流水落花 | ナノ
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 シスイとトウリは、あれから一度も会っていない。
 南賀ノ神社での会合でその姿を見かけることができるため、シスイが元気でいることだけは確認が取れる。
 しかし、トウリが下忍の子たちの相手をしている間に、シスイは誰にも捕まらぬまま、風のようにいなくなっている。
 共に食事をしたり、帰路を辿るといったことができないことは分かっていたが、わずか数秒の、挨拶ほどに短い立ち話もできないことは、やはり寂しくあった。
 けれどシスイは、『やらなければならないこと』のために尽力している。
 彼がわざわざトウリに伝えた意を汲み、邪魔をせぬよう、自分のやるべきことに目を向けた。

 預かったしのび玻璃は、父の目につかないよう常に持ち歩き、時折取り出してはシスイのことを思う。
 会えない切なさがどうにも我慢ならなくなるとき、必ずシスイは迎えに来てくれるからと、薄い硝子を握り込んでは心を落ち着けた。
 父の手からしのび玻璃を守っているつもりが、逆にトウリの方が守られている気がする。
 もしかしたらシスイは、離れていてもこんな形でトウリを守るために預けてくれたのかもしれない。そんな都合のいいことを考えては、シスイの帰りを待ち始め、気づけば季節は一つ、二つと過ぎていた。



 南賀ノ神社での会合は、回を重ねる毎に空気が重たくなっている。
 クーデター計画を秘密裏に進めているうちはの上層部からの報告に、大人はもちろん、トウリより少し年嵩の、まだ成人していない者たちも興奮し、ぎらぎらとした目で族長らを見上げている。
 まるで宗教だ。
 以前、正規部隊に所属していた頃に、とある宗教団体の偵察任務を命じられたことがある。熱狂的な信者は、彼ら独特の文言をひたすら叫び、自分たちの導き手にすべてを捧げていた。
 あのときの彼らに感じた気味の悪さを、一族に感じていることが不快で仕方ない。
 けれど今夜の会合は、偶然にもトウリは夜勤業務の当番に当たるため、堂々と欠席することができる。
 下忍の子どもらのことは気がかりだが、最近は互いに寄り集まって不安を共有することを覚え、トウリの手を借りずとも気持ちを穏やかに持てる子も増えた。
 今日一晩くらい自分がいなくても問題ない。頭を切り替え、トウリは同僚と共に、交代で仮眠を取りながら警邏や待機業務を全うした。
 夜勤のリーダーと早番とリーダーとの引き継ぎが終わるまで、近くで待機しているトウリに女性が声をかけてきた。以前、昼食で同じテーブルに着き、シスイのことを話した先輩だ。

「おはよう。トウリが夜勤だって知らなくて、私ちょっと焦っちゃったよ」

 リーダーたちの耳に入らぬよう、先輩はトウリのそばまで寄って、手で壁を作り耳打ちをする。

「おはようございます。『焦った』って、何かあったんですか?」
「昨日の会合でシスイが見当たらなくてさ」
「えっ? シスイが?」
「うん。シスイと、あとイタチも。誰も聞いてないみたいだから、無断欠席だったみたい」

 シスイとイタチが会合を欠席。原則として、トウリのように夜勤業務など任務で欠席する場合を除き、会合は下忍以上の全員が出席するよう言いつけられている。
 体調不良であれば、知り合いに頼んで欠席の旨を伝えればよいが、会合に顔を出さない者は上から目を付けられるので、ほとんどが無理をして出席する。
 その会合に、申告のない欠席。特に暗部に属しスパイを担うイタチは、うちはの上層部に反発する姿勢を見せることもあったので、さぞざわついただろうことが想像できる。

「で、見回したらトウリもいないじゃない? これは二人でデートでもして、会合のこと忘れてすっぽかしたんじゃないかって」
「すっぽかすなんて、そんなことしませんよ」
「分かってるって。気になって調べたら、トウリは夜勤だって教えてもらって安心したよ」

 笑う彼女は彼女なりにトウリのことを案じていた。
 心配をかけたことを詫びるべきかと口を開く前に、先輩がより密着してきて、足を横に踏み出し倒れるのをなんとか堪えた。

