最果てまでワルツ | ナノ
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 きっかけは何だったかよくは覚えていないけれど、わたしたち四人は互いの誕生日を祝うようになった。

 リンの誕生日にはわたしが選んだものを。
 わたしの誕生日にはリンが選んだものを。
 同性だから好みが一番分かるだろうということで、そういう割り振りになった。オビトとカカシはお金を出すばかりで、味気はないけれど一番確実な手だ。

 オビトの場合はケーキ。家族がいないオビトの傍で、わたしたちが共に丸いケーキを囲む。
 最初はお店で買ったものを用意したけれど、わたしとリンが作ったケーキを持っていくととても喜んでくれたので、以降はそうした。
 オビトが喜んだ理由は『リンが作ってくれた』という点であり、わたしが作ったかどうかの有無は関係ないと分かっているだけに、ケーキを前に顔を明るくするオビトに複雑な気持ちはあった。
 でも嬉しそうに頬張る姿を見ていたら、そんなことを思うのは水を差すだけだと考えないようにした。

 カカシの誕生日は秋の初め。
 それを知ったとき、『[すすき]頭にちょうどいいな』とオビトがからかって、カカシは一言『毬栗[いがぐり]頭が何言ってんの』と返した。
 笑っちゃいけないと堪えるわたしへ冷めた視線を送るカカシの目は、秋というより真冬のように凍てついていたのを覚えている。
 甘い物が嫌いなカカシにケーキを用意するのはただの意地悪だ。同性のオビトはカカシのプレゼント選びなんて、もちろん一切やる気がない。
 ではどうしようか。リンと二人で頭を悩ませた末、出した結論は『本』。読書が趣味のカカシにぴったりで、わたしたちは毎年、秋が始まる前に本屋へ向かった。
 平積みされた小難しい題名の本を眺め、カカシが興味がありそうで、でもすぐには買わないだろう本を選ぶ。
 けれど、どれももう買っていたり、明日にでも買いそうなものばかりで迷う。すでに持っている本を贈るのは絶対に避けたい。
 そんなとき、オビトが『これでいいじゃん』と、平積みの低い机からではなく棚の列から取った本が、実は的確にカカシの好みを突いていて、且つ購入していないものだったりする。
 やっぱり男子は男子のことが分かるんだねと、リンと顔を突き合わせこそこそと笑った。男の子って素直じゃないよね、なんて、分かった風に。


 オビトやリンがいなくなってからは、誕生日などというものは、楽しかった日々を思い出させる、つらい日でしかなくなった。
 リンが気に入る物を考えることはもうない。
 オビトのためにケーキを作ることもない。
 カカシへ贈る本を買うために本屋へ向かうことも、もう二度とないと思っていた。



* * *



 そろそろ不審な客として目を付けられないかと不安になったのは、店内を五周した頃だ。
 木ノ葉隠れの里には多くの本屋が店を構えている。個人で営んでいている小さな店から、多くのジャンルを網羅する大型店。一つの専門に特化した店もあり、よくお世話になっている忍術書の専門店はこれに分類される。
 わたしが今現在、ぐるぐると店内を闊歩しているのは、里でも特に活気のある商店街――から少し外れた路地に面している古書店。
 中古本を取り扱う店は他にもあるが、ここは他所と値段が一桁、二桁違う。絶版本や発禁本を特に取り扱っており、どれも貴重なものばかりだからだ。
 だと言うのに、出入りの戸は風が吹けばカタカタ音を立てるほどに薄く頼りない。店主が元忍で、支払わずに品を持って外へ出ると、施している結界に反応し捕まると噂があるから、戸の有無は関係ないのか。
 明光に欠ける照明、古い本特有の籠った匂いは、冷やかし目的の客を寄せ付けない雰囲気を漂わせ、客の入りは多くない。
 それでも単価が高い故か、はたまた他の理由でか。店は閉まることはなく、たまに立ち寄れば品揃えも変わっている。盛況とは無縁に見えて、この店の贔屓客は結構な人数なのかもしれない。

