たくさんの方に来ていただけたんだなぁ、読んでいただけたんだなぁととても嬉しいです。
日頃のお礼という形で何か企画したいなと思っていましたが、こちらの都合上、一本書き上げる形でお礼の気持ちをお返しすることにしました。
※『君の恋が実りますように』の続きですので、まだ読まれていない方は先にそちらを一読されてからお目を通してください。
今季の予想は暖冬らしく、秋の木枯らしに冬の気配を感じても、綿の詰まった上着はまだ出番が少ない。でも寒いことは寒い。動けば適度に体が火照って寒さなど気にならなくなるけれど、体を動かすまでが億劫だ。冷えた頭はうまく働くかと思いきやそうでもなく、それははっきりとした原因が別にあった。
その原因が、さきほど第五資料室の出入り口から姿を現し、巻物を広げた机に面していたわたしの下まで真っ直ぐ歩み寄ってきて一言、
「今夜空いてる?」
とのたもうた。入室して一分も経たないで起きた出来事に、わたしはもちろん、その場に居合わせていたシイナさんたちも目を丸くし、呆気にとられている。
何の前置きもなく、明らかに作業をしているところで堂々と私的な誘いをふっかけてくるなんて。まだ分別がうまくつけられない、下忍に成りたての子どもなら注意すれば済む話だけれど、わたしも相手も二十歳を過ぎた大人である。しかもわたしは中忍であちらは上忍。資料室で集まって談笑しているなどと思うわけもないだろう。
「え……?」
「今夜、空いてる? うちで飲もう」
「ちょっ、ちょっ……!」
聞こえなかったのかと、言い直しついでに具体的な場所や内容も添えるものだから、さすがにこれはまずいと、とにかくこの場から脱するためにはたけくんを連れて資料室を出た。見送るシイナさんたちは無言だったけれど、視線の矢が背中に痛いほど突き刺さり、居た堪れない思いで顔が熱くなる。
資料室の扉から離れた場所まで行き、後ろをついてきていたはたけくんに向き直った。今日は正規部隊の格好をしていて、額当ては左目を隠している。見えている右目と合うと、考えるより早く、顔が通路の壁へ向いてしまう。
「あの……任務中だったんだけど」
第五資料室で巻物を広げていたのは、南の方で見つかったとある物の封印術式について調べるためだ。とにかく人手が欲しいということで、待機命令が出ていたわたしにも声がかかった。
特別上忍であるシイナさんや、同じ中忍でもわたしよりずっと封印術に長けている人がすでに集まっているので、わたしなんて大した足しにもならないだろうけど、とにかく何か貢献できればと頑張っていた。
任務に私情を挟むことは褒められた話じゃない。休憩中であれば多少は許されるけれど、今まさに鍵となりそうな資料に目星がついたところだったのに、水を差された形だ。
「じゃあ逃げなきゃいいのに」
「にっ…………逃げるとか……なにそれ……」
まるで責めるような口ぶりで、答えとしては少々的外れではあったけれど、『逃げる』という行為に思い当たることが多すぎてうまく否定もできない。
『逃げる』というのが、ここ最近はたけくんに会わないようにと、遭遇する可能性の高い場所を避けたり、はたけくんの姿を見かけたらすぐにその場から去っていたことを指すなら間違いない。
「で? 今夜空いてる?」
壁に向いている顔をわざわざ覗き込んで、はたけくんが三度目の誘いをかける。さすがに無視をして逃げることはできない。
「リンたち――」
「誘ってないし、誘う気もないよ」
リンたちの名を出してすぐに、問うてもいない答えが返ってきた。リンたちを誘う気がないとなると、つまり今夜ははたけくんとわたしの二人で、ということになる。
はたけくんのうちで、二人で。
「なら、行かない」
はたけくんの部屋で二人で飲むなんてできるわけがない。半月ほど前だったなら気にせず上がり込んで、おつまみを作ってお酒を飲んで、楽しい一夜を楽しんだだろう。友達として、何の気負いもなく。
だけどもう、わたしたちにそんな夜は二度と来ない。
「じゃあ誘うよ。リンとオビトを誘えばいいんでしょ?」
はたけくんは呆れたようにため息をついた。譲歩してあげるよと言わんばかりだ。その態度もそうだけれど、それとはまた違うところでかなり引っかかる点がある。
「……リンは一昨日から、山崩れが起きた西の方へ、医療部隊で派遣されているから、しばらくは戻らないよ」