「ていうか、会合をすっぽかすことはしないけど、デートはする感じなんだ?」

 殊更声をひそめた顔はにやついている。
 意味が分かると頬は紅潮し、トウリは返答もできずに黙った。

「あれぇ? 否定しないの?」
「……引き継ぎが終わったみたいなので帰ります。お疲れ様でした!」
「あー、逃げたぁ」

 いつの間にか引き継ぎが終わり、本部を出て行く夜勤のメンバーの後を追うように、トウリは走った。
 背後から投げられた笑い声に混じるからかいに気づき、どう答えたらうまく乗り切れたのか考えはしたものの、すべては後の祭りだった。
 家に着いてすぐに風呂場で汗を流したあと、髪を乾かして自室に戻り一息つく。
 若干の眠気を覚え、少し寝るか迷う。明日の朝まで休みなので、その間は自由に寝てもいいが、体のリズムが完全に崩れる恐れもある。
 家の中に居ては眠気に勝てそうにもなく、起きていられるようにあえて外出しようと考え、箪笥から私服を引っ張り出した。
 着替えを終えて、財布や鍵を持って外に出る。朝が始まって、まだ昼には届かない。朝食も摂らずに出てきたので、遅めの食事にしようか。
 まずはうちは地区から出ようと門へ向かっていると、数人の男たちがバタバタと駆けていく。

「急げ!」

 慌てたその表情は切羽詰まっており、何か大変なことが起きていることを予想させるが、男らはあっという間に行ってしまったので訊ねることもできない。

「あんなに慌てて、何かしら」
「さあ。誰か大怪我でもしたのかもね」

 近くの女性らも男たちを見送ったあと、何事かと話題にはしたが、誰も答えは知らない。
 気にはなるが、今の自分は休みだ。招集がかかるとしたら非番が先で、公休の自分が呼び出されるにはまだ時間があるだろう。
 念のため、うちは地区に近い場所で腹ごしらえをすべく、店に入った。



 いつ呼び出されるかという懸念で、店の椅子に腰をかけてもどこか落ち着かなかったが、食事を終えてお茶を飲む段までくれば、大したことではなかったのだろうと背もたれに体をゆっくり預けた。
 満腹になると眠気がひどくなる。食べるのはよくなかったかと悔いたが、腹に入れたものはどうしようもない。
 これは夕方まで散策した方がいいかと考え、店を出て歩いていると、「トウリ!」と大きな声が後方で響き、振り向くより先に肩を掴まれた。

「トウリ! どこ行ってたの!?」

 声の主は朝に別れたばかりの先輩だった。汗を掻き、息を切らして、まるでトウリの外出を咎める勢いに驚く。

「休みだったんで、外出してました」

 何も悪いことはしていないと理由を説明すると、先輩は乱れた呼吸を続け、

「シスイが! シスイが……!」

と叫ぶようにシスイの名を連呼する。

「シスイがどうしたんですか?」

 シスイの身に何か起きたのだと察し、今度はトウリが先輩の両腕を掴んで問う。
 大きな呼吸を数度繰り返したあと、先輩は口を閉じて大きく深く、息を吸って、吐いた。

「シスイが、死んでるのが、見つかったの」

 ぴた、と時が止まった気がした。
 もちろんそれはそういう錯覚であって、トウリの近くを人が通るし、ちゅんちゅんと雀は鳴いて飛ぶ。風が吹いて、店先に立てているのぼり旗を揺らす。
 ただトウリの時間だけが、一切の動きを止めて固まってしまった。

「し……?」

 完全な言葉にならず、発したというには頼りない音が、トウリの喉からかろうじて出た。
 自分でも『シスイ』と言いたかったのか、『死んだ』と言いたかったのか定かではない。頭が回らない。

「南賀ノ川の下流で見つかったの」

――ふと気づけばトウリは自室に居た。
 自分の布団に横たわっていて、どうしてここでこうしているのかすぐに理解できなかった。たしか外へ出かけていたはずだ。
 体を起こそうにも、まるで布団に縫い付けられているように力が入らない。
 ぼうっと天井の木目を見ながら、今は何時か考える。今日は何日か。任務は。

「しすい……?」

 シスイは。シスイは?
 ようやく意識がはっきりしてきて、トウリはまた身を起こそうと両肘に力を入れるがうまくいかない。横に転がり、うつ伏せのまま顔を上げ、障子戸を掴んで頼る。
 ばり、と日に焼けた紙が破れるが、そんなことは構わず掴んで、ようやく立つことができた。
 いつもの寝間着をきっちり着こんでいるが、私服だったはず。
 それに外が朱色だ。最後に見たのは水色だった。あれからうっかり夕方まで寝てしまったのか。しかしトウリには自宅へ帰った記憶は一切ない。

