最果てまでワルツ | ナノ
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 結界を張り直す任務から帰ってきたら、はたけくんの左目は写輪眼になっていた。



 里に帰還した翌日は、昼頃からクシナ班での演習の予定が入っていた。五日ほどとはいえ、結界を張り直し移動を繰り返し続け、ようやく里に戻って来られてすぐの演習は少々つらい。けれどろくに眠る暇なく前線に戻る人たちもいるのだから、休みたいなど言っていられない。
 指定された演習場に向かい、ナギサ、ヨシヒトと合流する。間を置かずにクシナ先生が来て、四人でまとまって演習場の中へと入ると、先生は足を止めることなく進んでいく。
 しばらく歩けば、人影が四つ。遠目からでも、その四人が誰なのかはすぐに分かった。一番背が高いのがミナト先生、その脇に居るのがリンやオビトやはたけくん。
 もしかして合同なのかな、みんな揃うのは久しぶりだな、なんて少しワクワクして四人の方へ向かっていくと、いつもと様子が違うことにすぐ気が付いた。オビトとはたけくんが顔に包帯を巻いている。どちらも左目が覆われていて、見た目はまったく異なるのにそこだけがお揃いだった。

「おっ。サホ、久しぶり」

 ミナト班の下へ着くと、オビトが手を挙げた。一つだけ見えている目が細くなって、白い歯を見せて笑う。オビトに会ったのは告白しようとしたとき以来だと思いだして、ちょっと恥ずかしい気持ちはあるけれど、包帯姿が気になってそれどころではない。

「二人とも怪我したの? 大丈夫?」

 包帯を巻いているということは怪我をしているということ。それも目元。忍であってもそうじゃなくても、視界を遮られるというのは一大事だ。
 問うわたしを、オビトは「平気平気」と笑い飛ばした。隣に立つリンも微笑んではいるけれど、その眉は少し寄っている。

「平気じゃないでしょ。ホント、考えなしのバカ」
「ああ!? ちゃんと考えたからお前にやったんだろ!」
「じゃあただのバカだね」
「てめぇ!」

 オビトと同じように右目だけしか晒していないはたけくんが、普段から重たげに見える瞼をさらに下ろして、オビトをバカだと称する。噛みつくオビトをリンが宥め、はたけくんはフイッと顔をオビトから背けた。
 クシナ先生もミナト先生も、ナギサやヨシヒトも、二人のやりとりに呆れつつもその表情は笑顔だ。ということは、それほどひどい怪我ではないのだろう。でも、オビトは平気らしいけれど、はたけくんはどうなのかなとそちらを見れば、視線を感じたのかはたけくんがこちらを向いて目が合った。

「……サホ、昨日帰ってきたんだよね」
「え? うん、そうだね。昨日の夕方か、それくらいに」

 ミナト班が任務に出て、すぐにわたしも里を発った。ミナト班はもちろん、クシナ班のみんなとも会うのは数日ぶりだ。

「じゃあ、今日ここに集まった理由も知らない?」
「演習って聞いてはいるけど……合同でやるから集まったんじゃないの?」

 人数が多ければ色んな演習ができる。半数ずつで分かれたり、少数名と多勢など様々な状況を作って行えるから、実戦経験がないわけではないが多い方でないわたしにとっては貴重な機会だ。
 質問に答えたわたしを認めて、はたけくんは包帯に手をかける。するすると解いていくと、左目を縦に走る傷が見えた。上忍になって初めての任務に向かう前日には、あんな傷なんてなかった。
 見るからに深い傷痕は、恐らく眼球も傷つけているに違いない。だとしたら失明していてもおかしくない。過酷な任務だったのだろうと想像できて、胸が冷えた。
 平気だと言っていたオビトも、本当ははたけくんのように怪我をして――そんなことを考えていると、はたけくんの左の瞼が上がった。いつも静かな夜みたいな色をしていた目は、真っ赤だった。

「目が……」

 右目は夜で、左目は赤で、それはわたしの記憶のはたけくんとは違っていて、頭がひどく混乱した。どうして目が赤いのか。あの傷の影響で変色してしまったのか。
 全然知らない瞳に戸惑っていると、

