最果てまでワルツ | ナノ
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 次の日、アカデミーに登校すると、リンはいつものようにすでに席に座っていて、図書館で借りているらしい本を読んでいる。オビトは今日はまだ居ないみたいだから、きっと遅刻ギリギリでやってくるか、遅刻するのだろう。はたけくんは、窓際の席に腰を下ろしていて、男の子たちに囲まれていた。白い銀色の髪でやっと、彼がそこに居るのだと分かる。

「リン、おはよう」
「あ、おはよう」

 声をかけると、リンは本から顔を上げて、わたしにニコッと微笑む。頬の菫色の化粧は、今日もある。

「あの……リン」
「ん? なに?」

 リンの顔を見ると、猫のようなくりっとした目より、どうしても菫色の化粧の方が目に入ってくる。わたしは言葉が続けられなくて、飲み込んだまま黙ってしまった。

「サホ?」
「その……あとでちょっと、訊きたいことがあって……」
「訊きたいこと? ここじゃだめなの?」
「……うん」

 教室は他のクラスメイトも居るし、何だか落ち着かない。遠くの席に座っているはたけくんのことも気になる。

「いいよ。じゃあ、次の休み時間にする? それとも、お昼休みがいいかな?」
「できれば、お昼休みがいい」
「分かった。お昼、二人で食べましょう」

 リンと約束を取り付けたわたしが、「ありがとう」とだけお礼を言うと、リンは笑顔を返してくれる。こんなに可愛くていい子のことを、こそこそと嗅ぎ回るようなことをした自分は、全然いい子じゃないし、可愛くもない。自分にうんざりしながら、先生が来る前に席についた。



 お昼休みになり、わたしとリンはお弁当を持って、校庭の端の方に向かった。大きな木が植えられているので、その下で食べよう、とリンが提案したのだ。

「外で食べると、ピクニックみたいよね」

 お弁当の蓋を開けながら、リンは楽しそうに言う。わたしも同感だったけれど、リンと違って楽しそうには返せなかった。
 とりあえずお弁当を食べてしまおうと、わたしとリンは黙々と箸を動かした。途中で、昨日の修業のことや、午前中の授業のことを喋ったりはしたけれど、いつもよりもずっと早い時間で、お弁当箱を空にした。

「それで、訊きたいことってなに?」

 お弁当箱を包み直したリンから話を振られて、わたしの心臓は跳ねた。
 訊いてもいいのかな、訊かれていやじゃないかな、と、今更色々考え出してしまうけれど、リンを連れ出した以上、もう後には引けない。

「あのね。リンって、その、いつも頬に、化粧をしているでしょ?」
「ん? うん、これ?」
「そう、それ」

 リンが自分の頬を指差すので、わたしは頷いた。

「それって……何か、一族の大事なものなのかな、って気になって」
「一族の?」
「のはら一族、とか」

 気持ちが沈むせいか、口から出るのはボソボソとした言葉になる。これを母が見ていたなら、もっとハッキリ喋りなさい、と怒られてしまいそうだ。
 沈むわたしとは違って、リンの明るさには陰りなく、「ああ」と、わたしの訊ねたいものが分かって相槌を打った。

「これね、お祖母ちゃんから、こうしなさいって言い付けられていて、それでやってるの」

 『お祖母ちゃんからの言い付け』と言うと、つまり、それは――

「それってやっぱり、リンのお家が、オビトの家みたいに、特別なお家だから……?」
「ええっ!? 違うよぉ、違う」

 恐る恐る問うと、リンは目を丸くし、猫みたいに体を大きく浮かせた。びっくりした声を上げて、手を左右に振る。

「あのね、私、産まれたとき、とっても小さかったらしいの。産み月よりも早く産まれちゃったみたいで」

 浮かせた体を元に戻して、少しだけ早口のリンが続けていく。

「だから、丈夫に育つか心配になったお祖母ちゃんが、お世話になっている占い師の人に、私のことを占ってもらったんだって。そうしたらね、『この化粧を二十歳まで続けなさい。そうすれば死を祓える』って言ったんだって。今はお祖母ちゃんも死んじゃったんだけど、この化粧は必ず続けなさいって言われていたから、ちゃんと言い付けを守ってるだけ」

 一気にそこまで喋りきると、リンは最後に「だから、うちは特別な家なんかじゃないよ」と、薄く笑いながら付け足した。

「じゃ、じゃあ、リンのその化粧は、のはら一族の特別なものじゃなくって……」
「忍とは全然関係ないよ。だって私の家って農家だもの。父さんも母さんも、毎日畑に居るよ」

 知らなかった。リンのお家って、農家だったんだ。じゃあ、リンは農家の家系の子になるんだ。

「そうだったんだ……」
「そうよ。私よりも、サホの家の方が、ずっと立派な忍の家系よね」
「えっ? そんな。忍の家系って言っても、みんな平凡だし……」

 下忍の子を持つ歳だけれど、両親はまだ中忍だ。上忍になるというのは、ある種の才能と、大変な努力と、功績の積み重ねがあって、初めて手が届くと聞いた。両親よりもずっと若い人が上忍になって、二人がまだ中忍なのは、やっぱり平凡だからなんだと思う。

