祖父のカガミは、うちはと浅からぬ縁のある二代目の火影、千手扉間も一目置いて弟子にした。
その直系であるシスイが天才と称されるほどに秀でているのは、出来過ぎた物語の一説のようではあるが、トウリの目の前に立って快活に笑うシスイは、たしかに存在している。
そのシスイの傍らに立つ、見慣れない少年。自分よりいくつも年下のようだが、その額には木ノ葉の鉢金が光る。
「イタチだ。フガク様の息子で、少し前に下忍になったんだ」
紹介された少年を前に、トウリはひどく戸惑った。
フガクはうちはの長。警務部隊の隊長も務めており、神社で行われる会合で上座に腰を据え、激論の渦の中心にいる。
その息子が彼。うちはイタチ。フガクに息子が二人いること自体は、トウリも以前より知っていた。
九尾が暴れ出す三月ほど前に次男が産まれた話を聞き付けた父が、『息子が二人とは羨ましい』と何の気なしに零していた。父は自分が女として産まれたことがずっと不満だったのだと、薄々気づいてはいたが突きつけられた気がして落ち込んだことを覚えている。
「下忍……? え、だってこの子、まだアカデミー……」
「アカデミーでの教練は、イタチにはもう必要ないって、上が判断したんだ」
イタチはどう見ても幼い。アカデミーを卒業するどころか、まだ入学したばかりと言われても不自然ではないほどだ。
「いくつなの?」
「七つだ。本当は入って半年くらいで卒業することは決まっていたんだが、その年の卒業式まで待ってたんだ」
たった一年で、と思った矢先に、実際は半年。
シスイもトウリも卒業は早かった。卒業条件を満たせるほどの成績を修めていたからだったが、大戦中の忍不足の影響が一番大きい。
終戦後はあらゆる面で見直され、アカデミーへの入学は六歳から、卒業は十二歳を基本としている。
戦争中に里の忍が多く命を落とした。年端もいかない忍も、歴史の中に紛れる塵となった。貴重な人材を手厚く育て保護するために、数年かけてじっくり養成すべきと定められている。
その定めから外れた少年。彼が相当優秀な生徒だったということを証明するのに、もはや余分な説明は要らない。
「イタチです」
黒い双眸はまっすぐにトウリに向けられる。声は高いが口調は物静かで落ち着きがあり、とても七歳には見えない貫禄がある。
「トウリです……」
名乗り返し小さく頭を下げると、彼も黙礼を返した。
イタチの動きには乱れも隙もない。折り目正しい彼に、緊張感からかトウリの口の中がからからに乾いてきた。
その日、帰宅して家族で夕食を囲んでいると、まるで図ったかのように父が『フガク様のご子息』の話をした。
曰く、この時代にあの歳でアカデミーを卒業してみせたと。
曰く、シスイにも勝るとも劣らない天才だと。
シスイと同等か、それ以上か。イタチと会っていなければ、七つの少年がそんな大それた力を秘めているのかと疑っただろうが、すでにトウリはイタチに会い、その冴えた異彩を感じていた。
「トウリ。同じ下忍として、お前もご子息に挨拶しておけ」
「……今日、会いました。シスイに紹介されて」
すでに挨拶は済ませたと告げると、父の顔が少しだけ明るくなる。
「そうか。共に天賦の才を持つ者らしく、あの二人は親しげだったと聞くからな」
そんなこと知らなかった、とトウリは驚く。
シスイのことについては父よりも自身の方が熟知していると自負していたのに、イタチとの仲はまったく知り得なかった。
「いいか、トウリ。フガク様のご子息へ粗相のないよう気をつけろ。彼はいずれ、うちはをまとめる長になる。お前たちの時代を率いるお方になるのだからな」
いつもの呼びかけ。そして言いつけ。いつもと変わらず、トウリは「はい」と返事をし、止めていた箸で味噌汁の中に沈殿していた具を混ぜた。
イタチと顔を合わせてから、シスイの空いた時間は彼にも割かれていたと知って、トウリは複雑な気持ちだった。