「実はさ、オレの写輪眼をカカシにくれてやったんだ」

と言って、はたけくんと同じように包帯を外したオビトが、指で左の上下の瞼を広げて、空っぽの眼窩を見せた。どこか温かみのある黒檀と白樺の幹のような白はなく、皮膚をひっくり返した鮮やかな桃色の肉が、日光を反射しててらてらと光る。
 眼球が収まっていない空洞のそれに、細い悲鳴を上げて後ろによろけてしまい、ナギサに支えられて、それからぐらぐらと世界がひっくり返った。



 目を開けたら、心配そうなリンとナギサがわたしを覗き込んでいた。手を借りて体を起こすと、両腕を組んで叱りつけるはたけくんの前で、苦い顔をして正座するオビトが「分かりやすいと思ったんだよ」と零したところだった。

「怖がらせてごめんな」

 オビトがわたしに謝るけれど、戦場では先ほど見た空の眼窩より、もっと悲惨な怪我を負った姿を目にすることがある。耐えられなかった自分が弱かっただけだから気に病まないでと言って、でももう見せなくていいからねとしっかり付け加えた。

 落ち着いてから事情を聞けば、先日の任務の途中ではたけくんが左目を負傷し失明したため、開眼したばかりのオビトが左目の写輪眼を与えたと知りびっくりした。
 開眼したこともそうだけど、オビトの念願だったあの写輪眼を、はたけくんに分けるなんて誰が予想できただろうか。
 まさかまさかの状況をまだうまく飲みこめないまま、今回の合同演習の目的である『写輪眼を用いた連携の向上』を目指し、写輪眼を持つ二人がコンビを組んで、先生を含むわたしたちが攻撃を仕掛けること数時間。
 ようやく終わった頃にはオビトもはたけくんも疲労困憊といった様子で、特に移植された影響からか、はたけくんはオビトのように自由に写輪眼を閉じたりはできないこともあり、こんなにくたくたな姿は初めて見た。

 演習が終わって、先生たちを除くメンバーで食事をしながら、もっと詳しい話を聞いた。ミナト班が命じられた任務は神無毘橋の破壊。リンが攫われたりはたけくんが怪我をしたけれど、無事に目的は達成されたことで、今現在の戦況は木ノ葉隠れの里の優勢へと変わったらしい。
 そのせいか、一緒に食事をしている最中にも、「神無毘橋の」だとか「写輪眼の」だとか、色んな声や視線がオビトやはたけくんに注がれて、不思議な世界に迷い込んだ気分だ。
 だって、いつもはリンを挟んで座る三人が、今はオビトを挟んで座っている。だからオビトとはたけくんは隣に並んでいるのに、二人とも口喧嘩はしても前に比べるとそれほど刺々しくなくて、リンが毎回フォローを入れなくても済んでいる。
――別人みたい。率直な感想は、心に隙間風を吹かせた。
 見慣れない光景。見慣れないやりとり。見慣れない、揃って左目を覆う二人。
 リンはもちろん、同席しているナギサたちもそんな二人をすっかり受け入れていて、わたしだけがまだ気持ちが追いつけない。



* * *



 あれから十年近く経った。その間にも様々なことがあった。戦争が終わり、ミナト先生が四代目に就任し、クシナ先生との間に息子が一人産まれて、その子が元気にアカデミーに通っている。
 わたしは相変わらず中忍だけど、クシナ先生直伝の封印術や結界忍術の腕を評価されて、専門的な任務も命じられることが増えそこそこ忙しい。
 オビトはうちは一族として警務部隊に異動してしまったけれど、一対の写輪眼を共有するはたけくんが四代目直属の暗部に移ったので、四代目からの任務を受けるために、正規部隊にもまだ籍を置いている。
 リンとナギサは医療忍者として、通常任務と並行して病院や医療施設での勤務も多く、ヨシヒトはアカデミーの講師になった。
 クシナ先生は出産後は忍を引退して、今はわたしや、わたしのように封印術を専門に学ぶ者に忍術を教えるくらい。ミナト先生は優秀な頭脳と手腕を生かし、穏やかな賑わいと平和を里に運び、火影の務めを立派に果たされている。
 大きな事件や災害もなく、ここ数年の木ノ葉隠れの里は『安寧』の一言に尽きる。