 そもそもどうしてわたしが、この古書店の中を五周もしているのか。
 理由はただ一つ。もうすぐカカシの誕生日が来るからだ。
 袂を分かち数年。まさか付き合うことになるなんて、子どもの頃の自分に言っても信じられないし、数年前の自分に伝えても嘘だと思うだろう。
 わたし自身も当初は違和感があったけれど、今はそうでもない。カカシが自分の部屋に居ることにも、二人で食事したり並んで歩くことも慣れたし、周りからあれこれ詮索されてあしらうことも平気になった。
 世間的にも恋人の誕生日は祝うもので、プレゼントだって贈るものだと思う。そうじゃない人もいるだろうけれど、わたしは幼い頃からそういうことに憧れを持っていた。
 だからカカシの誕生日に祝いたい。そのためにはまずプレゼント探しだ。
 色々考えたけど、プレゼントは本に決めた。昔と同じなのは何の捻りもないけれど、実用的な物を好むカカシには何度考えてもぴったりだ。
 恋人になって初めて。友人や仲間としてなら実に十年近くぶりに祝う機会がまた来るとは。慣れたと思っても、慣れないことがまだ出てくるのは、不思議でくすぐったい気持ちだ。

――それはともかくとして。まずは目の前の課題をクリアしなければならない。
 カカシが好む本は、昔と違わないなら想像がつく。でも昔と同じで、どうも『これ』という物に絞れない。
 以前だったら、本人は不服かもしれないがオビトが選んだ本が当たりだった。何故か毎回ピタリと当てるから、カカシもオビトも薄気味悪がっていた。
 でもオビトはいないし、相談できるリンもいない。

 高い古書なら、さすがにカカシも買ってないかな。

 そう考え、店内の中ほどに重く腰を据える、観音扉にガラスが嵌め込まれた、鍵つきの棚に並ぶ本を眺めてみるけれど、いまいちどれもピンとこない。
 大体カカシは高給取りだ。欲しいと思えば、かなり値が張る本でも買えてしまう。
 だとすると値段は大した指針にならない。純粋に、カカシが興味を惹かれるか否か。

「分かんないなぁ……」

 贈り物なのだから好みに合うものを渡したい。せっかくなら、贈り物を受け取った際の作法の一つではなく、心から喜んでほしいと思う。
 しかし選びきれない。今は具体的にどんなジャンルの本を好いているのだろう。

「難しい顔してどうしたんですか?」

 店内を六周し、もう店を出ようかと考えていたら声がかかった。カカシの後輩のテンゾウだ。非番なのか休みなのか、暗部の装備は身に着けてはいない。代わりに正規部隊の緑のベストを羽織っているが、独特の額当ては普段と変わらず顔の輪郭を縁取っている。

「本を選んでるんだけど、どれがいいか決めきれなくて」
「へえ。どんなものが欲しいんですか?」
「それが分からないから悩んじゃってたところ」

 目の前の棚に並ぶ、古い字体の本の背表紙は、かすれているものや滲んでいるものもある。ここはまだ新しい方だ。隣の棚は四つ目綴じなので、立てずに平積みで重ねられている。もっと向こうには巻物もある。本じゃなくて巻物もいいかなぁ。

「分からないんですか?」
「わたしが欲しいんじゃないから」
「え? じゃあ、何のために選んでるんです?」

 思うままにテンゾウがわたしに問い続け、わたしも深く考えずに答え続けていたやりとりを止める。なぜ答えられないのかと、テンゾウの丸く大きな目は疑問に満ち、太い視線の槍となって遠慮なくわたしを突き刺した。

「ほら、誕生日。もうすぐでしょ?」
「誕生日?」

 言いづらさもあって、自然と声の大きさを絞る。『誕生日』だけではテンゾウには完全には伝わらず、仕方ないので手で壁を作って距離も少し縮めた。

「……カカシの」
「ああっ!」

 合点がいったと、テンゾウは一際大きな声を張った。店内に響いたため慌てて周囲を窺うが、特に店主や他の客からの咎める気配はない。
 ホッとしてテンゾウへと目を戻すと、声を出した張本人は唇をぎゅっと一文字に結んでいた。けれど心なしか口角は上がっている。

「なに?」
「いいえ。別に」
「おかしくて笑いたいのを、必死で我慢してるみたいに見えるけど?」
「いやまさか。そんな。ははは」

 否定するため口を開いたせいか、抑えきれなかった笑い声は端から漏れた。テンゾウは咄嗟に手で口元を覆うけれど、もう遅い。
 わたしがカカシの誕生日のために本を選んでいることが、テンゾウにとっては腹を抱えて大笑いしたいほど面白い話なのだと思うと、途端に自分のやっていることが恥ずかしくなる。
 そりゃあね。あれだけカカシと一悶着も二悶着も起こしていたくせに? いきなり付き合いだして? 誕生日プレゼントに悩んでいる? 面白くて仕方ないでしょうよ。