「シスイ。シスイ」

 戸を伝い、壁を伝い、トウリは玄関を目指した。
 恐ろしいことを聞いた。シスイが死んでしまったと。
 あれはきっと夢だ。なんとも生々しく、食事の味もはっきり覚えているが、自分がさきほどまで見たものは夢に違いない。
 それでもこの目で確かめなければと、三和土に並んだ履物をつっかけて玄関の引き戸を開けると、居間の戸が開いて母が姿を見せた。

「起きたの? 大丈夫?」
「シスイ、シスイが」

 怖い夢を見たから、姿を確認して安心するために行ってくる。そう告げたかったが、トウリの心は、思考は乱れていて、言葉を正しく並べ変えることも難しい。
 母は口を引き結んだあと、トウリの肩に手をついた。

「シスイさんはもう、荼毘に付したでしょう」

 言い聞かせる声に、トウリの目は大きく開いて、すうっと息を呑んだまま呼吸を止めた。

「だび……?」
「覚えてないの? 二日前に。貴女も行ったじゃない」

 まったく記憶にない。トウリが覚えている『二日前』は、内勤業務を勤めたあとあんみつを買って帰った。夕飯後に部屋で食べながら舌鼓を打ち、シスイが会いに来たら一緒に食べたいものの一つに加えた。
 母が語る二日前など知らない。愕然とした様子に、トウリは本当に記憶にないのだと分かったのか、母はトウリを半ば無理矢理に部屋へ連れ戻し、祖父母を呼んでそばにつかせた。

「トウリ。トウリ、大丈夫かい」

 促されるまま布団に横になり、祖母の気遣う声と、祖父の心配そうな顔を見上げながら、もしやさっき見たものはすべて夢ではなかったのかと、ようやく気づいた。

「ねえ、今日は何日? 私、どうして寝ていたの?」

 訊ねたトウリに、祖母が今日の日付を返す。数字はトウリにとって、一週間後に当たる日だ。眠っていたのは、体調が優れないと自ら布団を敷いて横になっていたからだとも続けた。
 祖母が嘘を言うとも思えず、母や祖父の反応を見る限り、自分だけ時の進みがずれている。
 では、本当なのか。
 シスイが死んでしまったというのは。
 もう火葬を済ませ、骨だけになってしまったというのは、本当なのか。

「うっ、……うそ……うそよぉ……」

 両手で顔を覆い、トウリは『嘘だ』と繰り返した。
 湧水のようにぼろぼろと零れる涙が、目の端から耳のそばを通り布団へ落ちていく。
 声は次第に叫びとなって、激しい呼吸の果てに息が詰まる。
 苦しい。悲しい。
 苦しい。つらい。
 苦しい。会いたい。
 会いたい。会いたい。
 トウリの慟哭は、母が医師を連れてくるまで延々と続いた。



 過剰なストレスによる、一時的な記憶障害。トウリを診立てた医師はそう告げて、カウンセリングを勧めた。
 外聞に囚われる父と母は難色を示したが、祖父母の強い説得により、トウリは医師の伝手で紹介してもらった病院で心理師との面談を受けている。

「――では、一週間分の記憶がないと」
「……はい」

 通された部屋はテーブルと椅子が配され、壁には金属製の本棚が一台。硝子窓から見える背表紙は、色が薄れて年季が入っている。
 観葉植物が多数飾られているが清潔感があり、強い陽射しはレースのカーテンで角を取られ、丸みを帯びて入ってくる。
 対面に座る、自分を担当するという白衣の男性の物腰は柔らかく、トウリから一つ一つ丁寧に聞き取っていく。
 トウリが記憶を失っている一週間の間に、様々なことが起きていた。
 シスイの死を知らされた自分は、事情聴取のため警務部隊の取調室に連れて行かれた。理由は、トウリがシスイと特別親しい仲――つまり恋仲であるため、容疑者ではないにしろ、シスイの死に関わっているのではないかと疑いをかけられたからだ。
 記憶にはないが、トウリは動揺しつつも、シスイとはここ最近会っていないこと、そもそもしばらく会えないと事前に伝えられていて、連絡一つ取っていなかったことを説明した。
 業務中や業務外での行動に裏が取れるとすぐに解放され、その足でシスイの遺体を安置しているという施設に向かった。
 シスイの遺体は見せてもらえなかった。のちに分かったことだが、遺体には両目がなかったため、事件性の高さから、ごく限られた者以外は棺に入って家に帰ったところで、ようやく顔を見ることができた。
 自室に遺書があったことから、シスイは投身自殺を図ったと結論が出され、すぐに葬儀が執り行われた。骨になり、白い壺に入って、今はシスイ宅の仏間に鎮座しているという。
 その間、トウリは元気はないものの葬儀に出席し、業務を全うしていたというが、もちろんトウリには覚えがない。

