最果てまでワルツ | ナノ
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 里の東の森には、『お化けの木』というものがあるらしい。周りの木々には目もくれず、その木にだけ鳥が群がるのだと。それだけでも不気味なのに、枝にとまる鳥たちは鳴き声一つ上げずに、驚くほど沈黙しているらしい。

「お化けの木は、鳥の命を食べてしまうのよ。冬の終わりが近づくと鳥たちは不思議とその木に呼び寄せられて、そこでまず自由に空を飛ぶための翼を奪われるの。次に美しくさえずるための声を取り上げられて、それぞれが持つきれいな色も奪われるのよ。烏も目白も、翡翠[かわせみ]赤啄木鳥[あかげら]も真っ白になって、そうやって鳥の全てを吸い尽くすの。そしてどんどん大きく育ったお化けの木は、鳥の命だけじゃ足りなくなって、ついには人も引き寄せて……命を吸い取ってしまうんだって!」

 アカデミーの友達は、怖い話を怖く話すのがとても上手だった。一緒に聞いていたリンは最後の言葉を聞いて小さな悲鳴を上げ、オビトは二歩ほど後ろに下がった。わたしはリンの腕にくっついて、見たこともない木を想像し恐ろしくて仕方なかった。
 寒い冬が重い腰を上げ里から去っていこうとしている今、東の森には絶対に近づかないでおこうと、リンと二人で誓い合った。オビトは『そんな木なんてあるわけないって』と笑い飛ばそうとしていたけれど、その口元は引きつっていた。



「サホ。これを東の森の中の屯所に届けてほしいの。お父さんの任務に必要な物なんだけど、お母さんも急いで任務に出なくちゃいけないから」

 アカデミーでの授業がない休日の朝。朝食の目玉焼きをテーブルに置いた母は、エプロンを外してわたしに封筒を一つ押し付けた。玉紐で閉じられていて、少しだけ厚みがある。

「ひ、東の森の屯所!?」
「そうよ。お父さん、今日はそこで任務なのよ。渡すだけだから、すぐに済むわ。お友達と遊べる時間はあるんだから、いいでしょ」

 休みにおつかいを命じられたことが不服だと思ったのか、母は大したお願いじゃないだろうと言うが、届け物を頼まれたことがいやなのではない。向かう場所が問題だ。

「や、やだよ。お兄ちゃんに頼んで!」
「あの子も任務でもう家を出てるじゃない。みんな忙しいんだから、ワガママ言わないで! 戸締りもお願いね!」

 母は手早く身支度を済ませると、嫌がるわたしを窘め、あっという間に家を出て行ってしまった。残された封筒を前にわたしは絶望した。母は行ってしまったし、兄は任務だし、父へ届けるにはわたしがやらなければいけない。これを持って、東の森に。

「どうしよう……」

 絶対に近づかないって誓ったのに。せめて今の時期じゃなければよかった。突然突きつけられた恐怖で箸を止めたわたしを、皿の上の黄色い目玉が無慈悲に見つめ返した。



 これはいわば、わたしに命じられた任務だ。八つのわたしは世間からすれば、東の森へ一人で向かわせるなんて、と思えてしまう歳だろう。距離として考えても、家から屯所は決して近いとはいえない。
 だけどわたしはアカデミー生。忍になるための教育を日々受けている。忍に与えられるのは『おつかい』ではなく『任務』なのだから、心して全うすべし――と、自分にそう言い聞かせて鼓舞しなければ、とても家を出られる気がしなかった。
 封筒が入るくらいの肩掛けのバッグを携え、いやいやながらも東へ向かって歩く。リンやオビトに理由を話してついてきてもらおうと思ったけれど、二人だってお化けの木を恐れているのは知っているから、巻き込むのは可哀想だ。わたしの家の事情なのだからわたし一人で行かなくてはと、落ち着かない手がバッグの紐を何度も握り直した。
 幸いにも、まだ午前中だ。お化けというのは夜に出るもの。お化けの木も、明るい昼間ならきっと大丈夫。
 それに目的地の屯所には父が居て、たくさんの大人が居る。屯所に続く道もちゃんとある。そこをきちんと通って外れなければ、お化けの木に引き寄せられることもない。

 歩いていくうちに、緊張や不安は幾分収まった。春を予感させるほどに、空は雲一つなく澄みきって、ぽかぽかと暖かい。お化けや幽霊もこんな陽気を目の当たりにしたら、きっと眩しくていやになって夜までお休みしているだろう。していてほしい。
 東の森の入り口を前にしたときはさすがに恐怖が戻ってきたけれど、道をしっかり歩く、道から外れないようにと、気持ち足下あたりを見ながら早歩きで進んでいけば、何事もなく屯所に着いた。
 屯所の入り口の警備担当の忍に事情を話すと、中へ通してくれて、ロビーのような場所の長椅子に腰かけて待つように言われた。
 額当てを付けた大人たちが前を通るたび、場違いなわたしに珍しそうな視線を向ける。しばらく待てば父がやってきて、