 人間関係もそうだ。わたしはオビトを好きで、オビトはリンを好きという一方通行は今も続いている。リンは誰とも付き合っていないし、オビトもリンに気持ちを伝えたりはしていない。
 神無毘橋破壊の任務からオビトが帰ってきたら告白しよう、と決めていた目標も、一年ほど遅れたが行動に移した。でもタイミングが悪くてうまく伝えられなかった。
 それからも何度か試みたけれど、いつも邪魔が入り『好き』という一言が届けられないでいる。
 後半なんか、はたけくんにも手伝ってもらって絶対に告白できる状況を作ったのに、やはり不発に終わってしまった。ちなみに原因はガイくんで、はたけくんがガイくんに怒って喧嘩が始まり、当のガイくんは珍しくはたけくんがライバル勝負を挑んでくれたのだと勘違いしてすごく嬉しそうだった。

 時と共に成長し、お酒が飲める歳にまでなったのに、わたしたちの関係は昔から何ら変わりない。オビトはリンだけを見ているし、写輪眼を共有しているオビトとはたけくんはコンビを組むようになり、そこに昔馴染みの医療忍者であるリンが加わるミナト班は、以前よりもずっと結束が固い。
 変わらないというよりは、むしろわたしと三人の間にあった壁はまた高くなり、強固なものになったと言える。幼いころから慣れた仲。連携の取れた戦忍二人と、肉体はもちろん精神面も支えられる医療忍者。誰であっても入る隙間はやはりないのだと思い知らされる。



 今夜空いてるならうちで飲もうよ、とはたけくんが誘ってきたのは、待機命令が解除される五分前。時刻にすれば夕方の六時。暇つぶしがてらに、図書館から借りた本を中忍待機所で読んでいたときだ。
 暗部の、左目が写輪眼の、はたけカカシ上忍がわざわざお誘いに現れたので、待機所に居た他の中忍の人たちから一斉に好奇の目を向けられた。

「また何か貰ったの?」
「餡子の塊みたいなやつ」
「あー、それははたけくんには無理だね」

 『餡子の塊』を受け取ったときのはたけくんの内心を思い、苦笑いを浮かべた。
 上忍だからなのかよく分からないけれど、はたけくんは付き合いでお菓子を貰うことがあるらしい。恭しく箱に詰められ、きっちりと包装された、そのほとんどは甘いものばかり。
 甘味が苦手なはたけくんは友達に配ったり、時に自宅へ誘う。と言っても、誘う相手は決まってわたし、リン、オビトの三人くらい。

「リンとオビトは? もう誘った?」
「リンは任務で里に居ないって。オビトは夜勤だし、この前酔い潰れて面倒見たからしばらく禁酒させてる」

 面倒を見たときのことを思い出しているのか、はたけくんは深いため息をついた。額当てをずらして左目を隠すようになった姿も、オビトとお酒を飲んで面倒を見てやるなんて話も、もう当然なものになってしまった。

「日持ちするものじゃないし、今夜がいいんだけど」

 暗部のはたけくんは仲間内で特に忙しい。今夜がいいと言うなら、わたしが都合を合わせるべきだ。「いいよ」と返し、お酒は何を買っていくか、他に何を用意しようかと話しているうちに、待機命令が解かれ、そのまま二人で商店街に向かった。