「何も……何も覚えていないんです……」

 知らぬ間に、シスイとの別れが終わっていた。
 最後に見ただろう、棺の中の顔も思い出せない。
 それが今は一番悲しくて、男性を前に涙に咽ぶ。

「記憶の欠損は、なんらかのきっかけで取り戻す可能性もあります。ただ、今の貴女の状態を見ていると、それがいいこととは言えません」

 心理師がカルテにペンを走らせる。カリカリとした音は事務的で、それ自体には熱はない。

「貴女の心は今とても傷ついている。しばらく任務から外れた方がいいでしょう。医師に手紙を書いてもらうよう伝えておきます」

 休職しろと言われ、若干戸惑った。負傷して入院をしているわけでもないのに、任務を休むなんて、父や母がどう思うか。

「可能であれば、許せる方へお話してください。貴女のその悲しみは一人で抱えるには大きすぎる」

 そんな相手は、トウリにはシスイしかいない。
 シスイしかいなかったのに、そのシスイを失った悲しみは誰に話せばいい。

「望まれるのであれば、私でしたらいつでも聞きます。だから必ず、来てください。どうしようもなくつらいときや、すべてを投げ出したくなったら、私がお聞きしますから」

 垂れた目が優しげに微笑む。シスイとは違う。トウリが思うのはそれだけだった。



 休職の申請は、医師の診断書もあってかすんなり受理され、トウリは日がな一日家にこもっている。寝ることにも不自由し、体が堪えられる限界まで起きては泥のように眠った。
 祖父母が様子を窺いに部屋に顔を出し、トウリに甘い物を持たせるが、どれも喉を通りそうになく封も切らなかった。
 父はトウリをいないものとして扱い、母は食事をトウリの部屋に運ぶ。
 シスイの死にショックを受け弱り、業務を遂行できない役立たずは一家の恥らしく、家を出ることはできなかったが、外出したいとは思わなかった。
 休職して一週間と少し。同僚がトウリを訪ねてきたと言い、母が客間にトウリを呼びつけた。
 普段から用がなければ入ることのなかった一室には、花梨を切り出し作られたどっしりとした座卓が中央に腰を据えている。
 藍色の座布団の上で正座してトウリを待っていたのは、シスイの死を知らせに来た先輩。

「トウリ。久しぶり」

 親しげに声をかけるが、笑みはぎこちなかった。
 トウリは向かいに座り、そのまま軽く一礼を取る。挨拶のための声を出す気力もない。

「……痩せたね」

 痛々しいものを見る目で、先輩はトウリをそう称した。
 実際、トウリがここ最近口にできたものといえば、脱水にならない程度の水と、手のひらより小さなおにぎりを数個や、祖母が半ば無理に口に当てた羊羹を一切れほど。腹はすっかりへこんで、肌もかさつきやつれている。

「いろいろ聞いた? あれからのこと」

 先輩が指す『あれから』がいつの時期を指すのか不明だが、それを問うのも億劫で、トウリはただ頷いた。

「写輪眼を抜かれてたし、他殺の線が濃厚になってね。それでイタチが疑われてた」

 知り合いの名に驚いて顔を上げる。

「どうして……?」

 終始能面のようだったトウリが明確な反応を見せると、先輩は言いづらそうではあったが、座卓に身を乗り出してトウリへと近づき、声量を落とした。

「シスイ、上層部から言われて、イタチを監視してたんだって。暗部のイタチが、うちはを裏切っていないか見張っておけって」

 思いもよらぬ話に、トウリは驚いて言葉を失った。
 シスイとイタチは親しい友人だ。イタチは以前、シスイを『同士』だと言っていたし、シスイにとってもそれは同じだろう。
 そのシスイが、イタチの監視をしていたなど。

「監視に気づいて、邪魔に思ったイタチがシスイを……って考えたみたいなんだけど。でも、イタチがやったっていう証拠はない。それに遺書は捏造されたものじゃないかって言われてるけど、それってイタチだけじゃなくて、開眼しているうちはなら誰でも容疑者候補でしょ。結局、自殺ってことで落ち着いたみたい」

