、顔を見せに家に来たシスイに問われ、トウリは頭を左右に振った。
 授業の内容にはついていけるが、友達と呼べる相手はまだいない。
 性別の違い、互いの家の距離の違いなどが影響したこともあってか、そもそもトウリは同族であるうちはの子どもともろくに遊んでいなかった。
 つまりトウリにとってシスイこそが、初めて親しくなれた同年代の子どもだ。
 一族とですら友達と言える関係を作れなかったトウリに、初対面の子どもと仲良く過ごせというのは難題であり、トウリはアカデミーへの行き来どころか、校内でも一人で過ごしている。
 声をかけられたことはあるが、『うん』と『ううん』以外の返答はしたことがない。
 懲りずに何度も話しかけてくる級友はいたが、頷くか否かでしか反応しないトウリに諦めたのか、今では教室内でも存在しないものとして扱われている。

「シスイと一緒がいい」
「そう言われてもなぁ」

 アカデミーに通うようになって日々思うことを口に出し、他ならぬシスイにぶつけた。
 シスイは困った様子で空を見上げ、唸る声を上げてしばらく考え込む。

「よし。トウリ、アカデミーでいい成績を取って、早めに卒業するんだ。オレも成績がよかったから早く卒業したんだぜ」

 名案だと思ったのか、シスイの表情は明るい。腕を組む姿は得意気だ。

「シスイはどうやって成績がよくなったの?」
「そりゃあけっこう勉強したし、修業もたくさんしたからな」
「じゃあ、私も修業する。シスイ、教えて」

 『修業』という言葉は聞き慣れていても、何をするのかは分からない。
 分からないならばシスイに教えてもらえばいいし、その間はシスイと一緒に居られる。シスイの提案は、トウリにとっても名案だった。

「なら、まずは手裏剣やクナイが的に当たるようになってからだな。授業が終わったあとでも先生にお願いして、練習場を借りて自分で特訓するんだ。その辺の森はまだお前には危ないから、ちゃんと拓けた練習場でやるんだぞ」

 手裏剣などの武器の座学は受けたが、実技授業はまだ始まっていない。
 校舎案内で、年嵩の生徒が投擲練習場でクナイを打つ様子を見学した程度だ。打ったこともないのに、的に当てられるのはいつになるか。

「それと、みんなとも仲良くしなきゃな。この里にはオレたちの一族だけじゃなくて、いろんな一族がいるし、忍じゃない人たちもいる。みんなが集まって、木ノ葉の里はあるんだ」

 里の広さを示すように、シスイは両手を広げる。
 これまで母に連れられる道だけを歩いてきた六歳のトウリにとって、一人で出歩くようになった里は広大だった。
 今でも足を踏み入れたことのない場所が大半で、表札を見やれば、うちは以外の姓がたくさん並んでいる。
 里に住まいながらも、忍者と関わりのない生活を送る者がいることも、忍の家系であるトウリにとっては不可思議な世界だった。

「仲良く……」
「そうだ。トウリならできる」

 初めて見る顔。初めて知る存在。
 教室にも里の通りも、トウリにとってはまだ慣れぬものばかりだったが、シスイはそれらとも親しくあらねばならないと言う。

「うん。分かった」

 父に説かれるときと違い、意思を持ってはっきりと頷いた。

「友達と遊ばないなら、トウリは授業がない時間は何してるんだ?」
「え? えっと……アカデミーの図書室で借りた本を読んだりとか……」

 アカデミーにはトウリの家にはない蔵書がたくさんあった。
 多くは忍者に関する物ばかりだが、中には忍に関係のない伝奇小説や図鑑が多く並んでいる。
 トウリが特に友人を必要としなかったのは、そういった楽しみで授業の合間を埋められたからでもあった。

「オレの家にも色んな本があるぞ。祖父ちゃんの時代の古い本も」

 アカデミーにもない古い本。興味を惹かれたトウリを察し、シスイは自宅へ誘い、二人はトウリの家を出た。

「腹が減ったな。饅頭でも買ってから行くか」
「うん! 私はつぶあんがいいな」
「トウリはつぶあん派かぁ。オレはこしあん派だな」

 目指していたシスイの家から少し進路をずらし、この近くにある饅頭屋へと足を進める。
 饅頭の中身の次は茶の種類。温度の好みや、葉を蒸したものか炒ったたものか否か。とりとめもない話も、シスイとならトウリは楽しかった。
 そろそろ饅頭屋の看板が見えてくる頃、「シスイ」と誰かが名を呼んだ。
 二人揃って足を止めそちらを向くと、シスイとそう歳の変わらない少年が立っていた。

「よっ。今、お前の家に向かってたんだぜ」
「オレの家に? 何か用か?」
「幻術の解術の訓練に付き合ってくれるって約束してただろ」

 訊ねるシスイに、少年は約束を取り付けていた旨を伝える。

「ああ、あれかぁ。悪い、すっかり忘れてた」
「お前なぁ」

 シスイはあっけらかんと、約束自体を忘れていたと返した。謝罪というには軽すぎる態度だったが、少年は呆れつつも怒ってはいない。
 いきなり現れた少年を見つめるトウリに気づいたのか、シスイは、

「オレの親友だ」

と言い、少年の名と共に紹介した。

「お前、そういうことストレートに言うよなぁ」
「なんだよ。別にいいだろ。事実なんだし」

 少年を『親友』と称したシスイに恥ずかしがる様子はない。逆に少年の方が口元をもごもごさせ、照れて目線を外した。

「トウリ、自己紹介できるか?」

 傍で黙ってやりとりを見ていたトウリの両肩に手を置き、シスイが少年の前へと突き出す。
 トウリはアカデミーでしっかり身についたお手本のような気をつけをして、

「うちはトウリ、六歳です!」

と腹から声を出して名乗った。

「へえ。うちはの子かぁ。今はアカデミーか?」
「はい」

 少し背を丸め、自分と目線を合わせるシスイの親友の問いに、少しだけ硬い声で答える。大きな声で名乗ることはできても、初対面の相手にはやはり緊張してしまう。

「トウリはすぐにアカデミーを卒業するんだぜ」
「この子、そんなに成績いいのか?」
「それは知らないが、早く卒業するつもりなんだ。な?」
「うん!」

 元気よく肯定すると、シスイの親友は「大物だ」と笑った。シスイはトウリの肩に置いていた手をそのまま頭へ持っていき、髪を掻き混ぜるように撫でる。
 幻術の解術は次の機会に延ばし、三人で饅頭屋へ寄ってシスイの家へ向かった。
 シスイとその親友は、お互いを茶化しながらも信頼し合っているのが手に取るように分かって、トウリも誰かとこんな風になれたらいいと、憧れを抱いた。



03 箱庭より出でて

20201027
(Privatter@20201019)


|