 わたしは片手に惣菜が入った袋、はたけくんは両手にお酒の瓶や缶、食材が入った袋を下げ、はたけくんが一人暮らしをしているマンションへ向かった。前に住んでいた平屋のお家は多忙のため手入れが行き届かないので、今は単身者用の部屋を借りて暮らしている。
 わたしとリンは実家住まい。オビトは一人暮らしだけどうちは地区に住んでいるので、一族から良く思われていないはたけくんは足を向けにくい。なのではたけくんが一人暮らしを始めてから、集まるときは大体はたけくんの部屋が定番になっている。
 勝手知ったる他人の部屋で、はたけくん曰く『餡子の塊』を摘まみながら、さらに言えばお酒も飲みながら、買ってきた食材を使いおつまみを作った。単身者用の部屋にしては十分な設備のキッチンは、二人で並んで立ってもゆとりがある。

「餡子食べながらよくお酒飲めるよね」
「ビールとかだとちょっと合わないかもしれないけど、梅酒だといい感じだよ」

 信じられない、という顔をしながら、はたけくんが出来上がった品をテーブルへと運んでいく。お酒を飲むときはグダグダしたいものなので、椅子に腰かけるダイニングテーブルではなく、そのまま床に座る低いテーブルの方、というのが暗黙の了解だ。
 テーブルいっぱいにお皿が乗ったところで、BGM代わりにつけているテレビに向かうように腰を下ろすと、はたけくんも隣に座って、ようやく落ち着いた。
 はたけくんがいつもしているマスクが下ろされ、口元にある黒子が顔を出す。少し前から、この部屋でのみ見られるはたけくんの素顔はとても整っていて、初めて見たときは思わず見惚れてしまった。ヨシヒトも美形だけど、はたけくんも間違いなく美形だ。
 普段隠されている素顔を晒して、葱のホイル焼きを食べるはたけくん。貴重なんだよなぁと見ていると、

「全部食べちゃうよ」

とテレビのニュース番組に目を向けつつも、葱にしっかり箸を何度も伸ばすので、慌てて自分の箸を取った。最低限の味付けがされている葱は、じっくり熱を通したおかげで辛みは抜け、甘みが増している。

「こういう葱の甘いのは平気なのに、餡子はだめなんだ」
「甘みの種類が違うでしょ」

 それもそうだと、手元のグラスに残った梅酒を一息で飲んで、次は缶チューハイを開けた。レモンサワーの爽やかさが葱とよく合い箸も進む。
 お酒やおつまみを口にする中、互いの近況を話す。最後にこうやって話をしたのは一ヶ月以上前。その間に大事件など一つも起きていないので、先日クシナ先生の家へ行ったらナルトが泥だらけで帰ってきたことや、中忍待機所の空調が故障したためしばらく変な匂いがして困ったことなど、語る話題はあまり出てこない。
 わたしが話して、はたけくんが話して、たまにテレビを見て各々感想を呟いて。それを繰り返していき皿はほとんど空になって、お腹もすっかり膨れた。

「……この前ね。オビトから、話があるって呼び出されたんだ」

 バラエティ番組ばかりの時間帯になったので、騒がしすぎるとはたけくんがテレビを消した。しんと静まってしまった部屋の中で、言わないでおこうと思ったことが口から出てしまったのは、喉越しが柔らかいお酒が胃に送るときつかったことと、相手がはたけくんだったからだ。
 オビトが好きだということを打ち明けているのは、はたけくんとクシナ先生の二人だけ。恋のライバルが親友のリンだから、誰にでも言えることじゃない。
 そうなると、わたしの中のオビトに対する色んな感情を発散できる相手も二人だけ。でも、既婚者であり家事育児に追われながらも幸せそうなクシナ先生に、悩みや愚痴を話すのは気が咎める。そのため、今日は絶対に話題にしないと誓っても、結局いつもこうして、はたけくんの前ではぽろぽろと零してしまう。

「何だったと思う?」
「さあ」
「当ててみて」
「えー……報告書を書くの手伝って、とか」
「ブー。違います。ちゃんと当ててよ」
「面倒くさ……」

 明らかに投げやりなはたけくんの態度を咎めると、はたけくんはうんざりしてみせた。「サホも酔っぱらうとうざったいよね」と言葉にしてもみせた。
 酔ってるのかな。そうかもなぁ。普段だったら、こんな鬱陶しい絡み方したら冷たくあしらわれるって分かってるからやらないもの。