 話し終えると、先輩は浮かせていた腰を下ろし、母が出しただろう茶の湯呑みを取って一口飲んだ。
 大事な証拠だからとシスイが残した遺書を見ることは叶わなかったが、内容だけは教えてもらった。
 『任務に疲れた。うちはに未来はない。自分にもない。これ以上道に背くことはできない』
 すべてを諦めきった男の遺書として何ら不審な点はなかった。
 ただ、他者の動きを真似る眼を持つ一族を前にすれば、筆跡鑑定など意味がなくなり、遺書が本当にシスイの手によって書かれ残されたのかははっきりとしない。
 シスイに監視されていたイタチの犯行かもしれない。それ以外のうちはの者による仕業かもしれない。
 けれどそれ以上の手がかりがなく、状況証拠だけ見ればシスイは自殺したと結論づけるしかなかった。

「力になれないかもしれないけど、頼っていいからね。トウリさ、下忍の子たちの世話してたんだね。みんな心配してたよ」

 先輩が自身の胸に手を当て、自分を頼れと言う。
 随分会っていない下忍の子どもたちも、トウリを気にかけている。
 情報として脳に蓄積はされていくが、心にまでは下りてこない。
 返事のないトウリに焦れたのか、先輩が立ち上がり、座卓を回り込んでトウリのそばまで来る。冷たい手を取り、両手でぎゅっと握った。

「ねえトウリ。死んだらだめだよ。シスイのあとを追っちゃだめ。私はシスイとそんなに仲良かったわけじゃないけどさ。でもシスイは、そういうの望んでないと思う。トウリに死んでほしいなんて、あいつは絶対言わないと思うよ」

 ならば、シスイは自分に何をしてほしいのだろうか。
 シスイは、未来はないといった。うちはにも自分にも、待ち望むような未来はもうないと。
 トウリは呆然とするしかなかった。
 シスイは、自分のことを忘れていたのだろうか。
 預けたしのび玻璃のことも、必ず迎えにいくと言ったトウリのことも、彼は死ぬ間際に、思い出してもくれなかったのか。
 どうして自分を置いていったの。自分との未来も諦めてしまったの。姿の見えないシスイに、トウリは問い続けた。



 それから二か月ほど経った。
 あれ以来、先輩はたまに顔を見せに来ている。一度下忍の子どもたちも連れて訪ねて以降は、子どもたちだけでもトウリに会いに来るようになった。
 先輩や子どもたちはトウリへの手土産を欠かさず、甘味や家で生った季節の果物を持参することが多い。
 貰い物に口を付けない無礼を案じたトウリは、少量ではあるが食べるようになり、少しずつ体調も持ち直してきた。
 二か月を過ぎる前に、以前より量は少ないが人並みの食事も喉を通り、不眠の症状も改善し、時間は不規則だが眠れるようにもなっている。
 心理師を通して医師からも許可が出て、トウリは警務部隊に復帰した。警邏はなく、再び内勤の日々。
 病んで休養していたトウリを、周囲は様々な目で見やる。一番多いのは同情だ。
 “突然想い人を失い、気を病んで床に臥せていた可哀想な女の子”
 腫物に触るような扱いに居心地の悪さを覚えるが、休職して迷惑をかけた手前、また任務を放棄するような真似はしてはならないと、俯くばかりではあるが警務部隊の本部へ通っている。

 日中の内勤業務を終え、支度を整えたトウリが本部を出る。
 まだ陽のあるうちに外へ出ると、よく甘味を買いに店へ行っていたが、最近はまっすぐ家に帰るのが常だ。
 トウリに向けられる視線も、あからさまなものは減った。『可哀想な女の子』であることは変わりなかったが、周囲の関心はトウリよりも一人の少年に向けられている。
 うちはイタチ。うちはの忍でありながら火影直属の暗部に身を置き、シスイの親友で、シスイ殺害の容疑をかけられた、族長の息子。
 噂の的になりやすい要素を抱えた少年が、珍しくもうちは地区の中を歩いている。
 うちはの彼の姿を地区内で見かけるのは不思議ではないが、イタチを見る住人の目は、いつかのコカゲへ向けるそれと同じだった。
 イタチは無遠慮な視線など気にもせず、地区内を進んでいく。目的地があるのか、足取りは迷うような気配はない。
 トウリはイタチの後を追った。見失わぬようつかず離れずの距離を保ち、自分の背丈をすっかり越したが、昔からあった線の細さは残る。
 足は地区内にある林の方へ進んでいき、木々の中に入ってしばらくすると、留まることのなかった足がぴたりと止まった。