「へえ、そうなんだ」
「オビトは四代目からの命で、他のうちは一族の人と一緒に、昨日から里を出てる。戻るのは三週間後だって」
「ふうん」
「……知ってたでしょ?」
「何のこと?」
首を傾げてとぼける姿に、嘘つきと糾弾してやりたくなる。
わたしは先日、二人が任務へ赴く前に、どれくらい里を離れる予定なのか教えられた。任務の委細を話すのはご法度だけど、割とみんな、話せるものであれば親しい友人にはこっそり伝えたりしている。明日は待機だとか、数日くらい里を離れるとか、相手と言葉を選べばさほど咎められない。
リンとオビトにとって、わたしは『親しい友人』の括りに入る。もちろんはたけくんもそうだ。だからはたけくんにも、当然二人が今夜も里にいないことは伝わっているだろう。
できもしないのに『誘うよ』などと言った。恐らく、そうすればわたしがノコノコ来ると考えてのことだ。
「二人きりなら行かないよ」
「そう」
改めてお断りしているのに、はたけくんはなんだか機嫌がいい。右の目や眉の動き、声の調子からでしか判断していないけれど、何となくマスクの下の口元も緩んでいるように思える。
「……何が楽しいの?」
リンたちの不在を知らないふりをするなんて策まで練っていたくせに、いざ断られたらあっさり引き下がるなんて不思議だった。拍子抜けしたといってもいい。
はたけくんの右目は弓形になる。笑っているみたいだ。
「ちゃんと忘れてないんだなぁと思って」
近くの壁に手をついて、はたけくんが距離を詰める。頭一つ分ほど身長が違うから、いつもは上から声が降ってくるけれど、やたら近づいている今は、同じ高さからそっと押しつけられているようだ。訳の分からない恥ずかしさに耐えきれず、第五資料室へ走った。「ほら逃げた」と背後からかかった声は妙に楽しそうだった。
あの夜、結局わたしは言葉を選べず無言を通し、はたけくんもわたしの肩に頭を預けたまま、ゆうに10分は停止していた。たった10分ほどだけど、体感時間としては30分も一時間も経った気がしていた。
先に動いたのははたけくんで、おもむろに頭を起こし「ごめん」と小さく謝った。大半は多量に摂取したお酒のせいだろうけど、顔はおろか耳まで真っ赤だ。
謝るはたけくんにやっぱりわたしは何も言えず、膝に置いた自分の手に目を落とし、気まずい空気でわたしが取るべき行動を必死で探った。
「あー……ホントにね……」
はたけくんは右手で目元を覆うと、呻き声に似たものを上げて、肘をテーブルについた。両目を手で塞ぎ、普段は隠している口元からため息が何度も漏れる。
沈黙が続く中で、気分が落ち着いたのか、顔から手を外したはたけくんがわたしの方を見る。目が合うけれど気まずさに耐えきれず、また膝にある手へと視線を移してすぐ、「サホ」と名を呼ばれた。
呼ばれたからにはそちらを向かねばと、意に反して重たい首を動かし、はたけくんと顔を合わせる。
「まあ……だから、言うつもりはなかったわけ。サホがオビトにフラれるまでは」
「……はい」
「はい。……でもま、言っちゃったもんは仕方ないからね」
緊張から思わず丁寧な返しをしてしまったわたしと違い、はたけくんは喋っていくうちに徐々に本来の調子を取り戻したのか、顔の赤みは残っているものの、表情や口調はすっかりいつものはたけくんだ。
「サホ。オビトは諦めよう」
「――え?」
胡坐に両手を乗せどっしりと構えた姿で言うので、一瞬頷きそうになったけれど、短い声を上げるだけに留めた。
「あいつは諦めて、オレと付き合おう」
「……いや……急に言われても……」
「だからオレも急に言うつもりはなかったんだけど。もう十年以上経つっていうのに、いまだにサホはグズグズしてるし、オビトにフラれたら死ぬとか物騒なこと言うし。死ぬくらいならその命をオレにくれたっていいじゃない」
恐らく今、わたしははたけくんに口説かれている。付き合おうと言われているし、端的に表すなら間違いない。
しかしはたけくんの告白というのは、何故こうも、そういう雰囲気に欠けるのだろう。淡々と現状を言葉にして説明し、自分と付き合うことによる利点を挙げる様は、作戦会議中のようなきびきびとした雰囲気がある。臆することなく発言し、自信を持って提案するのはいいけれど、「オビトは遅刻することによってタイムロスを生むけど、オレはそんなことはしない。よってオレの方がサホと一緒に居られる時間を作ることができる」とかなんとか言われても心に響きづらい。