「すみません。えーと。カカシ先輩の欲しい本が分からなくて、困っていたわけですね?」

 テンゾウは空気を読んだのか急いで謝り、本題に戻るべく問うて、わたしの現状を改めて確認する。無視してやろうかと思いはしたけれど、年下相手に子どもみたいなことは、それこそ恥だ。
 カカシに一番近しい部下はテンゾウ。こうなったなら利用させてもらおう。

「どれも欲しいかなって思えるし、どれもそうでもないかなって思えて。テンゾウだったらどんな本を選ぶ?」

 迷っていることを正直に伝え、カカシに近しい一人だから有益な情報が返ってくるだろうと、テンゾウの意見を求めた。

「先輩、意外とジャンルを選ばない人ですよ。興味のない雑学もあった方がいいからって、ボクが持っている建築の本も貸したら読んでいましたし。あえて先輩の食指が動かないようなものを見繕うのもいいかもしれませんよ。インテリアの本とか」

 自らの経験を元に、カカシの嗜好を優先するのではなく、むしろ知らない分野を薦めてみると返ってきた。
 忍者は時としてどんな知識が必要になるか分からない。テンゾウが持っていた建築の本も、建物の構造への理解が深ければ、潜入任務の際に役立つ可能性はある。

「でもね、どうせなら、好みの本をあげたいの。誕生日だし」

 テンゾウの考えもいいなと思う。いつか思いがけない形で、カカシの助けになるかもしれない。
 だけど、この誕生日プレゼントは特別なものだ。
 産まれてきたことを祝う日は一年に一度。毎年あるとはいえ、わたしとカカシには背を向け合った空白の時間がある。
 その間は、当然ながら祝ったりなんかしなかった。カカシの誕生日の日が近づいて、昔はみんなでお祝いしたっけ、と懐かしさに思いを馳せ、戻れない日々にため息を吐いた。
 でもまた祝える日が来た。カカシのために本を選ぶのに頭を悩ませるなんて、もう絶対なかったはずなのに、今わたしはこうして本屋に居る。
 恋人にしろ友人にしろ、『おめでとう』が伝えられる距離に戻れたのだ。ぽっかり空いた隙間のような数年分を埋められるような物がいい。だからカカシが喜ぶものがいい。

「じゃあ調べるしかありませんね。ボクも手伝いますよ」

 訊ねておいて、出した答えを蹴られたにも関わらず、テンゾウの声は穏やかだ。一緒に探すと言ってくれて、最近カカシが読んでいた本を思い出そうとし「いやそれはだめなんだ」とブツブツ独り言を零している。
 周りに客が居ないことをいいことに、わたしもその場に立ったまま、カカシが普段どんな本を読んでいるか振り返った。

「やっぱりアレかなぁ。あの本」

 思いつくものがあって口にすると、テンゾウは何の本かと訊ねた。

「いつも読んでる本があるの。でもわたしの前では絶対に読まなくて、わたしが近くに行くと読むのを止めてしまっちゃうんだ。何の本か訊いてもはぐらかされて、タイトルも分からなくって」

 外で待ち合わせしていたり一人で居るときに、必ず読んでいる本がある。まるで隠すような素振りだから、気になって何度か訊ねてみても、はっきりとした答えはくれない。
 せっかく親しい仲に戻れたのに、しつこく追及して嫌われるのもいやだったし、本人が秘密にしたいのなら無理に暴くのはよくないかと深追いはしないけれど、実はずっと気になっている。

「分かるとしたら表紙の色くらいなんだけど。オレンジ色でね、多分小説かな?」

 タイトルや絵が描かれていても、手が邪魔してうまくは見えなかった。ただ、鮮やかなオレンジ色は目立っていたし、チラッと見えた中身は文字が滝のように流れていたので、小説かエッセイか、そんなところだろう。
 しょっちゅう読んでいるということは、相当気に入っているに違いない。間違いなく、今のカカシが好む本はあのオレンジ色の本だ。