「――何か用か」

 くるりと踵を返したイタチが、トウリを見て訊ねる。トウリは驚かず、そこで歩を止めた。イタチがトウリの存在に気づいていないはずがない。
 無言でイタチを見返し、見合うこと少し。

「イタチが、殺したの?」

 前置きもなくトウリが問う。
 イタチは眉の一つも動かさず、双眸にも揺らぎはない。

「私は、イタチが殺したとは思ってない。イタチとシスイは、同じ夢を持っていたんでしょう。だったら二人には背く理由がない」

 二人は同じ夢を持つ同士だ。嫉みにも見た感情を向けた覚えがあるほど、トウリは二人の間にあるものは、崇高な繋がりだと知っていた。
 イタチがシスイを殺したと疑われていても、トウリは他に同調しなかった。
 二人は親友で、イタチは親友を殺すような人間ではないと信じている。

「違うんでしょ? イタチじゃないんでしょ?」

 信じているが、しかし真実はどこにも転がっていない。
 語る口はイタチしか持たず、彼が教えてくれなければ、トウリは真実を握ることができない。

「イタチ……」

 一言でいい。違うと、殺していないと言ってくれたら、トウリはそれでいい。
 けれどイタチは何も言わない。トウリから黒い瞳を放さないが、問いかけに答える素振りもない。

「――違うなら違うって、はっきり言ってよ!」

 思いの丈を発っしたトウリの叫びは、林の木々の枝葉を通って空へと打ち上げられる。止まっていた鳥たちが声を上げ飛び去り、辺りで羽音が響く。
 イタチへの怒りなのか、ままならぬことへの悔しさなのか。区別のつかない思いが胸の中でないまぜになり、そのまま肺を縛り上げ苦しめる。
 涙を浮かべたトウリに、イタチがようやく感情を見せる。目頭から伸びた窪みの端、その下の唇が、ほんのわずか動いた。
 しかし待っても言葉は送られず、イタチはトウリに背を向け、林の奥へと歩を進める。
 追い駆ける気になれなかったトウリが見送っていると、突然背後に人の気配を感じた。

「ちっ。収穫なしか」
「シスイの女に問い詰められたら、さすがに何か言うかと思ったが……俺たちに気づいたんだろう」

 男が二人。うちは一族がよく身に纏う、襟の高い服と袖の徽章。
 戸惑うトウリを、背の高い男が見下ろす。会合の中で、前列にほど近い場に座して、族長らにも引かずに意見を唱える者の一人だ。

「悪いな。俺たちも仕事なんだ」

 彼らの存在と言葉で、イタチが物言わずに去って行った理由を知る。男たちの存在に気づいたから、何も言わなかった。彼らさえついてこなければ、イタチはトウリに真実を教えてくれただろうか。
 男たちは来た道を引き返して行き、トウリだけが林の中にぽつんと残された。
 信じさせてほしい。
 シスイとイタチが互いに預けていた心。それは、最期の顔を覚えていないトウリが覚えている、シスイの真実の一つ。
 あのときも、今も変わっていないと信じさせてほしいのに、トウリはとうとう知ることができなかった。



 日々は緩慢に過ぎ、内勤だけでなく警邏にも出る回数が増えた。
 休職する前ほどではないが、先輩や下忍の子どもたちを前にすると、トウリの顔にも笑みが少しずつ戻ってきている。
 トウリの回復とは逆に、うちは全体の空気は肌を刺すような緊張感と圧迫感が広がり、落ち着いていた幼子たちの顔にも、暗い影を落とすようになった。

「お父さん、毎日家で怒ってる。いつもいつも、里の人たちはちゃんと理解できない馬鹿ばかりだって……」

 家に帰るのが怖いと、トウリに訴えたのは下忍になって一年も経っていない少女だった。帰宅すれば父の苛立ちに怯えなければならず、帰りたくないと警務部隊の本部にまで顔を出して、トウリに助けを求めた。
 しかし、トウリの家にも似たような父が居る。晩酌の肴は里への鬱憤で、家に招いて泊まらせても同じことになると懸念した。