それからはたけくんとやりとりを一時間ほど続け、お互いアルコールが大分抜けたところでお開きになった。あんな話をしたあとなのに「泊まっていけばいい」とはたけくんが事もなげに言うので、一秒でも早くはたけくんの部屋から離れたくて瞬身の術を使った。散ったはずの酔いが胸に集まって軽く吐き気を覚えた。
喧嘩したわけでもないのに友人を避けるべきではないとは重々承知の上で、それから今まで、わたしははたけくんに会わないようにした。
あんなことがあって、いつもと変わらない態度で接するなんて無理だ。生憎とそこまで器用ではないので、はたけくんの言うとおり逃げ続けてきた。
誰かに相談したくても適切な相手が見つからない。やはり信頼できる相手じゃないとこんな話はできない。
そうなると一番の相談相手は親友のリンだ。今までもたくさん相談に乗ってもらってきた。
だけどリンとはたけくんは仲が良い。告白されたという内容からしても、できればはたけくんを知らない人がいい。
でもわたしの知り合いではたけカカシを知らない人などいない。はたけくんの名を隠して相談することも考えたけれど、話していくうちにボロが出そうで怖い。
なので誰にも打ち明けずに、わたしは自分一人でこの状況を打破するしかない。
あれから連日のように「今夜空いてる?」と誘いに来るはたけくんを、自分でどうにかしなければ。
「暗部って暇なの?」
「それ、他の奴らの前で言わないでね」
里外の巡回警備が終わり、そのまま直帰していたところ、運悪くはたけくんに捕まった。
はたけくんは四代目直轄の暗部で部隊長を務めているらしいのに、ほとんど毎日わたしの前に現れている。
だからもしかして暗部って案外暇なのかと思って訊いてみたら、重たげな瞼を少し下ろした。
「だって最近ずっと会うから」
「一応、暇を作って会いに来てるわけ」
「あ、そう……なの」
曖昧に会話を終わらせ、はたけくんとわたしは並んで道を歩く。ちょっと前だったら、今夜のおつまみは何を作ろうかなんて話しながらのんびりできたけど、今のわたしの内心には強い風が吹いて、ガタガタとあらゆるものを揺らしていてそれどころではない。
「あとは家に帰るだけなんでしょ?」
「そうだけど……」
「どこかへ食べに行くくらいいいんじゃない。オレたち『友達』でしょ」
異論の声を挙げそうになったけれど、『友達』の部分をやけに強調されて飲み込んだ。だって友達は友達だから。下手に突っ込んだら、「じゃあオレたちは何なの?」とか訊かれて、藪蛇になるだろう。
仕方ないから近くの定食屋に足を運んだ。最近は夜の外食となると居酒屋ばかりだったけれど、今のわたしとはたけくんでお酒を飲むのはよろしくないと判断したからだ。
食事時ということもあってか、店内はそこそこ混んでいた。でも居酒屋と違って回転率は悪くないので、さして待つということもなく、カウンター席ではあったけれど並びで取ることができた。
注文を終えれば、あとは届くまで手持無沙汰。お互いグローブを外して、黙って店内のざわめきに耳を傾ける。
「さっさとオビトは諦めなよ」
使ったおしぼりをカウンターテーブルに置き、前を向いたままはたけくんが言う。もしかしたらそういう話をされるかも、という心構えはできていたけれど、いざ本当に話しかけられると反応に困る。
「忍たる者、引き際を見極めた方がいい」
頬杖をついて、テーブルに備えてある調味料のビンをくるりと回し、ラベルを確認すると「これソースか」とぼやいた。
「はたけくんはどうなの?」
『忍たる者』とまで言うなら、はたけくんだって当てはまるはずだ。はたけくんはわたしの好きな人のことも、どれくらいの間ずっと好きでいるのかも、悩んだことも落ち込んだことも、全部知っている。
わたしがオビトを諦めきれないことを一番分かっているなら、自分の方こそ引き際というものを見極めればいいのではないか。
はたけくんは姿勢を正すとお冷のグラスを取って、マスクを少し下げて口元に当てた。外で食事をする際、はたけくんは極力マスクをしたままで、なのに食べるのも飲むのも早い。
「オレは見極めた上で攻めてる」