シスイにはシスイの時間があり、それをどう過ごすかは彼の自由ということは分かっていた。
しかし、イタチという明確な存在を目の前にしたトウリの心はざわついた。
シスイの時間すべてをトウリが独占したかったわけではないし、これまでもそんなことはできなかった。
彼の父は任務の負傷で床に臥せっているため、シスイが家計を支え、父の看病を続ける母も支えている。任務もあり、タクマをはじめ友人や仲間もいた。寂しさはあったが、理解もしていた。
なのにイタチだけに湧く、この感覚は何なのか。
分からぬまま、トウリはシスイに誘われ、イタチを含めた三人で、人避けのされた森に居る。
森の葉擦れに混じって響くのは、互いの拳や放った金属が立てる鋭い音。
早々に逃げ出した鳥や小動物の姿はなく、巻き添えを食らわぬよう岩の影に隠れたトウリだけが、二人の戦いの行方を見ていた。
「ひっくり返されるとは」
「お前はまだ軽いからなぁ」
組手を終えた二人は和解の印を結んだあと、先ほどの手合せの反省を始める。
イタチの連撃を流していたシスイが、隙を突いて拳を受け止め、その力を利用し小柄な体をくるりと返して地につけた。無論、イタチは返されるつもりは一切なかったが、体重の軽さが敗因に影響してしまった。
この組手ではイタチが負けた形だが、二人の動きは鮮やかで、はっきり言ってトウリの理解できる範疇を超えている。
シスイの実力の高さは、他人から漏れ聞く話だけでなく、自分の目でも見ていたから分かってはいた。
しかし、わずか七歳のイタチの身のこなしは、明らかにトウリが知る七歳の子どもの動きではない。小奇麗な言葉をとっぱらえば、異質だ。
「トウリ。休憩だ」
シスイが手を上げ、岩陰に居るトウリへ声をかける。トウリは脇に置いていた荷物を取って、二人の下へ急いだ。
持ってきた鞄には、水筒が三つと団子が六本。イタチと組手をするというシスイにばったり会って、一緒に来るかと誘われた際に、小腹と喉を満たせるようにと買っておいた。
水筒を手渡すと、二人はすぐに蓋を取って煽り、喉を鳴らす。
喉をある程度潤したあとは、団子の串を手に持ち、先ほどの組手での互いの所感を口にし合う。
トウリはその間、二人の会話に混じることはなく黙々と水筒の水を飲み団子を咀嚼する。共にやらないかと声をかけられたが断り、組手に加わっていない自分は語る口は持っていない。
「明後日は会合だな」
団子を一串食べ終わったシスイが、ふと話題を変える。
『会合』という単語を耳に入れると、甘いと感じていた団子の味が一切しなくなった。
日にちに多少のずれはあるものの、会合は今でも定期的に行われており、トウリは欠かさず向かっている。熱心な父が連れていくので、欠席したことは一度もない。
下忍のイタチも、先日から会合に出席するようになった。
族長の息子として紹介を受けた彼は、終始無言ではあったが、顔を俯けることは一切なく凛として立ち、無遠慮なく見てくる大人たちに怯んだりはしない。
社殿内で一番の若手ということもあり、下座に腰を下ろして黙していたが、上座で胡坐を掻く父親とよく似た居住まいに、トウリは恐ろしくなった。
年端もいかぬ七つの子が、あの本殿に足を踏み入れても、室内に広がる奇妙な熱に翻弄されることもなく、常に静謐な水面のごとく座している。
「あの会合は、いつもああなのか?」
シスイに続いて団子を一串終えたイタチが、次の団子を手に取りながら訊ねる。言葉も顔もシスイに向けられていたので、トウリは口を噤んで同じくシスイを見た。
「九尾に、集落に、警務部隊、火影……里を疎む理由はいくらでも出てくる」
九尾を操り安穏を襲ったのではないかという疑いの眼差し。
里からの孤立を促すような集落の作りや、警務部隊という他部隊より隔絶された扱い。
木ノ葉隠れの里創設に関わった一族でありながら、火影候補として名も挙げられなかった。