「サホさん。それを調べるのはやめときましょう」

 協力的な姿勢だったテンゾウは、一転してわたしの前進を止める壁となった。

「え? どうして?」
「いいから、やめましょう」

 いきなり態度を変えたことに戸惑うわたしに、テンゾウは『やめましょう』と真顔で繰り返す。驚いて後ずされば、その分だけテンゾウが距離を詰めてきた。わたしより頭一つ以上も背が高いから、詰め寄られると圧迫感がある。

「な、なんで?」
「世の中、知らない方がいいこともあるんですよ」
「急に何言ってるの?」
「やめましょう」
「テンゾ――」
「やめましょう」

 限界まで見開いた目が怖くて、「分かった」と返すのが精一杯だった。



 テンゾウからはあの本について探るのを止められ、肝心の贈るための本も買えず、結局手ぶらで部屋へ帰った。
 古書店を出てからも本屋巡りをして歩き回り、多少の疲労感はあるけれど、冷蔵庫に保存している日持ちしないものを使い切らなければと、キッチンに立つ。
 明日からも任務が入っている。体調が戻り、Aランク以上の任務をまた命じられるようになって、帰りの遅い日が続いている。里外での任務も多く、数日部屋を空ける生活に戻ってきた。
 弁当を買ったり外食して済ませるのが一番楽だけど、自炊するのは気分転換になる。手足を動かしていると頭の動きもよくなるものだ。
 けれど今日は気持ちを切り替えることが難しく、包丁を動かしながらも考えるのはカカシへのプレゼントのこと。
 カカシの誕生日までまだ日数はあるけれど、本を買えるとした今日が最後のチャンスだった。
――というのも、わたしがAランク以上の任務を免除していてもらっていた間は、わたしに命じられるはずだった任務は当然他の人に割り振られ、負担をかけていた。迷惑をかけていた分、その人たちが取れなかった休暇を十分に取れるよう、通常より数割ほど多く引き受けている。
 今日の休みだって、二週間以上も任務が入りっ放しで待機すらもなかったため、また体調を崩しては意味がないということで、午後から休むようにと通達があったからだ。
 明日からカカシの誕生日まで、今のところわたしに休みも非番もない。自由になる時間は限られている。

 これじゃ何も買えないままになっちゃう。

 気落ちしたままでも手は動き、一人分の夕飯を作り、食事を終えたら片付けまで一気に済ませた。考え事があろうとも体はよく動く。思考に囚われ動きが鈍ればそれが生死を分けると知っているから、行動へはすぐ移すようにと体が作られた。

「テンゾウは止めたけど、あの本からヒントを得るのが一番だよね」

 お茶を淹れてソファーに腰を下ろし、考えた末に出した結論はそれだった。
 本屋で背表紙を眺め、一から決める悠長な時間はもうない。目当てを絞った上でなら、知り合いに似たような本を知らないかと相談もできるし、これと決まっていれば閉店時間ギリギリに店へ入っても買えるだろう。
 問題はカカシにどう訊ねるかだ。何度訊いてもはぐらかすくらいだから、本の詳細を知られたくないのは分かる。そっと盗み見るなんて、カカシ相手ではわたしの技量じゃ無理だ。
 コンコンと、窓を叩く音が二回鳴った。来たかと、カーテンを端に寄せ掃き出し窓の鍵を解除し、ベランダに立つ男を迎え入れる。

「おかえり」
「ただいま」

 このやりとりにも慣れてしまった。自分の部屋に帰ったら、と言うつもりはもうない。カカシは緩慢な動きで額当てやグローブを外していく。
 最後に顔を合わせたのは九日ほど前。すれ違っていて会う日がなかった。わたしが里外に出ていたのもあるけれど、カカシもあまり部屋に帰れないほど忙しかったのだろう。

「ご飯食べる?」
「いや、いいよ。済ませてきたから」

 子どもならもう布団に入り込んでいる時間。どうやら今夜は食事を用意する必要はない。冷蔵庫の中身も、これから一食作るには少々頼りない食材しか残っていなかったので安心した。
 マスクを下ろしながらソファーに座り、背もたれに体を深く預けると、カカシは目を閉じて天井を見上げた。
 くたびれた様子で、長い足をだらんと床に伸ばすその横に、拳一つ分あけて腰を下ろす。振動で隣に座ったことに気づいたのか、カカシはずるずると上体を傾け、わたしの肩に頭を乗せた。
 重い。服の上からじゃ細く見えるけれど、カカシの体に張り付いているのはほとんど筋肉で、とにかく硬くて重い。
 でも見るからに疲れているのに、重いからと拒むのはかわいそうで、わたしも落ち着ける位置を探して、肩の重みはそのままにした。