「届けてくれて助かったよ」

と頭を撫でられた。父に無事に会えて封筒を届けられたことでホッとして、勇気を出してここまで来てよかったと、頑張った自分をこっそり褒めた。
 父は急ぎの用があるのか、すぐに行ってしまった。大人は忙しくて大変だなぁと見送れば、あとはここから帰るだけ。東の森さえ抜けたら、もうお化けの木なんて怖くない。
 『任務』が終わり、バッグと共に気持ちも足取りも軽くなって、晴れやかな気分で屯所の出入り口へ向かった。わたしとほぼ同時に外へ出ようとする人影があり、何気なく顔を見たら見知った人だった。

「はたけくん」

 友達だと驚いて足を止めたわたしと違い、はたけくんはそのまま、陽が当たる外まで出たけれど、自身の名が呼ばれたことに気づいて止まる。呼んだのがわたしだと分かると、恐らくわたし以上に驚いてみせた。

「サホ? なんでここに居るの?」

 怪しんでいるわけではないけれど、その声は少しだけ硬い。通常、忍しか居ないはずの屯所に、ただの子どものわたしが居るのは不審がられても仕方ないことだ。

「届け物に来たの。今日、お父さんが任務でここに居てね。封筒を届けに来て、それで今、帰るところ」
「ふうん。そう」
「はたけくんも今日はここで任務?」
「さっきまでね。今から家に帰って、明日はまた別の任務」

 さっきまでここで任務ということは、もしかしたら夜通しでこの屯所内で仕事をしていたのだろうか。そして明日もまた任務がある。同い年なのに、ただのおつかいを『任務』だなんて名付けた自分が恥ずかしい。いや、でもこの場合は、八つで忍として任務に就いているはたけくんがすごいのだ。うん、そうそう。

「あ、じゃあ、途中まで一緒に帰らない?」
「いいよ」

 わたしの提案を、はたけくんは難色を示すこともなくあっさり受け入れてくれた。思いがけず頼もしい仲間が加わってくれて、怖い気持ちはほとんどなくなる。

「はたけくんに会えてよかった。これなら怖くないね」

 雑草が取り払われ、地を固めて作られた森の中の道を並んで歩く。はたけくんの手はいつものようにポケットに入れられていて、わたしの手はバッグの紐を肩にかけ直した。封筒が一つなくなっただけなのにとても軽く感じられる。無事に届け物が終わった解放感だけでなく、はたけくんが隣に居る安心感のおかげだろうか。

「『怖くない』? 何が?」
「あのね。実は……東の森にはお化けの木があるって、友達から聞いてて……だからこの森を通るのすごく怖いんだけど、はたけくんが一緒なら大丈夫だね。はたけくん、強いから」

 問われて答えると、はたけくんは特に表情を変えることなく「へえ」と相槌を打った。

「そうでもないと思うよ」
「え?」
「生きてる奴なら仕留められるけど、最初から死んでるような奴らをどうにかなんて、ね」

 それは――よく考えたら、そういうものなのかもしれない。わたしたちが習う忍術や体術は、生きている相手を想定して学んでいる。お化けや幽霊は生きているモノではないから例外かもしれない。そういうのを相手にできるのは霊能者とかそういう人たちで、忍はお化け退治なんてしない。

「大体、『お化けの木』って何なの? 聞いたことないけど」

 マスクをしているので目元からしか表情が読み取れないけれど、いかにも『胡散臭い』と訴えている。そういう反応がまた、いかにも『はたけくん』らしい。
 わたしは歩きながら、オビトたちと共に友達から聞いた話をはたけくんに教えた。東の森にあるというお化けの木。鳥の翼を奪って、声を奪って、色を奪って、命を奪うという恐ろしい木のことを、覚えている限り伝えた。

「この時期に、鳥が集まって、鳴きもしないで白くなって……」

 わたしが話した特徴を口に出して挙げていくと、はたけくんは突然「あ」と跳ねるような声を上げる。

「サホ。それ、お化けじゃない」

 夜色の両目がこちらを向いて、きっぱりと言った。

「え……でもお化けの木だって……」

 『お化けじゃない』といきなり否定されても、実際に友達からそう聞いているからすぐには信じられない。はたけくんが嘘をついていると疑っているわけじゃないけれど、でもだって、そう聞いたし。