「正解はー……『リンの誕生日に何を贈ったらいいかアドバイスをくれ』でした!」

 両手を広げ、明るい声を上げると、はたけくんは目を丸くしたあと、何だか痛々しいものを見る目を向ける。笑顔を作っていたわたしの頬の筋肉も緩んで、無理に明るく振る舞った気分は急降下。手は膝の上に置き、がくんと頭を垂らした。

「そんなの、どうしてわたしに訊くかなぁ……?」
「……リンの親友だから」

 やるせない呟きに、はたけくんは律儀に返した。そう。わたしはリンの親友。オビトの好きな子の親友だから、リンの誕生日プレゼントの相談を受けるのは何らおかしな話ではない。オビトに他意はない。わたしの気持ちを知らないから、片想い相手の親友であるわたしを頼っただけだ。
 だけどこっちからしてみれば、恋する人が、恋敵のために奮闘する姿を一番近くで見せつけられたわけで。『こういうのサホにしか相談できないからさ』なんて、もっと違うことだったら本当に嬉しかったのに。

「また告白してみたら? 最近やってないじゃない。四代目に、ガイを長期任務に就かせられないか頼んでみるよ」

 はたけくんが落ち着いた声で、そう提案してくれた。はたけくんはいつも、わたしが告白できる場を作るのを手伝うと言ってくれる。頑張れと背中を押してくれて、邪魔が入らないように協力し、それでも告白できずに落ち込むわたしに根気よく付き合ってくれる。
 
「いい。どうせまた、ガイくんじゃない人が割り込んだり、そういうことになるよ」
「だから、オレがどうにかしてあげるって言ってるでしょ」
「いいの。だって、一、二、三……五回だよ? 五回も告白しようとして、それ全部に邪魔が入ったんだよ。神無毘橋の前のも入れたら六回。もうこんなの、告白しちゃダメな運命って言われてるようなものじゃない」

 初めて告白したのを一回目として、それからの五回を足して計六回。
 二回目はまたも緊張しすぎていたのが大きな敗因で、三回目は反省して挑んだけれどタイミングが悪かった。
 四回目からははたけくんが協力してくれたけどやっぱりうまくいかなくて、五回目には「きっと今回もだめなんだろうな」なんて諦めながらだったし、六回目は無邪気なガイくんのせいで告白どころではなくなった。
 六回も挑んで六回全部うまくいかなかった。ここまで見事に全滅ときたら、きっとこれから先も同じことを繰り返すだけだ。そう考えて、成人して以降は告白しようなんて思わなくなった。頑張ったって、どうせだめなんだもの。
 はたけくんは後ろ向きなわたしに、苛立ちに似た表情を向ける。昔からオビトのことでさんざん付き合わせたくせに、諦めます宣言なんて腹立ちたくもなるだろう。
 だけど諦めているわけじゃない。わたしにもわたしの考えがある。

「この前、本で読んだんだけど。相手が失恋して傷心してるときに、支えたりしてくれる人に気持ちが向きやすいんだって。意識したことなかったのに突然素敵に思えて、そういうときに告白すると成功率がグンと高くなるって」

 藁にも縋る、一歩手前くらいの気持ちで、本屋に並んでいた恋愛指南書を一冊買って読んでみた。先人たちから聞いたものに似ている恋愛テクニックなどが書き連ねてあり、特に目を引いた一文をはたけくんに伝える。こちらから仕掛けるのではなく、待ちの戦法。

「だからオビトがリンに告白してフラれるまで待とうかなー……って」

 実は、オビトの想い人であるリンにも長年心を寄せている人が居る。相手が誰だかは教えてもらえなかったけれど、今でもその人が好きで想いを伝えたいけれど勇気が出せないでいると。その相手がオビトではないことだけは確認できている。
 つまり、オビトがリンに告白しても、ほぼ100%フラれる。どんでん返しが起きる可能性もなくはないが、『オビトって大きな弟みたいよね』と言っていたし、実ることはないと踏んでいる。
 ちゃんと考えているんだよ、という意思が伝わっているのかいないのか、はたけくんは「ふうん」と開けていた左目を眇めた。待ちの戦法と言えばそれっぽいけれど、告白から逃げているだけだと言われたらそれもないことはない。
 弱い内心を見透かされそうで、お猪口を一気に煽る。カッと喉や胃が熱くなり、脳が一度大きく揺れるような感覚に堪えきれず、テーブルに肘をついて手で額を押さえた。

