最果てまでワルツ | ナノ
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* * *



 頼まれた買い出しを終えて戻ると、クシナ先生はダイニングテーブルで頬杖をついて浮かない顔をしていた。

「先生? どうなされたんですか?」
「うん。ちょっとね」

 メモに従って購入した物をテーブルの上に出していくと、クシナ先生は冷蔵物、冷凍物をそれぞれの保存室に入れていく。
 先生のお腹が大きくなると共に季節は過ぎ、例年より随分と早く梅雨明けして訪れた夏はとにかく毎日暑い。短い散歩程度なら問題ないけれど、重い荷物を下げて商店街と家を往復するのは、涼しい日でもつらいのに夏の照り受けてとなるとかなりの負担がかかる。だから最近はわたしが買い出しに行くことがほとんどだ。

「さっきね、ビワコ様が来られて」

 三代目の奥方であるビワコ様は、定期的に先生宅へお越しになられる。クシナ先生の体調や様子はもちろん、九尾の封印に異常がないか確認するためだと言う。

「何かあったんですか?」

 若い時分には多くの赤子を取り上げ、里一番の産婆と称されたビワコ様は、チャクラを用いて妊婦や胎児の状態を確認できるという。そのビワコ様がお越しになったあと沈んだ表情になるということは、何かあったと考えるのが自然だ。
 けれどクシナ先生は「体も赤ちゃんも問題はなかったの」と首を振る。

「これ。今度お祭りがあるでしょ?」

 テーブルの隅、新聞紙や折り込みチラシがまとめられている、その一番上の紙を取るとわたしに見せた。

「ああ、七夕祭りですね」

 七夕に行われるお祭りのチラシは、わたしの家にも投函されていた。『祭り』と名がつくイベントはどの季節にもあって、七夕祭りは夏のお祭りの一番手だ。

「私、お祭り大好きなの。ほら、いっぱい美味しい物が並ぶでしょ? たこ焼きに、焼きトウモロコシに、リンゴ飴にかき氷!」

 よっぽど好きなのか、クシナ先生は出店の種類を次々に挙げていく。中にはわたしが知らないものもあった。先生の生まれ故郷である渦の国特有のお店なのかもしれない。

「だからね、このお祭りに行くつもりだって言ったら、絶対にダメだって禁止されたってばね!」
「えっ? どうしてですか?」
「お腹も大きくなってるし、お祭り会場は混雑するでしょ? 何かあったら大変だから、不特定多数が集まる場所には行くなって」

 クシナ先生はお祭りに行くことを禁じられたのが相当ショックだったのか、肩を落として大きなため息をついた。先生には悪いけれど、ビワコ様の仰られることに、わたしも心の中で同意した。
 安定期を迎えて悪阻は大分落ち着かれたようだけれど、先生は今でもたまに吐き気に苦しんだり、匂いにだって敏感だ。会場はたくさんの出店から色んな香りが流れてくる。もしそこで体調を崩し、母体や胎児が危ない状態になることは避けたい。
 それに、祭りの混雑は襲う側にとって好都合だ。九尾の人柱力であるクシナ先生は、他里から何度も狙われ襲われたという。今は戦争が終わり、表向き争いはないけれど油断はできない。

「ああ、私の焼きそば! わたあめ! ヨーヨー釣り!」

 最後は食べ物ではなかったけれど、お祭りを楽しむ気でいたことは十分に伝わる。人柱力に火影夫人という、ただでさえ様々な制限がある立場だった上、妊婦の今は以前ほど体を自由に動かせない。窮屈な生活の中に訪れる予定だった、貴重な楽しみを取り上げられて落胆する姿は見ていて心苦しい。

「じゃあ、わたしが当日買ってきましょうか?」
「サホが?」
「家で食べることになっちゃいますけど、お祭り気分が少しでも感じられるかもしれませんし」

 ビワコ様が禁じている以上、クシナ先生を会場へ連れて行くことはできない。でも行って買ってくるくらいなら、普段の買い出しとそう変わらない。

「いいの?」
「いいですよ。欲しい物、考えておいてくださいね」

 先生は目をキラキラと輝かせ、七夕祭りのチラシを裏返した。裏は白紙で、そこにペンで出店を書き連ねていき、これは絶対に食べたい、これは持ち帰るのが大変そうだし、と厳選を始める。まだ出産を終えてはいないけれど、母になっても子どもみたいに無邪気な先生を微笑ましく思いつつ、止まっていた買い出し品の仕分けを続けた。