マスクを戻してグラスを置いた答えに、思うより前に自分の眉間が寄っているのが、鏡を見なくても分かった。
「押せばなんとかなる奴だと思ってるんだ」
引き際を見極めているというのが事実なら、今までの言動から鑑みるに、グイグイと押していけばいつかわたしがコロッと落ちると考えているに違いない。
軽く見られたのだという不快感を、湧き上がるままに口から吐き出せば、
「ちょっと違うかな」
と、目だけを隣に向ける。咎めるようなわたしに気づいているだろうに、はたけくんは焦り一つ見せずに悠然とまた頬杖をついた。
「引くつもりが一切ないから、攻めるしかないんだよね」
困るよねぇ、なんて弱ったように言うから、困っているのはこっちだと悪態の一つでもついてやりたいのにできなくて、お冷を手に取ってキンと凍えるような水を喉に通した。
水滴のついたグラスはぬるついていて、滑り落としてしまいそうだ。いつもだったらそんなことないのに、なんだか指に力がうまく入らなくて怖い。
食事を終えて外に出ると、冷えた空気で体が一度震えた。陽が落ちるとすぐに気温が下がる。秋から冬へ移ろうとする夜は長く、そしてどことなく寂しい。
「奢るのに」
「奢られる理由がないもの」
会計をする際、はたけくんは奢ると言ったけど、奢られる謂れなんてないのに甘んじる気はなく、自分の分はきっちり支払った。
店を出て、向かうのはわたしの自宅へ通じる家路。わたしやリンと一緒に食事をすると、はたけくんやオビトは必ず家まで送ってくれる。はたけくんがリンを送る日もあるし、オビトがリンを送る日もあるし、オビトがわたしを送ってくれる日もある。
オビトがわたしを送ってくれる日はラッキーだ。だってそういうときはオビトと二人きりで食事をした帰りくらいしかない。リンが居ると、オビトはまずわたしを送って、そのままリンと二人で行ってしまうから、二人きりの帰り道なんて滅多にない。
「理由があれば奢られるの?」
「そりゃあ……まあ」
通り沿いに並ぶ店は、まだどこも明かりがついている。今から遅めの夕飯を食べようと、店の戸を開けて中へ入っていく人もいる。すっかり夜だけどまだ人が多い通りは、はたけくんと並んで歩けるほどには混んでいない。
「理由がなくちゃ何もできないなんて、不自由な生き方してるもんだ」
同情めいた言葉に、少しムッとしてしまう。
「物事には結局、何でも理由があるものじゃない」
夜も更けているのにお店が開いているのは、まだ食事を求めてお客さんが入るからだ。通り沿いの街灯は足下を照らすためと安全のため。日常の些細な当たり前のことでも、正解不正解に限らず理由がある。
「ま、そうね」
はたけくんはすんなり肯定した。ムキになって反論したわたしがちょっとみっともないかな、と思えるくらいあっさりと認めるので、少し肩透かしを食らった気分で、はたけくんとは違う方向に目を向けた。同僚らしい仲間へ管を巻いている酔っ払いが「お茶漬けが食べたいなぁ!」などと声を張り上げ、静かにしろと窘められている。たしかオビトはお酒のあとはラーメンが食べたい派だ。
「サホがオビトを好きな理由はなに?」
「えっ!?」
突然の質問に驚いてはたけくんの方を見ると、彼は進行方向を向いたまま、淀みなく足を進めている。
聞き間違い? そう考えて様子を窺っていると、「オビトを好きになった理由を訊いてるんだけど」と改めて問われた。
「ど、どうしてはたけくんに言わないといけないの?」
「告白した立場としては、訊いたっていいでしょ」
事もなげに『告白した』と言われ、先日からのことが一気に頭を駆け巡った。酔いが回って顔が赤いはたけくんの熱や、それが醒めたあとの説得まがいのやりとり。ついさっきも、『オビトは諦めろ』と再度言い聞かせてきた。
告白した人は、訊く権利があるのだろうか。そんな決まりはないはず。言いたくないなら口を噤めばいいだけだ。
「別に……理由なんて……」
「『物事には結局、何でも理由があるものじゃない』」
さっきわたしが言ったことをそっくりそのまま、はたけくん独特の抑揚で返された。何でも理由があるとは言いはした。そこを突かれると、言わないとだめな気がしてくる。
そもそも誰かを好きな理由って、一体何を指すのか。好きになったきっかけや、今現在ここが素敵だなぁと思うところ?