「オビトぉ……早く上忍になってよぉ……そしてリンに告白してフラれて……」
「フラれるって決めつけるなんて、ひどい奴だね」

 異論はないけどさ、と隣から声がする。はたけくんもお猪口を空にして、手酌で新たに注いだ。わたしのように、頭をぐらつかせる様子はない。
 どうもオビトは、リンに告白するのは上忍になってからだと決めているらしい。オビトからではなく人伝いに聞いた情報だけど、オビトがリンに告白したという話は知らないので恐らく事実だ。上忍になることがリンへの告白に必要な自信を計る、一つの目安なのだろう。
 けれど上忍になるのは簡単なことではない。戦死が多かった昔と違って、今は上忍の数も安定しているし、層もそれなりに厚い。里の重要会議にも出席する上忍の数はやすやすと増やせるものではないので、まだ若い方に区分されるオビトに声がかかったことは一度もない。
 オビトがフラれたら告白しよう。でも、オビトがフラれるにはリンに告白しなくちゃいけなくて、それはオビトが上忍にならないといけない。だけど上忍になるのはいつか分からず、数年後だったらまだいい方で、三十歳を過ぎてもなれないかもしれない。

「もうやだ。わたしだって、早く蹴りをつけたい。フラれるならフラれてスッキリしたいのに、オビトがフラれないから、いつまで経ってもフラれてスッキリできないじゃない」

 お酒のせいだ。そうに決まってると酔いを理由にし、わたしは胸の中に溜まっているものを独り善がりな言葉にして吐き出した。
 片想い歴十五年ほど。自分でもしつこい自覚はある。それほど長い間、オビトを好きな自分が当たり前だったから、この気持ちは自然消滅しそうにない。恋はしっかり区切りをつけておかないと、変にこじらせてしまうから当たって砕けることも必要、というのも本に書いてあった。

「ま、サホが早くフラれるといいってのは同感だね」

 お猪口を口元に運んだはたけくんは、そっけない声で言う。

「はたけくん、ひどい」

 ついさっき、わたしのことを『ひどい奴』と言ったくせに。

「いいから、さっさとフラれてきなさいよ」

 あしらうように、お猪口を持っていない方の手を、わたしを追い払うかのように振る。追い払うのではなく『行ってこい』の意味なのだろうけれど、ちょっと冷たすぎやしないだろうか。

「フラれるって決めつけるのはやめて」

 そんなつもりなかったのに、わたしの喉を通った声はどこかヒステリックで、自分でも嫌になるくらい耳についた。

「フラれたときのこと考えるだけで死にそうなのに、フラれたら本当に死んじゃいそうなのに」

 告白したってフラれると分かっている。もしかしたら、と淡い期待を抱く日々はとっくに過ぎ去っていて、今はフラれる覚悟も準備も整っている。オビトなんて、リンと幸せになって、早く手の届かない場所にいってくれたらいいとすら考えるときもある。
 だけど、いざフラれたら――これまでの十五年のわたしは、報われることなく散るだけ。『その日』が来てしまったら、わたしはどうなるのだろう。スッキリするんじゃなくて、やっぱり心が痛くてどうしようもなくなったら。死んでしまいそうなんて決して嘘じゃない。
 オビトにフラれたいのに、フラれたくない。指南書に書いてあったから、これは待ちの戦法なんだと、ただ逃げているのが本音だ。
 感情的に言い返したわたしに、はたけくんが長い息を吐く。はたけくんは常々『女心は難しい』と言っている。恐らくはたけくんの目から見たら、『死んじゃいそう』なんて軽々しく言うわたしは理解しがたい生き物だろう。
 しばらく口を閉じていたはたけくんはお猪口を置くと、テーブルに向けていた体を少しこちらへ向けて、胡坐を掻いた膝に手を置いて猫背をさらに丸めた。