「じゃあうちにおいでよ」

 困るトウリに助け船を出したのは先輩で、構わないよと少女に伝えると、少女はやっと明るい笑顔を見せ、ほうっと安堵の息を漏らした。

「すみません。先輩のお宅にまで迷惑を……」
「いいのいいの。私も放っておけないから。こそっと帰って支度しておいで。今日は本部が早く閉まっちゃうから、できるだけ急いでね」

 少女は言われたとおり、急いで本部を出て家へと向かう。安心できたおかげか、元気よく駆けて行った。
 これであの子の今夜は穏やかなものになるだろう。
 けれど次の夜は。次の次の夜は。
 さすがにいつまでも先輩の家に留めておくことはできない。
 問題を先送りしているだけなのは誰でも分かってはいるが、打ち破る手立てがなければ、ただ過ぎていく時間を守るしかできない。
 シスイならば、あの子のためにどんなことをして、彼女の心を守っただろう。
 考えても思いつかない。助けるならば、あの子より何より自分を守ってほしくて、考えることすらしていなかったのかもしれない。
 小さな体躯で怯える少女を慮れない自身に嫌気が刺し、こんな浅ましい自分が彼女の身を保護せずに済んだことだけが、今はトウリの救いだった。

 普段より三時間ほど早く業務が終わった。
 設備の新設のため、本部に業者が入り作業を行うので、早期帰宅の通達があった。里の巡回警邏は暗部に任せ、うちは一族は有事の際に素早く動けるよう、終業後は各自家での待機も命じられている。
 少女を連れて帰っていく先輩を見送ったあと、トウリも帰宅の途についた。
 自宅待機を命じられているため、まっすぐ家に着く。玄関の戸をそっと開けると、父の靴が目に入る。
 もうすでに家に居ることにうんざりしつつ、顔を合せぬよう、声もかけられぬよう、足音も気配も殺して進む。
 居間に面した廊下を通ると、

「三男との話を進めてきた」

という父の声を拾い、妙に気になってそっと足を止めた。

「では、本当に?」
「ああ。時期が来たらすぐにでも」

 母の問いに、父が答える。襖の向こうの気配は二人。祖父母は部屋に居るらしい。

「ですが、お相手はトウリより二十も上で……」

 母は珍しく父へ意見しようとしているらしい。
 父の言に異を唱えることなどほぼなく、何でも「はい」と答えてきた。シスイと出会わなければ、トウリもいずれ母と瓜二つに育ったかもしれない。

「傷物の娘を貰う家など他にない。行かず後家の恥さらしになるよりましだ」

 わずかな勇気を奮ったような母を跳ね付けた父の言葉に、トウリの鼓動が速くなる。
 話の筋は不明だったが、単語だけ拾えば大体は想像がついた。父はトウリの話をしている。嫁にやる話だ。

「シスイさえ死ななければ、あいつの両親の面倒を見てやる代わりに婿として引っ張ってこられたというのに……下忍中忍しかおらぬ家へ嫁にやるなど、育て損なったわ」

 吐き捨てると共に、湯呑みを机に叩きつける音。
 トウリは踵を返して玄関へと戻り、そのまま外に出た。
 これまでにも何度も思い知っていたのに、父にとってトウリは娘という道具でしかないのだと改めて知る。
 後を継げぬ女のトウリは、うちはのどこかから男を連れて来なければならない。才に恵まれた上忍と娘が親しい仲であったことは、父にとってこれ以上ない幸運だったに違いない。
 そのシスイが死んでしまい、父の計画は狂った。
 トウリは決して“傷物の娘”と卑下される謂れはなかったが、トウリとシスイが恋仲であり、心を病んで床に臥せていたという認識が浸透しているとあっては手遅れ。婿どころかトウリを嫁にやる当てがろくに見つからず、まだ妙齢であるのに、二十も歳の離れたどこぞの三男坊の下へやらねばならなくなった。
 なぜ、こんな目に遭わねばならないのか。
 トウリはただ、シスイと共に在りたかっただけだ。一国の主と結ばれたかったわけでも、夜空に瞬く星をねだったわけでもない。
 やり場のない思いを抱えたまま、トウリは南賀ノ川を伝い、上流に向かって歩く。
 南賀ノ川はシスイが身投げした川。ある程度流されてきたと言われており、うちはの調べで、場所の目星はついている。
 恐らくシスイが身を投げたのは、上流の半ばほどにある、谷間の崖。細い川が何本からの滝になって本流と混じり、周囲の木々が途切れ、そこら一帯だけが剥げた地に岩が転がっている。
 人目につきにくく、身投げするには十分の高さ。まずそこに違いないと。
 それを知ってから、トウリは何度かその場へ赴こうと思ったこともあったが、まだ一度も行っていない。シスイの死に、見える形で向き合うことが怖かった。
 でも今は、シスイが身を投げた川のそばを歩き、彼が命を諦めた場所へ行って、シスイを感じたかった。