「アカデミーの子って、両親が忍者とか、お父さんだけ、お母さんだけ、おじいちゃんだけみたいな、そういう子が多いわよね? 私の両親はどちらも忍者じゃないし、家も農家だから、ちょっと引け目があったの」

 さっきまでの、スラスラ喋っていたときと違って、今のリンはどこか悲しげに見えた。

「オビトはうちは一族だし、カカシは……カカシもすごいけど、お父さんもすごい人だって、先生が言ってたし……」

 あ。リンも。リンも、わたしと同じようなことを考えていたんだ。自分は忍とは縁がない農家だから、オビトやはたけくんの家とは違うんだと、それを気にしていたんだ。

「だけどね。そんなこと言ってても、私はカカシやオビトと一緒に居るのが好きだし、遊んだり修業したりするのが好きだから。好きな気持ちだけを、持っていようって思ったの。引け目に感じる嫌な気持ちより、好きな気持ちを大事にしようって」

 同じことを考えていたけれど、同じではなかった。
 やっぱりリンは、優しくて、可愛くて、頭が良くて、それで強くて、うつくしい人だ。
 『自分なんて』とオビトたちに引け目を感じて落ち込んだままじゃなく、もっと別のことに目を向けて、二人と一緒に居ることを大切に扱おうと思うことができる。
 わたしが、特別な一族でもないリンが、二人と一緒に並んでも相応しいと感じたのは、リンがこうだからだ。『自分なんて』と背を丸めていじけるんじゃなくて、背筋をピンと伸ばして、前を向いているからだ。

「そっか。そうだよね」

 リンには敵わないなぁ、って、あの二人の傍には、やっぱりリンだなぁって、今でも思うし、比べてしまう。
 だけど、リンの言葉が、わたしの心にじんわり沁みて、ギザギザだったものが、まるくまるく整えられていく。
 リンが特別な一族じゃないから、リンも悩んでいたから。だからホッとしているのも、もちろんあるけれど。
 それよりもわたしは、リンのことがもっと好きになった。リンのようになりたいと思った。

「わたし、リンと友達になれてよかった」

 思ったままに言葉にしたら、リンは少し照れた様子を見せた。

「私も。サホ、私たち、きっと親友よ。ずっと仲良しでいましょうね」

 わたしは躊躇うことなく頷いた。リンと友達になれたこと。リンが親友と呼んでくれたこと。ずっと仲良しでいようって言ってくれたこと。全部が嬉しかった。



 その日の放課後も、わたしたちは集まって修業をした。
 今日ははじめからはたけくんも一緒にいつものところへ向かい、わたしとリンはクナイ打ちの練習をして、はたけくんにアドバイスをしてもらった。
 オビトははたけくんから何かを教わるのは不服みたいで、豪火球の術を練習していたけれど、口から吐いたのは最後まで火の粉だけだった。
 夕暮れになり、誰かが「そろそろ帰ろう」と言って、わたしたちは家路を辿る。前にオビトとはたけくん。後ろにわたしとリン。

「じゃ」

 昨日と同じ道で、はたけくんが短いお別れの挨拶を口にする。わたしもはたけくんの方へ寄り、オビトとリンに手を振った。
 二人と別れたわたしたちは、はたけくんを先頭に歩いていく。

「話、できた?」

 背を向けたままのはたけくんが、誰と、どんな、というものを抜いてわたしに訊ねる。昨日と同じ道を、昨日と同じ背中を見ながら歩いていれば、何の話かのことを指しているかは分かる。

「うん。できた」
「そ。よかったね」
「うん」

 素っ気ないながらも、はたけくんが気にかけてくれて、リンと話ができたことを「よかったね」と言ってくれたことに、ほんのちょっぴり、口が緩むくらいには、いいな、って思った。

「リンは、特別な一族とかじゃないって」
「だろうね。家、農家みたいだし」

 あ、知っているんだ。そうだよね。はたけくんとリンは、わたしより付き合いが長いし、昨日だってリンのことを訊いたら、知ってるよって言っていたし。

「あの頬の化粧は、お祖母ちゃんからの言い付けなんだってね。二十歳まで欠かさずやりなさいって、結構長いよね」

 二十歳って、ずっとずっと先だ。菫色はリンによく似合っているし、リンと言えばあの化粧だから馴染みがあるけれど、ずーーーーっと続けるのって、大変じゃないかな。だって、一日でもあの化粧を止めちゃったらだめなんだろうから、『もし何かあって化粧ができなかったら』と考えると、わたしだったらちょっと怖い。

「へえ。リンの化粧って、そういう意味だったんだ」

 はたけくんが足を止めて、いつも伏せがちの目を少しだけ開いた。はたけくんが止まるので、わたしは彼に追いついて、隣に立つことになる。

「え? 知ってたんじゃないの?」
「いや。初めて聞いた。特に興味なかったし」

 ええ? ええーーー?