不満だけが溜まっていき、発露できる場が会合くらいとなれば、熱気は否が応でも高まる。
「自分たちの先祖が創った里だというのに、今現在、里を動かしているのは他の一族。今でもオレたちうちはは一目置かれている部分もあるけど、厄介に思う者も少なくない」
争っていたうちはと千手が木ノ葉隠れの里を作った。考えに賛同した他の忍の一族も加わり、里は今の形を成していった。
名高い功績も、卓越した力も持つ。里の治安も古くからうちはが守っている。
しかし、里の忍にもかかわらず、うちはは里から遠ざけられている。
「武力を持って訴えれば、武力で返される」
イタチは静かに言った。少年独特の、高い声は涼やかだ。
「ではどうすればいいと思う?」
シスイが訊ねると、小さな唇の上下を貝のように一度合わせ、それから息を一つ吐く。
「一族は、誉れや立場などより、もっと大事なものに気づかなければならない」
「大事なもの?」
「未来だ。不本意な死を迎えることも、不条理な死に嘆く人もいない。オレたちが繋げていくべきなのは、平和な未来だ。そのためには、強くならなければならない。身だけではなく、心も」
矢継ぎ早のシスイの問いに慌てることなく、イタチはすらすらと答えた。
はじめから用意していたようななめらかな回答に、まさしくそのとおりだったのだろうとトウリは理解した。
イタチは、うちはや自分たちが成すべきことは、平和な未来を作ることだと考えていた。
たった七つの、まだ下忍になって一年も経たぬ少年は、誰に言われるでもなく自分の目指す先を見つけ、自らの言葉で決意を形にしている。
その高潔さに、トウリは圧倒された。
シスイはどう思っただろう。イタチの、幼さをすっかり脱ぎ捨てた意志を。
興味本意でシスイの表情を窺ったことを、トウリは深く後悔する。
トウリが理解したのなら、シスイが気づかぬわけがない。イタチの凛然たる決意に、彼は微笑んでいた。
――イタチは、シスイの期待に応えた。
愕然とした顔は俯き、言いようのない焦りに体のあちこちが落ち着かない。
「トウリ、どうした?」
「……ううん。別に」
様子が変わったトウリへシスイが声をかける。先ほどからイタチとばかり話していたシスイが、ようやく自分と。
嬉しさより、今の自分の心を見抜かれるのが怖くて、水筒に口を付けることで誤魔化した。
トウリの返事に納得しないものの、シスイはそれ以上追及しない。イタチも団子を食んでいく。
喉も腹もほどよく満たされた、穏やかな昼下がり。けれどトウリの胸中は嵐が吹き荒れている。
たった一人の少年に、なぜこんなにも掻き乱されるのか。
単純にシスイを取られた気になったからだとも思っていたが、タクマがシスイの親友だと紹介されたときは、そんな気持ちを抱きはしなかった。
それはきっと、タクマがトウリより年嵩であり、同時にトウリがまだ幼かったからだ。
年上であれば、自分よりも腕があっても仕方ないと思えてしまう。生きた年数が違えば、学び鍛える時間に差が出てくる。だから当然なことだと納得できてしまう。
しかしイタチは四つほど年下で、体格もトウリより小さい。
なのにあの頃のトウリよりも、今現在のトウリよりも、ずっと正確に的の中心へクナイを当てる。
『みんなと仲良くなれたらいい』などという淡く、責任感のない願望ではなく、『平和な未来を繋げていく』という確固とした目標を掲げ、研鑚を積み努力している。
何もかもが自分と違う。
うちはイタチという少年は、誰がどう見ても異質だ。
けれどシスイはイタチに畏怖などしない。
彼もまた神童と称される少年で、むしろ自分と価値観を持ち、共に枠から外れて浮いているイタチと出会うことで、ようやく同士を得た気ですらあるだろう。
――つまり、トウリでは足りなかった。
語らぬシスイに応えられたのは、トウリではなくイタチだった。
トウリは無能な自分に落胆し、それでも矜持まで捨てぬよう、涙を零すことだけは堪えた。