「大丈夫?」
「うん」

 問えば、相槌とも頷きとも取れる声が上がる。
 近い方のカカシの手が伸びて、腿に乗せていたわたしのそれを掴んだ。指が絡み握り込まれる。カカシの呼吸は長く深くを繰り返した。
 そのまま眠りそうだ。いつもこうしてソファーで眠ってしまうから、このソファーはもはやカカシのもう一つのベッドみたいなものだろう。
 普段なら邪魔をせずに寝かせてやるけれど、今夜はそうしてあげられない。

「あのね。訊きたいことがあるんだけど……」
「……ん? なに?」

 まだ完全に寝付いていないうちに声をかければ、反応は少し遅れたものの、返事はあった。

「いつも読んでる本、あるじゃない? オレンジ色の」

 言うと、急に肩が軽くなった。突然頭を起こしたことに驚いて横を向けば、カカシも目を丸く開いてわたしを見返している。

「え? 何その顔」

 まだ本題にも触れていないのに、カカシはまるで動揺しているのか――いや、動揺している。色違いの両目の瞼は上がったままで、瞬きもしない。たかが一冊の本について触れただけで、どうしてそんなに狼狽するのか。
 カカシの思わぬ反応に続けられず、カカシも黙ったままで、部屋には再び沈黙が広がった。さきほどまでのゆったりした空気は一変し、今は張りつめた緊張の糸がそこら中で交差していて、口を開くのも躊躇われる。

「あの……あの本、面白い?」
「…………うん。まあ」
「へえ……」

 意を決し訊ねれば、間を置きつつ肯定したけれど、濁すような態度のせいで本当か嘘かは見分けがつかなかった。合せていた目はいつの間にか逸れている。

「わたしも、読んでみたいなぁ、なんて……」

 妙な空気を吹き飛ばそうと、努めて明るく言ったら、カカシの顔は強張った。

「カカシ?」

 名を呼んでみても反応はない。俯きがちになることで前髪が目元を隠し、分かるのは黒子を携えた唇が固く引き結ばれていることだけ。

「やっぱりだめだった? あの本のこと、訊かない方がよかった?」

 あの本について訊ねられたくないことは理解していたけれど、こんな展開になるとは予想していなかった。何事か言ってのらりくらりとはぐらかし、眠いからと理由をつけて逃げるかもと想定はしていたけれど、はたけカカシともあろう者がここまであからさまに狼狽えるなんて。
 固まって黙り込んでしまう様子を見るに、やはり追及すべきではなかったのか。持ち出し厳禁の禁書だったりして、他人に知られるのはまずかったとか。でも里の中で堂々と読んでいるわけだし、バレて困るものではないはず。

「なんで、急に?」

 ようやく口を開いたカカシの声は、恐々とした内心が見えるほどに、どこかひっそりとしている。繋がれたままの手がじわりと湿っていて、カカシの緊張が文字通り手に取るように分かる。

「……もうすぐ、カカシの誕生日だから」

 誰より本人に、誕生日プレゼントを選びたいからと理由を告げるのは少し憚られる。でも下手な言い訳を並べてもカカシには嘘だとすぐに見破られてしまいそうだから、正直に打ち明けることにした。

「あー……そういえばそうね」

 部屋にかかっているカレンダーを見やって、他人事のように呟く。忙殺される日々では、自分の誕生日など『そういえば』程度のものになってしまうのは想像に難くない。

「本を贈ろうと思って選んでみても決まらなくて。今のカカシが好きなものって、わたし、よく知らないし……」

 やっとカカシと元の、それ以上の距離まで近づいても、ぽっかり空いた時間は埋められない。
 その間に増えた知らないこと、変わったことはいくつもあって、わたしはきっと正解を選べない。みんなの方が正しくカカシを知っていて、それがなんだか、悔しい。

「いつも読んでる本なら、すごく好きな本でしょ? それと似た本を選べたら間違いないって思ったの。だから訊いてみただけ。ごめん。だめならいいの。無理しないでいいから」