 崖へ行くには、途中から川沿いから少しずれた道を歩く。斜面を登り、木々の青い匂いを鼻から吸い込んで、草を分けて進む。
 目的地に着くと、そこにはすでに先客がいた。向ける背には家紋ではなく刀を携えた、長い黒髪を一つにまとめる少年。
 トウリに気づいて振り向いた顔にある、目の端から下りた窪み。両目の黒は、トウリを捉えると少し揺れた。
――イタチ。
 シスイを殺したと疑われた、シスイの親友。

「こんなところで何してるの?」

 イタチの下へ歩み寄りながら、語気を強めて問う。
 ここはシスイが死を選んだ場所。そんな場所で、イタチは何をしていたのか。
 顔の動きが十分に視認できるほどトウリが近づいても、イタチは何も答えなかった。

「答えないの。何も。教えてくれないのね」

 先の問いにも、いつかの問いにも答えてくれなかったことへの憤りが、トウリの声をかたくする。
 イタチは眉間に皺を作るが、トウリがしばらく黙って待ってみても、やはり何も言わなかった。

「私、そのうちお嫁にいくみたい」

 脈絡のなさにか、その内容にか。イタチの両目が大きく開く。

「相手はね、二十も上なんだって。私を貰ってくれる人は、その人しかいなかったんだって。シスイがいなくなったから、私はその人の嫁になるしかないんだって」

 何も返さぬ相手に、溜めたばかりの恨みをぶつける。
 シスイが死ななければ、自分は顔も名も知らぬ、親子ほど年の離れた相手へ嫁ぐことはなかった。
 シスイが約束どおりにトウリの下へ戻って来てくれれば、トウリはあの父から解放されて、人並みの幸せにまどろめた。
 いや、それよりも――

「うちはじゃなければ、よかった」

 幼い頃は“うちは”から外れることが恐ろしかった。
 物知るようになって、“うちは”であることが苦しくなった。
 そして今は、“うちは”として生きなければならないことが、トウリの心を殺していく。
 こぼれる涙を見られたくなくて、トウリは通ったばかり道を引き返し走る。
 泣きながら全力で駆けることはとんでもなく苦しかったが、足は止められず、体が許す限り駆けて家についた。
 ようやく帰ってきた娘に父が怒鳴るが、トウリは意に介さず自室に戻り、布団も敷かずにそのまま畳の上に体を倒す。
 少し経って母が夕飯だと声をかけてきたが、食事などする気は起きず、畳と同化するように静かに沈黙した。
 諦めた母の足音が遠くなり消え、静寂が室内を満たす。
 外し忘れた腰につけたポーチに、寝転んだまま手を入れる。探って、冷たくつるつるした物に触れ、指先で摘まんで取り出した。
 一度手で握り込んで、一本一本、指をほどく。
 丸く平たい硝子。シスイがくれたしのび玻璃は、今も変わらず持ち歩いている。
 もうシスイが戻ってこないと知っても、いつか来るかもしれないからと、肌身離さず持っていた。
 けれどもうすぐ、これを持って待ち続けることをやめなければならない。そのうちトウリは嫁にいく。シスイではない男と添い遂げる。

「どうして……」

 どうして私を置いていったの。
 もう何百と呟いた問いを、闇の中では何も映せぬ玻璃に繰り返しながら、トウリは目を閉じた。
――音がした。
 ハッと目を開ける。どうやら少しばかり寝ていたらしい。
 何かが倒れる音。ぶつかって落ちる音。ばりんと皿が割れる音。
 また父が母に怒って、暴れでもしているのか。
 けれど父のがなる声も、母の怯える声も聞こえはしない。
 それどころかしんと静まって、家の中の気配が失せた気すらした。
 おかしい。思い、しのび玻璃を握ったまま、部屋の障子戸を開けて榑縁に出る。
 事態に備え、足音と気配を消して居間へ向かう。ぎい、と床板の軋む音が後ろから鳴った。誰だと振り向くと赤


【完】



17 澱に落ちるは名

20201027


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