 七夕祭り当日の夕方。厳選したリストを渡すから家に来てほしいと言われ伺うと、手渡されたのはメモではなく浴衣だった。

「私がサホぐらいの年頃に着ていた浴衣よ。せっかくお祭りに行くんだもの。浴衣は必須アイテムだってばね」

 ウインクする先生の手からわたしの手へと乗せられた浴衣は、瑠璃色に朝顔の花や蔓が描かれている。足下の箱には、締めるための赤い帯や腰紐、藤の髪飾りも収められている。
 頼まれた物を買ったらさっさと帰ってくるつもりだったので、すぐに脱ぐことになるしと断ったけれど、クシナ先生は「いいからいいから」と、着ている服を脱いでと急かす。こういうときの先生は絶対に引き下がらないと分かっていたので、無駄な抵抗は止め、先生に言われるがまま浴衣の着付けへと入った。
 クシナ先生の手を借りながら腰紐を結び、帯を締め、髪に櫛を通してまとめてもらい、髪飾りが挿し込まれた。一度とはいえ断ったくせに、いざ着付けを終えると否が応でも高揚感に包まれ、袖をゆらゆら揺らしては、開いた朝顔の柄に心が弾む。
 預かった買い物リストとお金を巾着へ入れ、玄関へ向かうと、たたきには先ほどはなかった下駄があった。黒塗りに赤い鼻緒がよく映える。浴衣には下駄だからと、先生が用意してくれたのだろう。
――唐突に、あの日の記憶が蘇った。今まですっかり忘れていたのに、あの夜の浴衣の色、払い落とせなかった染みや、ヒリヒリとした痛み、地を擦る音を、鮮明に思い出した。

「その下駄を履いていってね」

 クシナ先生が促す。でも足は張り付いたように、板張りの床から剥がれない。一向に動かないわたしを不審に思ったのか「サホ?」と名を呼んだ。

「先生、サンダルで行ってもいいですか?」

 意を決して訊ねると、先生は目を見開き、

「サンダル? 浴衣には下駄でしょ? 不恰好じゃない?」

と驚きつつ返した。おかしなことを言うのね、などという考えが、口に出さずとも窺える。
 浴衣には下駄。サンダルは不格好。誰だってそう思う。もちろん事情があって別の履物を選ぶ人もいるだろう。けれど頭の中で浴衣のイメージを描くと、足下は下駄だ。

「いいんです。一人だし、わたしを見る人なんていないですから」

 一番見てほしかった人はもういない。大好きな親友も、共に意志を継ぐと誓った仲間も、傍にはいない。
 だったら、下駄を履いても履かなくてもいい。この場にヨシヒトが居たなら、『見せたい相手が居なくとも完璧に』と口を酸っぱくして言い、下駄を履くことを強いただろう。

「歩きやすい方がいいかもね」

 でもクシナ先生はわたしの意を汲んでくれて、いつも履いて慣れているサンダルに足を通すわたしを見送ってくれた。
 玄関から外の通りに出れば、陽は暮れていてもまだ昼の暑さが残っていて、空気はどこか生温い。もう少し経てば涼しくなるはずだけど、すぐに背がじわりと汗を掻きそうだ。
 熱を持った風が舞い上がり、避けるように顔を背けて上げれば、屋根の上の人影が目に入る。白い顔は朱色で化粧が施され、無機質な表情でわたしを見下ろしていた。
 一つ、二つ。それから顔を前へと戻し、神社へと歩を進める。サンダルの裏が地と擦れると、いつか聞いたザリザリとした音を立てる。
 下駄を履かないわたしは、あいつからどう見えるだろう。不格好だなと呆れるだろうか。あの夜のことを思い出すだろうか。カラコロ鳴らない道の先に、今夜は誰も待っていてくれない。



* * *



 最近開店したらしい、旬の野菜や魚を主とした定食屋が、友人知人の間で評判だ。だから気になっているとを話題を出したら、時間を取って夜にでも食べに行ってみようという流れになり、先ほど食事を終えて今は二人でマンションへと帰っている。
 蔓紫のおひたしがシンプルながらもとても美味しく、鮎の塩焼きの味と香りも絶品で、ご飯がとてもよく進んだ。おかげでお腹が少し重い。腹ごなしがてら遠回りをすることにした。
 夜の九時を過ぎれば、木ノ葉の里の空には星や月が昇る。地上から放たれる光の強さに負けて、実際に見えるのは目立つ星ばかりだ。
 夏の星座を一通り眺めたあと上げていた顔を戻す。道の脇に立つ街灯の下に設置されている掲示板には、色褪せてしまっている防犯を呼びかける貼り紙や、直近の催し物のポスターが画鋲で止められている。
 その内の一枚の、『七夕祭り』という大きな文字が目に飛び込んできて、思わず歩を止めた。