 正解を選びたいのは、所詮はわたしのエゴだ。
 どうせならカカシが貰って嬉しい物を贈りたいなんて、『一等賞を貰いたい』という子ども染みた欲でしかない。そんなエゴを優先してカカシを不快にしては元も子もない。
 テンゾウの忠告を無視すべきではなかったと、後悔の念が顔を俯けさせる。
 今のカカシに詳しいのはわたしではなくテンゾウだと分かっているなら、素直に従っていればよかったのに。現状をきちんと把握し、私利私欲や我を出さないことは任務における鉄則の一つ。反省しよう。

「つまり、オレへのプレゼントを選ぶために、オレの好きなものを知りたかったから……ってこと?」

 カカシが確認を取るので頭を縦に振った。改めて口にされると、忍としていかがなものかと思わざるを得ない。
 情報を取ってくるのが仕事で、本人に直接訊ねるのは頭の良いやり方ではなく、訊ねるにしてももうちょっと手をかけるべきだった。いつ諜報任務を下されるか分からないし、その辺をもう少し上手くやれるようにしないと。反省は尽きず湧いてきて、気がどんどん滅入ってきた。

「そう。そっか。じゃあ、サホの好きな本をちょうだい」
「……わたしの好きな本?」

 思いもよらない要求にびっくりして顔を上げると、すぐ近くにカカシの整った顔面があって、少しだけ背を反らし距離を取った。

「オレも、今のサホが何を好きなのか知らない。子どもの頃の好みは覚えてるけど、大人になったお前がどんな話を好きなのか、どういう作者を好むのか、オレだって知らないよ」

 どんどん近づいてくるので、わたしもじわじわと上体を後ろへ傾け、ついにソファーの肘掛けへ完全に背を預ける形になり、覆い被さるようにカカシが身をくっつけ、わたしへと影を落とす。

「今のサホを、オレに教えて」

 空いている手をソファーの端へ器用に着け、天井の明かりを後光のように背負う顔からは、強張りはすっかり解けている。
 体重の大半を片方の腕で支えているとはいえ、手は繋がれたままだし、カカシの重みはそれなりに感じる。
 何より優しげに向けられる夜色の目と、細い糸に似た三日月を横に倒したように笑む唇と、その傍に灯る小さな黒い星に、胸がドキドキして息苦しい。

「でも、わたしの好きな本は、カカシにとってはつまらないかも……」

 わたしが好きな本は、わたしが知るカカシにとってちっとも気が向かないものが多い。忍術の指南書は忍者として生きていく上で読んでいるが、恋愛などの物語の方が好きだ。歴史小説も読むけど、そんなに数は多くない。

「それは気にするところじゃないね。サホを知りたいだけだから」
「恋愛小説とかだったらどうする? カカシはそういうの興味ないでしょ?」
「オレの好きな本も似たようなもんだよ」
「えっ、あの本って恋愛小説なの?」

 オレンジ色のあの本。読み物だとは予想はついていたけれど、恋愛小説なのだとしたら、昔のカカシの好みから大分ずれている。

「ま、そんな感じ。だからサホは遠慮なく、自分の好きな本を選んで」

 はっきりとは断言せず、しかし近いと答え、再度わたしの好きな本を選べとカカシは言う。
 そこまで言うなら、そうしてみよう。本人がこう言っているんだから、間違いではない。
 なるべくカカシでも読みやすそうなものがいいかな。恋愛要素が少なくて、ちょっと文章もかたい感じの。
 でもカカシが『今のわたし』の好きなものを知りたいのなら、色々考えずに真っ先に一番好きだといえる本を選ぶべきだ。
 だってわたしも『今のカカシ』が知りたかった。子どもから大人になるまでのカカシ。
 他人の視線や評価を気にするのではなくて、カカシが心から好きだと思うものを知って、共有して、何もなかった空白に色や文字をつけて。
 あの日からずっと知らなかった、カカシの今までを埋めたかったんだ。
 自分でも気づいていなかった本心が、カカシもそうだとしたら。だったらわたしが一番好きなものを教えてあげよう。

「カカシのあの本も、いつか読ませてね」

 いつも読むくらいに大好きなあの本。カカシのお気に入りで恋愛小説だと言うなら、ますます興味が湧いて読んでみたくなった。
 カカシはにっこり笑って、わたしの肩口に顔を埋める。「そのうちね」と先延ばしするような頑なな一言にこっそり笑った。わたしがカカシの全てを知るのは、もう少し先になりそうだ。



君の知らない物語

20190915


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