「あのね、あとが詰まってんの。こっちもフラれて傷心してるサホを慰めて、言い寄って丸め込んでやろうって待ってんのに、オビトが上忍になってリンに告白してフラれたらなんて、オレたちおじさんおばさんどころか、じいさんばあさんになっちゃうでしょ」

 いきなりはたけくんが早口で語り出すけれど、その内容に大変問題があったため、思考が数秒ほど停止した。

「あーあ。ほら、オレは前からちゃんと計画立ててるのに、ちっとも予定通りに進まないじゃない。最初は十二? 次が十三。十四に、十六、十八。最後は十九だっけ、オビトに告白しようとしてできなかったの。こっちはサホに合わせて動こうとしてんのに、サホがフラれないからオレも告白できないでしょ」

 固まるわたしに構うことなく、はたけくんは腕を組んで続ける。何だか人のせいにしている口ぶりだけど、オビトに告白しようと挑んだ歳は当たっている。

「……誰に?」
「サホに」

 「ちゃんと聞いてんの?」と呆れる態度は、とてもわたしに告白したいという人のそれではないと思う。でもはたけくんはこういう変な嘘はついたりしない。じゃあはたけくんが言ったことは事実で、はたけくんはわたしが――好き?

「わた、わたし? そ、そんな……い……いつ、から?」
「野暮なこと聞くね。いいけど。ま、そうね……サホがフラれたらって考えるようになったのは、十六のときかな」
「そ、そうなんだ……」

 十六の頃。そういえば、はたけくんがわたしの告白に協力してくれるようになったのもその頃からだ。
――ということは、やけに協力的だったのはわたしがフラれるため、つまり自分のため。友達として応援してくれていたわけでも、腐れ縁だからと世話を焼いてくれていたわけでもない。虎視眈々と、一番傍で機会を窺っていただけ。

「サホはホント、そうだよね。オビトと一緒。視界はいつも一人分しかなくて、周りに目が向かない。好かれてることに気づきもしない」

 重たげな瞼をいつもより下ろした目を向けられ、そうなのだろうかと振り返ってみるけれど自覚はない。自慢じゃないけれど想いを寄せられた記憶もない。自分のことを客観視したことがないから知らないだけで、近くに居たはたけくんが言うなら間違ってはいないのかも。

「部屋で飲もうって誘うとき、オビトもリンも来られない日を狙ってることも気づいてないでしょ?」
「え?」
「甘い物なんて持ち出して手渡せば済むのにな、って思ったことない? わざわざ口実にしてここに連れ込んでるのに、一回も警戒したことないよね。この前の夜なんて二人きりだったのにあっさり寝ちゃってくれてさ」

 はたけくんはいつの間にか空にしたお猪口に、また手酌でお酒を注ぎ、一息で飲み切って、また注いだ。
 この前はたけくんと二人で飲んだとき、たしかに部屋に泊まらせてもらった。その夜は長居しちゃって悪いなぁ、有難いなぁと思いつつベッドまで借りた。

「サホの誕生日だって、オビトと違って、オレはサホが欲しいものや喜びそうなものを自力で探して選んで買った。風神社製の最新機種のドライヤー」
「あ、うん……すごく風量があって、音も静かで、とてもお世話になってます……」
「それはどーも。なのにオビトが警務部隊の慰安旅行で行った短冊街で、つ、い、で、に、買ってきた、夜になると目が光るお化けの人形を喜んだよね。サホ、お化け嫌いなのに、あいつはそんなこと少しも考えたことないんだよ」

 『ついでに』の部分を強調したのは、はたけくんなりの嫌味だろう。わたしが『ついでに』買ってきたという発言をオビトから直接もらい、こっそり落ち込んでいたのを知っているからわざとだ。