「ついてきなよ」

 いきなり道を外れ、はたけくんが脇の森へと入っていく。生い茂る草や高く延びた木々の間を進む背中がぴたりと止まり、振り向いて「サホ」と名を呼び、ついてこいと促した。

「で、でも――」
「オレが一緒なら怖くないんでしょ?」

 怖いから、と訴える前にそう言われたら、少し前の自分の発言を思い出し、口は閉じてしまう。これはもう後をついていくしかないのだと諦め、覚悟を決めて自由に伸びる草を踏みしめ、はたけくんと共に道なき道を進んだ。


 森の中は、主に葉や枝が邪魔をして見通しが悪い。初めて入る森だから土地勘なんてものはないので、迷ってしまったら元の道に戻れるかどうかも分からない。はたけくんから決してはぐれぬようにと、なるべくその傍に寄って歩く。

「そんなに怖い?」
「だって、お化けの木は鳥だけじゃなくて、人まで引き寄せて命を吸っちゃうんだよ」
「だからお化けじゃないって」

 まだ言うか、と呆れた態度で、わたしの心配を叩き落とす。はたけくんにお化けの木を怖がる素振りは一切ないから、本当にお化けの木はお化けじゃないのかもしれない。それでも、薄暗い森の雰囲気も相まって、お化けの木に対する恐怖は拭えない。
 そうして、歩き続けて10分経つか経たないか。

「あった。サホ、あれ見て」

 はたけくんが指し示した方を見ると、一本の木。長い冬の冷えがまだ残る季節柄もあってなのか葉はついておらず、その枝に連なるのは白――

「お、お化け!」
「お化けじゃない。ハクモクレン」

 はたけくんの背に隠れると、顔だけ後ろに向けたはたけくんの口から、聞いたことのない言葉が発せられた。

「ハクモクレン……?」
「そう。ハクモクレン」

 『ハクモクレン』なるものを今初めて知ったわたしに、はたけくんは名を繰り返し、どういう字を書くのか教えてくれた。

「白木蓮……」
「あれは鳥なんかじゃなくて、花だよ。遠目からだと、白い鳥が止まってるように見えなくもないね」

 お化けの木――白木蓮は二階建ての家と同じか、それより高い。枝には翼を畳んで休んでいる白い鳥が群がっているように見えるけれど、はたけくんはあれは花だと称し、わたしが思ったことと同じことを口にする。
 初めて見た白木蓮は、一見すると白い鳥が数多止まっているようで、でも目を凝らせば鳥の形にしては不自然だと気づく。花と言われれば、なるほどたしかに、白い花がたくさん咲いているとしか見えなくなった。

「お化けじゃなかった……」
「でしょ? 命を吸うなんて厄介な木があったら、里が放っておくわけないじゃない」

 ご尤もだと、心の中でだけ思った。お化け退治は忍の役目ではないけれど、そんな不穏なことが起きていれば、さすがに里の偉い人たちが対策を取らないわけがない。はたけくんに淡々と説明されれば、もうすっかりお化けの木ではないと納得できた。
 はたけくんの背から離れ、歩を進めて白木蓮へと近づく。だんだんと白い花の輪郭がはっきり見えてきて、染みのない花弁が重なっていることまではっきり捉えられる。

「きれいな花だね。こんなにきれいなのに、知らなかった」
「ここ以外にも里の中のあちこちにあるけど……ま、咲いてる日が短いからね。今の時期は風も強く吹くし、すぐ散っちゃって、存在に気づかなくてもおかしくないよ」

 後を追ってきたはたけくんが隣に立ち、腕を組んで白木蓮を見上げた。清廉とした白が、惜しむことなくたっぷりと枝についている。背景の青い空とのコントラストがきれいだ。お化けの木ではなかったし、翼も声も色も奪わないけれど、白木蓮はこの美しさで、どうも目を奪うらしい。

「白木蓮が咲くと、もう春が来るんだよ」

 咲き連なる花は白い鳥のように見えてもいたけれど、見方を変えれば枝に積もる雪のようにも見える。けれどこれは春を知らせる花。冬はもう溶けて、[ほど]けていく。
 葉が大きな音を立て、木々が傾くほどの突風が吹くと、はたけくんが教えてくれたとおり、白木蓮の花弁がはらはらと落ちていく。まるで手紙を出しているみたい。春が来ることをたくさんの人に告げるために、その身から離して届けようとしている。白の無地には文字など必要なくて、青い空にその花弁さえ舞えば、人は春の訪れを知ることができる。

 わたしはこの日、はたけくんと二人で、まっさらな春を迎え入れた。



冬よ、解け

20190313


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