わたしがオビトを好きな理由。十年以上も前のわたしは、オビトのどこに惹かれたんだっけ。そして今、オビトの何が好きなのか。
「いつも全力で、一所懸命な、とこ」
思い浮かんだのは、真剣な顔で修業を続ける姿。大人になった現在からはその面影は残っていないけれど、昔は術がなかなか上達しなかったり、手裏剣も百発百中とはいかなかった。写輪眼もなかなか開眼しなくて、『うちは一族なのに』と言われると唇を尖らせて悔しさを堪えていた。
だからオビトは毎日自分に目標を作って、一つ一つこなしていった。
オビトはいつも諦めないし、手を抜かない。誰かが見ていてもいなくても、楽をしないでコツコツと積み上げていった。
そんなにも一所懸命に頑張る人だから、頑張ってる人を心から応援してくれる。オビトの傍に居ると、どんどん元気を貰える。わたしも頑張ろうって引っ張ってくれる。
「へえ」
「……なに?」
訊いておいて淡々とした反応に恥ずかしくなって、低い声が出てしまった。『へえ』ってなに。相槌だけじゃなくて、もっと何かないのだろうか。何か、『そうなんだ』とか。それも相槌だけど。
「いや」
わたしの咎める視線から逃れるかのように、はたけくんは空を仰いだ。星は出ているけれど、ポツポツと穴が空いた薄い雲がかかっているので、どうにもスッキリしない。
「分かっちゃうところが、悔しいね」
『悔しい』と言いながらも、はたけくんの声は笑っている。
同じ班でチームを組んでいたはたけくんの方が、わたしより長くオビトを傍で見てきた。喧嘩ばかりだった時期を越えて、今は最も気心が知れた相棒。オビトの隣にはリンでも他の女の子でもなく、実ははたけくんが一番しっくりくる。
「でも、オレも一所懸命さでは負けてないと思わない?」
「そう?」
「今まさにサホを落とそうと一所懸命でしょ」
最近のはたけくんとは、会話がスムーズにいかない。こうやって時々そういうことを挟んでくるから、わたしはその度に動揺してしまって会話をぷつりと止めてしまう。
「……は……はたけくんが、わたしを好きな理由は?」
沈黙のあと、自身を奮い立たせて問うてみると、「えー」とぼんやりした相槌が返ってきた。
「自らそれを訊ねる勇気があるところ」
「だっ、だって、話の流れっていうか……わたしばっかり話すのは公平じゃないし……」
「ふうん」
話題が『好きな人の好きなところ』だったから、わたしも同じ話題を振っただけだ。
ただその『好きな人』というのがわたし自身だから、それを自分で訊ねるのは当然ながら恥ずかしい。
「だって分かんないよ……はたけくんみたいな、びっくりするくらい早く上忍になるような、そんな人に好かれるほど、わたしはきれいじゃないし、立派な人間じゃない……」
誰かがはたけくんを好きになる理由だったら分かる。すごく優秀な上忍だし、周りをよく見て気づく人だし、格好いいし、意地悪なところもあるけど優しい。わたしが気づいていない魅力的な部分だってあるだろう。
対するわたしは、まだ中忍だし、明るいとも暗いともいえない性格をしている。ヨシヒトにはいまだによく叱られるし、容姿だっていい方じゃない。
何より、親友であるリンにヤキモチを妬くような人間だ。親友だというのなら、嫉妬の念なんて向けるべきじゃないのに。オビトからのリンへの想いを感じるとどうしても胸がしくしくと痛んで、リンの顔をうまく見られなくなるときは今でもよくある。
そんなわたしを、はたけくんが一番知ってる。つい最近も酒の勢いに任せて愚痴を吐いた。