「だって、『軽くだけど知ってる』って……」
「知ってるよ。のはらリン。家は農家。好きな食べ物はいちご」

 そこでぷつりと終わり、はたけくんはそれ以上は何も言わない。マスクの上からでも唇の動きはある程度分かるけれど、それも全く動かない。

「それだけ?」
「そう」

 確認すると、あっさり肯定された。

「知ってるって言うから……」
「だから、『軽く』だって言ったでしょ」

 そりゃ、『軽く』とは言っていたけど。でも、わたしが考えていた『軽く』は、もう少し『深く』だった。肩透かしを食らった気分で、はあ、とため息が漏れる。

「で。悩みは解消されたの?」

 はたけくんがわたしを置いて歩みを再開するので、慌てて追いかけ、後ろではなくて隣に並んだ。話すのなら、前後よりも横の方がいい。

「リンがね。リンも、わたしみたいに、オビトやはたけくんと一緒に居ることに悩んだときがあったみたい。でも、悩むよりも一緒に居て楽しい気持ちの方を大事にしようって、思ったんだって」

 リンって、本当にわたしと、そう歳が変わらないんだろうか。わたしなんかよりも何歳も上のお姉さんみたいに賢くて、時々びっくりしちゃう。わたしなんて、そんなリンを見て「すごいなぁ」って感心する言葉しか出てこないのに。

「わたしも、そうしようと思う。オビトが、とか、うちは一族が、とか、そういうことばっかり考えるんじゃなくて、オビトと一緒に居られることをもっと大事にして。それでね、引け目に感じるくらいなら、そんなの気にならないくらいわたしも努力して、修業して修業して、すごい忍者になればいいんだって」

 答えはとてもシンプル。持っていないなら、自分で手に入れればいい。オビトが産まれたときから『うちは一族』を手にしているなら、わたしも何か手に入れればいい。
 それなら、火影のお嫁さんになりたいと思ったときと同じだ。いつか火影になったオビトの横に並んでも笑われないくらい、すごいくノ一に、素敵な女の人になればいい。
 こういうのって、灯台下暗し、っていうのかな? ちょっと違うかな?

「単純」
「う……」
「でも、やろうとしてることは良いことだから、いいんじゃない」

 口を尖らせてしまうわたしに、はたけくんは雑だけど、フォローを投げてくれた。尖っていた唇は、そのまま横に引いて、角が上がる。はたけくんって、素っ気ないけど、いい人だよね。

「ていうか、サホってあんなのが好みなんだ」
「あんなの?」

 何のことだと訊ね返すと、

「オビトのこと、好きなんでしょ?」

と、いつもの伏せがちの目で言われて、わたしの中の時は止まった。止まったみたいに、一瞬何も考えられなくなって、すぐに全身が熱くなってくる。

「ど、ど、ど、どうして?」
「サホ、『オビトオビト』って、いつもオビトのこと気にしてるから」

 さらっと説明されると、そんなにわたし、オビトって言ってたかなとか、はたけくんにバレちゃうなんて恥ずかしいとか、もうとにかく、今すぐにここから逃げ出したくなる。

「だ、誰にも言わないで!」

 逃げる前に、はたけくんの口を封じておかないと、と両手を突き出し、制止のポーズを取ったら、はたけくんは呆れたように目を細め、腕を組んだ。

「女子と違って、誰が誰を好きなんてペラペラしゃべるような趣味はないから」

 何て言い方だ。ムッとしたけど、確かに女の子の会話は、友達やクラスメイトや先生や、親や近所の人の話が多いし、特に誰々ちゃんが何々くんを好きというのは一番盛り上がる。それに、わたしはさっき、リンと話したやりとりもはたけくんに喋ってしまった。もしかしたらリンは内緒にしておきたかったかもしれないのに。

「さっきの、リンが言っていたって話も、内緒にしてね」
「はいはい」

 必死なわたしに、はたけくんは淡々と返す。本当に大丈夫かな。でもはたけくん、そんなにお喋りじゃないし、口も堅そうだから、大丈夫かな。
 話しているうちに、わたしの家に着いた。玄関の明かりはついていて、台所や居間の窓からも光が漏れている。

「ま、がんばって。色々大変だと思うけど」

 はたけくんはそれだけ言うと、昨日と同じように道を引き返していく。
 そういえば、昨日は何とも思わなかったけれど、はたけくんが今こうして引き返しているということは、はたけくんのお家はこっちの方ではなくて、別の方にあるのだろう。なのにわざわざ送ってくれた。昨日も、今日も。

「またね。送ってくれてありがとう!」

 挨拶とお礼を、姿勢を正して歩く背中に送ると、片手が上がって、ひらひらと振る。世界は夜になる直前の藍色に染められていて、その中でゆらめく白い銀色は、わたしの目にこびりつくようにきらめいていた。



05 この恋は秘め事

20180416


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