「や……あれはあれで、可愛らしい感じもあったよ?」
「目が光るからって顔を壁の方に向けて飾ってたくせに? いつの間にか人形が前を向いてたりしたら怖いからって、クローゼットに仕舞ってたくせに? それで忘れた頃に不意に見つけて恐ろしくて、触れもしないから代わりに目を隠してほしいって頼んだのは誰!?」
「わ、わたしです」
「そうだよね、あれは封印されたよね。もはや存在しなかったことにしようとしてるよね。お化けだけに名実ともに亡き者になったな、なんてくだらないこと考えちゃったよ」

 「オレがあげたドライヤーは毎日使ってんでしょ!?」と続けると、高い音を立ててお猪口をテーブルに叩き置いた。先程満たしたばかりの中身はすでに空だ。
 はたけくんが表に出す感情の振れ幅はいつも小さいので、ただただ驚いて声が出てこない。その顔はほのかに赤く、修業や忍術に関することでもないのに饒舌な上に、やや支離滅裂だ。お酒のペースも上がっているから、珍しく酔っているようだ。
 お化けの人形の件は、はたけくんにしかお願いできないと頼み込み、呆れ顔を見せながらも代わりに目隠しをしてくれた。不意の遭遇を防ぐために袋で何重にも包んで、今度はクローゼットの天井近くの棚に置いている。今こうやって改めて考えると、プレゼントしてくれたオビトにも、わたしを好き――らしい、はたけくんにも悪いことをしているのでは。

「サホは最近知ったのかもしれないけど、傷心相手につけこむなんて昔からある手だよ。どうせサホはオレなんて眼中にないんだから、なんでもないときに告白したって断られるに決まってる。だったら弱ってるときを狙うしかないでしょ。少しでも成功率を上げるためなら、どんな手だって使わなきゃ損じゃない。ハゲワシでも何とでも呼べばいいよ」
「ハゲワシ?」
「ハゲワシは屍肉を食うでしょ」
「フラれたわたしは屍肉って言いたいの?」
「『フラれたら死んじゃう』って言ったじゃない」

 言ったけど。言ったけど、いきなり屍肉扱いはどうかと思う。大体『ハゲワシ』だなんて呼ぼうとも思わなかったし。

「だからさ、とっととフラれてきてよ。で、死にそうでも死んでからでもいいからオレのとこ来て。オレがつけこむから、サホは『はたけくん素敵』ってときめいて、オレを好きになればいいじゃない」

 いいじゃないって。いきなりそんなこと言われても。何も知らなかったならまだしも、はたけくんの計画とやらを聞いてしまった状況で、果たしてうっかりときめいて絆されるかも分からない。今まではわたしの初恋成就を願って背中を押してくれていると感謝していたのに、内心はフラれてくることを待ち望んでいたなんて、あんまりだ。
 思考が散らかったままで一向にまとまらない。お酒が入っているから余計にだけど、考えたいのに頭がうまく働かないから、何か返さなきゃいけないのはずなのに口から出てこない。

「それとも、今ここで好きになる?」

 互いの間に手をついて、はたけくんがこちらへグッと近づいた。反射的に体を後ろに引いて、近づいた分だけ離れようとしたけれど、全身が強張ってしまい大した距離は稼げなかった。
 頬が赤いはたけくんと間近で見つめ合うことしばらく。きっとわたしも真っ赤な顔をしている。これも酔っているからだけではないのはもちろんで、やはりどういう言葉を返せばいいか分からないので、口は噤んだままになってしまう。
 無言のわたしをどう捉えたのか、苛立っているように見えたはたけくんの眉が下がり、色違いの双眸が伏せられた。

「好きになってよ……」

 右肩に、はたけくんの銀色の頭がツンと当たって、頬や首にその毛先がチクチクと刺さる。遠慮がちに、本当にかすかに触れているだけなのに熱い。ただでさえ早鐘を打っていた心臓が、さらに駆け出して痛くて仕方ない。
 どうしよう。もしかしてわたしは今、オビトにフラれてもいないのにつけこまれているのだろうか。そしてうっかり、ときめいちゃったりしているのだろうか。



君の恋が実りま[せん]ように

20190403


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