オビトを諦めて楽になりたいけれど、いざそのときが来るのが怖い弱虫。誰の幸せも願えない器の小さな人間なのに。
「立派じゃないから、好きなのかも」
ボトムスのポケットに突っこんでいた右手を出して、そのまま頭へと持っていく。がしがしと何度か掻いたあとに、
「なんかね。好きなんだよ」
と続けた。
「わたしを好きな理由、自分でも分からないの?」
「んー……そうだね」
分からないって、そんな。正直ちょっと期待していたので、思うような答えが貰えないことに密かにがっかりしてしまった。
『好きな理由』は得てしてその人のいいところを挙げる場合が多いし、こんなわたしのいいところを、他でもない『はたけカカシ』に教えてもらえたら自信に繋がる気がする。あと、単純にやっぱり嬉しいとも思う。
だけどまさか、『立派じゃないところが好き』とは。はたけくんの意外な好みを知ってちょっと驚いた。
でも考えてみれば、割としっくりくる。昔は人付き合いの面で度々問題を起こしていたけれど、成人した今は『先輩』と呼ばれ多くの後輩に慕われている。面倒見がいいみたいで、それはやっぱり手がかかる子ほどかわいい、というやつではないだろうか。
だとしたらわたしは手がかかる存在ということになる。そんなことはないと否定したいけれど、振り返ると様々な場面で手を借りている。頼るのはもう控えて反省しよう。
「オレは、言葉にして説明できる理由がなくちゃ、人を好きになれないなんて思ってないから。だからサホに伝わる理由はあげられない」
あ。
本当に『あ』と思った。
伝える言葉が見つからない気持ちの方が、もっと深くて強くて、誰かを好きだと言う感情に相応しい気がしたから。
じゃあ言葉にして説明できるわたしのオビトへの好きが、はたけくんに負けるかと言えば決してそういうわけじゃない。ただ、言葉で表せるものより表せないことの方が、自分でもどうしようもないくらい激情を秘めている気がする。
はたけくんの正しさをまた知った気がした。感情に正しさなんてないと思っていたのに、はたけくんが言うことはそう思えてしまうから不思議だ。
「ホントに好きだってことは、ぜんぶ伝えたいけど」
スッと隣から腕が伸びてきたので、進行方向を遮られたわたしは反射的に足を止めた。道の端を歩いていたので、長い腕がそのまま通りの壁につくと、前にも横にも進めなくなる。
この辺の人家の塀は混凝土を固めたもので作られていて、背をつけると木ノ葉のベストの繊維が引っかかり、ザリッと擦れた音を立てる。
この通りにわたしたち以外の人がいなかったのは幸いだ。はたけくんと塀とで囲われているこの状況を誰かに見られたら困る。でも誰も居ないから助けを求めることもできない。
わたしの左右を阻む柵はたった一本ずつだというのに、振り払うどころかむしろ触れないようにと体を細くすることに必死になる。
「好きなんだ。好きなんだよ。分かんないけど、サホじゃないとだめなんだ」
髪が頬にちくちくと当たる。はたけくんの額は、わたしの肩にそっと当てられていて、身動き一つ取れなくなってしまう。
あのときみたいに心臓が痛い。体がふわふわして、地面がぐにゃぐにゃしていて、膝を折って座り込んでしまいたくなるのを堪えた。
はたけくんってすごい。はたけくんの『好き』が本当なんだって、言葉で説明されていないのに伝わってくる。彼は本当に正しい人だ。
だめなのに。
オビトを好きなわたしは、だめなのに。
だめなのに、その正しさをもっと知りたくなってしまう。
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