「そういえばもうすぐ七夕だね」

 急に立ち止まるわたしに合わせ、隣に並んだカカシが、わたしの視線の先と言葉に「もうそんな時期か」と返した。木ノ葉隠れの里には年にいくつか大きなお祭りがある。七夕祭りはその一つだ。

「お祭りなんてここ数年行ってないなぁ。いつも任務が入っちゃって」

 七夕祭りだけでなく、『お祭り』と名のつくものから久しくなって数年。祭りの日は必ず何かしら任務に就いていて、里に居ないときもあった。

「オレは割と行ったよ」
「カカシが?」
「三代目の警護担当でね」
「ああ」

 そういう意味ね、と相槌を返す。
 里長である火影は祭事に顔を出すことが多く、その際の火影の警護には暗部や正規部隊が必ず付いている。祭りを満喫してはいないが、行ったと言うのは間違いではない。
 忍が祭りを楽しんではいけない決まりや風潮はない。けれど上忍となった今は、優先すべきは私事ではなく里でなければならない、というのがわたしの考えで、シイナさんからは『息苦しい』と眉を顰められた。
 実際シイナさんは『あとちょっとで付き合えそうだから』と、好い仲になれそうな女性との予定に重きを置いて、わたしに任務を代わってくれと頼んでくるときがある。私事と里とのバランスのとり方は人それぞれだ。

「行く?」
「ん?」
「お祭り。行けたらだけど」

 ポスターに描かれている提灯の絵を見つつ、提灯の明かりって風情があるんだよなぁなどと思い耽っていたら、前置きもなく誘われた。驚いて絵から隣に顔を移すと、カカシはまだポスターに目を向けている。
 誘われるとは思っていなかった。お互い祭りを楽しむには縁遠くなっているし、わたし自身も行けないからと不満を募らせていない。そういう季節だねという話題の一つで、行きたいなという気持ちもなかった。
 今夜の定食屋に行く話もカカシから出た案だったけれど、定食屋に二人で行くのとお祭りに二人で行くのはちょっと毛色が違う。少なくともわたしの中では、男女二人がお祭りに行くというのは『デート』だ。そもそもわたしたちは一応恋人なのだから、お祭りでも定食屋でも二人で行けばデートなのかもしれないけれど。
 とにかく、わたしにとってお祭りに誘われるのは特別なこと。小説や友人の話を読み聞きして、想像することしかできなかった遠い夜が、手を伸ばせば届くところにある。
 でも、カカシは単に、定食屋のときと同じように話の流れで誘っただけなのかもしれない。行きたいなら行こうか、と特に感情はないのかも。もしそうだとして、受け取るわたしだけが意識してしまっているのであれば恥ずかしい。
 カカシとお祭り――――まだ両の目が夜色だった、小さなカカシの気まずい顔。

「そういえば昔、お祭りの帰りにカカシに泣かされたんだよね」
「は?」

 掲示板に顔を向けていたカカシが、びっくりした声を上げながらこちらを向く。マスクと額当てで右目しか見えていないけれど、『目は口ほどに物を言う』という至言はまったくその通りで、隠しているそこを暴けば、恐らくぎょっとした表情なのだろうと察せられる。
 動揺を見せたその瞳は、ついさっき思い出した、眉を寄せたあの夜の小さなカカシとそっくりな形を作る。カカシも記憶を探り、思い当たったのだろう。

「あ、ごめん。責めてるわけじゃないんだけど」
「いや……あれはホントにオレが悪かった。ごめん」

 そんなつもりはなかったけれど、カカシにとっては自分の過去の非を持ち出されたのと同じだ。あのとき何回も聞いた『ごめん』の声は、あのときより低くなって、強い後悔が滲んでいる。

「でもカカシの言うとおりだったから。オビトによく見せたかったのに、オビトはわたしなんか見てなくて、無理して痛い思いして……本当、情けなかった」

 頑張ったところでその成果を見てもらえず、自分じゃない女の子に見惚れる姿を間近で見るなんて拷問に耐えて得られたのは、足の痛みと大きな落胆。

「あれから親に『浴衣なんてもう二度と着ない』って言ったら、『せっかく買ったのに』って怒られて、さらに不貞腐れてね。それから浴衣はずっと……」

 足に手拭いを巻いて帰ってきたわたしを見て、母は『あらまあ』と声を上げた。それが幼いわたしには癇に障ったのだろう、帯を解いて浴衣を脱ぎ、大声を上げて泣き母に八つ当たりをした。買ったばかりの浴衣は、たった一回袖を通しただけで押入れの奥の奥へと仕舞われた。
 『浴衣を着ない』と言った手前、それからリンたちと夏のお祭りに行く際は普段着で通し、本当に浴衣を着ることはなかったし、当然ながら下駄も履いていない。
――でも一度だけ、クシナ先生に言われるがまま浴衣を着付けたときがあった。瑠璃色に朝顔。帯は赤で髪に藤の花。袖を通せても、赤い鼻緒の下駄に足を通すことはできず、サンダルを履いて出た。
 頼まれた物を買いに行くだけの道は、誰の隣も歩かない神社は、とても寂しかった。わたしの浴衣なんて誰も見てくれない。わたしの足下が不格好だって誰も気づいてくれない。やっぱり浴衣なんて着るものじゃないと、改めて思い知った。
 じゃあ、今度はどうだろう。みんなと行くんじゃなくて、一人で行くんじゃなくて、カカシと一緒に行くお祭りで浴衣を着たら。

「カカシが」

 掲示板のポスターの短冊のイラストを目に入れて、隣に立つ男を極力見ないように。

「見てくれるなら、着ようかな」

 誰も見てくれないなら、浴衣なんて着たって意味がない。
 だけど今度はちゃんと見てくれる人が居て、その人が見せたい人で、かわいいとか、いいねとか、そういう風に思ってくれるなら。
 それなら着てみたいと思う。

「うん」

 手にするりと、細長い熱が絡む。

「オレが見たいから、着てよ」

 指先がきゅっと包まれると、心臓も掴まれたみたいな気分になるのは、いつまで経っても慣れない。今更ながら恥ずかしいことを言ってしまったという感情がグッと湧き上がり、カカシの顔をしばらく見られそうにない。
 そろそろ行こうと、わたしが足を踏み出すと、繋がっている先のカカシも続き再び帰路を辿り出した。

「下駄、どうしよう。最近は痛くなりづらいのも売ってるらしいけど」

 沈黙はかえって恥ずかしさが増すので、何か話題をと下駄のことを口にした。実際に手に取ってみたことはないけれど、鼻緒の肌に当たる部分が柔らかい素材でできていたり、擦れないようにと保護されていたり、そういう加工を施している物が売られているのは知っている。それを履けば小さい頃のように鼻緒ずれで苦しむことはなく、下駄を高らかに鳴らしてお祭りを楽しめそうだけど、こればっかりは試してみないと分からない。

「無理しない方がいいよ。サンダルでいいじゃない」
「それはそうなんだけど。やっぱり浴衣には下駄だしなぁ、って思っちゃうんだよね」
「オレがいいって言ってるんだからいいでしょ」

 見せたい相手はカカシで、そのカカシ本人がサンダルでいいと言うのなら。そういう選択もいいのかも。

「それに下駄には最大の欠点がある」
「最大の欠点?」

 下駄に欠点があるのは分かる。鼻緒ずれもそうだし、物によってはバランスを意識しながら歩かないと足首を捻ったりもする。でも『最大』なんて言い切ってしまうような、大きな欠点などあっただろうか。
 見当もつかないと、カカシからの答えを待てば、

「遭遇したガイから逃げるのに、下駄は厳しい」

と真面目な声色と共に、尤もらしい言い方で返ってきた。
 それは、確かに。ガイが嫌いなわけではないが、せっかく二人でお祭りに来ているのに、カカシに勝負を挑むためにと邪魔をされるのは困る。ガイから逃げるには全力を出さねばならない。その場合、下駄は圧倒的に不利だ。冗談のようでかなり現実的で切実な問題で、笑い飛ばせないのは頭が痛いところである。
 カカシもいいと言っているし、ガイのことを考えたらサンダルが実用的でいいのかもしれない。お祭りに来た人の中にも、下駄ではなくサンダルを合わせている人をたまに見かける。
 けれどやはり昔も今も、相手が変わっても。好きな人には自分が思う、一番かわいい自分を見てほしい。
 どうしようかと困っているのに、口元はどうにも緩んでしまう。だってどちらを選んでも、カカシはちゃんとわたしを見てくれる。見てほしい人が見てくれるのだから。
 下駄のカラコロとした軽い音。サンダルのザリザリとした乾いた音。ずっと昔も少し昔も鳴らした、追憶の音だ。
 カカシの隣を歩く夜にはどんな音を鳴らそう。短冊には何を願って書こう。浴衣も揃えなくちゃ。考えることがたくさんあって、今年の七夕は忙しくなりそうだ。
 二足のサンダルは歩を進めるたびに、ざらついた地と口づけを繰り返す。不揃いな音でも、一人ぼっちの音でもないそれが、ただ心地よく宵の下で鳴り続けた。



揃いの音を立てながら

20190707


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